芦名 雅 / 第6話

第5話 三分待てないドワーフ

 五日目の午前零時四十分。俺はインスタント食品の棚の前で、カップ麺を前へ出していた。醤油。味噌。塩。豚骨。焼きそば。似たような丸い容器が、味ごとに何段も並んでいる。以前なら、商品名と値段くらいしか見ていなかった棚だ。今は違う。異世界の客がこれを見たら、何だと思うんだろう。そんなことを考える癖がつき始めていた。 「瀬尾」 「はい?」 「手止まってるぞ」  レジの中から先輩の声が飛んできた。 「考え事です」 「勤務中」 先輩はレジから売り場を見渡した。客はいなくても、俺の止まった手だけはよく見えていたらしい。 「品出ししながら考えてました」 「手止まってた」 「見てたんですか」 「暇だからな」 「手伝ってくださいよ」 「俺はレジ」 店内に客はいない。レジ前も通路も空いていて、先輩が動かなくても今すぐ困る相手はいなかった。 「誰もいないじゃないですか」 「来た時にいなかったら困るだろ」 「便利な言い訳だなあ」  俺は残りのカップ麺を棚へ押し込んだ。初日なら、午前零時を過ぎた店内でこんな会話をしている余裕はなかった。自動ドアの向こうは、相変わらず暗い森だ。でも今は、森そのものより売り場の欠品の方が気になる。慣れというのは恐ろしい。 ◇  午前一時過ぎ。ウィーン。自動ドアが開いた。 「いらっしゃいませ」  反射で声が出る。入ってきた客を見て、俺は一瞬だけ視線を下げた。低い。ただし、小さいという印象ではなかった。身長は百四十センチほど。俺の胸より少し低いくらいなのに、肩幅はやたら広く、胴も腕も太い。半袖の革服から出た前腕は、俺のふくらはぎくらいありそうだった。日に焼けた赤銅色の肌。鼻は大きく、眉は太い。灰褐色の髪は短く刈られているのに、髭だけは胸元まで伸びていて、二本に分けて編まれている。編み込んだ髭の先には、小さな真鍮色の輪が二つ。厚い革の前掛け。  煤で黒ずんだ手袋を腰のベルトに差し、反対側には小ぶりだが重そうな金槌が吊られていた。背負っている袋も、ごつい。何より足音が重かった。どす。どす。身体の大きさより、一歩ごとの重量感の方が印象に残る。客は店内へ入るなり、天井を見上げた。 「明るいな」  声も見た目どおり低い。腹の奥で鳴らした太鼓みたいな、よく響く声だった。俺はレジの先輩を見る。 「先輩」 「ん」 「あれ、ドワーフですかね」 「ドワーフだろ」 「ですよね」  それで終わり。先輩はそれ以上何も言わず、レジ横の伝票へ視線を戻した。俺も聞かなかった。最近、そういうものだと分かってきた。客は店内を一周するように歩いた。飲料棚。菓子、弁当。日用品。そして、俺がさっき品出ししたばかりのカップ麺の前で止まった。じっと棚を見る。右を見る。左を見る。また正面を見る。 「……これ、何だ?」  来た。俺は棚へ近づいた。 「カップ麺です」 「かっぷめん」 「中に麺が入ってます」 「食い物か」 「食い物です」  ドワーフは一番手前の大きめのカップを手に取った。太い指で持つと、容器が妙に小さく見える。蓋に印刷された写真を見て、眉間に皺を寄せた。 「この絵が中に入っているのか?」 「だいたいそんな感じです」 「だいたい?」 「写真ほど綺麗に盛り付けられて出てくるわけじゃないんで」 「よく分からん」 「ですよね」 俺も自分で説明していて、何を言っているんだと思う。写真どおりではないが、写真と無関係でもない説明は難しい。 「腹には溜まるか?」 「まあ、これ一個ならそれなりに」 「温かいか?」 「温かくして食べます」 ドワーフは「温かい」の一言で決めず、今度は写真の肉へ太い指を向けた。腹持ちと温度と中身を、一つずつ条件として確かめているらしい。 「肉は?」 「味によります」  ドワーフは棚を睨んだ。 「字が読めん」 「あー」  昨日のエルフと同じだ。店内では会話が通じても、パッケージの日本語まで読めるわけではない。 「何味がいいです?」 「肉」 「広いな」 「濃いやつ」 「じゃあ……これかな」  俺は濃いめの豚骨系カップ麺を一つ取った。蓋の写真には、チャーシューと葱が載っている。 