芦名 雅 / 第17話

第16話 魔法のいらない灯り

 冬向けの売り場に移した途端、懐中電灯が頼もしい道具に見えた。ついこの前までは日用品棚の端に掛かっていた黒い筒だ。十二月に入り、入口近くでカイロや厚手の靴下と並ぶようになると、ガラスの向こうの山道が嫌でも目に入る。店の光が届く先は暗く、路肩の草だけが夜露で白く光っていた。  午後十一時五十分。俺は日用品棚の前にしゃがみ、単三電池の箱を開けていた。 「先輩、電池ってこんなに前に出すんですね」 「暗くなるの早いからな」  レジの中で伝票を見ていた榊原先輩が、顔も上げずに答える。 「山道で切れたら困るだろ」 「スマホのライトじゃ駄目です?」 「スマホの充電切れたらどうすんだ」 「それもそうか」  異世界につながる店なのに、話している内容はものすごく普通だった。俺は単三電池をフックへ掛ける。四本入り。八本入り。その隣に、小型の懐中電灯。黒い筒型。銀色の細身。持ち手に滑り止めのゴムが付いた少し大きめのもの。 「これ、夜中に売れるんですかね」 「売れたら補充」 「売れなかったら?」 「戻す」 「最近その答えだけで全部片づけますね」 「コンビニだからな」  先輩が言ったところで、時計が午前零時になった。日本の駐車場がガラスの向こうから消え、木々の影へ変わる。閉じたドア越しにも店内の白い明かりは届くが、照らせるのは手前の地面だけだ。枝の向こうに道が続いているのかさえ、レジからは見えなかった。 「……こうして見ると、懐中電灯、売れそうですね」 「だろ」  先輩が小さく欠伸をした。 ◇  午前一時を少し過ぎた頃。ウィーン。自動ドアが開いた。 「いらっしゃいませ」  入ってきた男は、木の杖を少し立て直して入口を抜けた。先端には乳白色の石がはまっている。二十代後半くらいの細身の人間で、青みがかった黒髪を肩の後ろで束ね、灰色の長衣に濃紺の外套を重ねていた。革の帯に下がった幾つもの小袋が、歩くたびに小さく触れ合う。店内を見回した淡い灰色の目は、食べ物より先に天井の照明で止まった。  それから男は中央の棚へ進み、菓子や飲料を見ながらゆっくり歩いた。何かを探すというより、見たことのないものを確かめているようだ。俺はレジに戻って様子を見ていたが、数分後、男がさっき補充した日用品棚の前で足を止めた。 「店員」 「はい」  呼ばれて近づく。男が指したのは、小型の懐中電灯だった。 「これは何だ」 「懐中電灯です」 「かいちゅう……?」 「持ち歩ける灯りです」 男の淡い灰色の目が、透明な包装の中にある黒い筒へ向く。杖の石を見る時とは違い、継ぎ目やスイッチの位置を確かめていた。 「灯り」 「はい」 「この細い筒が?」 「そうです」 男はしばらく見つめた。火も油も見当たらないことが、かえって気になるらしい。 「火を入れる場所がない。油も使わないのか?」 「電池で点けます。この中へ入れるんです」  俺は包装越しに筒の後ろを示した。男はその継ぎ目を見たが、納得せず杖の先を少し持ち上げた。 「光を蓄える石もある。そういう物か?」 「それとは違うと思います。俺には、その石の方が分からないですけど」  乳白色の石と、透明な包装の中の黒い筒。男は二つを同じ高さにして見比べ、それから俺の顔を見た。 「では、魔力か」 「魔力もいりません」  沈黙。男の眉がわずかに寄った。 「灯りなのだろう?」 「灯りです」 「その電池という物だけで光るのか」 「はい。これです」  俺は懐中電灯の隣に掛かっている単三電池を指した。男は包装の中の四本へ視線を移し、杖の先よりずっと小さい一本を見つめる。 男が電池のパックを見る。小さな筒の中に、灯りを動かすものが入っているとはまだ信じにくそうだ。 「これが魔石なのか」 「違います」 「魔力は入っていない?」 「入ってないです」 「では何が入っている」 男は電池の包みを杖の石と同じ高さまで持ち上げた。魔力ではないなら、何が光を生むのかを知りたいらしい。 「……電気、ですかね」 「でんき」 「すみません。俺も電池の中身をちゃんと説明できるほど詳しくないです」  変に知ったかぶりをするより、その方がいい。男は電池と懐中電灯を交互に見た。 「使えば分かるか」 「たぶん、それが一番早いです」 「なら買う」 「早いな」  思わず声が出た。男は懐中電灯を一つ取る。 「どの電池だ」 「これ、単三を二本使うタイプですね」 「たんさん」 「名前は気にしなくていいです。この大きさのやつを二本です」  俺は四本入りのパックを取って見せた。 「これなら二回分あります」 「二回?」 「二本使って、なくなったら残り二本に交換できます」 男の手が止まった。「なくなる」という言葉だけを拾ったらしい。 「なくなる?」 「あ」  俺は言い方を改めた。電池そのものが消えると受け取られても困る。 「使い終わっても、この形のままです。