芦名 雅 / 第8話

第7話 勇者パーティーの夜食

 七日目の午前零時半。俺はレジ横で、売れたホットスナックの数を確認していた。 「チキン、残り六。コロッケ四。フランク三……」 「チキン追加しとけ」  フライヤーの前にいた榊原先輩が言う。 「またですか?」 「減ってるだろ」 「最近、俺たち完全に異世界需要に発注合わせてますよね」 「売れんなら合わせるだろ」 「配送の人、山奥の店でなんでこんなに揚げ物売れるのか不思議に思ってそう」 「仕事増えて喜んでんじゃねえの」 「そんな前向きかなあ」  俺は冷凍庫から追加分を出した。七日目。この店で働き始めて、一週間になる。最初の夜はリザードマンを見て叫んだ。次の日は、どうして異世界の金が使えるのかと悩んだ。姿の見えない精霊にぶつかり。エルフに千切りキャベツを説明し。ドワーフと三分を数え。昨日は女王陛下にプリンを三個売った。一週間で経験する内容ではない。それでも今の俺が気にしているのは、チキンの残りが六個しかないことだった。慣れって怖い。油の中へ新しいチキンを入れる。じゅわっと大きな音がして、香ばしい匂いが広がった。 「先輩」 「ん」 「俺、このまま一年くらい働いたら何見ても驚かなくなりそうです」 「楽でいいな」 「止めてくださいよ。人として大事なもの失いそう」 「客見て叫ぶ店員よりマシだろ」 「それはそうですけど」  タイマーを押した、その時だった。ウィーン。自動ドアが開く。 「いらっしゃいませ」 今度はちゃんと、客を見る前に言えた。入口へ視線を移す余裕まで残っている。  入ってきたのは、土埃をまとった四人だった。先頭の男は二十代前半くらいで、銀色の軽鎧から出た肩つきはしっかりしている。短い焦げ茶色の髪と青灰色の目、腰には使い込まれた柄の剣。店へ入るなり入口と後ろの仲間を確かめるところに、妙な落ち着きがあった。 「勇者、かごを二つ取って」  後ろから呼んだのは、灰色のローブに濃紺のマントを重ねた小柄な女だった。二十歳前後に見える赤茶色の短髪と、丸い琥珀色の目。背丈ほどの黒い杖を持ち、その先の暗赤色の石を棚へぶつけないよう傾けながら、もう食べ物を探している。 「二つもいるか?」 「明日の分まで買うんでしょ?」 「そうだった」  男がかごを取る間、金髪を首の後ろで束ねた男が隣へ並んだ。二十代半ばほどで、白い上着と薄い革鎧を着け、首元には銀の小さな飾りがある。柔らかい顔で仲間を待つ姿だけなら、一番普通の客に近かった。  最後尾の弓を背負った女は、まだ入口に近い位置を歩いていた。日に焼けた肌に顎までの黒髪、深緑の短い外套と茶色の革装備。俺と同じくらいの年頃に見えるが、周囲を確かめる足取りには迷いがない。  俺の動きが止まった。勇者。今、確かにそう言った。俺はフライヤーの前から、ゆっくり先輩を見る。先輩も俺を見る。 「先輩」 「ん」 「勇者って」 「言ってたな」 「勇者ですよ?」 「チキン焦げるぞ」 「あっ!」  慌ててフライヤーへ戻る。そこだった。今は勇者よりチキンだ。タイマーはまだ余裕がある。 「……焦げてないじゃないですか」 「よかったな」 「絶対わざと話切ったでしょ」 「仕事しろ」  四人はそんな俺たちを気にせず、買い物かごを二つ持って店内へ進んでいった。昨日は女王。今日は勇者。この店、来客の振れ幅がおかしい。勇者パーティーは、まず弁当棚の前で止まった。 「これ、全部食べ物か?」 杖の女が言う。もう視線は弁当棚の写真へ移っていた。 「多分な」 勇者が答える。分からなければ聞くこと自体には迷いがないらしい。 「多分で選ぶの?」 「店員に聞けばいい」  四人の視線が一斉にこっちを向いた。俺は先輩を見る。先輩はレジを見る。誰もいない。 「……俺ですよね」 「店員だろ」 「先輩も店員でしょうが」 「フライ見てる」 「今俺が揚げてますよ!」  先輩は俺からトングを受け取ると、タイマーを確かめた。 「こっちは俺が見とく。行ってこい」  それなら最初からそう言ってほしい。俺は手を拭き、四人の待つ売り場へ向かった。 