「これ、割とこってりしてます」 「こってり」 「味が濃くて、油も多めというか」 「それでいい」 即決だった。迷っていたのは味より、腹にたまるかどうかだけらしい。 「どうやって食う?」 「買ってから説明します」 「先に食わせろ」 「先に会計です」 「面倒だな」 「店なんで」  ドワーフは不満そうに鼻を鳴らしたが、素直にレジへ向かった。俺はカップ麺を受け取り、バーコードを読む。ピッ。 「お支払いはこちらです」  精算機を示す。ドワーフは腰の革袋から、赤茶けた硬貨を三枚取り出した。俺の知っている十円玉より厚い。片面には金槌のような模様が刻まれている。太い指で一枚ずつ投入口へ押し込む。ちゃりん。ちゃりん。ちゃりん。精算機はいつもどおり処理した。 「よし」  会計が終わるなり、ドワーフがカップ麺を掴んだ。 「で、どう食う」 「こっちです」  俺は店内の給湯器へ案内した。カウンター脇に置かれた、カップ麺用のお湯が出る機械。ドワーフが正面に立つと、給湯器の方が少し頼りなく見える。 「まず蓋を半分くらい開けて」 「こうか」 「開けすぎです」  べりっ。半分と言ったのに、三分の二くらい開いた。 「まあ、それでも大丈夫です」  中から乾いた麺が見える。ドワーフが顔を近づけた。 「硬いぞ」 「今は硬いです」 「これを食うのか?」 「まだ食べません」 「さっきから食わせんな、お前」 「ちゃんと順番があるんですよ」 俺は給湯器を指した。ドワーフの視線が棚から機械へ移り、太い眉が少し上がる。 「ここ押してください。熱いんで気をつけて」 「湯か」 「そうです」 「湯を入れるだけ?」 「はい」  ドワーフの太い人差し指がボタンを押す。給湯口から熱湯が落ちた。湯気が立つ。乾いた麺の間へお湯が沈んでいき、香辛料と脂の匂いがふわっと広がった。 「ほう」 ドワーフの眉が上がる。湯が出る場所を見つけた時より、待つ時間を聞いた時の方が驚いていた。 「いい匂いするでしょ」 「肉の匂いだ」 「豚骨です」 「豚の骨?」 「たぶん、その辺はちゃんと説明すると長いので味の名前だと思ってください」 「お前、知らんこと多いな」 「コンビニ店員に商品開発まで求めないでください」  お湯が内側の線まで入ったところで止める。 「はい。蓋閉じてください」 「こうか」 「そうです」  俺は剥がれかけた蓋を押さえた。 「で、三分待ちます」 「……何?」 「三分です」 「何をする?」 「待ちます」 そこで初めて、ドワーフは黙ってタイマーを見た。数字はちゃんと減っているのに、待つ以外にすることがないのが気に入らないらしい。 「待つだけ?」 「待つだけです」 ドワーフの顔が、明らかに険しくなった。敵を前にしたというより、三分という数字そのものが気に入らない顔だ。 「何のために」 「麺が柔らかくなるまで」 「湯を入れたのに?」 「入れたから柔らかくなるんです」 俺が説明している間にも、蓋の隙間から湯気が細く逃げている。ドワーフはそれを見ているのに、三分という約束だけはまだ信じきれない顔だった。 「なら食えるだろ」 「まだ硬いですって」 「少しくらい硬くても腹に入れば同じだ」 「そういう食べ物じゃないんです」  ドワーフの手が蓋へ伸びる。 「ちょっと!」  俺は慌てて止めた。 「まだ十秒くらいですよ!」 「十秒も待った」 「残り二分五十秒あります」 「長い!」 「三分ですよ!?」  店の奥から、先輩の声がした。 「瀬尾」 「はい!」 「頑張れ」 「見てるだけですか!」 「接客中だろ」 「こういう時だけ任せないでくださいよ!」  先輩は完全に面白がっていた。ドワーフが腕を組む。太い腕を組むと、革服の袖が張った。 「三分というのは、どれくらいだ」 「今から……」  俺は壁の時計を指した。 「あの細い秒針が、ぐるっと三周するくらいです」 「分からん」 「ですよね」  俺はカウンターの小さなキッチンタイマーを持ってきた。湯を入れた時から過ぎた分を引き、残りの時間をセットする。 「これが鳴るまでです」 「ほう」  ドワーフがタイマーを覗き込む。