橋本直 / 第53話

第48話 僕の知らない僕

「それにしてもかなめちゃん……何か聞くこととかいっぱいありそうな顔をしているわよ♪ネットにはつながり放題のサイボーグのかなめちゃんでも一般人でネットを作ったプラモやフィギュアを上げるためくらいにしか使っていない誠ちゃんの私生活を知るなんて不可能なことかもしれないからね……正直言うと吐きなさいよ!」  アメリアがニヤつきながらそんなことを言うのに誠は驚いていた。  誠は『モテない宇宙人』遼州人の定めとして自分に関心を持ってくれる女性が現れることは一生無いと思っていた。しかし、アメリアが言うにはかなめは自分の過去を調べようとしている。そのあまりの予想外の出来事に誠は混乱していた。 「ああ、誠ちゃん。かなめちゃんはたぶん誠ちゃんの有名な部分を見たら誠ちゃんの望んでいるような関心を忘れる人だから。調べたからってあまり期待しない方が良いわよ。私やカウラちゃんが知らないようなことも色々調べたんでしょ?私だってネットでちょっとひと工夫して得られることと隊長に言われたことくらいしか誠ちゃんについては知らないんだもの。そんな不公平が許されるとでも思ってるの?吐きなさい!怒らないから!」  アメリアの声が、カウンターのざわめきに溶け込まないほど明瞭に響いた。言葉の先には軽い皮肉が乗っている。酒の湯気、炭の匂い、笑い声。月島屋の空気はいつもと変わらず熱く、その中で彼女たちの声だけが細い刃のように切れ込む。 「なんだよアメリア……オメエの事だ。どうせろくでもねえことを言うんだろ?それにアタシがネットで神前についてどんな情報を手に入れたかなんて言うことを神前の目の前で話すと思ってんのか?アタシはこの中で一番戦場を知り尽くしているんだ。戦場で物を言うのは情報だ。だからそれをアタシが独占することが有利だと思えばアタシは当然独占する。それにコイツにもプライバシーくらいあることくらいあの警察が夫婦生活にも無遠慮に介入することで知られた甲武国生まれのアタシにだってわかるんだ。そんなこと言ってたまるかよ」  口調が乱暴な割にかなめの機嫌はかなり良さそうに誠には見えた。いかにも嬉しそうにラムを飲む姿はいかにもかなめらしい。 「そんなどうでもいいことよりも今アタシは神前と言う見どころのある後輩が出来て機嫌がいい。聞いてやる……なんでも言え。確かにアタシが神前に興味を持ってるのは事実だからな。ただし、さっきアタシが言った通り答えられることと答えられないことがある。その答えられないことの中にはアタシが敢えて黙っていることもあることだけは覚えておけ。それ以前に別に部下に上司が興味を持っちゃいけねえなんて法律は東和にはあるのか?あるのなら言ってみろ。そんなものがあるなら見てみたいもんだ」  細い目をさらに細めてアメリアがかなめに顔を近づける。  アメリアの顔つきは普段どおり穏やかだが、その穏やかさに隠れた好奇心は狡猾な猫のようだ。かなめは本能的に身構えるが、そこに戸惑い以上の楽しげな緊張が混じるのを誠は見逃さない。  間に挟まった誠は二人の胸に体を当てまいとジョッキを持ったままのけぞるように反り返った。  誠の反応は純粋だ。先輩二人の距離感に慣れていない素直さが、肩越しに微かな居心地の悪さと好奇心を同時に添える。ジョッキの中の生ビールが小さく揺れる。 「私も帰りにちょっと見たのと時々機動部隊の詰め所に偵察に出したうちの女の子から聞いただけだけど、勤務中、誠ちゃんと随分親しげだったじゃない……いろいろ調べたんじゃないの?誠ちゃんのこと……かなめちゃんも誠ちゃんが来る前に隊長から誠ちゃんのこれまでの来歴を説明された時は『誠ちゃんは見どころがある』って言ったじゃないの。どうせあれでしょ?