「何かお探しですか?」 「食料だ」  勇者が答えた。 「今夜食べる分と、明日から持っていく分を」 「何日くらいです?」 「三日ほど」 「三日」  俺は弁当棚を見る。四人も見る。 「この辺のお弁当とかおにぎりは、今夜とか明日の朝に食べるならいいですけど、三日持ち歩く用には向いてないですよ」 「そうなのか?」 「冷やして置いてる商品なんで」 勇者が冷蔵ケースへ手を近づける。ガラス越しの冷気を確かめ、俺の説明を自分でも確かめている。 「確かに冷たい」 「外へ持っていったらずっと冷やせないですよね」 「ああ」 「じゃあ、持ち歩く分は別のものにした方がいいです」  赤毛の女が首を傾げる。 「さっきのドワーフが持ってた、湯を入れる食べ物は?」 「カップ麺ですか?」 「たぶんそれ」 「お湯作れるなら食べられますけど、容器かさばりますよ」 「かさばる」 「荷物になります」 「却下」 弓の女が即答した。荷物になると分かった瞬間、候補から外したらしい。 「早いな」 「持つの私になるでしょう」 「否定できない」  勇者が目を逸らした。俺は少し笑いそうになった。勇者パーティーでも荷物担当は大変らしい。 「持ち歩きなら、パンとか、こっちの乾いた食べ物とか」  俺は常温棚へ案内した。個包装のパン。ビスケット、ナッツ、チョコレート。小袋のドライフルーツ。ジャーキー。 「この辺ですね」 四人が棚の前へ並ぶ。誰からともなく、持ち歩けそうな袋の大きさを見比べ始めた。 「肉」  弓の女がジャーキーを取った。 「早い」 弓の女はもう次の棚へ視線を移していた。荷物に向かないと分かった物へ、時間を使う気はないらしい。 「肉は裏切らない」 「三袋」 「多くない?」 「四人だ」 「なら四袋」 「増えた」  勇者が止める気配はない。赤毛の女はチョコレートを持ち上げていた。 「これは?」 「甘いお菓子です」 「溶ける?」 「暑いと」 「今の季節なら大丈夫かな……でも身体に近いところにずっと入れとくと柔らかくなるかも」 「じゃあ上の方に入れる」 「買うんだ」 「甘いものは必要」  真顔だった。金髪の男はナッツの袋を手に取る。 「これはそのまま食べられる?」 「はい」 「火はいらない?」 「いりません」 「軽い」 「保存食向きだと思います」 「これにしよう」  一人ずつ、勝手にかごへ入れていく。 「待て」 勇者が言った。かごへ伸ばしかけた手を止め、今夜食べる分の棚へ視線を戻す。 「今夜の飯がまだだ」 「あ」 全員の手が止まった。かごへ入れかけていた袋まで途中で止まる。 「忘れてたんですか」 「明日のこと考えてた」 「遠足前の買い出しみたいだな……」 「えんそく?」 「何でもないです」 説明すると長い。今必要なのは包装の仕組みより、どう開ければ食べられるかだ。 「今夜ならおにぎりとかどうです?」 「おにぎり」 「米です」 「米なら分かる」 勇者の反応が早かった。酸っぱいと聞いただけで、選択肢から外す顔をしている。 「中に具が入ってます」 「具?」 「魚とか、肉とか、梅とか」 「梅」 「酸っぱい実です」 「それはいらない」 「まだ食べてもないのに!」  赤毛の女が笑った。 「勇者、酸っぱいの嫌いだから」 「嫌いではない」 「嫌いでしょ」 「得意ではないだけだ」  知らなくていい勇者情報を知ってしまった。俺は棚から一つ取る。 「じゃあ、これは鮭です」 「魚か」 「こっちはツナマヨ」 「つなまよ」 「魚と……ソースみたいなものです」 「説明が急に雑だな」 「全部ちゃんと説明すると買い物終わらないですよ」 「それもそうか」  勇者は鮭。赤毛の女はツナマヨ。金髪の男は昆布。弓の女は焼肉系。きれいに分かれた。 「開け方だけ気をつけてください」 「開け方?」 「その海苔が別になってるタイプ、順番あるんで」 俺は包装の数字を指した。文字は読めなくても、どこを見ればいいかだけなら示せる。 「ここ一番引いて、次に横を二つ抜きます」 「字が読めない」 「ですよね」 まただ。