RenHazumi / 第14話

第14話「二人の女性、二つの距離」

第14話「二人の女性、二つの距離」 --- 金曜、7時00分 赤坂レジデンス――1203号室(港区) 蓮は、少しだけ違う感覚を抱えたまま目を覚ました。 夢のせいではない。 声のせいでもない。 ただ、まだ頭の中に引っかかっているものがあった。 まだ終わっていない何か。 蓮はベッドの端に腰を下ろした。 スマートフォンを手に取る。 システム画面が開いた。 《絶対資産支配システム》 黒瀬 蓮 年齢:21歳 《現在の総資産:184億円》 《物質欲求:2%》 《無欲倍率:×60》 保有スキル: ・《資産分析 EX》――資産分析  ランク:EX ・《企業管理》――企業管理  ランク:C ・《交渉術》――交渉術  ランク:A ・《空間管理》――空間管理  ランク:C ・《組織管理》――組織管理  ランク:B 保有企業: ・黒瀬ホールディングス株式会社  └ ヤマト物流株式会社――87名  └ 三井マリンフーズ株式会社――120名 新規連絡先: ・如月 美雪――Kokusai Security Services ・高峰 静香――東京都市交通局 ・西園寺 麗華――Saionji Capital Partners 蓮は、その一覧を数秒間見つめた。 …… 三人。 まったく違う三つの世界。 美雪は警備の世界。 静香は交通分野のコンプライアンス。 麗華は投資の世界。 そして、なぜかその三人が、少しずつ蓮の生活と交差し始めている。 蓮は画面を閉じた。 立ち上がる。 キッチンへ向かい、電気ケトルのスイッチを入れた。 湯が沸くのを待ちながら、ノートパソコンを開く。 新しいメールが一通届いていた。 差出人:高橋 健司 件名:週間報告 «黒瀬様。 今週の進捗について、以下の通りご報告いたします。 ・ヤマト物流の債務再編は予定通り進行しております。 ・三井マリンフーズは改善の兆しを見せています。今月の売上は8%増加しました。 ・Saionji Capital Partnersより、協業提案が届いております。資料を添付しております。 今後、提案内容について詳しくご検討される場合は、ご指示ください。 高橋 健司» 蓮は最後まで報告を読んだ。 …… 西園寺の話は、まだ続いている。 すぐには添付ファイルを開かなかった。 そのとき、ケトルが鳴った。 蓮は白い、少しひびの入ったマグカップに湯を注ぐ。 インスタントコーヒー。 素朴な香り。 一口飲む。 苦い。 熱い。 いつも通り。 蓮はマグカップを見つめた。 「……少なくとも、これはまだ変わってないな」 --- 8時30分 赤坂レジデンス――地下駐車場 B2~B3 蓮は駐車場へ向かった。 エレベーターが地下二階で止まる。 扉が開いた。 自分専用の駐車スペースには、二台の車が並んでいた。 MANSORY P9LM EVO 900。 黒。 ワイド。 攻撃的。 その隣には―― Ghost Series II by MANSORY。 黒。 エレガント。 P9LMよりも落ち着いている。 それでも、普通の車とは思えないほどの雰囲気を放っている。 蓮は立ち止まった。 二台を見比べる。 …… P9LMは、もう何度か使ってる。 視線をGhostへ移す。 Ghostは、まだ使ってない。 その車は、初めて存在を知ってからずっとB2-48番スロットに置かれたままだ。 蓮は近づいた。 横からボディを眺める。 埃はない。 使用した跡もない。 まるで保管場所から出されたばかりのような状態だった。 蓮は小さく息を吐く。 「悪い」 なぜそう言う必要があるのか、自分でも分からない。 ただ、今のところ使う理由がないのも事実だった。 今日は大学へ行く。 それならP9LMのほうが合理的だ。 蓮は時計を見る。 8時30分。 「……今じゃない」 そしてP9LMへ向かった。 だが、乗り込む前に、もう一度だけGhostを振り返る。 …… また今度。 約束ではない。 ただの可能性だ。 蓮はP9LMのドアを開ける。 乗り込む。 スタートボタンを押した。 VROOOOM―― エンジンが目を覚ます。 蓮はゆっくりとスロットから車を出した。 