芦名 雅 / 第24話

第23話 また精霊にぶつかった

 客の姿が見えないまま自動ドアが閉じたので、俺は入口へ向かいかけた足を止めた。午前零時を過ぎたミッドマート北森店の外には、黒い森がある。枝に残る白いものは雪か霜か分からないが、入ってきた風は冷たい。その風が収まっても、入口脇の買い物かごの取っ手が動いていた。 「いらっしゃいませ」  横へ寄って通り道を空けると、かごがふわりと浮いた。少し遅れて、鈴を遠くで鳴らしたような声が返ってくる。 「うむ」 「あ、前に来た精霊さんですよね。炭酸水を三本買った」 「覚えているのか」 「さすがに忘れませんよ」  姿の見えない客へぶつかった記憶も、一緒に戻ってきた。初めて会った時は何が起きているか分からず、かごを追うことしかできなかった。今夜はかごが動き出すのを待ち、すぐ横には立たないようにした。レジの先輩がこちらを見ていたが、何も言わずに伝票へ目を戻した。 「前と同じ炭酸水、ありますよ」 「しゅわしゅわ」 「そうです」  飲料ケースまで来ると、透明なボトルが一本浮き上がった。俺は開いた扉を押さえておく。ボトルはラベルをこちらへ向けたり裏返したりしてから、かごの上で止まった。 「同じか」 「前に買ったのと同じ商品です」 「三本とも、しゅわしゅわした」 「全部そうですよ。一本だけ違ったら困ります」 「よかった」  声は真面目だった。三本とも同じだったことを、わざわざ確認しに来たのだろうか。精霊は一本をかごへ入れ、それからもう一本を取った。 「今日は二本ですか」 「面白いものは二つ要る」 「前もそう言って、最後に三本になりましたよ」 「覚えているのだな」 「商品が減るんで」  澄んだ笑い声がして、二本目もかごに収まった。俺は扉を閉めた。手を離してから横を見ると、精霊はもうホット飲料の棚へ向かっている。見えるのはかごだけなのに、次にどこへ行きたいのかは不思議と伝わってきた。 「これは、前にはなかった」  温かいほうじ茶が一本、棚から離れた。精霊が初めて来た頃より、温かい飲み物の売り場は広くなっている。ボトルを受け取ろうとしていた俺は、そのまま持ってもらっていても問題ないと気づき、手を下ろした。 「寒くなったので、種類が増えたんです。それはお茶ですよ」 「温かい」 「その棚で温めてあります」 「棚が?」  ボトルがわずかに下がった。棚の表面を確かめているのかもしれない。俺はかごの正面へ回り込まず、端から表示を指した。 「ここにあるのは温かい飲み物で、さっきのケースにあるのは冷たい飲み物です。お茶でも両方あります」 「同じものを冷たくも、温かくもするのか」 「好みがあるので」 「外は冷たい」 「今日は特にそうですね」  その言葉に合わせたように、かごが入口の方へ少し向いた。俺も目をやる。森は白い照明の届くところだけが見え、枝から何かが細かく落ちていた。雪だと決めつけるには遠い。精霊もそれ以上説明せず、手元のほうじ茶をまたゆっくり回した。 「これは、しゅわしゅわしないのか」 「しません。普通のお茶です」 「温かくて、しゅわしゅわするものは?」 「……ここにはないですね」  冷たい炭酸水の方へ、ほうじ茶が近づいた。俺は反射的に手を伸ばしかけたが、ボトル同士が触れる前に止まった。精霊は二つを見比べているらしい。 「棚で温めればよいのではないか」 「その炭酸水は、温める商品として置いてないので。勝手に移すのはやめてください」 「移せばできると思った」 「温かい飲み物は、温めて売るためのものを入れてるんです。全部同じにはできないです」  精霊は少し黙ったあと、ほうじ茶をかごへ戻した。無理に試そうとはしない。ただ、欲しいものが二つに分かれて並んでいるのは、納得しきれないらしかった。 「魔法ならできるか」 「そこは俺より、そっちの方が詳しそうですけど」 「できるとは言っていない」 「じゃあ、俺に聞かれても」  つい先輩を見る。視線が合った瞬間、レジから短く返ってきた。 「俺に振るな」 「まだ何も言ってません」 「顔が言った」  精霊の笑い声がした。ほうじ茶がもう一度かごから少し浮き、棚へ戻るのかと思ったら、そのまま持ち直される。 「ここの者は、分からぬものを使うのが得意だな」 「使い方は分かってますよ」 「なぜ温かくなるかは?」 「電気で、温める仕組みが入ってて……細かいところは説明できないです」 「だいたい合ってる」  先輩の返事に、俺は少しだけ頷いた。そこで説明を終えると、精霊も続きを求めなかった。棚の中身を全部知りたいのではなく、自分のほうじ茶と炭酸水をどうしたいか考えているらしい。しばらくして、納得したような声がした。 「では、これは温かいまま持っていく」 「冷たい方とは袋を分けますね。一緒だとお互いぬるくなるので」 「それは困る」  今度は返事が早かった。しゅわしゅわと温かさは、一つにできないなら別々に楽しむことにしたようだ。  次に精霊が向かったのは菓子棚だった。