芦名 雅 / 第40話

第26話 最後のプリンは誰のもの

 冬限定の濃厚プリンは、最後の一個だけがずいぶん広い場所に残っていた。俺は冷蔵ケースの奥へ手を入れ、カップを前へ寄せた。黄色いプリンの上に白いクリームが薄く載っている。何個も並んでいた頃には気にしなかった隙間が、今夜は目についた。 「先輩、これで終わりですよね」 「発注画面から消えてる」 「じゃあ、奥にも次の分はないか」 「売れたら札も外しとけ」  外はまだ寒いのに、売り場の冬は少しずつ片づけられていた。女王が前に二種類のプリンを選んだ時のことを思い出す。今夜来たら欲しがりそうだ、と思ってから、俺は余計なことを考えるのをやめた。取り置きはしない。最後の一個も、ほかと同じように棚へ出しておく。  自動ドアが開くと、黒い角のある背の高い男が入ってきた。傷の残った黒い鎧に、暗い赤色の外套。魔王軍の将軍と呼ばれていた客だった。入口脇でかごを取る動きには、もう迷いがない。 「お久しぶりです」 「ああ」 「今日はお弁当ですか?」 「まだ決めていない」  そう答えたのに、男が最初に手へ取ったのは辛口の麻婆豆腐弁当だった。次に無糖の缶コーヒー。俺が思わず先輩を見ると、何を言う前から「好きなんだろ」と返ってきた。 「まだ何も言ってないですよ」 「お前も同じ物買ってるだろ」 「まあ、買いますけど」  将軍はデザート棚へ移り、シュークリームを一個かごへ入れた。その隣の濃厚プリンで目が止まる。呼ばれて近づくと、大きな指がカップの上を示した。 「これは何だ」 「プリンです。甘いデザートで、これは上にクリームが載ってます」 「ぷりん」  男が言葉を確かめているところへ、自動ドアの音が重なった。入口を見ると、護衛の銀色の胸当ての間に、濃い藍色の髪が見えた。女王が店へ入ってくる。外へ残るよう護衛に短く告げると、彼女は迷わずこちらへ歩いてきた。 「店員。それを一つ」  女王の目が向いた先と、将軍が手を伸ばした先が重なった。二人とも一瞬止まったので、俺も動けなくなる。プリンはまだ棚の上だ。その前に差し出された二つの手が、互いを確かめるように引かれた。 「……お前もか」  女王の声が低くなった。将軍は彼女の額の青い石を一度見てから、カップへ目を戻す。 「買い物に来ただけだ」 「私もだ」  俺は先輩を見た。先輩は端末を台へ置き、レジの中からこちらを見ている。 「店ん中でやるなよ」 「分かっている」 女王が先に答え、将軍も腰へ手をやることはなかった。けれど、二人とも棚の前から離れない。剣じゃなく、プリンの方がまだ片づいていなかった。 「私は、それを買うつもりで来た」 「俺も今、買おうとしていた」 「以前にも買っている」 「知っている者が優先される決まりか?」  女王は答えず、カップの横へ目をやった。同じものが奥にないか見ている。その期待には応えられなかった。 「それが最後なんです。冬限定で、次の入荷もありません」  二人の視線が揃って俺へ戻った。早く言うべきだったのか、言わない方がよかったのか。一個を巡る沈黙が、さっきより長くなる。 「別のプリンもありますけど」  俺が隣を示すと、女王は柔らかい方の列を見て首を振った。将軍も元のカップから目を動かさない。女王は食べ慣れた方を選びたくて、将軍はまだ食べたことのないものを逃したくない。その違いは、代わりを一つ出せば済む話ではないらしかった。 「瀬尾」 「はい」 「お前、見てただろ。どっちが取った」 「どっちも、まだです」  俺はカップの位置を見た。向きを直した時のまま、値札のすぐ後ろにある。先輩は二人へ目をやる。 「じゃあ、じゃんけんで決めたらどうだ」 「……じゃんけん?」  女王が聞き返した。将軍も眉を寄せたので、俺は悟った。説明する役は、やっぱり俺だ。 「手の形で、勝ち負けを決めるんです。買う権利を、運で決める感じですね。お二人がよければですけど」 「勝った方が買うのか」 「はい」 「負けた方は?」 「別の商品を選ぶか、今日は諦めてもらうことに」  将軍はシュークリームの入った自分のかごを見た。女王は最後のプリンへ一度だけ目をやり、俺へ向き直った。 「よい。教えろ」 「俺も構わん」  先に二人の返事を聞けて、少しだけ楽になった。俺は二人が通路を塞ぎすぎない位置へ寄ってもらい、空いている右手を上げた。 「三種類あります。これがグー。石です」  拳を作ると、将軍が同じ形を作った。大きさが違いすぎて、俺の拳は説明用の小石に見える。 「これがチョキ。はさみ。最後に、開いた手がパーで、紙です」  女王は指を伸ばしたり閉じたりしながら確かめた。動きに余計なところがない。国で何かを決める時もこんな顔なのか、などと考えかけたが、俺が見ているのはプリンの前の女王だけだった。 「石は、はさみに勝ちます。はさみは紙に勝って、紙は石に勝ちます」 「待て」  将軍の拳が止まった。 「紙が、石に?」 「包むから、らしいです」 「包まれた石は壊れない」  女王も頷いた。さっきまでは競争相手だった二人が、ここだけ同じ顔になっている。 「その理屈は、少し弱くないか」 「俺が決めたルールじゃないので……」  思わず先輩を見る。先輩は二人の手を確かめ、淡々と言った。 