橋本直 / 第75話

第70話 魚屋に並ぶ異星の魚

「甲武が言ってる甲武派遣の地球の部隊が寝返ったことで独立できたんだから、遼州独立の最大の功労者は甲武国だって主張だって、そもそもその時点では戦いの趨勢は決まっていて、その状況を見て地球圏からの独立の決定打として起きた事件と言うのが真相だもの。そんな地球の犯罪組織や東和共和国と言う謎の存在の支援を独立を叫ぶゲリラたちが受けて戦いを優勢に進めていたなんて言う裏事情がなければ、高々宇宙艦隊一つが寝返って地球圏から独立できましたなんて言う話自体がありえないわよ」  アメリアが語る誠の知らない真の遼州独立戦争について誠は言葉を失っていた。  その瞬間、明らかにアメリアの受け狙いで他の部屋にある事務所向けの不愛想な時計とは違う派手な鳩時計が二時を告げる間抜けな鳴き声を上げた。  東和共和国は地球人がこの星に来た時には既に存在していた。では、なぜそんな現象が起こり得たのか?  東和共和国だけが、地球人すら知らない宇宙航行の抜け道を知っていて、そこを通じて地球から技術を盗んでいたのだろうか。  しかし、そんな技術があればそのことに地球人も気付いてそこを通ってこの星に来て、空から遼帝国のある遼大陸へ降下した方が遥かに合理的で安心なのは間違いない。  そしてそんなに技術が進んでいながらも、なぜ東和共和国は遼大陸の同じ遼州人にその技術を広めようとしなかったのかと言うのも誠の気になるところだった。  確かに遼州人は今あることで特に不便が無ければ別に新しいものを欲しがらない人種だとされていた。それを理由に遼大陸の遼州人が東和共和国の技術提供を断っていたというのは考えられるが、その結果奴隷化されたというのならばあまりにも間抜けすぎて言葉が無いし、その後で独立戦争を始めた理由がそもそも説明がつかない。 「なんだか、誠ちゃん私の言うことがとんでもない言葉過ぎてついて行けないという感じね。目が点になるっていうのはこういう顔なのね。私も勉強になったわ。私も軍の教育を受けた人間だから分かるけど、根っからの軍人ほど負ける戦いはしたくない。勝つ戦いならいくらでもしたい。だから戦いの趨勢が『リャオ』と協力する元地球人たちが有利という状況を見て甲武は地球に反旗を翻した。軍隊という物はそんなものよ」  そう言うアメリアの口元に笑みが浮かんだ。  誠は同じような笑みを浮かべることもできずに足下に転がっていたゼンマイ式のディフォルメされたおもちゃの車に視線を落とした。 「その独立戦争の最大の功労者とも言える、東和共和国の背後にいる『存在』。この国がある『東和列島』のそのあまりに突然とも思える進んだ文明の存在が現れるという奇妙な現象を引き起こしたのは、間違いなくその『存在』が原因……だと隊長は言ってたわ……なぜその『存在』が地球と伍す文明を『東和列島』だけで持っていたかは……今は言えない。ああ、お魚屋さんに行くとわかっちゃうかも。東和の近海で獲れるお魚が全部地球の元日本近海で獲れる魚ばかり……その時点で本来なら誠ちゃんは『不思議だなあ』と思わないといけないのよね」  アメリアに言われて改めて誠は魚屋の光景を思い出した。  氷の上に並ぶサンマ。鯖。アジ。太刀魚。    夕方になると母が当たり前のように買っていた魚。  確かにどれも地球の魚であることは誠も知っている。    それを見て、なぜ自分は一度も疑問に思わなかったのだろう。  この星の海で、地球の魚が泳いでいる。  そう口にしてしまえば、こんなにも異常なことなのに。  なぜ、自分は今まで一度も疑問に思わなかったのだろう。  大学で進化論を学び、生態系を学び、科学を学んだはずなのに。 「誠ちゃんなんだか今更驚いたような顔をしているわね。でも、その時点で普通はおかしいと思うはずだけど、誰かが、誠ちゃん達がそう思わないように仕向けてきたのかもしれないともし誠ちゃんがそのことについて深く考える人ならば気づくはずなのよ。そもそも他の人類と魚と日本由来としか思えない脊椎動物が東和列島に住んでいるだけという状況が生物学を学んで進化論に多少の知識がある誠ちゃんならそれが異常だとこれまで思わなかったの?私としては東和共和国の良く分からない成り立ちよりそっちの方が不思議よね」  確かに、秋には地球の日本の落語に出てくるという『サンマ』が一匹10円で売られるのが年中行事であること自体が奇妙な現象と言えば誠にも理解が出来た。まさか『サンマ』に数十光年を超えるような超空間飛行が可能な文明を作る技術が開発できないことは誠にも分かる。教科書で『独立戦争』としか習わなかった出来事の裏に、こんな泥だらけの現実があったのかと思うと、誠は喉の奥が詰まるのを感じた。  