以前も買った小袋のキャンディが浮き上がる。俺は端へ寄り、商品の動きを邪魔しないところから声をかけた。 「それも覚えてたんですね」 「甘かった」 「今回は一つで?」 「一つ」 「面白いものは二つじゃないんですか」 「これは甘いものだ」 「分類が別だった」  かごへ落ちた袋が、ボトルの間に挟まった。精霊が拾い直して上へ置く。その丁寧な動きは、最初に来た夜から変わらない。俺の方が勝手に大騒ぎしていただけで、この客はずっと普通に商品を選んでいたのだろう。  精霊が棚の端へ動いたので、俺もレジへ戻ろうとした。先にカウンターへ回るつもりで、一歩出る。かごが棚の陰へ入ったところで、その進み方が読めなくなった。俺が曲がりたい角を、向こうも同じ方向へ回ろうとしている。  頬の横を、ひやりとしたものが通った。冷蔵ケースの冷気とは違う、水の膜が近づいたような冷たさに、以前ぶつかった肩の感触を思い出す。俺はそこで足を止め、棚側へ寄った。少し間を置いて、目の前をかごが通り抜けていった。 「……危なかった」 「何だ」 「ぶつかりそうだったので。先にどうぞ」  かごが止まった。何も見えない場所へ軽く手を差し出してから、それではかえって邪魔になるかもしれないと引っ込める。 「今度は、ぶつかっていない」 「前はすみませんでした」 「痛かった」 「覚えてますよね、やっぱり」 「うむ」  精霊はすぐに動かず、俺が棚の脇へ収まるのを待った。見えないからといって、こちらが黙って動けば何でも避けてくれるわけではない。俺はレジへ戻る方角を指し、今度はひと言添えた。 「後ろから回りますね」 「分かった」  その返事を聞いてから、精霊とは別の側を通った。先輩がカウンターの内側で、少しだけ口元を動かした。 「避けたな」 「見てました?」 「見てた」 「俺には、まだ見えてないですからね」 「知ってる」 先輩の目は、俺じゃなくレジ前の空間へ向いている。俺は見えるかごの縁を確かめ、精霊に商品を台へ置いてもらった。冷たい炭酸水が二本、温かいほうじ茶が一本、キャンディが一袋。ここから先は、見える物を一つずつ扱えばいい。 「袋は二つで大丈夫ですか」 「頼む」  バーコードを読み、ほうじ茶だけ冷たいボトルから離して置く。銀色の小さな硬貨が何もない空間から現れ、精算機へ落ちていった。払い終えた表示を確認して、炭酸水を一袋、ほうじ茶とキャンディをもう一袋へ入れた。持ち手を差し出して探ることはせず、台の端に並べる。 「ここに置きますね」 「うむ」  先に一方の持ち手が起き、続いてもう一方が浮いた。前の夜は誰かに突然引っ張られたようで驚いたのに、置く場所を決めるだけで受け渡しはあっさり終わった。空になったかごが、台の上へゆっくり下ろされる。 「ありがとうございました」  精霊は袋を離して持ち、入口へ向かった。二つが近づかないようにしているのは、温かさの話を覚えているからかもしれない。俺がかごを片づけようとしたところで、声だけが戻ってきた。 「店員。次は、温かくてしゅわしゅわするものを探しておけ」 「宿題になった!」 「あるなら買う」 「見つかるかは分からないですからね」 「うむ」  了承したのか、ただ聞いたのか分からない返事だった。二つの袋が森の暗がりへ進み、ドアが閉まると澄んだ声も聞こえなくなった。俺はかごを戻してから、先輩のところへ行った。 「温かい炭酸って、売ってるんですかね」 「知らん」 「元勇者でも?」 「勇者を商品検索に使うな」  笑いかけて、少し迷った。尋ねたいのは別のことだった。店内にほかの客はいない。精霊が通った通路へ一度目を戻してから、声を落とす。 「前にいたところでも、精霊って見えてたんです?」  先輩の手が、伝票をめくる途中で止まった。紙の角を押さえたまま、俺を見る。何をどこまで聞くつもりなのかを確かめられているようで、俺もすぐには言葉を足さなかった。 「見えてた」 「……やっぱり」 「それだけだぞ」 「まだ何も聞いてないですよ」 「顔が聞いてる」 「今日は顔だけで喋りすぎてるな、俺」  先輩は伝票を置き直した。答えをもらえたのに、その次に何を聞けばいいか分からなくなる。精霊が見えることと、勇者だったこと。その二つが、先輩の中ではどんなふうにつながっているのだろう。 「どういう仕組みで見えるかは知らん。俺は見えた。それだけだ」  言われて、俺は頷いた。知らないことまで答えさせるつもりはなかったし、今夜はそれ以上、昔を引き出そうとも思わなかった。先輩が俺の向こうを指す。 「瀬尾、そこ」 「え?」  反射的に身体を寄せると、先輩が怪訝そうな顔をした。 「精霊じゃねえ。炭酸水、一本奥に引っ込んでる」 「……ああ、そっち」  俺はケースを開け、寝かけていたボトルを立て直した。扉を閉めて通路へ戻る前に、今度は足元だけでなく棚の角も見た。何も動いていないのを確かめてから、レジへ歩いた。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