橋本直 / 第90話

第85話 人斬り包丁と赤い背広

「邪魔するぜ。まあ、俺がここにいる時点で十分邪魔なのは分かってるけどな……アンタも地球じゃちょっとは知られた顔なんだろ?だったら俺がここにやってくることも読めても当然というのが俺の意見なんだが……どうだろうかねえ?まあ、お前さんが二つ名の割に使えない典型的な地球の権力者にこびへつらうことで自分の無法を見逃してもらうことだけが得意なだけの馬鹿ならどうだか知らないけどね」  嵯峨に続いて、長らく店員になりすましていた嵯峨の配下の男がその後に続く。  普通の事務所の入っているようなビルの割に頑丈に見えるドアを押し開いた嵯峨の前にはシャンデリアの吊るされた豪華絢爛な部屋が広がっていた。  その中では派手なラメの入った、どう見ても『一般市民には見えない』黒い背広を着た男が二人、巨大に見える執務机に座った赤い3つ揃えの背広に黄色いネクタイの男から指示を仰いでいる最中だった。  部屋の照明は落とされ、机の上の書類やシャンパンの空瓶が不安定な浮遊感を生む。赤い背広の男の黄色いネクタイだけが、血管の色より明るく浮かび上がる。密輸の世界では色使いも威信のひとつだ。外惑星の輸入品に対する『顔見せ』は、彼らにとっての社交儀礼であり、祭りでもある。  嵯峨は男達の立っている位置とその動きを瞬時に確認した後、素早く左手に握った『粟田口国綱』を抜刀した。  刀が抜かれた瞬間、金属と皮の擦れる音が室内の空気を切り裂く。その場にいた全員の息が一斉に止まり、遠くの喧騒が抜け殻のように聞こえる。嵯峨の動作は雑に見えて非常に正確で、刀の刃が陽光を受けて一瞬銀色に走った。  二人の男は突然開いたドアから入って来て抜刀する嵯峨に驚いた表情をした後、素早く背広の中に手を入れて中の拳銃を抜こうとした。だが、その瞬間には既に下段から引き抜かれた『粟田口国綱』が宙を走っていた。  一刀目が手前の太った幹部の喉笛を切り裂き、振り下ろした剣は隣のやせぎすの男の延髄を叩き割っていた。鮮血が部屋に飛び散り、首から噴き上げる血が壁や机を染めた。  血の匂いが急速に濃くなり、革張りの椅子や高価な調度品の匂いと混ざって、独特の重さを帯びる。……気の弱い誠ならば生理的に拒否したくなる光景だが、嵯峨にとってはこれが『仕事の完成』を告げる音である。刃に付着した血は、やがて包帯や布で拭き取られ、記憶として刻まれる。  そんなカタギの人間なら卒倒しそうな光景を見ても、『皆殺しのカルヴィーノ』は表情を変えず、嵯峨をにらみつけるだけだった。  カルヴィーノにとってもまたこのような光景は日常的に見慣れた光景だった。  カルヴィーノの瞳には驚きも怒りも混じらず、むしろ取引きが狂ったことへの淡い計算が見えた。彼は自分の『ファミリー』と称するものを信じているが、その信仰は金と利害に簡単に|毀《こわ》れることを、嵯峨は既に知っている。  ニヤリと笑った後、カルヴィーノはこういう『殺し合いの場』には慣れている二つ名を持つ猛者らしく、すぐさま拳銃を抜いて嵯峨に狙いを定めようとした。しかし、その手を嵯峨を導いてきた若い男の手に握られた小型拳銃の弾が貫通した。カルヴィーノの手の拳銃は床に転がり、思わず傷を押さえたまま机に伏せてじっと嵯峨のほうを見上げる。  嵯峨の制服と部隊章が、その男の視界に入った。それを確認すると一度床に視線を落とした後、ようやく合点がいったかのように作り笑いを浮かべる。  嵯峨の胸元についた『大一大万大吉』の章票は、この場では説明不要の宣言文だ。それは『我々は国家の威を借りた公権力でも軍でもないが、秩序を構築する存在だ』という一種の社会的免罪符であり、相手の計算を崩すための道具でもある。カルヴィーノはその意味を理解すると同時に、自身の選択が間違っていたことを悟った。  