そのまま地下二階の出口へ向かう。 --- 9時00分 大学――経済学部棟・3階 蓮は時間通りに教室へ入った。 後方の席を選ぶ。 隣には、すでに田中 浩平が座っていた。 「おはよう」 「おはよう」 浩平は数秒、蓮を見た。 「お前、疲れてね?」 「いつも通り」 「昨日、何してたんだ?」 蓮は教科書を開く。 「ビジネスディナー」 浩平の動きが止まった。 「……お前が?」 蓮は浩平を見る。 「ああ」 「いつからお前がビジネスディナーなんか行くようになったんだよ?」 蓮はすぐには答えなかった。 講義のページを開く。 「会社を持ってから」 浩平は黙った。 「……まだ、お前のその答えに慣れねえわ」 それ以上会話が続く前に、教授が入ってきた。 「おはようございます」 学生たちはそれぞれの席へ戻る。 蓮は黒板へ意識を向けた。 しかし、最初の数分間。 昨夜、システムに表示された名前が再び頭に浮かんでいた。 西園寺 麗華。 そして、もう二つの名前。 美雪。 静香。 蓮は小さく首を振った。 …… まずは講義だ。 --- 12時15分 大学・食堂 蓮はいつもの隅の席に座った。 注文したのは親子丼。 450円。 丼が目の前に置かれる。 蓮は食べ始めた。 別のテーブルでは、数人の学生が話している。 「なあ、聞いたか?」 「何を?」 「なんか、急成長してる物流会社があるらしいぞ」 「どこ?」 「ヤマト物流。新宿のところ」 「あそこ、この前まで危なかったんじゃね?」 「それは新しいオーナーが入る前だって」 「オーナー、若いらしいぞ」 「二十代前半だって」 「金持ちの息子か?」 蓮の箸が一瞬止まった。 …… 惜しい。 そのまま食事を続ける。 背後では会話が続いていた。 「もし俺が21歳で自分の会社持ってたら……」 「絶対すぐ車買うだろ」 「当然」 蓮は水を一口飲む。 …… やっぱり、世間からはそう見えるのか。 親子丼を食べ終える。 そして立ち上がった。 食堂を後にする。 --- 14時00分 大学――図書館 蓮は図書館の隅に座っていた。 目の前には経営戦略の本が開かれている。 課題があるわけではない。 試験があるわけでもない。 ただ、今まで考えたことのなかったことを理解したかった。 組織は規模が大きくなったとき、どうやって維持されるのか。 小さな判断が、どうやって多くの人間に影響するのか。 経営者一人ですべてを管理できなくなったとき、企業の構造はどう変わるのか。 ページをめくる。 一枚。 また一枚。 時間は早く過ぎていった。 蓮がページをめくったとき、スマートフォンが震えた。 メッセージが一件届いている。 差出人:如月 美雪 «黒瀬様。 お会いしたいです。 お伝えしたいことがいくつかあります。 大学の近くのカフェにいます。 いつもの場所です。» 蓮はメッセージを見つめた。 …… 美雪。 つまり、調査はまだ終わっていない。 蓮は本を閉じる。 バッグに入れる。 そして立ち上がった。 --- 14時30分 大学近くのカフェ 店内は比較的空いていた。 窓際には何人かの客が座っている。 カウンターの奥からコーヒーマシンの音が聞こえる。 蓮はブラックコーヒーを注文した。 そして、隅の席に座る美雪を見つけた。 黒いスーツ。 真っ直ぐに伸びた青みがかった黒髪。 青灰色の瞳。 蓮が近づくと、美雪が顔を上げた。 「黒瀬様」 短く頭を下げる。 「如月さん」 蓮は席に座った。 美雪はすぐに話を切り出した。 「追加で調査を行いました」 蓮はコーヒーカップを手に取る。 「何について?」 「高橋 健司についてです」 美雪が薄いファイルを開く。 「黒瀬アセットマネジメント」 一枚の書類を取り出す。 「そして、そのすべての関係について」 蓮は書類に目を通す。 美雪が続けた。 「高橋さんについて、分かったことがあります」 蓮は顔を上げる。 「何?」 「高橋 健司は以前、Hoshino Capitalという投資会社で働いていました」 蓮はその名前を思い出した。 「Hoshino Capital?」 「はい」 美雪は書類を蓮のほうへ滑らせた。 「その会社は、およそ十年前に倒産しています」 蓮は数行を読む。 「経営危機?」 