「どれか一つが全部に勝ったら、全員それ出して終わりだろ」  将軍は自分の拳を見たあと、ゆっくり手を開いた。女王も指を二本立て、次に掌を広げる。強そうなものを出せばいいわけではないと、二人とも受け取ったらしい。 「では、同じ形なら?」 「引き分けです。決まるまで、もう一回」 「分かった」  女王が外套の袖を少し上げた。将軍も、出す手へ布が掛からないようにする。勝つ前からその準備が真剣で、俺は妙に笑いそうになった。笑っている場合ではない。二人が同じタイミングで出せるよう、一度合図を説明した。 「最初はグー、じゃんけん――ぽん」  二つの拳が出た。将軍が女王の手を見て、女王も相手を見る。どちらも手を引かない。 「あいこです。もう一回、合図に合わせてください」  俺が息を吸うと、二人とも手を構え直した。 「あいこで――しょ」  今度は二本の指が並んだ。女王も将軍もチョキだった。レジの方で、先輩が短く息を漏らす。 「……息、合ってますね」  言った瞬間、二人の目がこちらへ向いた。 「すみません。次です」  謝ってから、もう一度だけ声を張った。 「あいこで――しょ!」  女王の手が開き、将軍の拳が残った。俺は二つを見比べ、女王の方へ手を向ける。 「女王陛下の勝ちです」  女王はすぐに手を下ろさなかった。自分の掌を見てから、相手の拳を見る。その口元が少し上がる。一方の将軍は、拳のまましばらく黙っていた。 「紙が石に勝つのか」 「さっき決めたとおりです」 「……そうだったな」  先に手を下ろしたのは将軍だった。かごを持ち直し、女王が棚へ近づけるよう半歩ずれる。納得のいかない顔まで消えたわけではない。それでも、出した手をやり直すとは言わなかった。  女王が最後のカップを取った。指の先で確かめるように持ち、かごの底へ置く。俺がほっとして礼を言うと、なぜお前が礼を言う、と返された。 「ちゃんと決まったので」 「決めるためにやったのだろう」 「それはそうなんですけど」  女王の口元がもう少し緩んだ。将軍はその横でシュークリームをもう一個取る。先に選んだ分へ足して二個になるのを見て、俺もようやく普段の声に戻れた。 「そっちは、前に食べたやつですね」 「悪くなかった」 「気に入ってたんだ」 「悪くないと言った」  女王は温かい無糖のお茶を選びに行った。将軍は空いたプリンの棚をもう一度見て、俺へ聞く。 「次の冬にも出るのか」 「同じ商品がまた出るかは分からないです」 「そうか」  声が少し低い。戻ってきた女王もそれを聞いていたようだったが、今度は勝ち誇って追い打ちをかけなかった。将軍がそのかごを見ると、右手を軽く開いてみせるだけだった。 「次は負けん」 「覚えておこう」  じゃんけんを知らなかった二人の間に、次は、という言葉が残った。ただし仲良く並んで菓子を選ぶわけではなく、会計へ向かう足取りには互いの間隔がしっかり空いていた。  先にレジへ来たのは将軍だった。かごを置くと、女王はその後ろで止まった。勝ったから先に払うとは言わない。俺は麻婆豆腐弁当を通し、温めるかを聞いてから電子レンジへ入れた。続けて缶コーヒーとシュークリーム二個を読み取る。  黒みがかった銀色の硬貨が精算機へ落ちた。会計が終わる頃、レンジの音が重なる。先輩が取り出してくれた弁当を受け取り、冷たい商品と袋を分けた。将軍は袋を両手に持ち、出口へ向かう前に女王を見た。 「紙だな」 「紙だ」  俺には勝敗の確認に聞こえたが、二人はそれで十分らしい。将軍の暗い赤色の外套が森へ消え、女王がカウンターの前へ進んだ。 「お待たせしました」 「順番だろう」 「そうですね」  濃厚プリンと温かいお茶を通す。女王が薄い金色の硬貨を取り出し、精算機へ入れた。俺はスプーンを一つつけ、こちらも冷たいものと温かいものを分けた。 「これ、食べる時に思い出しそうですね」 「何をだ」 「紙が石に勝ったところです」  女王は袋を受け取る手を止め、一度だけ自分の掌を見た。 「次は、紙を出せば勝てるとは限らぬのだな」 「はい。相手がはさみなら負けます」 「面倒なものを教えたな」  声には笑いが混じっていた。俺が頭を下げると、女王は自動ドアへ向かった。外で待っていた護衛二人が姿勢を正し、白猫の袋を持った女王についていく。何をしていたのか問う声は、少なくとも店の中には聞こえなかった。  静かになった売り場へ戻り、俺は濃厚プリンの値札と小さな冬の札を外した。奥を確かめても、一個も残っていない。女王が知っていた味を、将軍は今夜も知らないままだった。 「最後の一個、すごい売れ方しましたね」 「一個は一個だろ」 「じゃんけんまで教えたんですよ」 「決まったならよかったじゃねえか」  先輩は次の商品を入れる場所を確認していた。俺も手元の札を折らずに重ねる。回収箱へ入れようとすると、冬の札の端が指に引っかかった。落とさないよう掌を広げて受け止め、それから少し笑った。 「どうした」 「いや、紙でよかったなって」 「何の話だよ」  俺は説明せず、札を箱へ収めた。空いた一列を拭く間、向こうのレジではもう、先輩が次の客に声をかけていた。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