芦名 雅 / 第45話

第31話 エルフ、桜味に納得しない

 花の写真を見ながら、葉の説明を考えていた。三月も半ばを過ぎたミッドマート北森店で、俺は桜餅風味のひとくち菓子を棚へ並べている。袋いっぱいに咲いた桃色の桜。その下の小さな文字には、桜葉入りとあった。外の山にはまだ雪が筋になって残っているのに、売り場の方は、花だけならとっくに満開だった。 「先輩、桜味って説明できます?」 「食ったことあんだろ」 「ありますけど、食ったことない人に説明する方です」  レジの榊原先輩が、端末を操作したまま俺を見る。俺は袋を掲げ、花の写真と小さな文字を順に指した。 「写真は花なのに、入ってるのは葉なんですよ」 「じゃあ葉って言えば」 「それだと、袋の説明に負けません?」 「何と勝負してんだよ」  返す言葉がなく、袋を棚へ戻した。午後十時の売り場は静かだった。向かいの冷蔵棚には桜色のロールケーキがあり、少し離れたパンの列には、花を一輪載せたあんぱんもある。ひとつの名前でまとめてあるせいで、どれも同じ味のように見えた。俺だって今まで、細かく区別して買っていたわけではない。  空箱を畳んで裏へ運ぶと、ロッカーの鞄が目に入った。黒いノートは、その中だ。水野さんに小説を書いていると話した朝から、続きを開く時の気分が少し変わった。完成したら読んでもらう。まだ先の約束なのに、同じ行でいつまでも止まっていると、誰かを待たせているような気がする。今ここで開いても進まないので、空箱だけを置いて売り場へ戻った。  零時になると駐車場は森へ変わり、温めておいたチキンが順に減った。リザードマンの常連を見送り、旅人の水を会計し、一時少し前にレジから顔を上げると、入口に深緑の外套が見えた。灰金色の髪の間から、長い耳が出ている。 「またいるな」 「いらっしゃいませ。そちらこそ」  以前、サラダを買い、その後には季節の弁当を温めていったエルフの女性だった。肩の弓を扉へ当てないよう身体を寄せると、こちらへ小さく頷く。今夜は外套の前が開いていて、その下の革のベルトと生成り色の服が見えた。  彼女はかごを取り、野菜の棚へ向かった。俺が補充している隣で、千切りキャベツとミックスサラダを選ぶ。胡麻のドレッシングにも迷わず手が伸びた。 「そこの場所は変わってなくてよかったです」 「分かるようになったところで動かされると困る」 「店の人間にも、たまにあります」 「働いていてもか」 「昨日まであった場所に手が行くんですよ」  女性は笑い、キャベツを光へ透かした。切られた葉の太さが気になるのか、袋を一度だけ傾けてからかごへ収める。そのままレジへ行きかけた足が、桃色の棚の前で止まった。 「これも、葉か?」  指の先には、俺が二十二時に並べた菓子袋があった。聞かれるなら味からだと思っていたので、少し驚いた。 「そこ、よく分かりましたね」 「葉かと聞いたのだ。花の絵はあるが、袋の中には何も見えない」 「あ、そういうことか。桜っていう木の花です。春に咲くんですけど、この菓子に使ってるのは葉の方ですね」 さっき確認した表示を示した。女性は俺の指じゃなく、表の写真を見続けている。日本語は読めない。その人へ小さな文字を示しただけでは、何も渡したことにならなかった。 「桜の葉を塩に漬けて、粉にしたものが入ってます」 「花を見せて、葉を食わせるのか」  後ろで先輩が短く息を漏らした。俺は振り向かずに堪えた。言い方はひどいが、袋を見ればそうなる。 「写真の花が、このまま全部入ってるという意味じゃないんです」 「では、花の味ではない」 「この商品は、葉の香りですね。隣には本当に花を使ったものもあります」 「なおさら分けて置いた方がよくないか?」  