芦名 雅 / 第15話

第14話 タッチパネルが反応しない

 自動ドアの向こうで影がかがんだので、俺は入口の枠を見上げた。十一月も半ばを過ぎた午前零時、明かりの届く森の地面は白っぽい。霜かと思って眺めていたその手前へ、枠いっぱいの何かが近づいてきた。 「先輩、でかいです」 「何が」 「入口」 「入口は変わんねえだろ」  レジの中の榊原先輩が、ようやく伝票から顔を上げる。俺は返事をする前に、ドアの前へ置きかけていた空のかごを退けた。ウィーン、と自動ドアが開いた。 「いらっしゃいませ」  反射で声を出してから、さらに上を向く。客の頭は自動ドアの枠ぎりぎりにあった。二メートルを超えているかもしれない。灰色の岩を組み合わせたような肩と胸に、太い石の腕が下がり、首のほとんどない角張った頭がこちらを向いた。顔に鼻や口はなく、目の位置に青白い光が二つある。その光が下へ動いたと思うと、巨体はもう少し身をかがめ、入口を慎重にくぐってきた。  一歩進むたび、ごとん、と靴では出ない音が床に響く。俺は足元と入口の枠を見比べた。どちらも壊れてはいない。ほっとして顔を上げると、青白い二つの光がこちらを待っていた。 「先輩」 「ん」 「これ、ゴーレムですかね」  伝票から目を上げた先輩が、石の客を一度見る。 「たぶんな」 「たぶんなんだ」 「石でできた客ならだいたいそうだろ」 「その分類、雑じゃないですか?」 「本人に聞け」  先輩はまた伝票へ視線を落とした。俺は石の巨体を見る。青白い二つの光も、こっちを見ていた。 「……何かお探しですか?」  少し間があった。石の胸の奥から、低い音が響く。 「買イ物」  声は聞こえた。ちゃんと日本語として分かる。店の翻訳は、ゴーレム相手でも仕事をするらしい。 「はい。何を買います?」 「頼マレタ」 「おつかいですか?」 「オツカイ」 「誰かに買ってきてって頼まれた感じです」 「ソレダ」  妙に素直だった。ゴーレムは右手を開いた。手のひらまで石だ。その上に、小さな革袋が載っていた。巨体に対して袋が小さすぎる。 「中にお金入ってます?」 「アル」 「買う物は?」 「水。甘イ物。火ヲ使ワズ食ベル物」 「なるほど」  俺は少し考えてから、飲料棚を指した。 「じゃあ、まず水から行きましょう」  水を指した腕の下を、石の客の青白い目が追った。俺は冷蔵ケースへ歩きながら、通路へはみ出していた空の箱を棚の下へ寄せる。客の肩は左右の棚に近い。何を買うか聞けても、いつもの歩幅で先を行けばいいわけではなかった。 「水はこの辺です」  ゴーレムが冷蔵ケースの前に立つ。大きすぎて、棚一段分くらい隠れた。 「冷タイ」 「冷やしてあります。常温がよければ、向こうにもありますよ」 「冷タイ方」 「じゃあこれで」  俺は二リットルのペットボトルを一本取った。ゴーレムも真似して隣の一本を取ろうとする。石の指が、ペットボトルを挟んだ。 「ちょ、ちょっと待って!」  ぎゅ。容器がへこんだ。でも破裂はしなかった。ゴーレムの手が止まる。 「壊レル?」 「たぶん、そのまま握ったら」 「弱イ」 「そっちが強すぎるんです」  俺はへこんだボトルを受け取った。キャップは閉まっている。中身も漏れていない。 「こう、手のひらに乗せる感じで持ってください」 「乗セル」 「握らない」 「握ラナイ」  今度は両手を皿みたいにして、二リットルの水を載せた。できた。 「そうです」 「難シイ」 「その持ち方なら大丈夫です。次のも同じようにお願いします」  俺は買い物かごを一つ持ってきたが、石の指を見ると持ち手を渡せなくなった。足元へ置いて、まず自分の持つ一本を入れる。もう一本をゴーレムに下ろしてもらうと、二つの容器がかごの底で軽く触れ合った。 「かごは俺が持ちます。次の棚でまた下ろすんで、入れる時だけお願いします」 「分カッタ」  空なら軽いかごも、水が二本入ると腕へ重みがかかる。隣の巨体はそれを見ても急かさず、俺が下ろしてから手を伸ばした。もっとも、困るのは重さだけではなかった。石の指は袋菓子をつまむには太すぎ、パンを取れば中身まで潰れそうになる。 「俺が取ります」 「自分デデキル」 「その気持ちは分かりますけど、商品がもたないです」  ゴーレムは棚と自分の手を見比べた。 