芦名 雅 / 第19話

第18話 女王陛下、二個目のプリン

 十二月に入って、デザート棚まで冬らしくなってきた。濃厚。冬限定。なめらか仕立て。金色や焦げ茶色の小さなシールが、プリンやチョコレートの容器に増えている。 「冬って、甘いものまで濃くなるんですね」 「知らん」  榊原先輩はレジの中で伝票を見たまま答えた。 「いや、見れば分かるじゃないですか。濃厚ミルク、濃厚たまご、濃厚ショコラ」 「全部食えば分かる」 「太らせようとしてません?」 「お前が気にしてるんだろ」 「商品としてです」 「じゃあ売れ」 「会話が雑だなあ」  俺は少なくなったプリンを前へ出した。一番普通の列を揃えると、次に滑らかな方へ手が伸びる。前に来た女王は、帰り際にそれも試すと言っていた。あの夜に三個売れたのは普通の方だったが、次は別の列が減るかもしれない。 「先輩」 「ん」 「あの女王、また来ますかね」 「知らん」 「即答」 「来たきゃ来るだろ」 「まあ、そうですけど」  俺は一番端に、新しく入った冬限定のプリンを並べた。普通のものより少し背の低い容器。上には白いクリーム。その下に濃い黄色のプリン。値札の横には、雪の結晶を散らした小さな販促札が付いている。俺が札の角度を直した、その時だった。ウィーン。自動ドアが開く。 「いらっしゃいませ」  声を出して振り向いた。入口の向こうに、二人の鎧姿の男が立っている。銀色の胸当て。濃紺の外套。腰の剣。見覚えがあった。 「あ」  二人の護衛が身を引き、その間から女王が歩いてきた。腰まで伸びた濃い藍色の髪と、青い石を留めた額の細い銀の輪。紺色の長衣に銀糸の刺繍のある外套も、前に来た時と変わらない。ただ、護衛の声がしてもすぐには振り向かず、片手を上げて返事をした。薄い青灰色の目元に、前回にはなかった疲れが見えた。 「陛下」  護衛の一人が声をかける。 「我々も中へ」 「いらぬ。すぐ戻る」 「ですが」 「買い物をするだけだ」  前にも聞いたやり取りだ。女性はそのまま店内へ入り、自動ドアが閉まった。俺はもう固まらなかった。 「いらっしゃいませ」 「うむ」  青灰色の目が俺を見る。 「前の店員だな」 「覚えてたんですね」 「一度買い方を教わった相手くらい覚えている」  言いながら、女王は店内を見回した。そして、ほとんど迷わず、デザート棚へ向かう。 「先輩」 「何だ」 「直行しましたよ」 「見りゃ分かる」 「目的はっきりしてるなあ」  女王は棚の前で立ち止まった。前回ほど長くは迷わない。視線がプリンの列を順番に追っていく。普通のプリン。固めのプリン。クリームが乗ったもの。大きめのもの。そして、冬限定の濃厚プリン。 「店員」 「はい」 「前に、お前が勧めたものはどれだ」 「勧めたもの?」 「滑らかなものだ」 「ああ」  覚えていた。前に帰る時、次は別のプリンも試すと言っていた。俺は棚の中段を指す。 「これです。前に買ったのより、やわらかめのやつ」 「これか」  女王は容器を横から見たあと、値札へ目を移した。俺が値段を伝えると、小さく頷いて、今度はプリンの揺れ方を確かめるように持ち直す。ラベルの文字を読めなくても、前に食べたものとの違いは見て分かるらしい。 「同じぷりんなのに、前のものと違うのだな」 「種類が違いますからね」 「前にもそう言っていたな」 「覚えてる」 「お前よりはな」 「俺も覚えてましたよ!」  女王の口元がほんの少し緩んだ。そのまま買い物かごへ入れる。一個。今日はこれで終わりかと思った。ところが。青灰色の目が、隣へ動いた。 「これは?」  指したのは、さっき俺が並べた冬限定の濃厚プリンだった。 「新しく入ったやつです。冬限定の濃厚プリン」 「濃厚」 「味が濃いというか、卵とかミルクの感じが強めというか」 「また曖昧だな」 「食べ物の説明って難しいんですよ」 「それは前にも聞いた」 「そこまで覚えてるんですか」  女王は容器を持ち上げる。 「冬限定とは?」 「冬の間だけ売る商品です。ずっと置いてあるわけじゃないです」 「季節が変われば、なくなる?」 「たぶん。少なくとも、この商品はそうですね」  女王の眉がわずかに動いた。前回、普通のプリンについて「明日もあるか」と聞かれた時とは違う。今度は最初から、なくなる商品だ。 「では」  女王が濃厚プリンを棚へ戻す。戻した。かと思ったら。もう一度取った。 「……悩んでます?」 「二つ買うのはおかしいか」 「全然」 「なら聞くな」 「いや、前は一種類を三個だったんで」  しまった。