芦名 雅 / 第50話

第36話 騎士団長、ビニール傘を買う

 透明な傘を数えるのに、持ち手の曲がりを一本ずつ指で追った。六本。その隣には折り畳み傘が二本ある。午後十一時四十分のミッドマート北森店では、入口のガラスを細い雨筋が流れ続けていた。昼から降ったり止んだりしているせいで、売り場の傘がずいぶん減った。 「先輩、ビニールの方、六本です。追加の発注、これで足ります?」  端末を差し出すと、榊原先輩は数字と傘立てを見比べた。俺が入れた数を一つ確かめ、これでいいと返してくる。 「今夜も売れたら、残りは引き継いどけ」 「向こうも雨ですかね」 「零時になれば分かるだろ」  先輩は窓を見ず、納品伝票へ戻った。俺は入口マットのめくれを直し、濡れた傘を置く所と売り物の列を離した。透明なものをまとめて置くと、どれが新品なのか一見して分かりにくい。札を付け直して立ち上がると、自分の指にも水が付いていた。  零時になり、駐車場が森へ替わった。地面は黒く濡れ、葉を打つ音が、こちらより少し強い。最初の客が入った時には、ドアの向こうから冷たい雨の匂いも流れ込んできた。 「両方、雨でした」 「じゃあ、タオルも見える所へ出しとけ」 「今、そう思ってたところです」  先輩が小さく笑った。俺は入口近くの薄手のタオルを揃え、手を引いた。その直後、自動ドアが開き、濃紺の外套から大きな滴が落ちた。  銀色の胸当てに、使い込まれた長剣。短い焦げ茶色の髪を濡らした男が、マットの上で足を止めた。以前、魔族の客と鉢合わせし、店の中で剣へ手を掛けた騎士団長だった。灰色の目がレジから中央の棚へ動き、それからこちらへ戻ってくる。 「今夜は静かそうだな」 「いらっしゃいませ。今のところは」  何を確かめたのかまでは聞かなかった。男もその続きを言わず、外套の裾をまとめた。水を振り払うと売り場へ散ると思ったのか、マットの上で一度軽く押さえる。 「拭くものはあるか」 「すぐそこに、タオルがあります」  さっき直した列を示すと、騎士団長は一枚選んだ。濡れた手で包装を持つのを少しためらい、それでも自分のかごへ入れる。温かい無糖の缶コーヒーと塩むすび二個も選び、レジへ向かう途中、入口の透明な列で止まった。 「これは、棒に何を巻いている?」 「傘です。開くと雨を防げます」  細い一本が持ち上がった。持ち手を握ったまま、男は先端から骨の束へ目を動かす。まだボタンの説明をしていなかった。親指がそこへ乗ったので、俺が声を出しかけた時には、もう遅い。  ばさっ、と透明な傘が開いた。  端が棚へ触れる寸前、男もこちらも動きを止めた。俺は半歩離れ、まず通路に人がいないか確かめる。レジでは先輩が伝票を置いていた。 「そのまま、動かさないでください。こっちが閉じるところを示します」 「……勝手に広がったぞ」 「今のボタンで開くんです。すみません、先に言うべきでした」  男の指が持ち手を握り直した。剣の柄を確かめるような手つきだが、傘を振り回すことはしない。俺は軸を指し、留め具を外す所と、動かす部分を示した。 「ここへ指を挟まないように。手を添えていいですか」 「ああ」  向こうが構えている一本へだけ手を添え、ゆっくり閉じた。骨が畳まれ、棚との間が空く。男は最後まで手元を見ていて、俺が離すと自分で布の留め帯を巻いた。 「ここまで細く戻るのか」 「はい。次に開く時は、まず帯を外して、周りに人や物がない所でお願いします」 「分かった。これは、先に言われたかったな」 「今のは、本当にそうです」  素直に答えると、騎士団長は少しだけ眉を緩めた。後ろの先輩もレジへ戻る。危なかった菓子袋を俺が直している間、男は傘の透明な部分を指先で押した。 「薄い。