そして苦笑いを浮かべてカルヴィーノはこの敗戦をどれだけ自分の有利な形で終わらせるかを考えながら言葉を選ぶようにして口を開いた。 「これはこれは……『特殊な部隊』の隊長殿。私でも予想できないようなお早いお着きで驚きましたよ。隊長と呼ばれるのはお気に召しませんか?『甲武国』風に『悪内府』と呼ばれることがお好みで?それともこの業界での隊長殿の2つ名である『人斬り|新三《しんざ》』と呼ばれるのがお好みで?私はあいにく銃撃戦は得意でもこういう近接戦闘での剣での時代遅れの戦いは苦手なもので……確かに奥の倉庫には刀はありますが、使い慣れていないので隊長殿の退屈しのぎを務める自信がないもので……なにしろ私には持ってる金にモノを言わせて国を支配してふんぞり返っている地球圏の支配階級が嫌いでこんな辺境の遼州に来た人間なもので……」  カルヴィーノの言葉は皮肉だが、その裏には地球圏特有の『名誉と見せ方』がある。地球のマフィアやファミリーは呼称や肩書によって自らの位置を示し、威信を運用する。嵯峨はそれを鼻で笑いつつも、相手の武器である『プライド』を一瞬で砕く術を知っている。  死体を覗き込んで黙り込む嵯峨は気障な男の言葉にまるで反応しなかった。 「『隊長』も『悪内府』も『人斬り扱い』もどれもうんざり。それを知ってか知らずか俺の敵はみんなそんな呼び方をするんだ。そんな言い方には俺はそいつの人間性が感じられないから好きじゃないの。なるほどねえ、地球圏の金持ちが嫌いな地球圏出身の地球人もいるんだ。俺は初めてお目にかかった。そりゃあ、俺なりに出来る限りの歓迎をしてやらなきゃいけないようだね。あと、俺の呼び方だが、『特殊な部隊』の『脳ピンク』と呼びな。うちの人間味あふれるかわいらしい副隊長は愛情をこめて俺をそう呼んでる。俺はそう呼ばれるのが好きなんだ。別にその言葉に軽蔑の念が乗ってても俺は怒らないよ。俺はプライドゼロが売りだから。お前さん達地球人が大事にする『誇り』や『|面子《めんつ》』なんて俺には全く興味は無いの。だってそんなもん食べてもお腹は膨れないでしょ?違う?」  そう言うと、嵯峨は血に濡れた『粟田口国綱』を一振りした。部屋中に血液のしぶきが飛び散る。  飛び散る血がいずれ店頭に並ぶことになるであろう最上級のティアラのケースにまで及ぶ。ガラスの表面に赤が飛び散る光景を、外の世界にいる人間は想像しがたい。密輸品という舞台で繰り広げられる暴力は、常に『金融と儀礼』が下敷きになっている。嵯峨はその均衡を一刀で断ち切る。 「そうですか。私も祖国ではそれなりの血筋として知られた人間ですから、それに応じた挨拶が必要だと思っていたのですが……それで今日はどんな用事ですか?血を見るには、ずいぶんと早い時間のご訪問じゃないですか……それなりの用でないとあなたの行動は過剰防衛……いくら『特殊な部隊』が殺人許可証を持った同盟機構司法局所属の『武装警察』としてももっとやり方があるはず……違いますか?」  あくまで嵯峨と対等な立場に立とうとカルヴィーノはそう言うと人の脊髄を断ったばかりの刀の刃先を確認している嵯峨を見上げた。そこに覚悟の色のようなものを見つけた嵯峨は、安心したように左手に持った刀を担ぐとそのまま机にしがみついて痛みに耐えているカルヴィーノの前に立った。  痛みに顔をしかめるカルヴィーノの身体の震えと、嵯峨の落ち着きは強いコントラストを作る。嵯峨は部下を守る『約束』を何より重んじる。遼州人が一億年ものあいだ焼き畑農業を続ける道を選ぶことで育った価値観のひとつは、『集団と個の責任の切り分け』だった。  地球人は『ファミリー』に命を預ける。血と名誉と面子を、最後の盾にする。  だが遼州人の古い感覚では、集団は出入り自由の仮宿に近い。合わなければ去る。必要なら別の集落に移る。  