橋本直 / 第94話

第89話 残すための嘘

「まー、うちらの神前の『素質』をうやむやにするための無茶で迷惑をかけた、『関係各所』の苦労を考えっとそんくらいが妥当じゃねーですか?西園寺の馬鹿が同盟に非協力的なベルルカンの失敗国の大統領に『発砲』しかけた時は、部隊全員下期のボーナス全額カットだったし」  扉が閉まる音が部屋に戻り、嵯峨はひじを机の上についてその上に顎を乗せて残って立っているランを見つめた。夜は深く、外の雑踏は次第に静まっていく。嵯峨は煙草を取り出し、火をつけると、ゆっくりと煙を吐いた。 「まあ、東和警察も神前の『素質』を表沙汰にせずに、あの『地球圏犯罪者』の大物の身柄を拘束して、拘留を続けようって言うんだからな。俺に文句の1つも言いたくなるのは分からんでもない。だけどカルヴィーノの行動は遼州同盟の許していた活動域を逸脱するものだったから、何とかなったみたいだけど地球圏もとりあえずだんまりを決め込んでるみたいだし……連中も遼州人の持つ『素質』表沙汰がになれば自分が危ないくらいの判断能力はあるから」  嵯峨は苦々し気に笑いながら自分を見つめて来るランにそう言った。  一方のランは出て行った誠の背中が消えた隊長室の扉に目を向けたまま嵯峨の方を見ることも無い。  そんなランを見て大きくため息をつくとタバコに火をつけながらランの注意を引くように声をかけた。 「おい、『中佐殿』。お前さんがアイツにこだわってるのは分かるんだけどさ。これ以上の解決法が何かあるなら言ってみて?今回、カルヴィーノに接触しようとしてたのは地球圏の主要国がほとんどだ。例外はアメリカくらい。あそこは『法術師』について自前の知識があるから、今さら神前程度じゃ動かねえ。……つまり、それ以外は全部、動く理由があったってことだ」  嵯峨は苦々しげに笑いながら手にしたタバコに火をつけてそう言った。 「まあ、対外的には今回の問題はこれで解決としても……問題になるのは神前だ。いずれはこんなことも起きる……と言うか俺から仕掛けたんだけどそれにアイツが潰されちゃったら俺達がアイツをうちに惹きこんだ苦労は全部水の泡になるってことだよね。利用した以上、壊れたら俺の負けだ。だから壊れる前に、ちゃんと別の手で支える。……汚い?そうだよ。大人の仕事ってのは大体そういうもんだ。その前に、俺がアイツの社会常識の無さを指摘している間も黙りこくってないで少しは、フォローしてやれよ。アイツくらいの若いパイロットの考えそうなことは俺よりお前さんの方がよっぽど知り抜いてるのが自慢だって言ってたわけだし、一応、お前さんの直下の部下だろ?機動部隊の隊長はお前さんってことになってるんだから。アイツの腹の中は社会に対する不満で一杯だよ?どうするよ?今後の機動部隊の隊長としては?」  嵯峨は次の一手を考え、ランはそれをどう実行するかを測る。誠は外で冷たい夜風に当たり、胸のうちの火を静めようとする。彼の内面の嵐はまだ収まらないが、夜は何も急かさず静かに染まっていく。  ランは頭を掻きながら嵯峨を正面からにらみつけた。  そのにらみは真剣だ。ランは部隊長としての責務と、若者を育てる義務の間で揺れている。彼女の目には決意が宿り、誠をどう指導するかの構想が静かにまとまりつつあった。 「確かにさ……アイツは気が小さくて拉致された事実にばかり目が行って、その原因である自分の『力』に気づいてないけどでもそこを何とかするのが上司って奴じゃないの?俺も調子に乗って神前の地球人批判に乗っかっちゃったのは悪いのは事実だけど、そこで割り込んで強引にアイツに自分の青さを自覚させるのがお前さんの持ち味じゃなかったの?そこんところは分かってちょうだいよ。それに俺がアイツの『素質』を関係各所に言いふらしたおかげで動く馬鹿は今回のイタリアンマフィアだけで終わるとは思えないよ。たぶん今度は地球圏は自分の手持ちの手ごまを動かして直接動き出すかもしれない。そうなったら……さあ、どうする?」  嵯峨は目の前の書類をいじりながらそうつぶやく。  常に最悪の事態を想定して動く心配性な嵯峨らしい言葉にようやくランは視線を嵯峨に向けて静かに笑った。  そしてランは黙ったまま自分の小さな手を見つめた。  『力』とは曖昧で恐ろしい。ランはそれを知っている。だからこそ、誠がここで折れるか、それとも乗り越えるかが分水嶺になることを理解していた。  そして、ランも自分をみすみす誠を地球圏にくれてやるほどのお人好しだとは考えていなかった。  書類の紙の擦れる音が、夜の静けさを強調する。答えは簡単には出ない。