数えていたことを言ってしまった。女王がこちらを見る。 「覚えていたのか」 「売れた商品なんで」  レジから先輩の声が飛ぶ。 「発注にも関係するからな」 「そう、それです」 「言い訳が遅い」 「言い訳じゃないですよ」  女王は少し考えたあと、濃厚プリンもかごへ入れた。二個目。滑らかなプリンと、冬限定の濃厚プリン。 「今日は違うのを一個ずつですね」 「食べ比べる」  俺が頷くと、女王は念を押すようにかごを持ち上げた。 「どちらも私の分だ」 「まだ聞いてませんよ」 「前は訊いたであろう」  返せなかった。予備だと言って二個追加した夜のことを、覚えているのは俺だけではない。レジの方で先輩が小さく笑い、俺は聞こえないふりをしてかごへ目を戻した。  女王は二つの容器を、かごの底で重ならないように並べた。前は同じものをためらわず取ったのに、今日は違う味を一個ずつ選んでいる。俺もつい、二つの色を見比べてしまった。 「ほかは大丈夫ですか?」  デザート棚から離れた女王へ声をかける。 「今日はよい」  かごを持ち直す手が、途中で少し止まった。俺がレジの方へ歩いても、女王はすぐにはついてこない。デザート棚をもう一度見ているのかと思ったが、視線は容器より下へ落ちていた。 「……かご、持ちましょうか」 「これくらいは持てる。朝から、人の話を聞いていてな」  俺が伸ばしかけた手を戻すと、女王は歩き出した。会話を求めたのか、独り言だったのか分からず、隣へ追いつくのを待つ。 「ほとんど一日だ。皆、自分の言うことが正しいと思っている」 「それを、ずっと聞いてたんですか」 「聞かねば、何を言いに来たのかも分からぬ」  低い声が、棚と棚の間で途切れた。国のどんな話だったのか、俺は知らない。聞き出すこともできない。ただ、二個のプリンを持つ人に、さらに質問を重ねるのは違う気がした。 「……こちら、空いてます」  レジ台の上を片付けると、女王はかごを置いた。持ち手から離した指を一度開き、それから中を見下ろす。 「今日は、考えることの少ないものがよい」 「二種類とも、甘いのは間違いないです」 「そこには自信があるのだな」 「あります」  ようやく少し笑った。俺がかごからプリンを取り出す間、女王はホット飲料の棚へ目を向けた。 「甘くない茶もあったな」 「あります。ご案内します?」 「どれか教えよ」  俺が無糖のお茶を指すと、女王は自分で一本取って戻ってきた。掌を温めるように持ち、二個のプリンの横へ置く。追加を選ぶ動きは、さっきより少し軽かった。  会計は、前と同じだった。滑らかなプリン。冬限定の濃厚プリン。温かい無糖のお茶。ピッ。ピッ。ピッ。 「お支払いはこちらです」 「覚えている」  女王が腰の革袋から、薄い金色の硬貨を出す。羽を広げた鳥のような紋章。前にも見た硬貨だ。精算機へ入れる。ちゃりん。機械は何事もなく受け入れた。 「袋、使いますか?」 「使う」 「珍しいですね」 「二つあるからな」 「前は二つ手で持って帰りましたよ」 「今日は茶もある」 「なるほど」  俺は白猫のマークが入ったレジ袋を広げる。プリン二個を傾けないように並べる。その横へ温かいお茶を入れようとして、手を止めた。 「これは別にしますね」 「なぜだ?」 「温かいのと冷たいの一緒にすると、プリンぬるくなるんで」 「なるほど」  小さい袋をもう一枚出し、お茶だけ分ける。 「すぷーんは二つか?」 「二個食べるなら二つでもいいですけど、一人で食べるなら一個でも」 「一つでよい」 「了解です」  スプーンを一つ付ける。前と同じだ。女王でも、プリンを二個買ったからといってスプーンが勝手に増えるわけではない。その当たり前さが、もうあまり不思議ではなくなっていた。女王が袋を受け取る。 「店員」 「はい?」 「次に来た時、この冬のぷりんがなければ?」 「季節が終わったか、売り切れたかですね」 「取り置きは」  俺は一瞬だけ先輩を見る。先輩は伝票から顔も上げない。 「してない」 「ですよね」  女王はデザート棚へ顔を向けた。前も取り置きを断られたが、その時も怒りはしなかった。俺だけが、相手の立場を思い出して落ち着かなかったのだ。 「ならば、あるうちに来る」 「お待ちしてます」 「うむ」  入口へ向かいかけた女王が、少しだけ足を止めた。 「前の普通のぷりんも、まだあるのだな」 「ありますよ」 「そうか」  視線が一瞬だけデザート棚へ戻る。俺は何も言わなかった。女王も何も言わなかった。数秒後。 