芦名 雅 / 第7話

第6話 女王陛下、プリンを買う

 六日目の午前一時。俺はデザート棚の前で、プリンの列を揃えていた。手前の商品を前へ。奥の商品も前へ。ラベルの向きを揃える。 「瀬尾」 「はい?」 「一個逆」 「細かいなあ」 「商品名見えねえだろ」 「先輩、意外とそういうの気にするんですね」 「仕事だからな」  振り返ると、榊原先輩はレジの中で頬杖をついていた。 「それ言いながら頬杖ついてる人、初めて見ました」 「客いねえし」 「じゃあ手伝ってくださいよ」 「そこ狭い」 「絶対入りたくないだけでしょ」  返事はない。俺は最後のプリンを正面へ向けた。透明なカップの中に、淡い黄色。底には焦げ茶色のカラメル。値段も、見た目も、コンビニでよく見る普通のプリンだ。昨日はカップ麺。一昨日はカット野菜。その前は炭酸水。最近は、売り場のどこを見ても「異世界の客がこれを買ったらどうなるんだろう」と考えてしまう。別に考えなくても、客が来れば分かるのだが。ウィーン。その時、自動ドアが開いた。 「いらっしゃいませ」  反射で声を出す。  入口の向こうに、鎧姿の男が二人立っていた。銀色の胸当てに濃紺の外套、腰には剣。四十代ほどに見える男と、それより若い男が左右へ身を引くと、その間から一人の女性が歩いてきた。  背筋がまっすぐで、歩幅は大きくないのに目を引く。三十歳前後だろうか。腰まである濃い藍色の髪を銀の留め具でまとめ、深紺の長衣に短い外套を羽織っている。袖口の銀糸も、額の飾り輪に留められた小さな青い石も、店の白い照明を受けて控えめに光った。 「陛下。せめて我々も中へ」  後ろの男が続こうとすると、女性は顔を店内へ向けたまま「いらぬ」と止めた。少し低い声は、距離があってもはっきり届いた。 「買い物くらい一人でできる。そこで待て」 「……はっ」  二人が足を止めた。細身だが華奢という印象ではないのは、彼女が振り返りもせずに返事を待っているからかもしれない。  自動ドアが閉まる。俺は固まった。今。なんて言った?陛下?俺はゆっくり先輩を見る。 「先輩」 「ん」 「今、陛下って」 「言ってたな」 「陛下ですよ?」 「聞こえてた」 「つまり」 「客だろ」 「そこじゃない!」  声が少し大きくなった。女性の青灰色の目がこちらへ向く。俺は慌てて背筋を伸ばした。 「い、いらっしゃいませ!」 「先ほども聞いた」 「すみません!」 「謝る必要はない」  女性はそれだけ言うと、店内を見回した。俺は小声で先輩に近づく。 「どうしたらいいんですか」 「何が」 「陛下ですよ」 「だから?」 「だからって……もっとこう、対応とか」 「普通に接客しろ」 「普通でいいんですか?」 「買い物に来たんだろ」  先輩は本当に興味がなさそうだった。こっちは、コンビニバイト六日目で女王らしき人物の接客をさせられている。研修項目にない。絶対にない。女性は中央の商品棚をゆっくり歩いた。菓子を見て。飲料を見て。弁当の棚で少し止まり。最後にデザート棚の前へ来た。俺が数分前に並べ直したばかりの場所だ。また止まった。エルフの時も野菜売り場で止まっていたな。異世界の客は、とりあえず棚の前で立ち尽くすものなのだろうか。いや、たぶん知らない商品が多いだけだ。女性の視線が、上から下へ動く。シュークリーム。ゼリー。ロールケーキ。  ヨーグルト。そして、プリン。目が止まった。俺は迷った。声をかけるべきか。陛下に。いや、客だ。先輩もそう言っていた。俺は一度息を吸って、近づいた。 「何かお探しですか?」 「探しているというほどではない」 「はい」 「これは何だ?」  細い指が、棚のプリンを指した。 「プリンです」 「ぷりん」 「甘いお菓子です。卵と牛乳と砂糖で作る……ものですね」 「曖昧だな」 「作ったことはないので」 「店員なのに?」 「コンビニで作ってるわけじゃないんで」  言ってから、相手が陛下だったことを思い出した。 