橋本直 / 第15話

第10話 古賀メロディーと将棋中継

「あのー……さっきから前も見ずに将棋中継だけを見て次々とタンクローリーを追い抜いたり、普通の車線に戻ったりするのを平気でやってみせるのは凄いの一言だと思うんですが……そんなことをしてて良いんですか?最初は僕も驚きましたけど、まあ中佐なら出来て当然だとは今は理解できてきましたけど……ここで高速機動隊のパトカーとかが中佐の運転を見たら即、免停だと思いますよ?大丈夫ですか?」  実家の小型車『初代マーチ』と比べて明らかに乗り心地に勝るランの高級乗用車の見晴らしのいい後部座席に身を沈めながら、誠は手を挙げて質問した。誠の言葉の通りランの運転は決して乱暴とは言えないものの、大型で低速で走るトレーラーの後ろに着くとすぐにウィンカーを左に出して追い越し車線に割り込んではそのトレーラーを追い抜いては元の車線に戻るという運転を続けていた。しかも、ランの視線はその車線の変更の際にちらりと周りを確認するだけで当たり前のように将棋中継中心に動いていた。  運転席では、小さなランが大きな座席にちょこんと収まっていた。  ただ、座席そのものは彼女専用ではない。ペダルに取り外し式の下駄が付けられているだけで、外せば普通の成人男性でも運転できる造りだった。  本来ならばランは自分のちっちゃな体向けに子供用カートのような改造を施したかったのだろうが、それをしていないということはランはおそらく34歳と言うことから考えると意外と酒が好きで、飲酒運転を避けるために運転代行を呼ぶために運転代行の運転手が乗っても問題が無いためにそのような改造をしていないのだろう。そんな考えが誠をよぎった。  そんなどう見ても普通ならアクセルにもブレーキにもクラッチにも足が届きそうにない彼女がどうにか運転できるのは、ペダルに特製の下駄が取り付けられているからだった。確かにそれを外せば運転代行の成人の運転手が来ても問題がない。そんな事を考えながら画面にやたらボタンが少ないランの将棋対局が映される画面を誠は見つめた。ランは運転をしながらちらりちらりとその画面に映される盤面を見てぶつぶつとその打つ手に関心したり疑問を呈するように唸り声を上げたりしながら都心部の一般道から首都高へ上るランプへと車を走らせた。そのハンドルさばきには一切の無駄も無く、彼女が『人類最強のエース』を名乗るのは伊達ではないということを誠は感じていた。 「……なんだよ。今の状況、見てわかんねーのか?アタシは今、首都高の入り口から本道へ合流するために運転をしている。タイミングを間違えるへぼ運転手が良く事故を起こす場面だ。そんな場面で運転手に声をかけるように東和宇宙軍では教育されてるのか?それともアタシの運転技術を知っててそのくらいは余裕だと思って声をかけてるのか?まー、アタシは『人類最強』のパイロットだから問題ねーけど普通の下手な自動車運転手なら大事故につながるぞ。まーいーや。言ってみろ。聞いてやる。アタシはこれまでうちに押し付けられた元地球人のパイロットと違って遼州人であるオメーを買ってるんだ。多少のわがままは聞いてやるよ」  しばらく無視を決め込んでいたランが、いつまでも画面を見つめている誠が気になったようでのろのろと発進した前の危険物を運んでいるトレーラーの後ろに車を乗り入れるとその前のトレーラーが渋滞で止まったタイミングで振り返り、不機嫌そうに答えた。 「これ……将棋中継しか映らない設定ですよね?なんでそんな極端なことにしたんですか?それと、この『カセット』って……音楽ですよね?『古賀メロディー』とか『高倉健』とか……そんな人、僕知りませんよ」  誠は何度か助手席からランが睨んでいる画面の横のスイッチを見ながらそう確認した。そんな誠の言葉に前の車が動くたびに前を見て、止まると振り向くという動作を続けているランの表情は明らかに不機嫌になっていく。しかし、誠はあまりに珍妙なコンソールの設定とサイドブレーキ近くの箱に入った見慣れない『カセット』の文字の方に気が惹かれてそうつぶやいた。 「でも……ナビ……付けないんですか?というか、ナビのあった場所にテレビをつけるのは分かりますけど……なんでそんなコアなチャンネルしか見ようとしないんですか?なんでTHK教育テレビと東都経済テレビ以外は映らない様になってるんですか?それともナビの無い車種ですか?それとこの車に『カセット』がつく……ああ、その画面の下のスロットにこの大きさなら入りそうですね。でも、中佐の聞く歌手って……僕の知ってる歌手とも僕は聞かないけど今はやってる歌手とも一昔前にはやった歌手でもないじゃないですか。あれですか?中佐は遼南共和国出身だとか言ってましたよね?遼南共和国では『古賀』という人とか『高倉健』とか『鶴田浩二』という有名歌手がいるんですか?」  THK教育テレビは誠は子供時代はまだしも小学校以来見ていないし、東都経済テレビは深夜にコアなターゲットを狙った日中はとても放送できない表現満載の誠の好きなアニメを放映するのでよく見るチャンネルではあった。ランの表情は誠が言葉を発するたびに苛立ちの色に染まっていくのは誠にも分かった。ただ、理系特有のこの意味の分からない車のオーディオシステムとそれで再生することを前提としたメディアのチョイスが理解できないことが誠の背中を押していた。 