ただ、光らせられなくなるので、新しい二本に取り替えます」 「では、一度買えば終わりではないのだな」 「そうです。必要な時だけ点ける方が長く使えます」  男は四本入りの重さを手で確かめ、懐中電灯と並べた。すぐに戻すことはしない。 「まずは一つ、使い方を知りたい」 「分かりました。会計が済んだら、一緒に入れてみましょう」  会計を済ませたあと、男はレジ横で懐中電灯の包装を開けた。硬貨は見たことのない薄い銀色だったが、精算機はいつもどおり受け入れた。今さらそこは誰も気にしない。 「ここ、開けますね」  俺は懐中電灯の後ろ側を回して外した。男が覗き込む。 「空洞だ」 「ここに電池を入れます」  パックから二本取り出す。 「この突起のある方を、筒の中の印に合わせます。二本とも向きは決まっているので、逆に入れないでください」  男が中を覗き込もうとしたので、俺は筒を傾けた。自分の指で片側を示してから、一本だけ入れて見せる。 「もう一本、やってみます?」  男は杖をカウンターへ立て掛け、空いた手で電池を受け取った。突起を指先で触って確かめ、筒へ収める。蓋を閉めるのも本人に任せると、ねじの当たりを探しながら、ゆっくり回した。 「このボタンです」 「押すだけか」 「押すだけです」  男の親指がスイッチを押した。カチッ。白い光が、床へ伸びた。 「……おお」  男の声が初めて大きくなった。丸い光が床を滑る。棚の下。壁。天井。 「ちょ、こっち向けないでくださいね。眩しいんで」 「すまない」  光がすぐ床へ戻る。男はもう一度スイッチを押した。消える。押す。点く。消す。点ける。 「本当に何も唱えない」 「ボタン押してるだけですから」 「魔力の流れも感じない」 「俺にはそっちが分からないですけど、たぶんないです」  男は杖を脇へ寄せ、懐中電灯を両手で持った。 「灯火の術なら、光を維持している間は少しずつ魔力を使う」 「へえ」 「明るさを上げれば、その分だけ消耗も増える。長く歩いた後や、術を使った後には惜しい時がある」  これは、この人自身の話だ。俺は懐中電灯を見る。 「じゃあ、そういう時には便利かもしれないですね」 「洞窟でも使える」 「使えます」 「雨は?」 「これは生活防水って書いてますけど、水の中に沈めるのはやめた方がいいです」 「せいかつぼうすい」 「多少濡れるくらいなら大丈夫、くらいです」 「なるほど」 男の目が少し輝いた。仕組みを理解したというより、使える場面を思いついた顔だった。 「見張りにも使える。術者でない者へ渡してもよい」 「そうですね」 「子供でも?」 「使い方だけなら、ボタン押すだけなんで」 「便利だ」  男は懐中電灯の後ろに付いた細いストラップへ指を通した。 「落としにくいように、手首に掛けられます」 「手を離しても落ちないのか」 「ぶら下がるだけですけどね。剣とか杖を持ち替える時には楽かもしれません」  男はストラップを右の手首へ通し、カウンターに立て掛けた杖を左手で取った。試しに懐中電灯を離すと、黒い筒は手首の下で揺れ、床には落ちなかった。 「なるほど」  すぐに握り直す。 「松明だと、こうはいかない」 「松明を手首からぶら下げたら大変ですよ」 「燃えるな」 「燃えます」  当たり前すぎる結論だった。男は少し考えてから続ける。 「同行者に、灯火の術を使えない者がいる。洞窟では松明を持たせるが、片手が塞がる」 「これも手で持つのは同じですけど、消したい時はすぐ消せますし、煙も出ないですね」 「火種もいらない」 「いらないです」 「雨で火が消えることもない」 「さっき言ったくらいの雨なら」  男はまた床を照らした。冷蔵ケースの下へ光を差し入れ、奥まで届くのを見てから、雑誌棚の脇へ動かす。洞窟も見張りも、俺にはその人の言う光景を想像するしかない。ただ、灯りの届き方を確かめるたび、筒を握る指に力が入るのは見えた。次に丸い光が俺の靴へ重なったので、俺は片足を引いた。 「……楽しんでません?」 「試している」 「そういうことにしときます」  男は咳払いをした。 「それで」  男が懐中電灯を消した。 「これは、どれほど使える」 「どれほど?」 「一度光らせれば、何日持つ」 「ああ」  俺は捨てずに置いてあった商品の台紙を見る。細かい字を探す。 「連続で……十数時間くらいって書いてありますね。使い方でも変わると思いますけど」 「十数時間」 「ずっと点けっぱなしにした場合です」 「その後は?」 「電池が切れます」  男は消した懐中電灯を見下ろした。買う前にも交換が要るとは伝えたが、十数時間と聞いた途端、確かめるように指が後ろの蓋へ動いた。 「一晩点けて歩けば、残る分はそう多くないな」 「表示は目安です。使い方や電池の状態でも変わるので、ぎりぎりまでは当てにしないでください」 「途中で消えた時に困る」  男が杖の先を見た。さっきは比べるために上げていた石を、今は手放さずに持っている。