嵯峨にとって、死にかけてもなお『ファミリー』を盾にするカルヴィーノの感覚は、理屈では理解できても、肌では理解できなかった。遼州人の古い集落は、出入り自由の仮宿に近かった。合わなければ去る。必要なら別の集落へ移る。それが彼らの自然な生き方だった。  そして純血の遼州人である嵯峨もまたそんな集団への愛着はあってもそれに忠誠心を求めない人間だった。そんな嵯峨にとってこの死の迫った状況でも『ファミリー』への忠誠心を捨てようとしないカルヴィーノの態度は理屈では理解できたがそんな遼大陸の感性の中で生まれた嵯峨には感情的には分かり得ないものだった。そこまで追い込まれてなお『ファミリー』を盾にするくらいなら、とっとと逃げ道を探す。それが嵯峨の感覚だった。そして第二次遼州大戦で目の前の哀れな地球人と同じように遼州人の本能に反して『国家』を盾にした自分を思い出し自然に後悔の笑みが浮かんでいた。 「へえ、これだけ自分が完全に終わった状態になっても平然と皮肉を言えるとはたいしたもんだ。その根性は見上げたもんだよ。地球圏じゃ『皆殺し』と呼ばれただけの事は有るねえ。パレルモの旦那達も『|黄金の星《じぱんぐ》』の全権を任せるほどにアンタを信頼するわけだ。お前さんの経歴をここに来るまでに見てみたが植民惑星でのケシの栽培の管理とか利益確保の難しい地での裏ルート開発で認められて今の地位がある。それも立派なもんだ。地獄の超特急に乗るのかもしれないって言うのに俺をにらみ返すとは、その度胸も尊敬に値するね。なにか用かって……。分かってんだろ?お前さんの『飼い犬』の中の一つの集団がウチの馬鹿を一匹、|拉致《らち》った件に決まってるじゃないの。俺の戦術には基本的に『捨て石』は存在しないの。それを知っててのお前さんの今回の仕打ちだろ?だったら俺がここに居る理由も自然と分かるんじゃないのかな?」  カルヴィーノは悪党らしくニヤリと笑った。そしてそのままよたよたと立ち上がると血が流れている右手で乱れたネクタイを締めなおした。ネクタイを直すその仕草に、彼のプライドが滲む。金と家族と裏社会を生きるものとしての『|面子《めんつ》』が絡むこの世界では、傷を負っても姿勢を崩さないことが、次の交渉での生き残りに直結する。嵯峨はその皮膜を一つずつ剥がしていく。どこまでも遼州人の嵯峨にはそれらのすべてのプライドは無価値な嗤うべきものにしか見えなかった。 「何を根拠にそんな……確かに密輸稼業は褒められたものではありませんが、人身売買の嫌疑をかけられるほど落ちぶれたつもりはありませんよ、私は。それに私には守るべきものがある。イタリア人が『ファミリー』と呼ぶものに私は普通の人より強いシンパシーを感じている。家族を平気で斬り殺す貴方には分からない話かもしれませんが……ああ、遼州人にはそれも当然の行為だとあなたが言うのなら理解できる話だ……確かにそれなら理解できる」  嵯峨の笑みが、一瞬だけ薄くなった。  ほんの一呼吸。  それだけで、部屋の温度が変わったようにカルヴィーノには感じられた。  次の瞬間に嵯峨は全く表情を変えず、カルヴィーノの座っていた机を蹴飛ばした。  嵯峨はそのままカルヴィーノの襟首を空いた左手で握ると、そのこじゃれたネクタイを思い切りつかみ上げて自分の眼前に引き寄せた。  カルヴィーノは確信した。  この表情から感情を読み取ることがまるでできない男も結局は感情で動く。  ならば、まだ交渉の余地はある……と。  だが、襟首を掴む嵯峨の指先だけは、怒りに任せた人間のそれではなかった。力の入り方も、間合いも、呼吸も、すべてが整いすぎていた。  ただ、そのことに気づけるほど、カルヴィーノも冷静ではなかった。

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