会話は通じても、包装の文字だけは別に説明しなければならない。 「じゃあ一個、俺が開け方見せます」 俺は自分用に買うつもりだった同じタイプのおにぎりを一つレジへ持っていき、先に会計を済ませた。説明用でも、店の商品を勝手に開けるわけにはいかない。 「店員も食うのか」 「休憩で」  包装の中央を縦に引く。次に左右を抜く。ぱりっと海苔が巻かれる。 「こうです」 四人が妙に真剣に見ている。剣の扱いでも教えるみたいに、包装の端へ視線が集まった。 「もう一度」 「え?」 「速かった」  赤毛の女が言う。 「動画じゃないんですから巻き戻せませんよ」 「どうが?」 「何でもないです!」 俺は四人が今食べる分の会計を先に済ませ、給湯器脇で一つずつ包装の扱いを示すことになった。四人分の視線が集まると、おにぎり一個の開け方まで実演みたいになる。 「まず真ん中」 「これか」 「それです」 「次は?」 「右」 「破れた!」 「勢いよすぎです!」 「海苔が落ちた」 「落ちたのはそのままで。俺が片付けますから」  勇者パーティーの夜食は、包装を開け始めて五分で、冒険より難しそうなことになっていた。俺は海苔を片付け、まだ包みを開けていない一人には、急がず横のフィルムを抜くように伝えた。 なんとか全員がおにぎりを食べ終えた。床に落ちた海苔を片づける俺の横で、四人は次に選ぶ具を相談している。 「うまい」  勇者が素直に言った。 「米が冷たいのに悪くない」  金髪の男も頷く。 「海苔がぱりぱりしている理由も分かった」  赤毛の女は二個目を選びに行った。 「気に入ってるじゃないですか」 「明日の朝にも一個」 「それなら早めに食べてくださいね」 「分かった」  弓の女は黙って焼肉系のおにぎりをもう一つ取っていた。 「肉は裏切らない」 「それ今日二回目ですよ」  今夜食べる分が決まると、次は本格的に遠征用の買い出しになった。水、スポーツ飲料、パン、ビスケット、ナッツ、ジャーキー、チョコレート、飴。ウェットティッシュ。絆創膏。 「これも持っていけ」  先輩が突然、レジの中から言った。四人が振り返る。先輩が指したのは、日用品棚のロープだった。 「ロープ?」 勇者が聞く。食べ終わったあとの顔は、さっきより買い物に慣れていた。 「明日、崩れた橋んとこ通るって言ってただろ」 「ああ」 買い物中の会話を聞いていたらしい。先輩はレジから出ず、四人の荷物の分け方だけを見ている。 「一本しか持ってねえなら予備あった方がいい」  弓の女が勇者を見る。 「私もそう言った」 「今言う?」 「昨日言った」 「……買おう」  ロープがかごへ入った。先輩が今度は飲料のかごを見る。 「水、それだけ?」 「一人一本だ」 「防具着て三日歩くなら足りねえだろ」 「途中で補給する予定だが」 「予定が外れたら?」 勇者が黙る。自分のかごに入った水と、仲間の荷物を見比べた。 「もう四本追加」  弓の女が言った。 「重くなるぞ」 「死ぬよりいい」 「正しい」  追加の水がかごへ入る。赤毛の女が杖を肩へ乗せながら言った。 「でも水、誰が持つの?」 三人の視線が弓の女へ向く。言われた本人は気にせず、自分の荷物の口を開いた。 「こっちを見るな」 「ですよね」  俺は思わず同意した。先輩がもう一度口を開く。 「回復できるやつに重い荷物寄せんなよ」 「え?」 金髪の男が顔を上げる。自分の荷袋を一度触ってから、仲間の方へ向き直った。 「そいつ、治す側だろ」  銀色の首飾りを顎で示す。 「そうだが」 「誰か怪我した時、荷物で動けなかったら意味ねえだろ」  金髪の男が自分のかごを見る。一番重い。 「あ」 「勇者」 弓の女が低い声で呼ぶ。勇者が水を抱え込む前に止めるつもりらしい。 「……俺が持つ」 「当然」 水の半分が勇者側へ移された。誰かが命令したわけでもなく、持てる者へ重さが寄っていく。 「先輩」  俺はレジへ戻りながら小声で呼んだ。 「ん」 「……いや、何でもないです」 「そうか」  先輩は伝票へ視線を戻した。俺もそれ以上言わなかった。 