芦名 雅 / 第16話

第15話 弁当、温めますか

 弁当の「季節限定」という文字を見るたび、どうして今食べたくなるんだろう。十一月も終わりに近づいた深夜、俺はミッドマート北森店の冷蔵ケースの前で、新しく届いた弁当を並べていた。茶色と橙色の札の向こうに、きのこと根菜が見える。背中では中華まんのケースが湯気を立てているのに、今は冷たいままの弁当へ目が吸い寄せられた。  時計は午前零時四十分を指していた。ガラスの向こうは森に変わっているが、しばらく客は来ていない。俺は前出しの手を止め、蓋の表示を読んだ。 「きのこと根菜の炊き込みご飯弁当……」  透明な蓋の向こうに、炊き込みご飯、鶏肉、れんこん、人参、里芋らしきものが詰められている。地味だ。でも、この時間に見ていると妙にうまそうだった。 「先輩、これ売れますかね」 「知らん」  レジの中で榊原先輩が伝票をめくる。 「季節限定ですよ」 「だから何だ」 「限定って付くと買いたくなりません?」 「ならお前が買え」 「夜勤明けに弁当はちょっと重いんですよね」 「じゃあ聞くな」 「会話が終わるの早いなあ」  俺は弁当の向きをそろえた。その時、自動ドアが開いた。ウィーン。 「いらっしゃいませ」  入口を見ると、深緑の外套が開いたドアをすり抜けてきた。長い耳と、背中の半ばまである灰金色の髪。濃い緑の紐で髪を束ねたエルフの女性は、肩の弓がドアへ触れないよう少し身体を寄せ、こちらへ目を向けた。前に千切りキャベツやサラダの棚を熱心に見ていた人だ。 「あ、お久しぶりです」 「前にいた店員だな」 「覚えてたんですか」 「一度見た顔を、そう簡単には忘れない」  淡い緑色の目が俺の手の中の弁当へ移り、すぐに野菜の並ぶ方へ戻った。外気に冷えた頬が薄く赤い。それでも歩く先は、前回のままだった。 「また来てくれたんですね」 「ああ」  女性は短く頷いた。それから、まっすぐ冷蔵ケースへ向かう。俺は少しだけ期待した。やっぱり野菜売り場へ行くのか。行った。 「ありました?」 「ある」  女性の長い指が、千切りキャベツの袋を一つ持ち上げる。 「本当に、また同じものが並んでいる」 「今日も届いてます。前と同じの、ちゃんとありますよ」 「分かってはいた。だが、自分で見ると妙なものだな」  透明な袋の中のキャベツを、女性はしばらく眺めている。前に来た時と同じ商品。同じ形の袋。同じくらいの量。俺には見慣れた棚でも、この人にはまだ珍しいらしい。 「今日もサラダですか?」 「そのつもりだった」 「だった?」  女性の視線が、俺の手元へ移った。さっき前出ししたばかりの季節限定弁当。 「それは何だ」 「お弁当です」 「べんとう」 「ご飯とおかずを一緒に詰めた食事ですね」  俺は手にしていた弁当を見せるように持ち直した。女性の視線が、白いご飯ではない部分で止まる。 「これは炊き込みご飯と、きのこと根菜と、鶏肉が入ってます」 「根菜」  反応した。やっぱりそこだった。 「白くて穴のあるのがれんこんで、これは人参。こっちが里芋です」  女性が隣へ寄ったので、俺は弁当を少し傾けた。冷蔵ケースの縁に光が反射して、中が見えにくかったらしい。長い指が蓋に触れない所で止まり、丸い芋の形をなぞる。 「その茶色いものも、根か?」 「そこはきのこです。種類は……ちょっと見ますね」  ラベルを裏返すと、女性も覗き込んだ。俺は細かな原材料名から、しめじと舞茸の名を拾って伝える。 「きのこを二種類入れるのか」 「そう書いてあります。同じに見えても、食べると歯触りが違うんですよ」 「この弁当を食べたのか?」 「これはまだです。きのこ自体は、ですけど」  先走った説明を言い直すと、女性は疑うより先に、もう一度蓋の向こうを見た。何を食べるか、自分で確かめたいのだろう。俺はラベルを読める向きへ戻し、次の質問を待った。 