芦名 雅 / 第5話

第4話 エルフは野菜売り場で立ち尽くす

四日目の午後十時、俺は北森店の裏口を開けた。 「お」 榊原先輩が俺を見るなり、珍しく少しだけ目を見開いた。三日で辞めなかったこと自体が、この店では確認事項らしい。 「なんですか」 「四日目だな。新記録」 「ですね。もっと祝ってくださいよ」 「おめでとう」 「雑だなあ」 先輩はそれだけ言って、バックヤードに積まれた段ボール箱へ視線を戻した。祝うより先に、目の前の納品を片づけたいらしい。 「これで、また新人に一から教えなくて済む」 「結局そこですか」 「大事だろ。毎回めんどくせえんだぞ」 「先輩、本当に教育係向いてないですよね」 「だから長くいろって言ってんだよ」 「理由が自分本位なんですよ」 「時給三千円もらってんだからいいだろ」 「それを言われると弱いな……」  俺はため息をつきながら、バックヤードで制服に着替えた。薄いグレーのシャツ。濃紺のエプロン。胸元には、三日月を抱えた白猫。四日前には妙に見えた制服も、もう少しだけ馴染んできた気がする。売り場へ出ると、先輩が飲料ケースの前に段ボールを置いた。 「瀬尾、こっち」 「はい」 「炭酸水、三本分多めに出しとけ」 「精霊対策ですか?」 「売れた商品を補充するだけ」 「夢がないなあ」 「コンビニに何求めてんだ」  言いながら、俺は箱を開けた。昨日、姿の見えない精霊が三本まとめて買っていった炭酸水を、奥から前へ出す。異世界の精霊が気に入った商品でも、俺たちがやることは同じだ。売れた。だから補充する。四日目になると、その理屈にもだいぶ慣れてきた。 ◇  午前零時。短い電子音とともに、自動ドアの向こうから日本の駐車場が消えた。代わりに現れる、暗い森。湿った土と草の匂い。遠くで聞こえる、何かの鳴き声。もう叫ばない。俺はレジ横で紙袋の枚数を確認しながら、入口を見た。 「慣れましたね、俺」 「三日も見りゃな」 「昨日は透明な客でしたけど」 「今日は見えるといいな」 「そこ、運任せなんですか?」 「俺に言われても知らん」 「ですよね」  先輩はフライヤーの油温を確認している。この人に何を聞いても答えが返ってくると思わない。それも、この三日で覚えたことの一つだった。零時十分。自動ドアが開く。最初に入ってきたのは、見覚えのある大きな影だった。 「いらっしゃいませ」  今度は声が裏返らない。深緑の鱗。太い尾。腰には幅広の剣。常連のリザードマンは俺を見ると、琥珀色の目を細めた。 「新人」 「まだ新人扱いですか」 「四日目であろう」 「なんで知ってるんです?」 「昨日、そこの男が言っていた」  リザードマンが顎で先輩を示した。 「先輩、客に俺の勤務日数報告しないでくださいよ」 「話の流れでな」 「どんな流れですか」  リザードマンは低く喉を鳴らした。笑っているらしい。 「いつものを頼む」 「チキン三つですね」 「うむ」  俺はトングで三つ取り、耐油紙の袋へ一つずつ入れた。最初の夜には、爪を見ただけで身構えていた。今は、リザードマンが紙袋を破らないよう黒い爪の先を少し丸めて受け取ることまで知っている。 「水も」 「冷蔵ケース、昨日と同じ場所です」 「心得た」  巨大な背中が飲料棚へ向かっていく。俺はその姿を見送りながら、少しだけ胸を張った。 「先輩」 「ん?」 「俺、もう普通に接客してません?」 「してるな」 「成長しましたよね」 「自分で言うな」 「たまには褒めてくださいよ」 「レジ詰まってるぞ」 「あっ」  見ると、リザードマンがもう精算機の前に立っていた。俺は慌ててカウンターへ戻った。 ◇  午前一時を少し過ぎた頃だった。店内には俺と先輩しかいない。俺は弁当の棚を整え、先輩はレジの中で伝票を確認していた。ウィーン。自動ドアが開く。 「いらっしゃいませ」  声を出してから、入口を見る。今度は、ちゃんと見えた。細身の人影が、暗い森から白い店内へ入ってくる。女の人だった。人間なら二十代前半くらいに見える。身長は百七十センチほど。