俺は残っている二本を、懐中電灯の横へ置いた。 「だから、切れたら交換です」 「この二本に」 「そうです」 「それも切れたら?」 「また電池を買います」  男が電池売り場を見る。四本入り。八本入り。さっきまで神秘的な新技術を見る目だったのに、今は旅の食料を何日分持つか計算しているみたいな顔になっている。 「魔力を使わない代わりに、これを使うのか」 「そういうことになりますね」 「結局、何かは減る」 「まあ……はい」  男は杖を持ち直して日用品棚へ戻り、八本入りの電池を手に取った。透明な包装を裏返し、二本ずつ数えるように指を動かす。俺も台紙を持って後を追った。 「これなら四回交換できる」 「二本ずつなら、そうですね」 「一晩だけなら十分か」 「ずっと点けっぱなしにしなければ、たぶんかなり持つと思います。ただ、絶対この時間持つって俺からは言えないです。使い方でも変わるんで」 「明るくしたり暗くしたりで?」 「この商品は基本一つの明るさですけど、点けてる時間とか、電池の状態とかですかね」 「なるほど」  男は妙に納得した顔で頷いた。魔法の話なら俺は何も分からない。でも、電池を節約したいなら必要な時だけ点ける。そこだけなら、俺にも説明できる。レジの中から先輩が言った。 「世の中そんなもんだ」 「急に重いこと言わないでくださいよ」 「重くねえだろ」  男は先輩を見る。 「この電池は、自分で満たせないのか」 「これは使い切りです」  俺が答える。 「別の種類なら充電して使うものもありますけど、この店に今あるのは普通の使い切りですね」 「じゅうでん」 「それを説明すると、たぶん別の商品が必要になります」 「……今日はやめておこう」 「俺もその方がいいと思います」  男は手にしていた八本入りを、俺が差し出したかごへ入れた。充電の話はそこで終わりにして、今使える分を決めたらしい。 「買うんですね」 「便利なのは変わらない」 「ですよね」  かごから手を離した男の目が、すぐ隣の懐中電灯へ移った。一本目と同じ黒い筒を、今度は迷わず指す。 「同じものを、もう一つ」 「懐中電灯ですか?」 「ああ。同行者に持たせる」 「じゃあ電池も、その分いりますよ」 男の手が止まる。今度は商品の仕組みではなく、使い方の条件を考えているようだった。 「……二つなら、倍か」 「使えば倍ですね」  数秒、真剣に考える。結局、男は二本目の懐中電灯もかごへ入れ、八本入りの電池をもう一つ追加した。 「かなり現実的な買い物になってきましたね」 「道具を持つなら、使えなくなる時まで考えるものだ」 「それは確かに」 「同行者にも、交換の仕方を教える」 「入れる向き、さっきのと同じです」 「私が持っているだけでは、あちらの灯りが消えた時に困るからな」  男は二つ目の懐中電灯を、予備電池のパックと重ねた。片方ずつ分けて渡すつもりらしい。俺は同じ八本入りでも、二人の荷物になると置き方が変わるのを見ていた。  追加の懐中電灯一つと、八本入り電池二パックを会計した。最初の四本入りから残っていた二本は、男が二つ目の懐中電灯へ自分で入れた。今度は俺が指す前に向きを確かめている。二つとも点くことを確認すると、未開封の電池十六本を持ち帰る袋へ分けた。 「懐中電灯は、すぐ使うなら袋の外でいいですか?」 「ああ」 「二つ目の灯りは予備電池と一緒に入れますね。こっちの袋を同行者の方へ」 「分かった」  男は杖を左手へ持ち替え、右手に懐中電灯を持った。自動ドアへ向かう。開いた先には、月明かりの薄い森。男がスイッチを押す。カチッ。白い光が木々の間へ伸びた。 「おお……」 また少しだけ声が弾んだ。買い物の最初より、質問の速度も上がっている。 「帰ってからは、消し忘れないでくださいね」  俺が言うと、男の手が止まった。 「……そうだった」  カチッ。消した。森が暗くなる。二秒。三秒。男は暗闇を見た。カチッ。また点けた。 「帰ってからです! 今は暗いので使ってください!」 「分かっている!」  少しだけ恥ずかしそうな声が返ってくる。白い光が木々の間を揺れながら遠ざかっていった。 「ありがとうございました」  自動ドアが閉まる。俺は電池売り場を見る。四本入りが一つ。八本入りが二つ減っている。 「先輩」 「ん」 「異世界の魔法使いに懐中電灯売りました」 「そうだな」 「もうちょっと驚きません?」 「電池も売れたな」 「そこなんですか?」 「補充しとけ」 「はいはい」  俺は減った分の電池をフックへ掛け直す。白い照明の下では、懐中電灯も乾電池も、さっきまでと同じただの日用品にしか見えない。でも自動ドアの向こうでは今、そのただの日用品が、魔法使いの夜道を照らしている。そう考えると少しだけ面白かった。俺は空になった段ボールを畳み、次の補充へ向かった。

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