「経営判断の失敗と、投資判断の誤りです」 美雪は一度言葉を止める。 「多くの従業員が職を失いました」 蓮は書類を閉じた。 「高橋は?」 「最後まで残った一人です」 美雪は蓮を見る。 「会社が倒産した後、別の会社へ移りました。その後、昨年退職しています」 蓮は椅子に身体を預けた。 「それで今は、俺のところで働いている」 「はい」 数秒の沈黙。 美雪は蓮を見つめた。 「そこが、私の疑問です」 「何?」 「約三十年の経験を持つ人物が、なぜ21歳の大学生の下で働くことを選んだのか」 蓮は答えなかった。 初めて、その疑問が以前より重く感じられた。 …… なぜ高橋は、俺を選んだ? これまでは、突然現れた企業。 システム。 報酬。 そして、それ以外の様々なことに追われていた。 そのすべての過程に関わっている人間について、本気で考えたことはなかった。 蓮は息を吐いた。 「俺にも分からない」 美雪は頷いた。 「分かっています」 蓮は彼女を見る。 「でも、私はこれからも調べます」 美雪の声は相変わらず淡々としていた。 「答えが見つかるまで」 蓮は彼女を見つめた。 そして、ほんの少しだけ笑う。 「粘るな」 美雪が眉を上げる。 「私は仕事と呼んでいます」 「名前が何であれ、粘り強いだろ」 美雪は反論しなかった。 ファイルを閉じる。 「もう一つあります」 「西園寺?」 美雪は少しだけ黙った。 「……もうご存じでしたか?」 「高橋から提案書が来た」 「Saionji Capital Partners」 蓮は頷いた。 美雪はしばらく蓮を見つめる。 「検討されるおつもりですか?」 「まだ」 「それなら、よかったです」 美雪の声が、すぐに真剣なものへ変わった。 「西園寺家は、準備なしに相手をするべき相手ではありません」 蓮はカップを置いた。 「知ってるのか?」 「以前、彼らのために仕事をしたことがあります」 蓮は美雪を見る。 「警備で?」 「はい。一度だけの任務でした」 美雪は身体を椅子に預ける。 「彼らはプロです。非常によく組織されています」 そこで一度、言葉を切る。 「そして、自分たちが望むものを手に入れることに慣れています」 蓮は麗華の顔を思い出した。 穏やか。 優雅。 読みにくい。 「相手が断った場合も?」 美雪は蓮を見る。 「むしろ、そこを注意してください」 蓮は黙った。 そして、小さく頷く。 「役に立つ情報だ」 美雪の表情が少しだけ柔らかくなる。 「ただ、気をつけてほしいだけです」 蓮は彼女を見る。 「仕事だから?」 美雪が瞬きをする。 蓮は財布を取り出した。 「それとも、本当に心配してる?」 美雪が固まった。 「……何ですか?」 蓮は立ち上がる。 「もういい」 「黒瀬様」 蓮が振り返る。 美雪はまだ蓮を見つめていた。 「人を、簡単に信用しないでください」 蓮は財布をポケットに入れる。 「分かってる」 「私も含めて」 蓮は一瞬黙った。 そして答える。 「まったく信用してなかったら、ここに座ってない」 美雪はすぐには答えなかった。 蓮はドアへ向かう。 出る直前、足を止めた。 「如月さん」 「はい?」 「教えてくれて、ありがとう」 そう言って、蓮は店を出た。 美雪はその場に残った。 目の前のコーヒーは、少しずつ冷めていく。 彼女は蓮が出ていったドアを見つめる。 …… それとも、本当に心配してる? 美雪は眉を寄せた。 「どうして、あんなことを聞くんですか……」 椅子に身体を預ける。 …… 腹立たしい。 それでも、口元がほんの少しだけ動いた。 --- 16時00分 大学――B1駐車場 蓮は駐車場へ向かって歩いていた。 しかしB1へ着いた瞬間―― 自分の車の近くに誰かが立っていることに気づいた。 グレーのスーツ。 黒いスカート。 白いシャツ。 少し赤みを帯びたダークブラウンの髪。 赤褐色の瞳。 高峰 静香。 手には一冊のファイル。 数メートル先には、彼女の青いToyota Priusが停まっている。 静香が蓮を見る。 「黒瀬様」 頭を下げる。 「高峰さん」 静香はファイルを差し出した。 「先日の書類です」 蓮は受け取る。 「終わった?」 「はい」 蓮は最初のページを開く。 すべてきれいに整理されている。 