「す、すみません」 「なぜ謝る」 「いや、なんとなく」  女性の口元がほんの少し動いた。笑ったのかもしれない。彼女はプリンを一つ手に取った。透明なカップを持ち上げ、横から眺める。 「黄色い」 「だいたい黄色いですね」 「下の黒いものは?」 「カラメルです」 「からめる」 「苦くて甘いソースみたいなものです」 「苦くて、甘い?」 「食べれば分かります」 「説明を諦めたな」 「味を言葉だけで説明するの難しいんですよ」 「それはそうか」  女性はプリンを棚へ戻さず、そのまま持っている。 「これ一つ?」 「はい」 「随分、小さいな」 「デザートなんで」 「これで菓子なのか」 「普通に売ってるお菓子ですよ」 「誰でも買える?」 「お金があれば」  女性がプリンを見た。 「誰でも」 「はい。子供でも学生でも、仕事帰りの人でも」 「王族でなくても?」 「むしろ王族が買う方が珍しいと思います」  しまった。また余計なことを言った。女性は数秒黙ったあと、小さく息を漏らした。今度は確実に笑った。 「正直だな、お前は」 「すみません」 「だから、なぜ謝る」 「癖になってきました」  俺はプリンの棚を指した。 「他にも種類ありますよ」 「違うのか?」 「こっちは固め。こっちは滑らか系。こっちはクリームが乗ってます。あと大きいやつ」 「同じぷりんではないのか」 「全部プリンです」 「同じなのに違う」 「そういうものです」  女性は真剣な顔で棚を見比べた。国の重要案件でも選んでいるみたいな表情だった。固め。滑らか。クリーム。大容量。数十秒悩んだ末、最初に手に取った一番普通のプリンへ戻る。 「これにする」 「普通のでいいんですか?」 「最初に食べるなら、普通のものがよい」 「なるほど」  妙に納得した。 「お会計はこちらです」  俺はプリンをレジへ通した。ピッ。店内に、いつもの電子音が響く。陛下だろうが何だろうが、バーコードの音は同じだった。 「お支払いは精算機へお願いします」 「これだな」 「はい」  女性は腰元の小さな革袋を開いた。出てきたのは金色の硬貨だった。これまで見た異世界の硬貨より薄く、縁に細かな刻みが入っている。片面には、羽を広げた鳥のような紋章。女性がそれを一枚、精算機へ入れる。ちゃりん。機械は普通に受け入れた。画面の数字が変わる。お釣りも勝手に処理される。女性は受け皿へ出た硬貨を確認し、革袋へ戻した。 「便利だな」 「俺もそう思います」 「お前が作ったのではないのだろう」 「もちろんです」 「なら、胸を張るな」 「ちょっとくらいいいじゃないですか」  また口元が緩む。 「袋、使いますか?」 「いや。これだけならよい」 「スプーンは?」 「すぷーん」 「あ、食べる道具です」  俺は小さなプラスチックのスプーンを見せた。 「これで掬って食べます」 「木ではない」 「プラスチックです」 「……また知らないものが出てきた」 「今日はプリンだけ覚えて帰りましょう」 「そうする」  俺はスプーンを渡した。女性はプリンとスプーンを片手に持ち、入口へ向かう。自動ドアが開いた。外で待っていた二人の護衛が、すぐに姿勢を正した。 「陛下」 「戻るぞ」 「はっ」  女性はそのまま暗い森へ歩き出す。ドアが閉まった。俺は大きく息を吐いた。 「……緊張した」 「何が」 「先輩、本当に何も思わないんですか」 「プリン一個買った客だろ」 「女王ですよ、たぶん」 口にしてから、俺はさっきの護衛と銀の飾り輪を思い出した。断定する勇気はないが、少なくとも普通の客だったと言い切る方が無理がある。 「だからプリン食わないのか?」 「そういう話じゃないでしょ」  先輩は肩をすくめた。 「ちゃんと会計したならいいだろ」 「コンビニ強いな……」  王族でも会計は半セルフ。陛下でもスプーンは一個。妙なところで平等だった。