「すごい量ですね」  二つだった買い物かごは、途中から三つに増えていた。  俺は、先に会計した今夜の分を除き、持ち帰る商品を一つずつレジへ通していく。  ピッ。ピッ。ピッ。おにぎり、パン、ジャーキー、ナッツ、チョコレート、水、スポーツ飲料。ウェットティッシュ。絆創膏。ロープ。 「これ、本当にコンビニの買い物ですかね」 「こんびに、という店なのだろう?」  金髪の男が言う。 「そうなんですけど、勇者パーティーの遠征準備をコンビニで全部やるとは思ってなかったです」 「便利だからな」  勇者は当たり前のように答えた。 「夜でも開いているし、食料も水もある。傷に使うものまで揃うなら十分だ」  勇者は追加した水の袋を、自分の足元へ寄せた。金髪の男がその分だけ軽くなった荷物を持ち直すのを見て、俺はレジへ顔を戻した。 「じゃあ、帰りにも困らないくらいの品揃えで待ってます」 「それは助かる」 「お支払いはこちらです」  精算機を示す。勇者が革袋を開いた。銀色と銅色の硬貨が何枚も入っている。 「まとめて入れて大丈夫です」 「数えなくてよいのか?」 「機械がやります」 「楽だな」 「俺もそう思います」  何度目だろう、この会話。勇者が硬貨を入れていく。ちゃりん。ちゃりん。ちゃりん。金額が満たされ、会計が完了する。俺は商品を袋へ分けた。 「こっち、今夜と明日の朝に食べる分」  おにぎりとパン。 「こっちは持ち歩きやすい食料」  ジャーキー、ナッツ、チョコレート、菓子。 「飲み物は重いんで二袋に分けます」 「助かる」 「日用品はこれ」  ウェットティッシュ、絆創膏、ロープ。弓の女が袋を持ち上げる。 「分けても重い」 「そりゃ水ありますから」 「勇者」 「分かってる」  勇者が水の袋を受け取った。赤毛の女は軽い菓子の袋を持つ。 「私これ」 「一番軽いやつ選んだな」 「杖が重いから」 「本当か?」 「本当」 「目を見ろ」 「嫌」 勇者パーティーというより、普通の仲のいい四人に見えてきた。役割は違っても、買い物の時まで肩書どおりに動くわけではないらしい。 「ありがとうございました」  俺が言う。四人が入口へ向かう。そこで勇者が振り返った。 「店員」 「はい?」 「助かった」 「いえ」 「夜のうちにこれだけ揃うとは思わなかった」 「コンビニですから」  言ってから、少しだけ胸を張る。先輩が横から言った。 「お前が作った店じゃねえだろ」 「昨日の女王にも同じようなこと言われましたよ!」 「じゃあ学べ」 「そこは俺も店員として誇っていいじゃないですか」  勇者が笑った。 「また帰りに寄る」 「お待ちしてます」  自動ドアが開く。四人が、袋を抱えて暗い森へ出ていく。最後尾の弓の女が一度だけ振り返った。 「次は肉を増やしておいてくれ」 「ジャーキーですか?」 「それも。温かい方も」 「チキンですね」 「覚えているならよい」 「常連になる気だ」  ドアが閉まった。店内が静かになる。俺はレジ横に残った長いレシートを見た。 「勇者パーティーって、もっとこう……」 「ん?」 「神殿で武器もらったり、王様から物資渡されたりするもんじゃないんですか」 「知らん」 「夜中にコンビニでおにぎり買って、絆創膏とロープ足して出発します?」 「したんだろ」 「しましたね」  先輩がレシートを見た。 「水売れたな」 「そこ?」 「補充」 「はいはい」  俺は飲料ケースへ向かう。水を奥から前へ。スポーツ飲料も前へ。  棚にはもう四人はいない。ただ、水の列に空きができている。俺は補充用のボトルを引き寄せ、重い袋を受け取った勇者の手を思い出した。あの四人の帰り道のことまでは分からないが、買い足してよかったと思える三日間ならいい。 「瀬尾、次のチキン出して」  先輩が呼んだ。最初に揚げていた分は、客を案内している間にケースへ移されていた。俺は空いたバスケットを受け取り、冷凍庫へ向かった。

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