「これは今日採れたものか?」 「それは分からないです」  即答した。 「俺が分かるのは、店に届いた商品を並べてるところまでなんで。いつ採れたかとか、どこで作ったかまでは」 「知らないことは知らないと言うのだな」 「適当に言って間違ってた方が困りますから」 「それはそうだ」  女性は小さく頷いた。そして、千切りキャベツと一緒に弁当をかごへ入れた。 「これも買う」 「ありがとうございます」 「だが」 「はい?」 「冷たい」  女性が弁当の底へ指を当てている。 「冷蔵商品なんで」 「この季節に、冷たい飯を食うのか」 「そのまま食べる人もいますけど」  俺はカウンターの奥を指した。 「温められますよ」  女性が止まった。 「温める?」 「はい」 「今から?」 「今からです」  淡い緑色の目が少し細くなる。 「火はどこにある」 「使いません」 「では、どうやって温める」 「電子レンジで」 「でんしれんじ」  予想どおり、知らない言葉だった。 「こっちです」  俺はレジ横の電子レンジを指した。女性はすぐには近づかなかった。四角い箱を、少し離れたところから見る。黒い窓。取っ手。ボタン。外から見れば、それだけだ。 「これが?」 「これが」 「中へ入れるのか。箱ごと?」 「この容器は温められます。表示を見て、そのとおりに使います」  女性は弁当の底を確かめ、かごに入っている千切りキャベツを見た。 「こちらも一緒に温めるのか?」 「いえ、お弁当だけです。キャベツはそのまま。食べるものを全部この箱へ入れるわけじゃないですよ」 「それなら分かる。何でも同じ扱いにするのかと思った」  同じ売り場から選んだ食べ物でも、扱いまで一緒ではない。女性がかごの中で弁当をキャベツから少し離したので、俺は頷いた。 「詳しい仕組みまでは、俺もうまく説明できないですけど」  レジから先輩の声が飛んできた。 「使い方分かってりゃいいだろ」 「ほら、先輩もこんな感じです」 「一緒にすんな」 「じゃあ説明してくださいよ」 「だりぃ」 「逃げた」  女性が先輩を見る。それから、俺を見る。 「お前たちは、それを毎日使うのか」 「普通に使います」 「危なくない?」 「決められた使い方をしてれば大丈夫ですよ」  女性はカウンター越しにレンジを見た。肩の弓はそのままで、身を乗り出すほどは近づかない。黒い窓の中と俺の手を交互に確かめ、最後に自分のかごへ目を落とした。 「……なら、頼む」 「はい」  俺がレジへ戻る間に、女性は千切りキャベツに合わせる胡麻ドレッシングと、温かいお茶も選んだ。炊き込みご飯の弁当と並べて台へ置き、お茶だけ掌で包んでいる。 「これは最初から温かいのだな」 「そうです」 「この棚だけ?」 「今はこの辺が温かいです。間違って冷たい方を取らないでくださいね」 「同じ形のものが冷たくも温かくも並ぶのか」 「ありますね」 「ややこしい店だ」 「便利な店って言ってください」 「便利すぎると、ややこしくなるのかもしれないな」 「否定しにくい」  支払いは、前と同じ葉模様の入った淡い銀色の硬貨だった。ちゃりん、と精算機が受け入れる。もうそこには誰も驚かない。 「じゃあ、お弁当温めますね」  俺は表示を確認する。フィルムの指定された部分を少し開け、電子レンジへ入れた。扉を閉める。 「そこへ閉じ込めるのか」 「閉じ込めるって言い方すると怖いな」  時間を合わせる。スタート。ぶうん、と低い音が鳴った。女性の肩が、ほんの少しだけ動いた。 「音がする」 「します」 「光った」 「中、見えますよ」  女性がレジ台へ半歩近づき、向こうにある黒い窓を覗き込んだ。彼女から見える位置を空けるように、俺はレンジの正面から身体をずらした。炎も煙も見えない。弁当は照らされた庫内にあるだけで、外からは何が変わっているのか分からなかった。 