表示が二分四十秒から二分三十九秒へ、一つずつ減っていった。 「……遅くないか?」 「普通です」 「壊れてないか?」 「壊れてません」 「数字が一つ減るのに随分かかる」 「一秒なんで」 「いちびょう」 「そこから説明するの?」  ドワーフは真剣だった。俺は諦めて、カップ麺の前に立ったまま待つことにした。二分三十秒。ドワーフが蓋へ手を伸ばす。 「まだです」 「触っただけだ」 「開けようとしてましたよね」 「してない」 「してました」 表示は二分を切った。ドワーフの視線は数字から外れない。 「もういいだろ」 「まだです」 「湯は熱い」 「熱ければ完成じゃないです」 一分四十秒まで来た。待つだけなのに、本人の肩はさっきより固くなっている。 「おい」 「まだです」 「まだ何も言ってない」 「顔で分かります」  一分二十秒。ドワーフが店内を歩き始めた。菓子棚まで行く。戻る。飲料棚を見る。戻る。カップ麺を覗く。 「開けないでください」 「匂いを嗅いだだけだ」 「蓋持ってましたよね」 「細かい男だな」 「あなたが待てなさすぎるんですよ!」 残り五十秒。ここまで来ると、俺までタイマーの数字を追っていた。 「鍛えた鉄なら、もっと待つぞ」 「じゃあ三分くらい余裕じゃないですか!」 「鉄は食えん」 「食い物だと駄目なんですか」 「目の前で匂いを出されながら待つのは話が違う」 「知らないですよ!」 先輩がレジで肩を震わせている。笑っていないと言い張るには、もう分かりやすすぎた。 「笑ってるでしょ!」 「笑ってない」 「こっち見て言ってください!」  三十秒。ドワーフはついにカップ麺の前へしゃがみ込んだ。低い身長がさらに低くなる。腕を膝に置き、タイマーを睨む。 「二十九」 「数字分かるんですか?」 「さっきから見て覚えた」 「そこは早いな!」 「二十七」 「数えなくても鳴りますから」 「二十六」 「聞いてない」 「二十五」  もう止めるのを諦めた。太い声で、一秒ごとに数字を読み上げる。 「十二」 「十一」 「十」 いつの間にか俺まで時計を見ていた。客に三分待てと言った側まで、最後の数十秒を数えている。 「三」 「二」 「一」  ピピピピッ。タイマーが鳴った。 「よし!」 「なんでそんな達成感あるんですか」 ドワーフが勢いよく立ち上がる。椅子の脚が床を擦り、待ち時間の終わりだけは一瞬だった。 「開けるぞ」 「どうぞ」  待ちに待った蓋が剥がされる。湯気が一気に立ち上った。さっきより濃くなった豚骨の匂いが広がる。乾いて固まっていた麺は、湯を吸ってほぐれていた。 「おお」  ドワーフが素直に声を漏らした。 「柔らかくなってるだろ」 「本当だ」 「だから待てって言ったんですよ」 「最初からそうなると言え」 「言いましたよ!」 「聞いてなかった」 「でしょうね!」  俺は割り箸を一本取った。 「これ使います?」  ドワーフが箸を見る。 「二本の棒で食うのか」 「……フォークにしましょう」  俺はすぐに引っ込めた。太い指で割り箸を格闘させる未来が見えた。プラスチックのフォークを渡す。 「こっちの方が簡単です」 「最初からそれを出せ」 「今判断したんです」  ドワーフはフォークを握り、麺を巻き取った。一口。太い眉が上がる。二口目。今度は大きい。三口目。何も言わない。店内に、麺をすする音だけが響く。あっという間だった。最後には容器を両手で持ち上げ、スープまで飲み干した。 「……うまい」 「よかったです」 「濃い」 「濃いのがいいって言いましたから」 「熱い」 「お湯入れましたから」 「肉の味がする」 「豚骨ですから」 「腹にも溜まる」 「さっきから全部説明したことなんですよ」  ドワーフは空になったカップをじっと見た。それから俺を見る。 「もう一つ」 「え?」 「もう一つ食う」 「また三分ですよ」 「……」  動きが止まった。分かりやすい。 「どうします?」 「買う」 「待つんですね」 「買う」 「三分」 「分かっている!」  声が店内に響いた。  二個目は味噌味だった。会計を済ませてお湯を入れると、ドワーフは最初からタイマーの前に陣取った。