「確かにこの車……元車両は地球製のナビが発明される前の車ですけど。今はそんな車、今は走ってないじゃないですか……うちの母の『初代マーチ』だって後付けでディーラーでナビを付けてくれましたよ。そんなにナビが嫌いなんですか?ああ、うちの車にも『カセット』のデッキが付いてました!母は『小泉今日子』という昭和の歌手が好きだというのでいつもそのカセットを置いていて僕を乗せるたびにそれをかけるんですが……その『古賀』とか『高倉健』とか『鶴田浩二』とか言う人も昭和の歌手なんですね!母と趣味が似ているんですね中佐は。ちっちゃいのに」  誠はそう言って、ランが座る運転席の隣にある大きな画面を指さした。 「ナビ?半人前が説教か?笑わせんなよ。戦場じゃ、戦場の状況は頭に入ってて当然の話だ。そんなアタシにカーナビ?馬鹿馬鹿しー。まあ、暇人が慣れない観光地に出かけた時に迷わないようにするためだけのファミリーカー向けの……カーナビのことか。そんな人間が、明らかにそれを扱う能力もねーデータシステムの指示で運転しろって言うのか。虫唾が走る。機械は判断しねー。責任も取らねー。戦場で最後に頼れるのは、人間の勘と覚悟だけだ。だからアタシは、ナビなんざ使わねー。それとオメーのかーちゃんが『小泉今日子』が好きだっていうこととアタシが『古賀メロディー』を愛してやまないことはまー似たような趣味だと思ってもらって構わねーよ。アタシは『古賀メロディー』こそが地球圏が生み出した唯一の有益な文化だと信じてやまねー人種なんだ。それ以降の地球圏の音楽は堕落した。聞くに値しねー。そんな歌をアタシの前で流すな。耳が汚れる」  面倒くさそうにランはそう言った。  そんなランの言葉を聞いて誠はようやく理解した。  ランは、古い音楽が好きなのではない。  古い任侠映画に出てくる、義理と筋を命より重く見る男たちの世界を、本気で美しいと思っているのだ。  しかも、義理と筋を語る当の本人がどう見ても8歳女児にしか見えない。  誠の理解力は、そこで一度限界を迎えた。 「あと運転技術に関して言えば、オメーも知っての通り、アタシ等の扱うシュツルム・パンツァーは地上ばかりか空も飛べるし宇宙でも戦える。そんな中でもアタシは『|方天画戟《ほうてんがげき》』と言う今でもその性能を上回る性能を持つシュツルム・パンツァーがどの国も量産できるスペックで作れねーものを扱ってたんだ。そんな人間が明らかにそれを扱う能力すら持たねーデータシステムの指示で運転しろって言うのか。虫唾が走るぞ。車で行く先が決まったらその道順を完全に覚える。そんなもん別に電子システムの上に乗っかってるシステムを使わなくても紙の道路地図を見れば一目で覚えられて当然の話だ。そーでなきゃ軍人なんか務まるもんか。そんなもんは軍人であるアタシには当然の話だ」  どうやらランにとっては目的地が決まったらそこまでの順路は頭に入れるのは常識のことらしい。ただ、400年間新しい道路の建設など行われたことのない東和共和国の誠には自然なことに思えた。 「地球圏の車を持てるレベルの収入がある『騎士階層』の連中や、東和以外の遼州圏のやたら新しい道を作ってナビがねーと生活できねー車を持てる東和以外の元地球人の国々の中産階級が好んで乗る完全なAI依存の自動運転ってのは嫌いでね……オメーはいいよな。下手で馬鹿で間抜けだから。東和じゃ自動運転の車は法律で禁止されている。それが嫌ならこの国を出て行け。アタシみたいにAI操縦なんかにまるっきり信用してねー人間にはこの国の道路事情は天国だ。いつだって遅刻の言い訳が出来るからな。この前も東和政府の国防相がアタシに会いたいというから出かけたが、渋滞に引っかかって1時間遅れた。でも、国防大臣はきっちりアタシの到着を待ってたぞ。アタシくらいになるとそれが当たり前だ。アタシは東和陸軍に軍籍があるんだが、なんでも東和の公務員では大統領や総理大臣や最高裁判所の裁判長の3倍の給料をアタシはもらっているらしいや。まあ、アタシが東和陸軍に入る時の契約書にそう書いてあるんだから仕方ねーよな。他の国はもっと積んできた。馬鹿みてーな額だった。だが、アタシは金で動く地球人じゃねー。舐めるなよ。いくら金を積もうがこうと決めたらそう動く。それがアタシの矜持だ。金でエースが買えて戦争に勝てるなら安いもんらしーがそんなに世の中甘くねーんだ。ああ、話が脱線したな。オメーもこれまで通り教習機に積んでるナビ頼りで戦場に行けるなんて思うなよ……アタシが徹底的にそのあたりを鍛えてやる……ナビなんて言葉が頭に浮かばない程度にな……覚悟しとけよ……」  誠の頭の中では、カーナビ、将棋、古賀メロディー、国防大臣、給料、矜持という単語が一列に並ばず、駐車場の車列のように詰まっていた。  どれか一つずつ聞き返したかったが、ランはもう次の話題へ進んでいた。  誠の頭の中では、話題がつながっていなかった。  すべてが別々の方向から同時に投げつけられているだけだった。  ランはそれ以上の説明を放棄するように、再び将棋中継へ視線を戻した。  まるで、誠の理解など最初から期待していなかったかのように。

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