好きだからねえ、かなめちゃんは」  いかにもすべて知っているようなアメリアの口調に誠も、かなめが自分の何に興味を持ったのか気になったが、二人の会話の間にどうやって割り込むかタイミングがつかめずに黙り込んでいた。 「それに、もしかしてそれ以外にもそれなりに……興味あるんじゃないの?最初はかなり仏頂面を晒してたみたいだけど……うちに来た時も誠ちゃん明らかに私達に怯えてたわよ。不愛想なカウラちゃんに怯えるのは当然かもしれないけど、それなりにボケもかませるかなめちゃんが威嚇でもしなければうちでタライを落とした時の反応があんなに薄いなんて誠ちゃんの性格からしたら考えられないもの。私としても私達の第一印象を不愛想なかなめちゃんとカウラちゃんで悪くしたことのフォローに必死だったのよ。その辺はわきまえておいてもらえるかしら?」  イヤらしい笑みを浮かべつつアメリアはビールを飲み干してジョッキをカウンターに叩きつけた。  その仕草がやけに鮮やかで、カウンターの木目に一瞬だけ光が跳ねる。アメリアの言葉は軽いが、同時に情報を確かめる目がある。誠は胸の奥で小さな緊張を感じた……他の誰かが自分を見ている、という感覚。 「なんだよ……調べちゃ悪いのかよ。アタシはサイボーグだ。東和や遼州圏内のネットとはいつも脳がつながってる……まあ、地球圏のネットは一度見てみたが……見るに堪えねえから止めた。地球圏に住んでる地球人全員……アイツ等の脳内はどうかしているのか?あんな出鱈目なんて自分の国を『神の国』と信じてやまねえ甲武国の尋常小学校の3年生だって疑うぞ。だからあんなどう見ても自爆としか思えない選挙で自分の首を絞めることしか決めない権力者を褒めたたえて平然と餓死していけるんだ。前の戦争で甲武とゲルパルトの核で絶滅しなかったのはアタシの生まれた国の甲武の罪の一つだな……。まあ、そんな滅びて当然だった地球圏の連中の話は置いておいて神前の記録に残ってる記録ぐらいすぐに分かる……どれもアタシには興味深いものばかりだったがな。それとアタシが初対面の人間にきつく当たるのはアタシの『女王様』としての本能がそうさせるんだ。それをオメエにどうこう言われる筋合いはねえ」  ラムのグラスを傾けてかなめがアメリアをにらみつける。  言葉はあまりに乱暴だった。    誠は反射的に眉をひそめたが、かなめの目に浮かんでいるのは軽口ではなかった。    彼女にとって地球圏は、理屈ではなく敗北と屈辱の記憶そのものなのだ。 「甲武は負けちゃいけなかったんだよ。勝つべきだった。勝って、あいつらに自分たちがどれだけ腐ってるか思い知らせるべきだった。甲武もかなりいかれちゃいるが、地球圏のそれはその上を行く……まあ、アメリアにとってはあの戦争は解放戦争なんだろうけどな……」 「かなめちゃん、それは思想じゃなくて私怨よ……私のあの戦いの見方も私怨と言えばそれまでだけど」  かなめの顔には素直な怒りと、どこか誇らしげな色が混ざる。誠は彼女の拳銃のホルスターの輪郭をチラリと見て、いつもとは違う強さを感じた。かなめの普段の『どうでもよさそう』な態度が、彼女の本気を際立たせる。  そして怒るかなめに対してどこか冷めたような顔の今まで見たことの無い笑いの消えたアメリアの顔が誠には怖かった。  そんな誠の表情をいち早く察するのが場を読めると言うよりも支配する女のアメリアたるゆえんだった。 「それなら誠ちゃんに初対面の時に誠ちゃんの顔で検索すればそんなデータいくつも出てきたんじゃないの?もしかして、それを見てうちに引き込みたくてかなめちゃんは模擬戦だってわざと負けてあげたんじゃないの?実は。まあね、誠ちゃんもあれだけ派手な活躍をしたなんて実績があれば地球人の女だったらほっとかないわね……まあ、ここは『モテない宇宙人』遼州人の国の東和共和国で、遼州人のアイドルが『彼氏がいない』と言ったら本当に生まれてこのかた父親以外の男と話をしたことが無いなんて言うのが当たり前の国だから……かなめちゃんの生まれた元地球人の国の甲武国じゃどうか知らないけど。