すらりとしているが、旅人らしく足取りには芯がある。背中の半ばまで伸びた灰金色の髪を、濃い緑の紐でゆるくまとめている。髪の間から覗く耳は、明らかに長く、先端が細く尖っていた。肌は白く、目は淡い緑色。深緑のフード付きの外套の下には、生成り色の長袖の服と茶色い革のベルト。細身の濃茶色のズボンに、ふくらはぎまである革靴。  背中には短めの弓と、細い矢筒が斜めに掛けられている。見た瞬間、さすがの俺にも分かった。 「先輩」 「あ?」 「……エルフ、ですよね?」  小声で聞く。先輩は入口の女の人を一度見た。 「エルフだろ」 「気になるなら、本人に聞けばいいだろ」 「……そういうもんですか」 「知らん。接客しろ」  正論だった。エルフらしき女性はこちらの会話を気にした様子もなく、店内をゆっくり見回していた。天井の照明。中央の商品棚。冷蔵ケース。レジ。そして、なぜか、サラダとカット野菜が並ぶ冷蔵棚の前で止まった。一歩も動かない。十秒。二十秒。三十秒。 「……先輩」 「なんだ」 「あの人、止まりましたけど」 「止まってるな」 「何か困ってるんじゃ」 「聞いてくれば」 「俺が?」 「店員だろ」  四日目。新人記録を更新したら、先輩の扱いが少し雑になった気がする。俺は冷蔵棚の方へ歩いた。近づくにつれて、エルフらしき女性の横顔がよく見える。尖った耳は飾りではない。淡い緑色の目は、棚の中の商品を真剣に追っている。視線の先にあるのは、袋入りの千切りキャベツだった。 「あの」  声を掛ける。女性の耳がわずかにこちらへ向いた。それから顔が動く。 「何かお探しですか?」 「……いや」  声は澄んでいた。高すぎず低すぎず、静かな森の中でもよく通りそうな、はっきりした声だった。 「見ていた」 「野菜を?」 「これを」  女性は棚から千切りキャベツの袋を一つ取った。長く細い指で、透明な袋の端をつまむ。乱暴に掴むのではなく、葉を傷めないようにでもするかのような慎重な持ち方だった。 「葉を、ここまで細く切ってある」 「千切りですね」 「せんぎり」 「細く切ったキャベツです」 「なぜ切る?」 「すぐ食べられるからです」  女性は袋を目の高さまで持ち上げた。中の白と薄緑の葉を、表と裏から確かめる。 「土がない」 「洗ってある商品です。えっと……」 俺は袋の表示を確認する。刻んだ野菜の名前は書いてあっても、どこで誰が切ったかまでは分からない。 「これは、そのまま食べられるやつですね」 「そのまま?」 「開けて、皿に出して食べられます」 「切って、洗ってあるのか」 「はい」 女性は袋をもう一度裏返した。工程まで書かれていない表示を見ながら、商品そのものより、それを作った誰かの方を気にし始めている。 「誰が?」 「誰が……」 いきなり難しい。袋の裏を見ても、野菜がここへ来るまでの作業工程までは書いていない。 「工場の人、ですかね」 「こうじょう」 「たくさんの商品を作る場所です。俺もこれを作ってるところを見たことはないですけど」 女性は俺の顔を見た。答えが出るまで待つつもりらしく、手の中の袋は棚へ戻さない。 「知らないのか」 「俺、コンビニのバイトなんで」  どこかで聞いたような台詞になった。レジの方を見ると、先輩がこっちを見ながら、ほんの少し口の端を上げている。絶対聞こえている。 「少なくとも、店では切ってないです。作られたものがここに届きます」 「どこから?」 「配送で」 「はいそう」 「車で、いろんな商品が運ばれてくるんです」 女性はもう一度袋を見た。透明な包装の向こうで、同じ幅のキャベツが揃っている。 「切った葉を、遠くから運ぶ?」 「冷やしたまま運ぶから、できるんだと思います」 「冷やしたまま」 「この棚も冷たいでしょう」  俺は冷蔵ケースの縁を指した。女性が指先を伸ばし、棚の奥から流れる冷気に触れる。尖った耳がぴくりと動いた。 「……ずっと冷たい」 「はい」 「夜も?」 「ずっとです」 「魔法ではない?」 