蓮は再びファイルを閉じた。 「ありがとう」 静香はすぐには立ち去らなかった。 「もう一つ、お伝えしたいことがあります」 蓮は彼女を見る。 「昨日のことです」 「どれ?」 「私の仕事を評価すると言ってくださったことです」 静香は少しだけ俯いた。 「まだ、考えています」 蓮は黙る。 「大したことじゃない」 「黒瀬様にとっては、そうかもしれません」 静香が顔を上げる。 「私にとっては、十分意味のあることでした」 蓮は彼女を見つめる。 昨日の会話を思い出す。 この女性は、やはり違う。 自分の感情を簡単には口にしない。 だが、一度口にしたことには―― 本気で向き合う。 「高峰さん」 「はい?」 「いつも、そんな感じなのか?」 静香は戸惑ったような表情を見せる。 「どんな感じですか?」 「真面目」 蓮は少し間を置く。 「堅い」 そして付け加える。 「抑えてる感じ」 静香は小さく笑った。 「はい」 否定しようとはしなかった。 「私は、そういう人間です」 「どうして?」 その質問に、静香は黙った。 数秒が過ぎる。 「真剣でなければ、人に軽く見られるからです」 その瞳が少し変わる。 「気を抜きすぎれば、押せば簡単に折れると思われます」 静香は胸の前でファイルを持つ。 「それに、警戒しなければ……」 静香は言葉を止める。 「……利用されることもありますから」 蓮は、その意味を理解した。 …… ただの性格じゃない。 その裏には理由がある。 蓮は静かに言った。 「俺の前では、そこまで無理しなくていい」 静香が蓮を見る。 「どういう意味ですか?」 「俺は、あなたを軽く見ない」 蓮はいつも通りの口調だった。 大げさでもない。 「弱い人だとも思ってない」 静香は黙った。 「それに、あなたを利用する理由もない」 静香の瞳が、ほんの少し揺れた。 蓮は続ける。 「だから、俺と話すときくらいは、そんなに身構えなくていい」 静香は俯いた。 「……黒瀬様」 「ん?」 「あなたは、誰にでもそんなことを言うんですか?」 蓮は少し考えた。 「言わない」 その答えに、静香が顔を上げる。 蓮自身、今の答えが思った以上に具体的だったことに気づいた。 すぐに話題を変える。 「この書類は、管理部門に渡しておく」 静香は頷く。 「分かりました」 蓮は背を向ける。 だが、数歩進んだところで―― 「黒瀬様」 蓮は足を止める。 振り返る。 静香は迷っているようだった。 「来週も、ヤマト物流の事務所へ行かれますか?」 「たぶん」 静香はバッグの紐を握る。 「……それなら、私もそこにいます」 蓮は少しだけ彼女を見る。 「監査の用事があるならな」 静香が瞬きをする。 そして、顔が少し赤くなった。 「はい」 蓮は歩き去った。 静香はその場に立ち尽くす。 蓮の背中が見えなくなるまで見送った。 …… 「そんなに身構えなくていい」 静香は俯く。 自分の手を見る。 …… どうして、こんな簡単な言葉が、こんなにも大切に感じるんだろう。 静香は息を吸う。 そして、Priusへ向かって歩き出した。 --- 17時00分 大学――赤坂へ向かう道 蓮は帰宅するため車を走らせていた。 P9LMが東京の街を抜けていく。 夕方の光が少しずつ変わっていく。 蓮の思考は、先ほどの二つの会話へ戻っていた。 美雪。 静香。 同じように自分を見ている二人。 だが、その理由は違う。 …… 美雪は距離を取っている。 簡単には信用しない。 常に脅威の可能性を探している。 静香は、逆に少しずつ距離を縮めている。 まだ形式的だ。 まだ慎重だ。 それでも、少しずつ本音を話すようになっている。 蓮は息を吐く。 「二人……」 少し間を置く。 そして麗華を思い出した。 「……三人」 蓮は前方の道路を見る。 三人の女性。 三つの、自分を見る方法。 美雪は隠された何かを探している。 静香は、普通ではない人間を理解しようとしている。 麗華は、黒瀬ホールディングスの価値を――そして、もしかすると自分自身を理解しようとしている。 …… 二つの距離。 違う。 蓮は考えを訂正した。 三つの距離。 なぜ自分が彼女たちを、そんなふうに分類し始めたのかは分からない。 ただ、一つだけ分かっている。 