枝に引っかければ破れそうだ」 「強い風や、引っかける使い方には向いてないです。開いて雨をよけるものなので」 「森でも使えるか」 「枝の狭い所だと、この幅が邪魔になると思います。道を知らないので、ずっと使えるとは言えません」  男は窓の向こうを見た。店の光が届く範囲には、枝の下に空いた地面がある。その先を歩けるかどうかは、俺より向こうの方が知っているはずだった。 「道へ出てからなら、広げられる。林を抜ける間は畳めばよいか」 「はい。持って歩くのは、この細い状態で」  俺がもう一度軸を示すと、男はバランスを確かめるように持ち替えた。細い先端が通路へ向きかけ、すぐ床へ下がる。 「盾にはならんな」 「ならないです」 「その返事は早い」 「そこ、期待されても困りますから」  男は小さく鼻を鳴らした。ふざけていたのか本気だったのか、俺にはまだ分からない。ただ、傘を戻す気はなく、持ち手をかごの外側へ掛けた。 「雨だけ防げればよい。今日は、これを試す」 「では、その一本ですね」 「それと、同じものを二本。部下の分だ」  使ってもいないうちに三本になった。顔を上げると、騎士団長は棚に残った五本を見ている。 「同じ仕組みなら、教えられる」 「開ける場所のことも、お願いします」 「今、覚えたところだ。忘れん」  苦い笑いが返り、俺も少し笑った。実演用に別の一本を開ける必要はない。未開封の二本を取ってレジへ運び、最初の一本と並べた。  タオル、コーヒー、塩むすび二個、それに傘三本。支払いをしてもらう間、傘は横へ寝かせず、先が客の脚へ向かないよう立てておいた。男が硬貨をしまうと、最初にタオルを使いたいと言う。 「袋、開けますか」 「自分でできる。……ここか?」 「そこです」  包装が開き、白い布が広がった。男は髪と首を押さえ、外套の表へ擦りつける前に、乾いた部分を畳んだ。使ったタオルは食べ物の袋とは分け、空いた包装へ一旦収める。俺が商品を渡すまでに、顔から落ちていた水は止まっていた。 「外で一本だけ、広げてみる」 「はい。入口の正面を避けてください。ほかの人が通るので」  残り二本と商品の袋を、カウンター脇へまとめて置いてもらった。先に一本だけ持って出ていく。俺は店の中から見送った。ドアが開き、男が脇へ寄ると、透明な傘が雨の中で広がった。  今度は誰も飛び退かなかった。騎士団長は傘を頭の上へ持ち上げ、少しずつ角度を変える。雨粒が表面へ散り、照明の反射が細かく揺れた。外套の肩へ直接落ちていた水が、傘の縁から地面へ流れていく。  数歩歩いて立ち止まり、男は頭を上げた。透明な向こうに枝が見えたらしい。顔の前へ傘を傾けた時には、雨で歪んだ灰色の目が、こちらからも見えた。  俺は追いかけずに袋を整えた。やがて騎士団長が入口へ戻り、外で傘を閉じてから中へ入ってくる。濡れた一本は売り場へ戻さず、マットの上で先端を下へ向けていた。 「見えるのだな」 「傘越しにですか」 「ああ。深く被っても、前が見えた。外套のフードだと、横を向く時に布をどける」  男は左手で外套の襟を引いて見せた。今夜困っていたことなのだろう。俺はその動作を見てから、傘の透明な面へ目を戻した。 「水滴で、少し見えにくくはなりますけどね」 「枝の位置は分かる。それは助かる」  試す前とは声が違った。薄さばかり見ていた指が、今度は開く部分を確かめる。俺が残り二本を渡そうとすると、その手が途中で止まった。 「片手が塞がるのは、惜しいな」 「外套と違って、持ってないといけないですから」 「これを持って、荷を持てば両手だ」  男は自分の剣へ手をやらず、買った物の方を見た。戦うための話だと決めつけかけた俺も、口を閉じた。缶コーヒーを手渡すつもりで残していたが、それでは余計に手が足りない。 