「電気です」 「でんき」 「そこから説明するのは長くなるな……」 「分からないのか」 「それは分かりますよ!」  思わず声が大きくなった。女性の淡い緑の目が少し丸くなる。すぐに、口元がわずかに緩んだ。笑われたらしい。 「でも発電所の仕組みまで説明しろって言われたら無理です」 「なるほど」 「納得された」  俺は少し肩の力を抜いた。姿が見える。会話もできる。昨日の精霊に比べれば、ずいぶん接客しやすい。女性は千切りキャベツを持ったまま、隣の棚へ視線を移した。ミックスサラダ、野菜スティック。小さなカップに入ったサラダ。いくつもの透明な容器と袋が、白い照明の下に並んでいる。 「これも?」 「それも、そのまま食べられるサラダですね」 「これは葉が違う」 「何種類か混ざってます」 「こちらは根を細く切っている」 「野菜スティックですね」 「なぜ棒にする?」 「食べやすいからじゃないですか?」 「人間は食べやすくするために、ここまでやるのか」 「日本人全体の代表みたいに聞かないでください」  女性は真面目な顔をしている。冗談ではなく、本当に不思議らしい。野菜スティックのカップを取り上げ、底に入っている小さな容器を見つけた。 「これは?」 「つけて食べるソースです」 「野菜に味を足す?」 「はい」 「葉は葉の味で食べればよいのでは」 「それは好みですね」 「贅沢だな」  ぼそりと言って、女性は野菜スティックを棚へ戻さずに持ち続けた。 「それ、気になります?」 「知らない味も確かめる」 「好奇心強いなあ」  女性は今度はミックスサラダを手に取った。 「これらは、すべて近くで採れたものか?」 「いや、それは違います」 「では、どこから?」 「いろんな場所からです。この店だけじゃなくて、ミッドマートの店に商品を運ぶ仕組みがあるので」 「遠い土地からも?」 「来ますね」 「毎日?」 「商品によりますけど、配送は毎日来ますよ」 女性の手が止まった。さっきまで商品だけを見ていた目が、今度は棚全体へ向く。 「毎日」 「はい」 「葉を育てて、収穫する者がいる。洗って切る者も、包む者もいるのだろう」 「そうですね。機械も使ってると思いますけど」 「それを冷やしたまま運んで、最後に、ここで売る」  自分の手にある袋から俺へ視線が移り、俺は少し背筋を伸ばした。 「最後のところが、俺たちですね」  女性は頷いて棚を見渡した。  しばらく何も言わなかった。さっきまで商品の一つ一つを見ていた目が、今は棚全体を見ている。 「……大きな街の市場でも」  やがて、静かな声がした。 「毎日、これだけ同じ形で、食べられる状態の葉が並ぶことはない」 「そうなんですか」 「朝に採れたものが夕方まで残ることはある。遠方の果実が高値で並ぶこともある。だが、これは違う」  女性は手の中の千切りキャベツを軽く持ち上げた。 「誰が買うかも分からないのに、先に洗い、先に切り、先に包み、毎日運ぶ」 「言われてみれば、そうですね」 「魔法ではないのだな」 「たぶん、こっちでは普通の流通です」 「普通」  女性はその言葉を繰り返した。そして、少しだけ笑った。 「この店の『普通』は、随分と手間がかかる」  俺は袋の端を見た。さっきまで気にしていたのは価格と賞味期限だけだったが、裏側には小さく製造者も書かれている。知っていたはずの文字へ、初めて目を留めたような気分だった。 「魔法よりすごいですか?」  俺が聞くと、女性は首を横に振った。 「比べるものではない」 「ですよね」 「ただ」 淡い緑の目が、冷蔵棚へ戻る。分からないから離れるのではなく、次に何を見るかを選んでいるようだった。 「魔法なら、一人の術者が成すこともある。これは、多くの者が毎日同じことを続けなければ成り立たない」 「……なるほど」 「そちらの方が、私には不思議だ」  俺は思わずレジの方を見た。先輩は伝票を眺めている。たぶん、話は聞こえている。でも口を挟まない。これは先輩より、俺の方が説明できる話だった。あの森の向こうの種族や生き物のことは知らない。精霊も見えない。