そしてこういったアメリアの理論の組み立ての背後に『駄目人間』である嵯峨の顔が誠の脳裏に浮かんだ。  嵯峨のことを思い浮かべるのは、隊長の語り口の一部が現実離れした比喩を好むからだ。だが比喩の中には真実が潜むことがある。誠もこれまでも何度もそんな場面に出くわしてきた。 「そしてその『存在』は遼州人が地球の日本の『ある時代』を模倣することで生き延びるすべを見出していた……その時代……ちょうど地球の日本でも養殖とか漁業の近代化とかが叫ばれていたらしいわね。じゃあ、その『存在』はその事を知っていて魚屋さんに並ぶ魚をこの星に持ち込んだのかもしれないわね」  そう言うアメリアの顔は一切笑っていなかった。これが何の根拠もない作り話なら普段のアメリアなら大笑いするところである。しかし、誠は魚屋に並ぶ『サンマ』も『鯖』も『アジ』も『太刀魚』も当たり前のものとして受け入れてきた。それがその『存在』がなにがしかの誠の知らない意図でこの星に地球から持ち込んだものだったとしても。その事実を嫌でも魚屋と言う身近な空間で当たり前のものとして見ているだけに誠はアメリアの言う言葉を信じるしかなかった。子どものころから当たり前だと思っていた光景が、急に『誰かに用意された舞台装置』みたいに思えてくるのが誠には恐ろしかった。 「生き延びるすべ?ただ、魚が好きってだけじゃないんですか?」  誠の精いっぱいのその言葉にアメリアはにやりと笑って答えた。  アメリアの大きめの運航部部長机の端には、たい焼き型のペンダントが無造作に転がっていた。  そんなくだらない雑貨まで、なぜか『20世紀末日本』を思わせる。  誠は急に、その小物すら誰かに配置された舞台装置の一部に見えてきた。 「確かにおいしい魚を毎日食べられるのはこの国の素敵なところよね。ランちゃんは『アタシは朝は鯛茶づけと決めてるんだ!』と言ってたから、もしこの星の海に鯛がいなかったら大暴れしているかもよ。地球より先にこの星がランちゃんに滅ぼされちゃうかも。まあ、冗談はさておき、今の放射能塗れで嘘ばっかりの民主主義が正しい意味で民主的な制度であった時代……地球で一番満ち足りていた時代……『日本』の20世紀末……その時代を模倣すればこの『東和共和国』は豊かに繁栄できると……誠ちゃんだって魚は好きでしょ?あの魚は地球で生まれて地球で進化した魚。この遼州で生まれた魚ではない。東和共和国の『意思』はよりこの『東和共和国』を20世紀末『日本』に近づけるために地球からあの魚屋さんに並ぶ魚たちを運んで来た……それがいつなのかは……私は知ってるけど隊長に口止めされているのよ……もしかしたらこれからもうちで働くことになれば任務の必要上知ることになるかも知れないけどね」  アメリアの言葉に誠はただ思い出をめぐらすだけで事足りた。  誠の思い出が、そのほとんどすべて20世紀末の『日本』を模倣したもので出来ていたと気づかされたからだった。  誠は思わず部屋を見回した。ブリッジ的な雰囲気のある部屋だが、空いている机のほぼすべてに意味も無い小物や鉛筆立てにはわざとらしいキャップが付けられた鉛筆が並んでいる。誠も鉛筆がいまだに現役なのはおそらく銀河でも遼州圏だけなのだろうと思うとそれを当たり前として生きてきた自分が少し違っているように感じられた。 「でも……なんで20世紀末の日本なんです?それとなんでそんなに魚に拘るんですか?当時の日本の食生活を完全再現したいって……冗談もここまで行くと悪夢ですよ」  素直な疑問を誠は口にしていた。これまではこの世界が今の形であることに疑問を感じたことは誠には無かった。  確かに技術的に可能なことは大学でいくらでも学んでいた。ただし、誠自身が『そんなものを開発して誰が欲しがるの?』と思うだけでそれを実用化して何の意味があるのかまるで分らなかった。  ただし、もし誠が地球人であったなら。そしてこの東和共和国が地球人の国であったならばそんな考え方はあり得ない話なのだとアメリアの言葉は嫌でも誠に気付かせることになった。 「それは戦争も無いし飢えもない。国民総中流で貧富の格差も少ない……『超富裕層』が政治も経済も司法も支配する社会の今の地球圏から見ればある意味理想郷じゃない?ランちゃんの音楽論を聞くとたぶんよくわかると思うけど、その時代から結局何一つ地球人はオリジナルを作らなくなった。それ以降は技術が生み出したものに人間のちょっとしたアイディアを足しただけのコピーで満足するようになった。ただ技術が進んであたかも新しいオリジナルのものに見えるようになっただけ。要するに地球人もそれ以上の進歩になんかついて行っていけてないのよ。