女性はひとくち菓子を持ったまま、隣の桜あんぱんを見た。透明な包装の真ん中には、しぼんだ桃色の花が一輪載っている。こちらは中身を見つけられたので、少し顔を近づけた。 「こっちなら分かる」 「花の塩漬けが載ってるんです。食べられる部分です」 「また塩か。甘い菓子なのだろう?」 「はい。あんの甘さと、上の塩気を一緒に食べると、ちょうどいいんですよ」  俺はパンを一つ取って、表示を確かめてから渡した。女性の視線は、満開の写真と、実際に縮んだ花を往復した。その二つが同じ植物なのか確かめるように、花の付け根まで覗いている。 「葉は、塩へ漬ける前もこの香りなのか」 「そこは分からないです。俺、木から取った葉を食べたことはないので」 「森で使う葉は、干すと匂いの変わるものもある。こちらもそうなのかと思った」  初めて聞く話だった。俺は袋をもう一度見たが、そこまでの説明はない。成分の欄を何度読んでも、木に付いていた頃の匂いは出てこなかった。 「作り方までは、ここに書いてないですね」 「なら、食べた時に比べる」  女性は二つをかごへ入れた。試すと決めたあとも、疑問がなくなった顔ではなかった。ただ、分からないから買わない、という方へは行かないらしい。  その先にあるロールケーキを、今度は俺が少し横へ向けた。彼女は中のクリームを見てから、こちらの返事を待つ。 「これは葉の粉を使ってます。さっきの餅に近い方ですね」 「そちらの黄色いものも?」 「プリンです。ええと……こっちは香料という表示です。どこまで桜から作ったものか、この欄だけだと分からないです」 「全部、同じ桜なのに」  女性はかごを見下ろした。二つ選んだあとで、まだ違うものが出てきた。それが困るのか面白いのか、長い耳の先が少し横へ向く。俺はケーキとプリンを戻し、彼女が選んだ二つを指した。 「まず、葉の方と、花が載ってる方だけにしておきます?」 「そうする。全部食べたら、最初の香りを忘れる」 「俺なら途中から、甘かったしか言えなくなりそうです」 「既に、あまり詳しくは言えていないぞ」 「今はまだ食べてないので」  言い返すと、女性が声を立てて笑った。こちらも少し肩の力が抜ける。最初に野菜を案内した夜より、分からないことを言うのが怖くなかった。彼女が欲しいのは、全部知っているふりをする店員ではないのだろう。少なくとも、今の答えで買い物は進んだ。  レジへかごを置いてもらい、サラダ二品とドレッシング、餅菓子とあんぱんの五点を通した。葉の模様の硬貨が精算機へ落ちる。女性は支払いが終わると、菓子を入れかけた俺の手元を見た。 「その二つは、ここで少し食べてもよいか」 「はい。会計も済んだので、あちらで。レジ前は空けておいてもらえれば」  入口から少し離れた給湯器脇を案内した。女性はサラダの袋を足元へ置き、外套の裾が触れないようまとめる。肩の弓を少しずらしてから、餅菓子の袋を開いた。小さな桃色の一つを指で押すと、柔らかい表面が戻ってくる。 「随分柔らかいな。葉はどこだ?」 「粉になって中へ入ってます。葉っぱの形は残ってないです」 「刻んだ葉を探していた」  そう言って口へ運んだ。噛み始めた時、耳がわずかに動いたが、それで味まで分かるわけではない。俺はそばの備品を補いながら、次の言葉を待った。 「……甘い。あとから塩気が来る」 「香りはどうです?」 「花より、葉に近く感じる。嫌な匂いではない」  返事の途中で、もう一つ取った。今度はすぐ口へ入れず、鼻先へ寄せてから食べている。俺が笑いそうになると、緑の目がこちらへ向いた。 「二つ目で決めつけるな。確かめている」 「まだ何も言ってませんよ」 「顔がそうだった」  レジの先輩まで笑った。