けれど、コンビニでサラダを買ったことなら何度もある。俺にとって当たり前のことが、誰かにとっては当たり前ではない。それだけで、話になる。 「これは持つ」  女性が千切りキャベツをかごへ入れた。 「はい」 「これも」  ミックスサラダ。 「はい」 「これも試す」  野菜スティック。 「結構買いますね」 「違いを知りたい」 「研究者みたいだな」 「森で植物を扱う者なら、違いは気になる」  初めて、女性が自分のことを少しだけ話した。それ以上は聞かなかった。客が何者なのかを、いちいち全部知らなくてもいい。この店では、それで問題なく仕事が回る。 「他に何かありますか?」 「野菜にかけるもの」 「ドレッシングですか?」 「先ほど言っていた味を足すものだ」 「ああ。こっちです」  俺は小さなドレッシングが並ぶ棚を案内した。女性は二種類を手に取り、しばらく真剣に見比べる。 「字、読めます?」 「読めない」 「ですよね」 話は通じるのに、日本語の文字までは読めないらしい。会話ができることと、商品表示を読めることは別だ。 「こっちは酸味があるやつで、こっちは胡麻っぽいやつです」 「ごま」 「種です」 「では、そちら」 「胡麻でいいんですか?」 「種なら葉に合うだろう」 「そういう決め方なんだ」  胡麻のドレッシングがかごへ入った。 「お会計はこちらです」  俺は商品を一つずつレジへ通した。千切りキャベツ、ミックスサラダ、野菜スティック。ドレッシング。ピッ、ピッ、と電子音が続くたび、エルフの女性は画面に増えていく数字を興味深そうに見ていた。 「お支払いは精算機へお願いします」 「これか」 「はい」  女性は腰の革袋から、小さな硬貨を数枚取り出した。銀色に近い淡い色で、表面には葉のような模様が刻まれている。細い指で一枚ずつ投入口へ入れる。ちゃりん。ちゃりん。機械は何事もなかったように受け入れた。もう俺も、そこには驚かない。 「袋、使いますか?」 「頼む」  俺はレジ袋を開き、潰れないように商品を立てて入れた。女性は袋を受け取ると、半透明の表面越しに中を見た。 「この袋も軽い」 「それも普通です」 「また普通か」 「こっちでは」 「便利な言葉だな」 「俺も今そう思いました」  女性は小さく笑った。入口へ向かいかけて、もう一度振り返る。 「これは、明日も並ぶのか?」  冷蔵棚を指している。 「売れたら、また発注します。たぶん同じ商品も来ますよ」 「明日も」 「はい」 「……そうか」  少し考えるように頷いた。 「では、また来る」 「ありがとうございました」  自動ドアが開く。深緑の外套が、暗い森の中へ消えていく。レジ袋の中には、剣でも魔道具でもなく、千切りキャベツとサラダ。ドアが閉まってから、俺はしばらくその光景を見ていた。 「先輩」 「ん?」 「異世界の人って、もっと魔法とか機械とかに驚くのかと思ってました」 「人によるだろ」 「野菜でしたよ」 「野菜だったな」 先輩は伝票へ目を戻した。俺だけが答えを欲しがっていても、客本人はもう次の棚へ進んでいる。 「しかも驚いてたの、野菜そのものじゃなくて、毎日運んでくる仕組みですよ」 「本人がそう言ってたなら、そうなんだろ」 「先輩、なんかないんですか」 「ない」 「ないんだ」 「客がそう言ってんだから、そうなんだろ」 「雑だなあ」 「俺に聞くな」 「ごもっともです」  先輩は伝票を置き、冷蔵棚の方を指した。 「で」 「はい?」 「サラダ減っただろ」 「……前出しですね」 「分かってきたな」 「褒められた気がしない」  俺は冷蔵棚へ向かい、千切りキャベツとミックスサラダを一つずつ前へ出した。野菜スティックの列も揃え、裏返っていた一袋の表示を正面へ戻す。さっきの客は、明日も並ぶのかと聞いていた。  発注端末を持つ先輩へ、減った分の数を伝えた。次に来た時も同じ棚で選べるようにするのが、今夜の俺の仕事だった。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