芦名 雅 / 第47話

第33話 魔王軍幹部、くじを引く

 レジから顔を上げるたびに、白猫と目が合った。丸い顔に短い手足、抱えているのは黄色い三日月。高さ三十センチほどのぬいぐるみが、カウンターの脇に鎮座している。胸には特賞の札。普段エプロンへ付いているだけの猫が立体になると、妙に存在感があった。 「先輩、これ、そこに置くんですか」 「案内にそう書いてある」 「俺、さっきから見られてる気がするんですけど」 「向き変えろよ」  少し外へ向けると、今度は隣にいる榊原先輩を見始めた。先輩は伝票を一枚その前へ立てかけかけ、手を止める。特賞を隠してどうするんだ、と思ったのだろう。俺が笑うと、猫だけが元の位置へ戻された。  三月も終わりに近づき、ミッドマート北森店では春のくじが始まった。条件を満たす買い物をすると、一回引ける。何が当たるかは折られた紙次第で、猫以外にも景品はある。俺は説明書と景品の置き場所を確かめ、箱を会計の邪魔にならない所へ寄せた。 「これ、引きたいがために買う人もいますかね」 「いるんじゃねえの」 「俺、そうなりそうです」 「帰りに買え。今は店員」  先に釘を刺された。午後十一時五十九分。猫の後ろのガラスにはまだ駐車場の白線が映っている。一分後にそこが森へ変わっても、猫の顔と、箱に印刷された春の文字は変わらなかった。  最初の何組かには、いつもどおり商品を売った。条件に届かない買い物で無理に追加を勧めることはせず、聞かれた時だけ箱の説明をする。それでも、水を一本買った旅人に「その獣は食えぬのか」と訊かれた頃には、俺は既に少し疲れていた。  一時を少し過ぎ、重い足音がした。黒い角の大柄な男が、暗い赤色の外套を棚へ触れないよう寄せて入ってくる。傷の残る黒い金属鎧、黒に近い灰色の肌。魔王軍の将軍と呼ばれていた常連だった。 「いらっしゃいませ」 「久しいな」  男はかごを取ると、辛口の麻婆豆腐弁当へ手を伸ばした。無糖の缶コーヒーも、そのあとに加わる。俺が先輩の方を見ると、向こうは何も言わずに頷いた。たぶん同じことを考えたが、客の前で答え合わせをする必要はなかった。  デザート棚の前では、少し足が遅くなった。女王と最後の濃厚プリンを争った列には、もう別のものが並んでいる。将軍はその隣から、緑色のクリームが見えるシュークリームを取った。 「前のとは違うのか」 「抹茶の方ですね。甘いクリームに、お茶の苦みもあるものです」 「苦いだけではない?」 「はい。普通のシュークリームも、隣にあります」  勧める前に、そちらも一個取った。緑と白を同じ高さへ持ち上げて見てから、かごへ並べる。柔らかい商品を鎧の手で押さえつけないところは、初めて会った時と変わらなかった。 「二種類ともでいいですか」 「違いを確かめる」 「じゃあ、こちらへどうぞ」  レジで弁当とコーヒー、シュークリーム二個を読み取った。画面の隅へ、くじ一回の表示が出る。俺は会計金額を示してから、箱の方へ手を向けた。 「今回の買い物で、一回くじが引けます。追加の代金はいりません」  革袋を開けていた手が止まった。将軍の暗い赤色の目が、黄色い箱へ向く。 「くじ、とは?」 「その中から紙を一枚取って、書いてある印で景品が決まります。中は見ずに引くんです」 「何を競う」 「競争じゃないです。誰かに勝ったらもらえるわけではなくて」  説明しながら、前のじゃんけんを思い出した。あの時は相手の女王がいて、買う権利を決めた。今夜は既に買う品も決まり、奪い合う一個もない。将軍は箱の穴を見たまま、少し眉を寄せた。 「技量は関係せぬのか」 「普通に一枚引くだけなので」 「……つまらんな」  そう言いながら、目は箱から離れない。先輩がレジの奥で短く言った。 「引かなくてもいいぞ」 「引かぬとは言っていない」 「言いそうな間でしたよ」 「得られるものがあるなら、試す」  将軍は革袋から黒みがかった銀貨を出し、精算機へ入れた。炎のような紋章が一枚ずつ消えていく。支払いが済み、釣り銭が収まるのを待ってから、俺は弁当を温めるか尋ねた。頼む、と返ったので、先輩が表示を確認してレンジへ入れてくれる。その間に俺はくじ箱を前へ寄せた。 「ここへ手を入れるのだな」 「はい。