フォークはもう手に握っているが、今度は蓋へ触れない。 「二分四十七」 「やっぱり数えるんですね」 「黙れ。今度は味噌というやつだろう」 「濃い味ですよ。あと二分四十五秒」 「だから、減るのを待ってるんだ!」  同じ三分でも、何を待っているかはもう知っているらしい。鳴るなり蓋を開けたドワーフは、一口すすり、前の味と比べるように眉を動かした。俺が感想を聞く前に二口目へ進んだので、気に入ったことだけは分かった。 そして食べ終えたドワーフは、空の容器を捨てる場所を俺に確かめてから、まっすぐカップ麺の棚へ向かった。さっきまで三分を嫌がっていた足取りとは思えないほど速い。 「これを全部くれ」 「全部!?」  棚一段を指している。 「待ってください。さすがに全部は困ります」 「金ならある」 「そういう問題じゃないです。他のお客さんの分もあるんで」  先輩がレジから口を挟んだ。 「在庫分までなら出せる数、決めろ」 「俺がですか?」 「今、担当してただろ」 「急に責任重くないです?」 「売るのも仕事」 「はいはい……」  俺は棚と在庫を確認した。今日の分を全部持っていかれると、他の客が買えなくなる。 「じゃあ、味違いで六個くらいなら」 「六」 「これと、これと、これ……」  醤油。塩。味噌。豚骨。辛いもの。大盛り。俺が選ぶたび、ドワーフは買い物かごへ放り込んでいく。 「向こうでもお湯は作れますよね?」 「湯くらい沸かせる」 「じゃあ蓋開けて、お湯を線まで入れて、閉じて三分です」 「三分」 「三分」 「どれも?」 「商品によって違うのもありますけど、その六個はだいたい三分です」  危ない。俺は慌てて蓋の表記を一個ずつ確認した。この客も、日本語の表示は読めないらしい。ここを適当に教えると、たぶん本当に全部三分で作る。 「こっちの大盛りだけ五分です」 「ごふん?」 「三分より長いです」  ドワーフの顔が露骨に曇った。 「それはいらん」 「即答だ」  大盛りが棚へ戻された。代わりに三分のものを一つ追加する。 「三分なら待つ」 「もう三分が基準になってる」 「五分は長い」 ドワーフは五分の商品を棚へ戻した。待ち時間まで含めて、もう買い物の条件になっている。 「二分しか違わないですよ」 「二分も違う」 「食い物になると本当にせっかちだなあ」 「腹が減っている時の二分を舐めるな」 「格言みたいに言わないでください」  六個のカップ麺がレジへ並ぶ。ピッ。ピッ。ピッ。俺が読み取るたびに、ドワーフは満足そうに髭を撫でた。会計が終わる。大きめのレジ袋へ詰めると、袋の中が丸いカップでいっぱいになった。ドワーフは片手で軽々と持ち上げる。 「また来る」 「ありがとうございます」 「次は三分のやつをもっと用意しておけ」 「種類の話ですか? 在庫の話ですか?」 「両方だ」 「無茶言うなあ」 「五分はいらん」 「そこまで嫌ですか」 「長い」  最後までそこだった。自動ドアが開く。小柄なのにやけに大きく見える背中が、暗い森へ消えていく。袋の中では、六個のカップ麺が軽くぶつかっていた。ドアが閉まる。俺は棚を見る。さっきまできれいに並んでいたカップ麺の一角だけ、見事に減っていた。 「先輩」 「ん?」 「ドワーフって、もっと気長なイメージありません?」 「知らん」 「鍛冶とか、時間かかりそうじゃないですか」 「本人、鉄なら待てるって言ってただろ」 「食い物は別か……」 「腹減ってたんじゃねえの」 「それだけ?」 「それ以外いる?」 「……いらないか」  先輩が顎で棚を示す。 「前出し」 「はい」  俺は減ったカップ麺を奥から引っ張り出した。豚骨。味噌。醤油。空いた場所を埋めていく。 「発注も見とけよ」 「また増やすんですか?」 「売れたからな」 「ですよね」  異世界の客が何者なのか。どんな暮らしをしているのか。知らないことはいくらでもある。でも今夜、確実に分かったことが一つだけある。三分は短い。ただし、腹を空かせたドワーフにとっては、そうでもないらしい。

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