「不便」 「この店、人間くらいの手を基準にできてるんで」 「人間用」 「たぶん」  断言はしない。店を作った人間に聞いたわけではない。ただ、少なくとも石の巨人が買い物しやすい売り場ではない。 「欲しい物を言ってくれたら、俺が取りますよ」 「分カッタ」  それからは、ゴーレムが商品を指し、俺が棚から取ってかごへ入れた。妙な光景だ。でも、やっていることは普通の接客だった。 「火を使わず食べられる物なら、この辺ですね」  パンの棚。ビスケット。個包装の菓子。ジャーキー。缶詰もあるが、開ける道具が必要な物は避けた方がいい。 「頼んだ人、何人くらいです?」 「三人」 「どれくらい持たせたいです?」 「今夜」 「じゃあそんなに保存食ばっかりじゃなくても大丈夫ですね」  俺はパンをいくつか説明した。あんパン。クリームパン。総菜パン。ゴーレムは、じっと見ている。 「甘イ物」 「甘いのなら、あんパンとかクリームパン。あとチョコとかあります」 「チョコ」 「こっちです」  板チョコと小袋のチョコ菓子が並ぶ棚へ案内する。ゴーレムの青白い目が動いた。 「黒イ」 「茶色です」 「黒イ」 「まあ暗いと黒く見えるか」  俺は一番普通のミルクチョコレートを手に取った。 「甘いですよ」 「三ツ」 「三人分?」 「ソウ」  俺はチョコを三枚、先ほど入れた水の横へ立てた。パンは三つ選び、潰れないよう上へ置く。ゴーレムがさらにジャーキーを二袋指すので、それも加えると、かごは持ち上げるだけで腕へ食い込む重さになった。 「他には?」  ゴーレムが止まる。青白い光が、ゆっくりレジ横へ向いた。中華まんの蒸し器。白い湯気。 「アレハ」 「肉まんです」 「火ヲ使ウ?」 「もう温まってます」 「甘イ?」 「肉まんは甘くないですね。あんまんなら甘いです」 「アンマン」 「中に甘いあんこが入ってるやつです」 「一ツ」 「頼まれたんですか?」 「私ガ見ツケタ」  頼まれた数を答える時とは違って、石の指はケースから動かなかった。あんまんのある段を、もう一度ゆっくり示す。 「ご自分の分です?」 「食ベナイ。作ッタ者ニ」 「作った人へのお土産か」  ゴーレムの頭がわずかに下がった。俺はケースを開け、白い一個をトングで取る。頼まれた三人分に数を合わせるのではなく、この一個だけは客自身が選んだものだった。 「柔らかいので、ほかの荷物の上にしておきますね」 「上。分カッタ」  紙袋へ入れる手元を、二つの光がじっと追っていた。 「熱いんで、石なら平気そうですけど、一応気をつけてください」 「熱サハ平気」 「ですよね」  その辺は見た目どおりだった。 「お会計しますね」  俺は床のかごを持ち上げ、レジへ運んだ。水二本。パン三つ。チョコ三枚。ジャーキー二袋。あんまん一つ。ピッ。ピッ。バーコードを通していく。ゴーレムはレジ前に立ったまま、音が鳴るたび青白い目を少し動かした。 「全部でこれです。お支払いはそっちへお願いします」  俺は半セルフ精算機を示した。ゴーレムが革袋を開く。中から出てきたのは、四角に近い銀色の硬貨だった。丸くない。異世界の金にも、いろいろある。今さらそこには驚かない。 「そのまま投入口に入れてください」 「ココ」 「そこです」  石の指で硬貨をつまむのは無理らしい。ゴーレムは革袋ごと傾けた。じゃらじゃらじゃら。 「まとめていった!」  銀色の硬貨が一気に投入口へ滑り込む。機械が少し考えるように止まり。すぐに数字を変えた。足りている。お釣りが受け皿へ出る。 「会計は終わりです」 「終ワリ」 「はい」  俺はレシートを取ろうとした。その時、ゴーレムが言った。 「紙。要ル」 「レシートですか?」 「リョウシュウショ。頼マレタ」 「ああ、領収書ですね」  俺は精算機の画面に残った表示を確かめた。買ったものを持ち帰るだけでなく、支払いの記録も渡す仕事らしい。ゴーレムはお釣りの受け皿を見たあと、紙が出てくる場所へ目を移した。 「ここの『領収書』を押すと出ます」 「押ス」  ゴーレムが右手を上げた。嫌な予感がした。 「あ、ちょっと優しく――」  石の人差し指が、画面へ触れた。しん。何も起きない。 「……あれ?」  もう一度。こつ。画面は変わらない。 「反応シナイ」 「ですね」  ゴーレムが少し強く押した。 「待って待って待って! 