「……本当に、これだけか」 「待つだけです」 「どれほど」 「一分かからないです」  女性が俺を見る。 「一分」 「はい」 「冷たい飯が?」 「温かくなります」  疑っている。ものすごく疑っている。でも、逃げはしない。むしろ窓の前から動かなくなった。俺は少し笑いそうになる。 「そんなに見ても、早くは終わらないですよ」 「見ているくらいはよいだろう」 「どうぞ」  数十秒。ピピッ。電子音が鳴った。女性が一歩下がる。 「終わりました」 「今の音は?」 「終わった合図です」  扉を開ける。ふわっと、炊き込みご飯と醤油の匂いが広がった。さっきまで冷蔵ケースに入っていた時とは、まるで違う。 「……匂いが変わった」 「温めると出ますね」  熱くなった容器を持ち、レジ台へ置く。 「触ってみます?」  女性は慎重に手を伸ばした。長い指先が、容器の端に触れる。 「温かい」 「底の方は熱いので、そこだけ気をつけてください」  女性は容器の縁へ触れ直し、その温かさを確かめた。さっき冷蔵ケースから取った時と同じ手で、同じ容器を持っている。その指が、今はすぐには離れなかった。 「本当に、温かい。さっきまで冷たかったのに」 「俺が入れましたからね」 「火も使わず、あれだけの時間で」 「そうです」  女性はレンジを見る。さっきまでの警戒した目ではない。植物の知らない育て方でも見つけたみたいに、静かに見つめている。 「前に来た時は、毎日同じ食べ物が並ぶことに驚いた」 「覚えてます」 「今日は、それを冷たいまま置いておき、食べる直前に温める」 「そういう使い方ですね」 「変な店だ」 「便利な店です」 「そこは譲らないのだな」 「コンビニ店員なんで」  先輩が横から言った。 「お前が作った店じゃねえけどな」 「またそれ言う!」  女性が小さく笑った。俺は弁当とお茶を一方の袋へ、冷たいキャベツとドレッシングをもう一方へ入れた。温めた容器の底からは、薄い袋越しにも熱が伝わってくる。 「一緒に入れると、せっかく温めたのが冷めるんで」 「なるほど」  女性は両方の袋を受け取った。前に来た時と同じように、薄い袋を一度だけ持ち上げて重さを確かめる。 「今日は、すぐ食べた方がいいですよ」 「分かった」 「長く持ち歩くなら、こういう冷蔵の弁当じゃない方がいいです」 「旅の途中で食うものではない?」 「何日も持ち歩くのには向いてないですね」 「では、今夜の食事にする」 「それがいいです」  女性は入口へ向かう。自動ドアの前で、一度だけ止まった。 「店員」 「はい?」 「この弁当も、また並ぶのか」  前にも聞かれた質問だった。 「季節限定なんで、ずっとではないですけど。しばらくは入ってくると思います」 「ずっとではない」 「季節が変わったら、別の商品になることもあります」  女性の眉がわずかに動く。 「同じものが毎日並ぶのに、ずっとは並ばないのか」 「そういうものです」 「やはり、ややこしい店だ」 「便利な店ですって」 「では、なくなる前にまた来る」 「お待ちしてます」  自動ドアが開く。冷たい森の空気が少しだけ入り込む。深緑の外套が暗闇へ消えていった。俺は閉じたドアを見る。 「常連、増えてきましたね」 「そうだな」 「最初はリザードマンだけだと思ってたのに」 「客が来る店なら増えるだろ」 「普通のこと言ってますけど、増えてるの異世界の常連ですからね」 「売上増えるなら何でもいい」 「夢がないなあ」 「発注は現実だぞ」 「それは知ってます」  弁当棚には、女性が一つ取った分だけ隙間ができていた。俺は手前へ残りを寄せ、隣のキャベツも揃えた。次に来た時はどちらを先に見るだろう。さっきレジ台へ寄せた顔を思い出すと、野菜だけだと決めてかかるのはやめておこうと思った。 ◇  午前六時。森が消え、日本の駐車場が戻った。