自分の生活は、もう「シンプル」と呼ぶには難しくなっていた。 --- 18時00分 赤坂レジデンス――1203号室 蓮は部屋へ戻った。 鍵をテーブルに置く。 ソファに座る。 スマートフォンを取り出した。 システムが表示される。 《無欲行動を確認》 《対人関係において虚栄を示さなかった》 《個人的な関係を利益のために利用しなかった》 《通常の生活を維持した》 そして、結果が表示された。 《無欲ボーナス:×65》 《報酬:15億円》 《実績解除》 【Social Expansion】 蓮は画面を見つめる。 …… 15億。 もう、それほど驚かなくなっていた。 それよりも気になったのは、実績の名前だった。 蓮は詳細を開く。 《Social Expansion》 社会的ネットワークの拡大 《状態:稼働中》 連絡先: ・如月 美雪――Kokusai Security Services ・高峰 静香――東京都市交通局 ・西園寺 麗華――Saionji Capital Partners ・高橋 健司――黒瀬ホールディングス ・中島 浩――ヤマト物流 ・鈴木 浩――三井マリンフーズ 《人脈:拡大中》 《影響力:上昇》 《評判:未検出》 蓮は、その一覧を見つめた。 六人。 企業側の二人。 運営を支えてくれている二人。 そして―― 三人の女性。 蓮は止まった。 …… 六人のうち、三人。 蓮は息を吐いた。 「俺、前は連絡取る相手が六人もいなかったな」 アプリを閉じる。 スマートフォンをテーブルに置いた。 …… 今の俺の生活、少し騒がしくなったな。 --- 19時00分 赤坂レジデンス――1203号室 蓮がまだソファに座っていると、スマートフォンが再び震えた。 送信者:高橋 健司 «黒瀬様。 Saionji Capital Partnersより、より詳細な協業提案が届いております。 来週、改めてお会いしたいとのことです。 ご予定を組みましょうか? 高橋 健司» 蓮はメッセージを読む。 …… また西園寺か。 美雪の言葉を思い出す。 人を、簡単に信用しないでください。 私も含めて。 蓮は、以前送られてきた提案書の添付ファイルを開く。 数ページ読む。 そして閉じた。 まだ足りない。 だが、無視できるものでもない。 蓮は返信を入力した。 宛先:高橋 健司 «高橋さん。 日程を組んでください。 ただ、会う場所は中立的な場所にしてください。 銀座ではなく。 黒瀬 蓮» 送信。 蓮はスマートフォンを置いた。 窓の外を見る。 …… 気をつけないとな。 怖いからではない。 ただ、今は自分の判断に多くの人間が関わっている。 ヤマト。 三井。 黒瀬ホールディングス。 207人の従業員。 一つの判断を間違えれば、多くの人間に影響する。 蓮はお茶を一口飲む。 …… 美雪。 静香。 麗華。 また三つの名前が浮かんだ。 蓮は息を吐く。 「……この世界、本当に俺を静かに暮らさせる気がないな」 --- 20時00分 赤坂レジデンス――1203号室 蓮はもう一度システムを開いた。 《現在の総資産:199億円》 《物質欲求:2%》 《無欲倍率:×65》 蓮は、その数字を見つめた。 …… 199億円。 人によっては、別世界の数字に見えるかもしれない。 だが蓮は、同じソファに座っている。 セットアップを脱いだ後の、簡素な服を着ている。 緑茶を飲んでいる。 明日の講義の予定を考えている。 画面を閉じる。 …… 美雪は俺に警告した。 静香は少しずつ心を開いている。 麗華は黒瀬ホールディングスに何かを求めている。 蓮は目を閉じた。 明日、何が起きるのかは分からない。 だが、初めて一つのことに気づいた。 これから起きることを、すべて自分だけの問題だと思い続けることはできない。 他にも巻き込まれる人間がいる。 自分のために働いている人間。 自分を信頼している人間。 そして―― もしかすると、金ではない理由で自分を見始めている人間。 蓮は目を開けた。 …… でも、俺はどうすればいいのか、まだ分からない。 立ち上がる。 寝室へ向かう。 ベッドに横になる。 …… 今日は美雪と会った。 その後、静香と会った。 システムから報酬を受け取った。 