俺は袋の補充を終え、次の客の会計へ戻った。水とパンを渡してから顔を上げると、女性はあんぱんを開け、真ん中の花を指で持ち上げていた。 「それ、外すんです?」 「花だけの味も知りたい」 「塩に漬けてあるので、そこは塩辛いですよ」  先に伝えても、試す方はやめなかった。花の端を少しだけ口へ入れ、すぐに眉を上げる。残りをパンの上へ戻した時には、さっきより慎重な手つきになっていた。 「……確かに、塩だな」 「パンとあんも一緒にどうぞ」 「お前は、これを食べたのか」 「この店のは、まだです。同じようなパンを食べたことはありますけど」 「では、ちょうどよいと言い切るのは早い」 「ごもっともです」  女性は花とあんのある部分を一緒にちぎった。今度はしばらく噛み、飲み込んでから残りを見る。俺まで返事を待ってしまい、先輩に呼ばれる前に、レジ台の布巾を取り直した。 「こちらなら分かる。甘いところを、塩が邪魔していない」 「気に入りました?」 「こっちの方が、何を食べたか分かる」  餅菓子の方を嫌ったわけではないらしい。両方の袋を閉じる手は丁寧で、残りを捨てる様子もなかった。それでも選ぶ順番がある。俺はあんぱんの端を折るのを見て、いつも買っているサラダの袋が透明なことを思い出した。 「その桜は、今咲いているのか」 「この辺では、まだ見てないですね。来る時、山の方も見ましたけど」 「では、花の前に菓子が出る」 「店だと、そうですね」  女性はあんぱんの袋を持ち直し、表に描かれた満開の桜をもう一度見た。俺も窓の向こうを見るが、今見える森にこの写真と同じ木があるのかは分からない。 「春の商品、早めに入ってくるからな」  先輩がレジから答えた。女性はそちらへ顔を向ける。 「花は、売り場に追いつくのを急がねばならんな」 「木に急げって言っても無理でしょう」 「先に咲かせたのは、お前たちだ」  返事に困って棚を見ると、先輩がもう笑っていた。女性も笑い、サラダの袋を持ち上げる。開けた菓子は潰れないよう、その上へ収めた。 「次は別の桜も見よう。まだあれば、だが」 「はい。今度は名前だけじゃなく、中身を確認しておきます」 「全部、葉でも驚かぬようにな」  礼を言って見送ると、外套の深緑が森の暗がりへ溶けた。さっきまで人がいた給湯器脇には、何も残っていない。袋の切れ端も、女性が自分で片付けていた。 ◇  休憩でバックヤードへ入ってから、俺は黒いノートを開いた。最初に浮かんだのは、花を見せて葉を食わせる、という言葉だった。そのまま書きかけてやめ、宿の厨房にいる架空の人間を考えた。花の名前を付けた料理を、皿に花がないという理由で作り直せと言われたら、料理人はどうするだろう。  『月明かりの宿』のメモの下に、皿を引こうとして思い直す料理人を書いた。客は飾りを増やせと言っているのではない。名前から何を期待したか、そこが違う。花そのものを使う場面にするかは、本文へ戻ってから考えることにした。 「瀬尾、時間」 「はい。今、閉じます」  先輩の声に返して、ノートを鞄へしまった。売り場へ戻る途中で桜あんぱんを一つ取る。レジへ置くと、先輩が俺の顔を見た。 「買うの?」 「帰ってから食べます。実物を知らないまま、ちょうどいいって言っちゃったので」 「じゃあ、会計」 「一応、自分でも気になったんですよ」 先輩は返事の代わりにバーコードを通した。支払いを済ませ、パンを私物の鞄へ入れてから、今度こそ仕事へ戻る。棚にはまだ花の写真が並んでいる。その前を通る時、俺が見たのは写真じゃなく、パンの真ん中にある小さな塩漬けだった。

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