ガラスの向こうの山は、前より色が薄い。木々の葉はかなり落ち、朝の空気まで硬そうに見える。俺は床を掃き、減った飲み物を前へ出し、弁当棚を整えた。季節限定の炊き込みご飯弁当は、夜のうちに二つ売れていた。一つはエルフ。もう一つは、途中で来たローブ姿の客。  午前六時五十分過ぎ。バックヤード側の扉が開く。 「おはようございます」  水野さんが入ってきた。肩ほどの焦げ茶色の髪はいつもどおり後ろでゆるく束ねているが、今日は生成り色のトートバッグに加えて、厚手の上着を腕に掛けている。 「おはようございます」 「外、寒いですね」 「前に言ってたとおり、寒くなってきましたね」 「まだ冬はこれからですよ」 「前に冬はもっと寒いって脅されたんで」 「脅してません」  水野さんは笑いながらエプロンを身につける。それから、弁当棚の前で足を止めた。 「あ、これ入ったんだ」 「知ってるんですか?」 「新商品ですよね。昨日、納品表で見ました」  季節限定の炊き込みご飯弁当を指している。 「夜に二つ売れましたよ」 「へえ。この店、こういう和風の弁当も夜に売れるんですね」 「寒いと温かいもの欲しくなるんじゃないですか」 「山の中なのに、夜だけ食欲ある人多いですよね」 「……腹減る時間なんですよ」 「何時ですか、それ」 「深夜です」 「広いなあ」  危ない。何も嘘は言っていないのに、毎回少しだけ苦しい。水野さんは弁当を一つ手に取る。 「これ、写真より実物の方がおいしそう」 「そういう感想、美大生っぽいですね」 「どこがですか」 「見た目から入るところ」 「食べ物は見た目も大事ですよ。こういうパッケージとか、POPの色とか、普通に勉強になりますし」  水野さんは棚の上の販促POPを見る。茶色い炊き込みご飯。橙色の紅葉。白い湯気。大きな文字で「季節限定」。 「この湯気、ずるいんですよね」 「湯気が?」 「温かそうに見えるでしょ」 「実際、温めたらかなりいい匂いしましたよ」 「瀬尾さん、もう食べたんですか?」 「いや。お客さんの温めただけです」 「じゃあ匂いだけ?」 「そうです」 「中華まんの時も匂いだけって言ってませんでした?」 「夜勤、匂いに耐える仕事になってきたな……」  水野さんが笑った。 「今日は匂いだけで終わらせないんですか?」  水野さんが弁当を棚へ戻そうとして、俺を見る。前にピザまんを買った朝を思い出し、返事の前に笑ってしまった。 「食べる方も気になってますけど、その札も」 「札?」 「今の、湯気の話を聞いたら」  茶色いご飯の写真の上へ、白い湯気が細く描き足されている。さっきまで『季節限定』という文字ばかり見ていた。水野さんは、俺の視線の先を確かめるように隣へ並ぶ。 「全部白くしたら、何が入ってるか見えなくなるんですよね」 「あ、れんこんの所にはかかってない」 「そう。見せたい物はちゃんと見えるんです」  水野さんの指が、札には触れない所で止まった。エルフの女性も、同じように蓋越しのれんこんを指していた。俺は棚から弁当を一つ取る。 「それ、買うんですか?」 「はい。今日は中身も確かめます」 「感想、聞かせてください。私もまだなので」  その言い方は販促ではなく、自分でも食べようか迷っている人の声だった。俺が頷いたところで、レジの奥から先輩が時計を示す。七時だ。エプロンを外してから、今度は客側へ回った。 「お弁当、温めますか?」  水野さんが訊く。さっき自分が何度も説明した言葉なのに、言われる側だとたった一言で済んだ。 「お願いします」  支払いを終えて待つ間、俺は冷蔵ケースの札をもう一度見た。やがてレンジが鳴り、紙に描かれていない本物の匂いがカウンターへ戻ってきた。

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