「今日は二つでよい」 「誰も止めてませんよ」 「止められている気がした」 「気のせいです」  先輩の低い声が飛ぶ。 「三つ目なら、追加で会計するぞ」 「先輩!」  女王はしばらく黙っていた。そして。 「今日はやめておく」 「そこは悩むんですね」 「明日も来られる」 「取り置きはしませんけどね」 「分かっている」  今度は、はっきり笑った。自動ドアが開く。外で待っていた二人の護衛が姿勢を正した。 「陛下」 「戻るぞ」 「はっ」  一人の護衛が、女王の手にある白猫の袋と小さな袋を見る。一瞬だけ目が止まった。でも何も言わない。三人の姿が暗い森へ消えていく。 「ありがとうございました」  ドアが閉じた。俺はデザート棚を見る。滑らかなプリンが一つ。冬限定が一つ。きれいに減っている。 「先輩」 「ん」 「女王、普通に常連になってません?」 「買いに来てるならそうなんじゃねえの」 「王族の常連客って言葉、すごいですね」 「売上は売上だ」 「やっぱりそこなんだ」 「前出し」 「はいはい」  俺は棚へ向かい、二種類のプリンを一つずつ前へ出した。女王が最後に見ていた普通のプリンも、商品名が見える向きへ直す。三つ目を勧めなかったのに、なぜかそれも次のために揃えておきたくなった。 ◇  午前六時。森が消え、日本の駐車場が戻った。空は薄い灰色で、山の斜面には白っぽい霜が残っている。床を拭いて、ゴミをまとめて、レジ周りを整える。六時五十分を少し回った頃。 「おはようございます」  バックヤード側から、柔らかい声がした。 「おはようございます」  水野さんが大きな生成り色のトートバッグを肩から下ろす。今日は厚手の上着を着ていて、焦げ茶色の髪の先が少しだけ外気で乱れていた。 「寒っ。今日ほんと寒いですね」 「ついに『もっと寒くなる』が現実になってきました」 「まだこれからですよ」 「聞きたくなかった」  水野さんは笑いながらバックヤードへ入り、数分後、薄いグレーのシャツと濃紺の猫エプロンで戻ってきた。引き継ぎの前に、俺の顔を見て「あ、お弁当」と言う。 「この前の炊き込みご飯、どうでした?」 「れんこんが思ったより歯応えありました。写真よりちゃんと大きかったです」 「具の話からなんだ」 「最初に気になったんで。きのこもちゃんと二種類ありましたよ」  水野さんは笑って、今度は自分でも食べてみると言った。それから引き継ぎを聞きながら弁当棚へ一度目をやり、隣のデザート棚で足を止める。俺もその視線を追った。 「あ、濃厚プリン売れたんだ」 「売れました」 「夜に?」 「夜に」 「この店、冬になると甘いものも売れるんですね」 「その人が甘いもの好きなだけかもしれません」 「常連さん?」 「たぶん、もう常連ですね」  嘘ではない。水野さんは棚の販促札へ顔を近づける。雪の結晶と、焦げ茶色の文字。 「このPOP、冬っぽくて好きです」 「色?」 「色もですけど、余白の取り方とか。全部詰め込んでない感じ」 「そこ見るんですね」 「一応、美大生なので」 「なるほど」  俺も札を見た。前に弁当の湯気を教えてもらった時とは違い、今度は何も書かれていない場所を見ればいいらしい。けれど、そこがあることで何が違うのかは、まだうまく分からなかった。 「瀬尾さんは、パッケージとかあんまり見ないタイプです?」 「この前、湯気の話を聞いてから少し見るようになりました」 「じゃあ、この札は?」  水野さんに促され、俺は濃厚プリンの販促札を見た。雪の結晶と焦げ茶色の文字。その間に、何も書いていない白い所がある。 「ここへもっと大きく『濃厚』って入れたくなりますけど」 「入り口からでも、今ので読めません?」  言われて少し離れてみた。確かに読める。詰めればいいというものでもないらしい。 「……読めました」 「よかった。私だけ読めてるのかと思った」  水野さんが笑う。レジ横で先輩がエプロンを外した。 「瀬尾」 「はい」 「帰るぞ」 「今行きます」  俺もエプロンへ手をかけた。デザート棚の前では、水野さんが傾いていた札を立て直している。女王が二つの味を比べようと買っていったことは話せないが、今朝は俺にも、その札のどこを見ているのか少し分かった。 「瀬尾さん、まだ何か?」 「いえ。今度、お弁当食べたら水野さんも教えてください」 「れんこんの感想ですか?」 「できれば全体で」  返ってきた笑い声を聞いてから、俺は先輩のいるバックヤードへ向かった。

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