俺はレジ周りを片付け始めた。その時、ウィーン。自動ドアが開いた。 「いらっしゃいませ」  声を出して、顔を上げる。さっきの女性が戻ってきた。俺は一瞬、何か失礼をしたのかと思った。 「ど、どうしました?」 「同じものを二つ」 「え?」 「先ほどのぷりんだ」 女性は空の容器を少し持ち上げた。何を指しているかは、それだけで十分伝わる。 「……二つ?」 「二つだ」  女性の手には、さっきの空になったプリン容器があった。スプーンもきれいに使われている。外の護衛二人は、なぜか少し遠い目をしていた。 「もう食べたんですか?」 「何か問題が?」 「いえ。早いなと思って」 「小さいと言っただろう」 「確かに」  女性はまっすぐデザート棚へ向かった。迷わない。さっきあれだけ真剣に見比べていたのに、今度は同じプリンを二つ取る。 「お気に召しました?」  聞いてから、少し馴れ馴れしかったかと思った。女性は商品を見たまま答える。 「悪くない」 「それ、気に入った人の言い方ですよね」 「悪くないと言っている」 「二個追加してますよ」  青灰色の目が俺を見る。 「一つは持ち帰る」 「もう一つは?」 「……予備だ」 「予備のプリン」 「何かおかしいか?」 「いえ」  笑いそうになった。必死で堪える。レジから先輩の声が飛んだ。 「瀬尾」 「はい」 「笑うなよ」 「笑ってないです!」 「顔」 「先輩こそちょっと笑ってるでしょ!」 「笑ってない」  女性は俺たちを交互に見た。 「お前たちは、いつもこうなのか」 「だいたいこんな感じです」 「そうか」  呆れるかと思った。でも女性は、少しだけ楽しそうだった。二度目の会計。プリン二つ。ピッ。ピッ。金色の硬貨。ちゃりん。袋はいらない。今度はスプーンを二つ付ける。 「一つでよい」 「二個ありますけど」 「持ち帰る方は後で使う」 「じゃあ一個で」 「うむ」  俺はスプーンを一つだけ渡した。女性は二つのプリンを持ち、今度こそ入口へ向かう。自動ドアの前で、ふと足を止めた。 「これは、明日もあるか?」 「売り切れなければ」 「売り切れるのか」 「商品なんで。売れればなくなります」 「取り置きは?」  俺は先輩を見る。先輩は即答した。 「してない」 「先輩!」 「してねえだろ」 「そうですけど、相手」 「客」  またそれだ。女性は先輩を見た。怒るかと思った。けれど。 「そうか」  それだけだった。むしろ、少し満足そうにも見えた。 「ならば、なくなる前に来ればよい」 「そうしてください」 「次は別のぷりんも試す」 「滑らかなやつ、おすすめですよ」 「覚えておこう」  自動ドアが開く。 「ありがとうございました」  今度は、俺も普通に言えた。女性は振り返らず、片手を軽く上げた。外で待つ護衛の一人が、こちらへ深く頭を下げる。三人の姿が森の暗闇へ消えていった。自動ドアが閉まる。 「……女王が、夜中にコンビニへ来て、プリン三個買って帰った」  俺は閉じたドアを見つめたまま呟いた。さっきまで身構えていた場所に、もう誰もいない。 「売れたな」 「感想、それだけですか」 「他に何がある」  先輩が顎でデザート棚を示す。そこだけ三つ分、きれいに隙間が空いている。 「前出し」 「はいはい」  俺は棚へ向かい、一番普通のプリンを奥から三つ前へ出した。さっきの客は、なくなる前に来ればいいと言っていた。取り置きの断りに慌てたのは俺だけで、本人は次の味まで選んで帰ったのだ。つい見上げてしまう気分を落ち着かせて、隣の滑らかなプリンも商品名が見えるように揃えた。 「瀬尾」 「はい?」 「発注」 「プリンも増やします?」 「三個売れたからな」 「ですよね」  女王陛下が気に入ったとしても。結局、俺たちがすることはいつもと同じだった。

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