芦名 雅 / 第23話

第22話 常連が常連を連れてきた

 六個のチキンで、次の客まで足りるか。午前零時を回ったミッドマート北森店で、俺はホットスナックケースの前に立っていた。ガラスの向こうには黒い森が広がり、入口が開くたびに足元へ冷気が流れ込む。温かい食べ物の減りが早い夜だった。 「先輩、一回揚げます」 「いくつ」 「四つ。常連さんが来たら、今ある分はすぐ減るんで」 「ん」  冷凍庫から出したチキンを、稼働させている方のフライヤーへ入れた。油の音を確かめ、タイマーを押す。その直後、自動ドアが開いた。深緑の鱗を見たところで、俺は思わず時計を見た。予想は当たったが、揚がるより先に来た。 「いらっしゃいませ」 「今夜も世話になる」  常連のリザードマンが、黒い爪のある手を上げた。擦れた革のベストも、腰の幅広い剣もいつもどおりだ。ただし、その後ろにもう一人いる。二人目が入口をくぐろうとした時、背中の大きな片刃の剣が枠へ近づき、リザードマンが振り向いた。 「肩を下げろ」 「分かっている」  低い声と一緒に、大きな肩が横へずれた。厚手の茶色い外套の下に、分厚い胸と腕が見える。肌は暗い灰褐色で、短く刈った頭と低い鼻、口元からのぞく短い牙が印象に残った。先輩より少し背が高いくらいに見えるが、横幅はずっとある。二人が入口に並ぶと、買い物かごの山がやけに小さく見えた。 「友人を連れてきた。ここは初めてだ」 「初めまして。どうぞ」  俺が頭を下げると、大柄な男は少し目を細めた。 「……本当に言葉が通じる」 「店の中では、俺の言葉も聞こえます?」 「ああ」 「言っただろう」  常連が得意そうに胸を張る。友人は返事をせず、天井から冷蔵ケースまで視線を動かした。三列の棚を一度に見渡そうとして、右へ向いたあとにまた左へ戻す。その間も片手は、背中の剣の位置を確かめるように肩へ添えられていた。 「まず籠だ」  常連が入口脇からかごを一つ取った。爪を引っかけないように取っ手を起こし、友人の手へ渡す。 「入れる物を選び、最後にあそこへ持っていく。代金を払う前に食うな」 「分かっている」 「お前は腹が減ると分からなくなる」 「ならん」 「前に干し肉を店先で――」 「その話はするな」  思わず先輩を見ると、もうこちらを見ていた。 「新人研修、始まりましたよ」 「お前の時より丁寧だな」 「分かってるなら、俺にも丁寧にしてほしかったです」 「フライ、こっちで見るから行ってこい」  先輩はタイマーの表示を確認して、トングを取った。俺は任せると返してカウンターを出た。リザードマンは二つ目のかごを持ち、もう友人を菓子棚へ連れていっている。 「文字は読めん。分からなければ店員に聞く」 「お前も読めないのか」 「読めるとは言っておらん」  説明する方にも不得手はあるらしい。二人の横へ行くと、男が冬限定のチョコレート菓子を持ち上げた。袋の表よりも、閉じてある上端を先に見ている。 「これは何だ」 「甘いお菓子です。中にチョコが入ってます」 「食ったのか?」 聞かれたのは俺じゃなく常連だった。常連は袋を確かめ、すぐに頷く。 「一度な」 「どうだった」 「悪くない。だが鶏の方がよい」 「比較するものじゃないですよ」 「では鶏はどこだ」  大柄な男が初めて棚から目を離した。常連の爪が、待っていたようにホットスナックケースを指す。 「あそこだ。我が話していたものだ」 「もしかして、チキンの話を聞いて来たんです?」 「こいつが会うたびに言う。夜の森の店には、熱くて柔らかい鶏があると」 「毎回?」 「毎回だ」  俺が見ると、常連は否定しなかった。勧めた相手をとうとう連れてこられたのが嬉しいらしく、いつもより胸を張っている。 「じゃあ、何個にします?」 