ただ、籠手のままだと狭そうです」  将軍は穴の縁に触れる前に、右の籠手を外した。留めていた部分をほどき、台の端へ置く。それだけの動作で、今夜ここまでして引くのかと少しおかしくなったが、本人は真剣だった。 「紙の形は同じか?」 「同じように折ってあります。開けてから分かります」  大きな手が穴へ入った。紙の擦れる音がする。すぐ出ると思った手は、なかなか戻ってこなかった。 「一枚ですよ」 「分かっている。選んでいるだけだ」 「見えないですよね」 「見ずに選べと言ったのは、お前だろう」  返されて黙った。先輩が横で肩を揺らしたが、まだレンジの方を見ている。将軍はやがて紙を一枚取り出し、指の腹でゆっくり広げた。読めない文字を自分で確かめようとしてから、こちらへ向ける。  紙を広げる音に、レンジの終了音が重なった。先輩がそちらへ向かう間も、俺は紙から目を離せなかった。赤い、大きな二文字がある。 「……特賞」 「何だ」 「特賞です。一番上の賞、当たりました」  声が少し大きくなった。先輩も顔を上げる。将軍は紙を見直したが、まだ何が起きたか分からない顔だった。俺がカウンター脇へ手を伸ばすと、その目もついてくる。  黄色い三日月を抱いた白猫が、二人の間へ出てきた。 「これです。おめでとうございます」  将軍は受け取らなかった。紙の赤い文字と猫を見比べ、もう一度猫へ視線を戻す。さっきまで棚の甘いものへ向けていた判断の早い目が、ここでは止まってしまった。 「……この白い獣が?」 「店の猫です。看板にもいる」 「それは分かる。何に使う」 「飾るとか、抱えるとかですね」 「抱えて、それから?」  それから、と聞かれて困った。俺は両手で猫を支え直した。店頭で目が合うのが気になった程度の人間に、ぬいぐるみを持った先の人生まで聞かないでほしい。 「特に、その後に何かする道具ではないです」  将軍は黙り、猫の短い手を見る。柔らかい布へ一度触れ、すぐ指を引いた。その視線が弁当の方へ移ったので、俺は案内にある交換の条件を思い出した。 「別の商品やお金との交換は、できないんです」 「まだ聞いていない」 「すみません」  先走った。将軍は少し考え、まだ持っている当たりの紙へ目を落とした。いらなければ受け取らなくても、と続けようとした俺より、先輩の声が早い。 「いらねえなら置いてけ。無理に持たせるもんじゃねえし」 「当たったものを、置いていくのか」 「欲しくないならな」  将軍の指が紙の端を少し押した。破るほどではないが、折り目がくっきり付く。猫へ戻った目が、今度はさっきより長く止まった。 「それは、負けたようで気に入らん」 「勝ち負けじゃないって、言いましたよね」 「一番上の賞なのだろう」 「そうですけど」 「ならば持ち帰る。使い道は、後で考える」  大きな掌が出てきた。俺は猫の胸の特賞札を外し、腕へ収まりやすい向きで渡した。灰色の肌と黒い鎧の間に、白い猫が座る。三日月の黄色まで加わると、どこを見てもそこだけ明るかった。  笑わないように口を閉じた。先輩もこっちを見ない。将軍は左の腕へ猫を移し、空いた手で柔らかい頭の向きを直した。 「何だ、お前たちは」 「いえ。おめでとうございます」 「先ほど聞いた」 「大事なことなので」  嘘ではない。俺は当たり券を回収し、景品の記録をつけた。猫を置いていた場所が空になった途端、レジがずいぶん広く感じる。特賞の案内には、終了したことが分かる表示を付けておいた。  先輩が温め終えた弁当をこちらへ寄せてくれた。俺は温かい方の袋を開き、弁当と箸を入れる。冷たいシュークリームと缶コーヒーは別だ。その間、将軍は俺の胸元の刺繍を見ていた。 「同じ猫だな」 「はい。あの看板もです」 「名は?」  知らなかった。毎晩着て、毎晩袋を渡しているのに、猫の名前を考えたことがなかった。先輩を見ると、向こうも短く首を振る。 「すみません。俺たち、名前までは知らないです」 「名を知らぬものを、一番の賞として渡したのか」 「賞の名前は分かるんですけど……」  将軍は呆れたように俺を見た。それから自分で猫の付け札を確かめる。そこも読めないので、俺が文字のある所を一通り見たが、呼び名らしいものは見つからなかった。 