しかし、この小さな会話が誠の進化を促す最初の一歩であることは間違いない。  しかし、ランは黙って嵯峨を見つめているだけだった。  黙っている時間は長いが、その沈黙が次の行動を決める。ランの沈黙は熟考のしるしだ。 「あのさあ、黙っていれば相手が自分の考えていることが分かるなんて言うのは俺は甘えだと思うよ。お前さんはこの気配で察しろとか言いたいんだろうけど……俺にはそんな『法術』使えないの。俺は『最弱の法術師』だから。なんだよ、その目。……分かるよ……典型的な問題児ならパイロット候補生をぶっ叩いて育ててきたお前さんの領分だから……人物的には優等生の神前は扱いづらいってところなんだろ?でもさ、組織じゃん、うち。それにアイツは貴重な覚醒間近の『素質』を持った存在なんだ。そんな人材のえり好みは言ってられないの。それに俺達の『敵』を倒すにゃどうしたって神前の力が必要になるんだ……アイツしか今のところは居ないんだよ。『光の|剣《つるぎ》』を発動できる『法術師』になれるのは……確かに今後は見つかるかもしれないけどな。俺には数人あては無いではないが……あの二人は神前よりよっぽど扱いにくいよ?そいつ等呼ぶ?たぶんお前さんは後悔して一日詰将棋をして過ごすなんて言う日常は送れなくなるよ?」  『光の剣』という語句が重く室内に落ちる。希望と恐怖が混じる言葉だ。嵯峨はそれを言葉として軽く使うが、その意味は深い。誠はその言葉を胸に刻み、やがてその重みを引き受けるかどうかを自問する日が来るだろう。  沈黙を続ける幼女に、嵯峨は諦めたように視線を落とした。  諦めは時に慈悲だ。嵯峨はランの決意を尊重している。彼らの間に流れるのは、厳しさを含む共同体としての思いやりだ。  ただ、ランはじっとその小さな顔の大きな目を光らせて黙り込んだまま嵯峨を見つめるだけだった。  その眼力に諦めたように嵯峨はタバコを揉み消すとため息をついた。 「俺の負けだよ。そうだな、起きちゃったことはどうにもならねえが、問題はこれからのフォローだな。機動部隊隊長さんには苦労かけるが、よろしく頼むよ。神前の性格からして俺の決定への不満と自分の置かれた立場の危険性に気づいて辞めるとか言い出しかねないぞ。そこを何とかするのが上司であるお前さんの仕事だ……そこはお前さんの『仕事とは人格形成である』のモットーが生きるところだ。その為にはうちのお前が日頃『あの馬鹿女共』と呼んでるあの三人をあてにするしかないか……島田は駄目。アイツは腕は立つし情もあるが、こういう時は駄目だ。だから、お前さんの言うことは何でも聞く島田にはこの話を聞いても動かない様にお前さんから話を通しておいてね?あてにしてるよ?」  責任の押し付けではない。嵯峨の台詞は信頼の表現でもある。彼は自分の罪の一部を認め、そのケアをランに託した。ランは深く息を吐き、頷く。  完全に嵯峨の言葉を無視して黙り込むランに根負けして嵯峨はそう言うとタバコに手を伸ばした。  タバコの火が夜の影をほんの少しだけ揺らす。煙が天井に溶け、言葉にならない約束を運んでいく。 「そんなことは言われなくても分かってんよ!アイツはアタシには放っておけねー。シュツルム・パンツァーの教導官として、あれほど育て甲斐があると感じた奴は他にいねえ!確かにあの馬鹿女三人がこういう時には使えそうだな。隊長が言うように島田は駄目だ。アイツは嫌がる奴はぶん殴れば目を覚ますとしか考えねえ馬鹿だ。今の神前に暴力は逆効果……そうなったら圧で何とかできるあの馬鹿女三人が神前を守るしかねーだろ!しゃーねーなー……了解しました!」  ランの返事は短いが確かだ。誠が外で立ちすくむ間に、組織の機構は静かに動きだす。若者の葛藤はやがて成長へと変わるだろう。夜は更け、隊長室の窓に映る自分の姿が小さく揺れていた。  手で謝罪の意図を表明している嵯峨の言葉を背に、ランはめんどくさそうに頭を掻きながら部隊長室を後にした。  ドアが閉まると、室内には書類の紙擦れだけが残る。嵯峨は灰を落とし、静かに窓の外を眺める。誠の背中は遠ざかり、ランの靴音はやがて消える。夜はすべてを包み込む。    一方で誠は、そんな会話が交わされていることなど知る由もなかった。  機動部隊の詰め所に戻った誠は、自分の席に腰を下ろしたまま、しばらく机を見つめていた。 「僕がここに居続ける理由……それって何なのかな……」  その疑問だけが、いつまでも胸の奥に残っていた。

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