「まず一つ」  友人の答えに、常連が首を向けた。 「一つでよいのか」 「口に合うか分からん」 「うまいと言っただろう」 「お前の口の話だ」 「……我は三つ」 「いつものですね」  先に出ていた六個のうち四個で足りる。俺はカウンターへ戻り、一個と三個で注文を分けた。紙袋へ取ろうとすると、大柄な男もすぐ横まで来て、かごを台へ置いた。鼻先がわずかに動き、俺の手元へ太い指が伸びる。 「まだだ」  常連の腕が、その前を塞いだ。 「先に払う」 「覚えている」 「なら今食うな」 「匂いがした」 「理由にならん」  俺は袋を取る手を止め、トングをケースの脇へ置いた。 「買い物を続けるなら、温かいところに置いておきますよ。レジに来た時にお渡しします」 「そうしてくれ」  友人が引っ込めた手でかごを持ち直した。常連はまだ何か言いたそうだったが、男が菓子棚を指すと、案内役の顔に戻った。さっきのチョコをやっぱり買うらしい。  飲料棚では、常連が水を二本取った。友人も一本を手に取り、容器を軽く押す。少しへこんで戻るのを見て、今度は底から支えた。 「皮袋より軽いな」 「落としても割れにくいです。飲み終わった容器は持ち帰るか、店の分別に合わせて捨ててください。森には捨てないでくださいね」 「捨てぬ。まだ使えそうだ」  男は蓋の部分を確かめて、かごへ置いた。その隣で常連がおにぎりを選び始める。友人が同じ棚へ手を伸ばすと、今度は常連の方が少し考えた。 「これは、開け方が少し面倒だ」 「食べ物を選ぶ前から難しい話をするな」 「真ん中を引き、左右を抜く」 「何をだ」 「……会計の後で教える」  俺も頷いた。包まれたままでは伝わりにくい。男はおにぎりを二つ取って、常連のかごと見比べた。中身を聞く時だけこちらを見るが、棚の前で足を止める時間は、最初よりずっと短くなっていた。  フライヤーのタイマーが鳴った。カウンターの奥で先輩がかごを上げ、油を切っているのが見える。四個が売り場へ加われば、二人が追加しても少し余裕がある。俺がほっとしている横で、大柄な男がふいに入口を見た。 「一つ聞く。ここには、誰でも来るのか」 「誰でも、というと?」 「人間も、魔族も、獣人も」 「俺が見た範囲では、いろんな人が来ますね」 「敵も来る?」  答える前に、常連が「ああ」と言った。友人の肩がわずかに動く。入店する時に剣を確かめた方の手が、かごの取っ手から離れた。 「ここでは争うな」  常連の声が低くなった。友人はその顔を見る。俺も棚の前から少し身を引き、二人の間には入らずに待った。 「敵に会ってもか」 「店の中ではな。我も剣は持っている。だが、ここで抜いたことはない」 「向こうが抜いたら?」  友人の目が俺へ移った。俺が何を答えるか待っている。その気持ちは分かるが、絶対に誰も争わないとは言えなかった。 「前に騎士と魔族のお客さんが鉢合わせたことはあります。その時は、店の中でやらないように言って、二人とも買い物をして帰りました」 「それで済んだのか」 「店の前でも始めないように、時間をずらして」  友人は出口までの通路を見た。常連は急かさず、かごを片手からもう片方へ持ち替える。 「将軍殿とも、同じ列に並んだことがある」 「……将軍と?」 「先に並んでいた方から払った。それだけだ」  友人の視線が、リザードマンの腰の剣からかごへ落ちた。水やおにぎりの入ったそれを見ているうちに、肩へ上がりかけていた手が戻ってきた。 「分かった。ここでは抜かん」 「それでよい」  常連が歩き出す。ついていく男の足はすぐには動かなかったが、俺がレジの方を示すと、かごを持ち上げた。納得したから敵が敵でなくなった、という顔ではない。それでも、店を歩く時の両手は買い物のために空いていた。 