「ここには、書いてないですね。分からない名前を適当につけるのも変なので」 「それは、やめておけ」  許されたのか、注意されたのか分からない。将軍は猫を少し持ち直した。その拍子に外したままの籠手が目へ入る。俺が気づいて示すと、彼は一瞬、両手に抱えているものを見下ろした。 「いったん、ここへ置けます」  空いた台を拭いて示した。将軍はそこへ猫を座らせ、右の籠手を着け直す。終えると、今度は金属の指で布を引っかけないよう、腕の内側へ抱えた。買い物袋を二つ渡そうとして、俺も手が足りないことに気づく。 「猫も、袋に入れましょうか」 「弁当と一緒にか」 「いえ、別の袋に」 「結局、持つ物は増えるな」  もっともだった。将軍は左の脇へ猫を収め、左手に冷たい商品、右手に弁当の袋を持った。猫が落ちないか一度腕を緩めて確かめ、ちょうどよい位置で止める。その間、俺は手を添えられる所で待ったが、本人だけで収まった。 「これでよい」 「はい。ありがとうございました」  籠手も当たり券も忘れ物はない。入口へ向かう将軍は、途中で空になった台へ目をやった。 「次も、これは出るのか」 「くじは期間中ならあります。でも、その特賞は今ので終わりです」 「一つだけだったのか」 「この店にある分は、それだけです」  将軍は脇の猫を見た。顔を抱え込むほど腕へ力を入れず、黄色い三日月を少し前へ向け直す。 「なら、これはもう誰にも当たらぬ」  声が少し満足そうだった。さっき使い道が分からないと言ったことへは、触れないでおいた。自動ドアが開き、黒い鎧が森へ出ていく。店の明かりの外へ消える寸前まで、白猫だけが見えた。 「……写真、撮りたかったな」  つい漏らすと、先輩が俺を見た。 「撮れねえだろ」 「そうでした」  異世界営業の写真や映像は、うまく残らない。俺はスマホを取りに行かず、景品の記録をもう一度確認した。特賞一個、引き渡し済み。あの格好が、店の記録になるとそれだけだった。 ◇  六時に駐車場が戻り、朝の引き継ぎを始めた。くじの箱はそのまま使うが、特賞終了の表示は見落とされない位置へ直す。六時五十分に水野さんが来ると、挨拶のあとで、すぐそこへ目を向けた。 「え、もう出たんですか」 「夜中に、一回で」 「すごい。あの猫、結構目立ってたのに。どんな人が当てたんです?」  魔王軍の将軍です、と口にする前に止まった。水野さんは異世界の営業を知らない。俺は記録を彼女へ向け、言えることだけ選んだ。 「大柄な人でした。ぬいぐるみ持って歩く姿が、想像できないような」 「でも、持って帰ったんですね」 「はい。大事そうに、脇へ挟んで」 「ちょっと見たかったなあ」  俺もです、と返すと笑われた。写真はないかと聞かれ、撮っていないとだけ答えた。水野さんはそれ以上追わず、着替えにバックヤードへ入っていった。  戻ってきた彼女にくじの扱いを引き継ぎ、七時を迎える。俺が鞄を持って売り場へ戻ると、水野さんは空いた台の端を揃えていた。 「小説の方も、進んでます?」 「少しだけ。まだ途中ですけど」 「私の課題も途中です。こっちは締切が動いてくれないので困ります」 「俺の方は、自分で決めないとずっとないんですよね」 「じゃあ、私の締切、半分あげたいです」 「気持ちだけで十分です」  笑って断ったあと、彼女が話していた提出のことを思い出した。書く側にとって締切が怖いのは分かる。けれど、なければ楽かと言うと、家のパソコンには終わらない原稿がいくつもある。 「まず、今の客が宿を出るところまでは、書きます」 「今日ですか?」 「……起きて、間に合うところまで」 「今、自分で慎重になりましたね」  水野さんが笑い、俺も笑った。無理な約束を重ねたわけではない。それでも、どこを書きたいかは言えた。  先輩に呼ばれ、入口へ向かう。白い猫はいなくなったのに、その空いた場所へ一度だけ目が行った。鞄のノートは開かない。家で架空の宿の続きを書く時には、何かを手に入れた客が、それを持ったせいで両手を使えなくなる場面を考えてみようと思った。景品が猫である必要は、なさそうだった。

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