強さじゃないです!」  俺は反射的に腕へ手を伸ばしかけ、すぐ引いた。石の指と画面の間へ入れる隙間なんてない。 「いったん離してください。壊れるかもしれません」  青白い目が俺へ向いた。ゴーレムは指を画面から離し、胸の前で止める。その間に先輩が伝票を置いて、隣のレジへ寄った。 「強さじゃねえな。その指だと反応しないんじゃねえの」 「押シ方ガ違ウ?」 「同じ場所でした。俺の指で試しますね」  石の指が下がったのを確かめてから、俺は画面の同じ場所へ触れた。ぴっ、と音がして表示が変わり、下から細長い紙が出てくる。ゴーレムの目の光が、今度は俺の指から紙へ移った。 「出タ」 「出ました」 「同ジ場所」 「同じ場所です」 「私ハ出ナイ」 「石の指だと反応しにくいんですよ。たぶん」 「石ダカラ」 「たぶん」  俺も詳しい仕組みまでは知らない。スマホだって、手袋をしたままだと反応しないことがある。そのくらいの理解で画面を見ていると、先輩がゴーレムへ声をかけた。 「次は押す前に呼べ」  ゴーレムは空いた右手を開いて見せた。こちらの指と見比べるように、ゆっくり掌を返す。 「店員ノ指ハ動ク」 「そうですね。俺が押します」 「店員ハ二人」  青白い目が、俺から先輩へ移る。 「アチラノ指モ動クカ」  一瞬返事ができなかった。先輩が俺を見る前に、とうとう吹き出してしまう。 「動きますよ。たぶん俺より」 「余計なこと教えんな」 「何も間違ってないでしょうが」  領収書は、ゴーレムの指でつまむには薄かった。俺は折って小さな封筒へ入れ、それを渡す前に、お釣りの受け皿を示した。 「硬貨も戻しますね」 「頼ム」  客が革袋の口をこちらへ向ける。俺は受け皿に残っていた硬貨を移し、空になった所も見せた。ゴーレムは袋を確かめ、その口を器用に絞った。俺が受け取って商品と一緒に載せると、ようやく両手が空く。封筒もその上へ置き、紙と金を取り忘れない形にした。 「これなら大丈夫です」 「助カル」 「袋、俺が入口まで持ちますよ」 「持テル」 「袋の持ち手を握らずに運べます?」 「握ラナイ」  ゴーレムは二つのレジ袋を、握らず両方の手のひらへ載せた。水で底が張った袋も、石の腕では沈み込まない。俺はその上へ、あんまんの紙袋を置いた。さっきから残しておいた一番上の場所へ、潰れずに収まる。 「それだけは潰さないでくださいね」 「潰サナイ」 「作った人へのお土産なんで」 「土産」 「そう、それです」  ウィーン。自動ドアが開く。 「ありがとうございました」  ゴーレムが一歩、森へ出る。ごとん。もう一歩。ごとん。途中で止まった。石の巨体がゆっくり振り返る。 「店員」 「はい?」 「次モ押シテクレ」 「もちろんです」 「紙」 「領収書ですね」 「ソレ」 「覚えました」  青白い目が一度だけ明るくなった気がした。それが返事だったのかは分からない。ゴーレムは暗い森へ歩いていった。ごとん。ごとん。音が遠ざかる。自動ドアが閉まった。俺は精算機を見る。壊れていない。 「よかった……」 「何が」 「画面ですよ。あの指で本気で押されたら終わってました」 「壊れたら店長に言え」 「絶対怒られるの俺たちですよ」 「お前が横にいたしな」 「先輩もいたでしょ!」  榊原先輩は聞こえないふりをして、レジ横の伝票をめくった。俺はため息をつき、売り場へ戻ろうとする。 「瀬尾」 「はい?」 「お前、叫ばなかったな」 「何がです?」 「あれ入ってきた時」  俺は入口を見た。石の客が通れるよう退けた空のかごが、まだ脇に置いてある。あれを動かした時は床が割れないか心配していたし、その後は商品を潰さずに持ってもらうことで頭がいっぱいだった。叫ぶ代わりにすることが、いつの間にか増えていた。 「……確かに」 「慣れたな」 「それ、褒めてます?」 「仕事できるようになったってことだろ」 「先輩が褒めた」 「気のせいだ」 「今のは聞きましたからね」 「補充」 「はいはい」  俺は飲料ケースへ戻り、向きのずれた缶コーヒーを直した。石の指でも使えるタッチパネルがあるのか、あとで調べてみよう。空いたかごの置き場所も、次の来店までには考えておきたい。

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