「先輩みたいなこと言ってましたね」  カウンターへ戻って小声で言うと、先輩はホットスナックケースの扉を閉めながら頷いた。 「長く来てりゃ覚えるだろ」 「客同士で教えてくれるんだ」 「お前も注文忘れんなよ。一個と三個」 「覚えてます」  まず常連の分を通し、次に友人の商品を受け取った。二人が同じかごを使っていないのも、代金を別々に払うつもりだかららしい。常連は自分の会計を済ませると、水とおにぎりの袋を持って半歩横へ寄った。友人が硬貨を俺へ差し出しかけると、すぐに精算機を指す。 「そっちだ」 「ああ、そうだった」  厚みのある銅色の硬貨が、一枚ずつ投入口へ落ちる。表示が変わり、釣り銭が返ってきた。男は受け皿と自分の手を見比べたあと、拾った硬貨を革袋へ戻す。 「釣りまで出るのか」 「何度来たと思っている」 「お前が出しているわけではないだろう」  横で聞いていた先輩が小さく息を漏らした。俺は二人へ温かいチキンを渡し、食べるなら入口脇の、通路を塞がない場所でと伝えた。友人はそこまで移動する間も袋から目を離さない。 「もう食ってよいか」 「会計、終わってます。熱いので気をつけてください」  袋からチキンがのぞき、大きな口が近づいた。一口噛んだ男の顎が、ゆっくり動く。常連は自分のチキンを食べる前に、その顔をじっと見ていた。 「どうだ」 「……柔らかい」 「うまいだろう」 「うまい」 「だろう」  返事を聞いた常連が、ようやく自分の袋を開いた。俺は笑ってレジへ戻りかけたが、その背中にすぐ声が飛んできた。 「店員。もう二つ」 「増えると思ってました」 「我も二つ」 「あなたまで?」 「見ていたら腹が減った」 「手に三つ持ってるじゃないですか!」  常連は袋の中を見て、少しも困らずに頷いた。友人の方は先に硬貨の袋を出し、今度は間違えず精算機の前へ立つ。俺は追加の二個ずつを別々に会計し、温かい四個を袋へ入れた。六個で始め、四個揚げ足し、二人に八個売れた。ケースに残ったのは二個だった。  追加を渡し終えたところで、入口脇から「待て」という声がした。見ると、常連がおにぎりの包装を持ち、友人がその真横で指を止めている。 「そこを先に引くな。真ん中だ」 「真ん中のどれだ」 「その、細いところだ」  俺は二人のところへ行った。袋を握ったままだと見せにくいので、友人に買った物を足元へ置いてもらう。中央のつまみを指すと、常連も自分のおにぎりを持ち直した。 「ここです。一周引いてから、横をゆっくり抜きます」 「こうか」 「そうです。反対も」  海苔が欠けずに巻きついたのを、二人が揃って見下ろした。友人は少し満足そうにかじり、常連は俺の方へ一度だけ顔を向ける。礼を言うかと思ったら、低い声で言った。 「我も、だいたい合っていた」 「合ってましたよ。最後がちょっと難しいだけで」  友人が口を動かしたまま笑った。常連も喉を鳴らし、残った包装を俺が示したゴミ箱へ入れた。  帰り際、大柄な男にまた来るか聞くと、返事は早かった。常連は、それを自分が答えたかのように胸を張る。二人が暗い森へ出ていったあと、先輩が端末を俺の方へ寄せた。 「出た数、残しとけ」 「明日の分、増やします?」 「今日八個買った二人が、明日も来るかは分かんねえ。見て決めろ」 「宣伝係は、かなり頼れそうでしたけどね」  俺は売れた数を確かめてから、残った二個の向きを整えた。紙袋の束も少なくなっている。新しい束を取り出すと、先輩がもう一度ケースを見た。 「次の客まで、今度は足りそうか」 「……二人で戻ってこなければ」  言い終わる前に自動ドアが鳴り、俺と先輩は揃って入口を見た。

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