また金も増えた。 それでも、画面に表示される数字よりも、すべてが複雑に感じられる。 蓮は天井を見る。 「……明日も大学か」 それだけが、まだ普通だと思えることだった。 蓮は目を閉じた。 --- 東京の別の場所では―― 如月 美雪がオフィスに座っていた。 ノートパソコンが開かれている。 画面いっぱいにSaionji Capital Partnersについての報告が表示されている。 彼女は幾つかのデータを読み返す。 そして、蓮との会話を思い出した。 …… 黒瀬 蓮は慎重だ。 だが、一つ弱点がある。 他人を善意で見すぎる。 美雪は机を指で軽く叩いた。 …… まだ、世間知らずだ。 ノートパソコンを閉じる。 立ち上がる。 …… もし西園寺が本当に動き始めたら、彼は危険な状況に置かれる可能性がある。 美雪はジャケットを手に取った。 そして、足を止める。 …… 私が守らないと。 その言葉は、自然に浮かんだ。 美雪は眉を寄せる。 「……どうして?」 答えはない。 彼女は窓を見る。 遠くまで東京の明かりが広がっている。 …… 仕事だから? それだけではない。 責任だから? おそらく。 だが、もう一つ。 まだ自分自身が認めたくない理由があった。 --- 別の場所では―― 高峰 静香が自分の机の前に座っていた。 ヤマト物流の監査ファイルは、もう手元にはない。 先ほど蓮に渡した書類は、もう自分の頭から離れているはずだった。 しかし、そうならなかった。 蓮の言葉が蘇る。 「そんなに身構えなくていい」 静香は俯く。 手が机に触れる。 …… 彼は、ありのままの私を見ている。 監査担当者としてではない。 政府職員としてでもない。 堅苦しい女としてでもない。 ただの自分として。 静香は目を閉じる。 …… どうして、私はそれを嬉しいと思うんだろう。 再び目を開く。 パソコン画面を見る。 監査書類が開かれている。 しかし、しばらくの間―― 一文字も読めなかった。 --- その頃―― 西園寺家の邸宅では―― 麗華が一人で座っていた。 蓮の名刺は、まだテーブルの上に置かれている。 麗華はそれを手に取る。 名前を見つめる。 黒瀬 蓮。 21歳。 大学生。 黒瀬ホールディングスのオーナー。 麗華は二人の会話を思い出す。 これまで、多くの企業経営者と会ってきた。 だが、本当に「もっと欲しい」という欲を見せない人間には、ほとんど出会ったことがない。 …… 彼は金を追っていない。 だからこそ、読みづらい。 麗華は薄く笑った。 「面白い」 名刺をしまう。 しかし今回は―― バッグの中ではない。 自分専用の引き出しへ入れる。 そして、鍵をかけた。 --- 夜は静かに進んでいく。 三人の女性。 三つの理由。 三つの距離。 そして、自分の平穏な生活が、少しずつ彼女たちの注目の中心になっていることに―― その男は、まったく気づいていなかった。 赤坂レジデンスの地下二階では―― P9LMが47番スロットにある。 Ghost Series II by MANSORYは、48番スロットで静かに眠っている。 そして地下三階では―― Jeskoが専用スロットで待っている。 三台の車。 蓮の人生が変わったことを示す、三つの象徴。 だが、蓮にとっては―― どれも、ただの車だった。 彼が車を選ぶ基準は、今も一つだけ。 「今日、一番合理的なのはどれだ?」 そして明日は―― その答えが変わるかもしれない。 --- 【次回予告】 第15話「報酬は、金だけじゃない」 「報酬は、金だけじゃない」 蓮は《交渉術》の大幅なスキルアップを受け、今や高レベルの交渉にも対応できるようになる。 しかし、システムはさらに難しい条件を提示し始める。 ヤマト物流の取引先の一社が深刻な問題を抱えたとき、蓮は金だけで解決することができない。 初めて、蓮は自分の交渉能力を最大限に使わなければならなくなる。 そして、その過程で蓮は、これまで一度も考えたことのなかったことを理解し始める。 価値のあるものすべてが、金で測れるわけではない。 【第15話へ続く……】

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