「コーヒーも袋へ入れますね。塩むすびと一緒でよければ」 「頼む。そちらでよい」  タオルは包装ごと別にしてもらい、商品を一つの持ち手へまとめた。未使用の傘二本は留め帯を確かめ、左の腕に添えるよう持ってもらう。右手には開いて使う一本が残る。騎士団長は一度構えを変え、剣の柄へ傘の先が当たらない位置を探した。 「これなら持てる」 「足元、滑るのでお気をつけて」 「ああ。世話になった」  今度は外へ出る前に、自分で帯を外していた。開くのは人のいない場所へ移ってからだった。白い光を映した雨粒が大きな半円に並び、その下を濃紺の背中が進んでいく。木々の間へ入る手前で傘が低くなり、枝を避けたところまで見えた。  俺は売り場の傘を数え直した。六本から三本。先輩へ伝え、追加で売れた数と発注済みの数を別々に残す。どちらも同じ三という数字にしてしまえば、次に届いた時に分からなくなる。 「傘、ほんとに雨に使ってましたね」 「何に使うと思ったんだよ」 「いや、盾にはならないって聞かれたので」 「ならねえだろ」 「俺もそう答えました」  先輩は笑い、端末へ視線を戻した。俺は濡れたマットの端を拭いた。客が去っても、雨の方は止んでいなかった。 ◇  六時になると、森の代わりに濡れた駐車場が戻った。日本側にも雨が降っている。白線の上に小さな水たまりがあり、通り過ぎた車のタイヤが細い音を残した。  六時五十分、薄い色の傘を閉じながら水野さんが入ってきた。生成り色のトートバッグを内側へ抱え、湿気で跳ねた焦げ茶色の毛先を一度払う。挨拶を返すと、濡れた傘を客用の置き場へ入れてから、売り物の列を見た。 「また減りました?」 「夜に三本まとめて出ました。残りはメモに書いてます」 「分かりました。着替えてきますね」  戻ってきた彼女へ引き継ぎを終えると、傘のことがもう一度話題になった。三本も持って帰ったのかと驚かれ、俺は頼まれた分もあったそうです、とだけ答える。騎士団長も部下も、言う必要はない。 「透明な傘、描くのは難しいんですよね」  水野さんは窓に映る傘の線を見ていた。前に、誰かが使った跡のある場所を描くのが好きだと聞いた。今も、整った新品より、雨粒を落としている自分の傘へ目が向くらしかった。 「透明だから、何も描かなきゃいいわけじゃないんですね」 「それだと、なくなっちゃいます。骨だけ描くと、骨の道具みたいになるし」 「それは、ちょっと怖い」  笑うと、彼女も笑った。窓の反射を指でなぞるようにして、白く光った端を示す。俺もその先を見た。 「ここ、向こうの線が少しずれてますよね。水滴がある所だけ光ったり。それを描くと、何か一枚あるって分かるんです」 「雨が邪魔なのに、描く時はあった方がいいんだ」 「描く時はです。持ってくる時は、濡れたくないですよ」  トートバッグの端を見て、彼女は濡れていないのを確かめた。今夜、騎士団長も同じように、傘で守りたいものを見ていた。だからといって、その話を続けるわけにはいかない。俺は七時になった時計を見て、先に上がると伝えた。  着替えて戻ると、水野さんはもうレジにいた。小説は進んでいるかと聞かれ、少しずつ、と答える。いつもの返事になったが、彼女は催促せず、忘れ物はないですかと鞄を見た。 「今日は、あります。自分の傘」 「それ忘れたら、ここで一本買うことになりますよ」 「売上に貢献するところだった」  笑われながら、自分の傘を取りに戻った。外で広げると、雨粒が透明ではない布を叩く。向こうは見えない。それでも、傘の端から流れる水だけは見えた。俺は柄を持ち直し、鞄を濡らさない方へ身体を寄せて歩き始めた。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