それと、それからおいしい魚もあまり食べられなくなったし。ああ、魚だけじゃないわよ。だって、時々ニュースで『熊』が出たり『イノシシ』がでたって大騒ぎになったりするじゃない?そのどちらも20世紀『日本』では普通に生きていた哺乳類。この星で生まれた動物じゃないからその『存在』が望まない限りこの星には居ることはあり得ないわ」  そう言いながらアメリアは誠にウィンクした。  アメリアのウィンクは遊び心だが、それは同時に現実の残酷さへの小さな防御でもある。理想を選ぶことは安全を選ぶことでもあるのだ。 「別にそれは悪いことじゃないわよ。確かにその『存在』のやりたかった……いいえ、今でもやっていることは戦争ばかりのそのほかの時代を模倣するよりよっぽどまし。でも……ちょっと違うような気がしないでもないけどね……その『存在』が本当にそれだけを望んでいるのか……その存在は地球人が来る前から地球人の存在を理解していたのは間違いない。そしてその『存在』は地球人に何か含むところがある……それは隊長の考えみたいだけどね」  アメリアはそう言って苦笑いを浮かべた。  『ちょっと違う』……その曖昧な感覚が物語を動かす。歪みはここから生まれるのだ。 「まあ、二十世紀談義はそのくらいにして……その『存在』はおそらくどこの『人間型』生物でも持ち得るありふれた『妄想』を持っていたのよ」 「『妄想』ですか?」  誠には『妄想』などは理想の女性像ぐらいの身近な『妄想』しか思いつかなかった。 「それは人間はいつか正しい世界を実現できるという『妄想』が。そして、『地球』には『妄想』についての具体的理論があり、『東和共和国』にはその『妄想』を具体化する『意思』があった……隊長もそこから先の話になるとすぐに話をごまかすのよね」  『駄目人間』の話をはぐらかすことにアメリアは不満を持っているらしかった。嵯峨のはぐらかしは、軍組織特有の生存戦略だ。時に真相を明かすことは部隊を危険に晒すことになる。誠はそのことは十分理解できた。  誠は、あの散らかった隊長室を思い出した。  あの男が、この国の最も深い秘密の前に座っているという事実が、何よりも不気味だった。 「その『意志』がこの国の生活水準をその『意志』が正しい世界だと考えている20世紀末日本で止めている……隊長はそう言っていたわ。そしてそれに影響されるように他の同盟加盟国の元地球人の国の生活レベルもある時代で止めている。それがこの遼州圏を支配している『意志』が実現したあるべき社会の姿って訳」  アメリアはいつものアルカイックスマイルを浮かべながらそう言った。彼女の語る『止める』という表現は衝撃的だ。進歩を意図的に停滞させる『意志』が存在するという発想は、多くの人にとってディストピアを連想させた。 「それが正しいかどうかなんて私には分からないけど……隊長は無責任に『いいんじゃないの?それでこれまで困らなかったわけだし』ってそう言っただけだった。まあ、あの人も現状が困らなければそれでいいという考え方の典型的な遼州人だから」  静かにアメリアはそう言った。 「『存在』……『妄想』……『意思』……『東和』……そんな『意思』がこのあえて遅れているこの国にあるなんて。その遅れている理由も『意志』の存在によりすべてが決められていたなんて……つまり、この国の『20世紀末っぽさ』は、偶然でも政府が無能な訳じゃなくて、誰かの『こうあるべき』という意志の結果……?」  誠はただぼんやりとつぶやく。  アメリアの言葉は理解できない。  それが何を意味するのか分からない。  そして分かりたくなかった。  自分達は満ち足りているからあえて進歩しようとしていないんだ。  誠にとって東和の常識はその一言に尽きた。  正体もよく分からない『意思』とやらが誠達の生活を決定している。  そんなディストピア小説の一幕のような事実を誠は信じたくなかった。  自分たちは『足るを知っているから進歩しない』遼州人だから進歩を拒否していたんだ……誠はこれまでのそう信じていた時の方が、どれだけ気楽だったかと思い知った。  誠は、自分が生まれてから一度も疑わなかったこの国の空気を、急に他人の手で温度調整された水槽の中の空気のように感じた。  満ち足りていたのではない。  満ち足りていると思えるように、環境ごと整えられていたのかもしれない。  魚屋も、鉛筆も、古い車も、落語も、朝の鯛茶漬けも。    自分が愛してきた日常の全部が、誰かの選んだ水槽の中に置かれていたのだ。  そして、その水槽の外側にいる『誰か』の姿を、誠はまだ知らない。

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