ああ、あそこの芸能人の女は全員水揚げ済みの芸者しかいないって話だから男を知らない芸能人なんて甲武には一人もいないのよね」  にやけた調子のアメリアの言葉にかなめはグラスをカウンターに叩きつけた。  店の奥で串を返す老人の手が一瞬だけ止まり、客席の笑い声がぎこちなく沈むが、すぐにいつものざわめきに戻った。ここでは冗談と本気の境界が薄い。誠はその『薄さ』にまだ慣れない。 「テレビもラジオも電気もガスもねえ甲武じゃアイドルなんて居ねえんだ!居るのは噂に流れる花魁や女郎や芸者ぐらいのもんだ!連中は男に身体を売ってなんぼだ!だから映画に出ている女優と名乗ってる元芸者が男を知らねえことは有り得ねえわけだ。庶民は一晩で年収がぶっ飛ぶようなそんな女と寝る事だけを夢見て日夜汗水たらして働いてるんだ!連中が東和のようなアイドルへの応援をしようと思えば店の金に手を出して処刑されるか、有り金すべてを一晩その女につぎ込んですぐに路頭に迷うことになる。まず、そんな国に育ったアタシが神前に気があるからうちに引き込んだなんて発想がどうやったら出て来るんだ?馬鹿言ってんじゃねえよ!今回もつまらねえ人間が来たくらいにしか思ってなかったアタシはそんなことしてねえ!アタシは今回はマジだった!こいつが格闘戦以外は並み以下ってのは知ってたけどあれほどとは思わなかった!そんだけだ!」  いかにも彼女らしいアメリアの勘ぐりを迷惑だというようにかなめはそう言って目を逸らした。  かなめの口調は荒っぽいが、目はどこか柔らかい。誠はその柔らかさが、自分への興味と嫌悪の間を揺れる何かであることをなんとなく理解した。 「でも、模擬戦の最中に西園寺さんの攻撃を防いだあの不思議な板みたいなのが無ければ僕はあの一撃で負けてたと思うんですけど……。アメリアさん、教えてください。あれは何なんですか?西園寺さんも僕の知らないような情報を知っているんですよね?教えてください。僕には何が出来るんですか?あの現象は僕の知識ではどう考えても説明できないんです。お願いします」  誠は真剣な表情でアメリアを見据えた。  アメリアは一瞬だけ口を閉じた。    誠から見ても分かるほどにアメリアの沈黙は知っているからこそ、言葉を選んでいる沈黙だった。  アメリアは知っている。  だが、それを誠に渡す権利を、まだ自分にはないと思っているようだった。  彼女の言葉に混じる緊張は、勝負の偶然では揺らがない何かを示唆していた。板……あの不可解な『障壁』は誠の胸にくっきりと刻まれ、彼は理由を知りたがっている。  そんな誠を見ながら相変わらず何を考えているか分からないアルカイックスマイルを浮かべていたアメリアはただビールを一口飲んで語りだした。 「あれねえ……誠ちゃんの私生活が監視されていたことと関係があるのは分かるわよね?しかも生まれた時からどこの誰かも知らない連中に」  少しまじめな表情を作っているアメリアの言葉に誠は静かにうなずいた。  アメリアの語り口はかすかな抑揚を持ち、場の空気を引き締める。誠はその抑揚の奥に、言ってはいけないことを飲み込む技巧を感じた。 「つまり、誠ちゃんには普通の遼州人とは違う『力』があるのよ……これから除隊するかもしれない覚悟の決まってない誠ちゃんには詳しくは言えない。それを誠ちゃんが知ればこのままうちを出て同じように監視される生活に戻った時に命取りになるかもしれない。そんなの私は嫌だもの」  そう言うとアメリアは焼鳥盛り合わせに手を伸ばした。  言葉の輪郭は厳しい。誠は『命取り』という単語にぎくりとする。家族、出自、監視……胸の内でいくつもの小さな疑問符が踊る。 「オメエには……『法術師』の素質があるかも知れねえんだ。叔父貴や……あの自称『魔法少女』で化け物クラスに強くて地球人類を3年もかければ絶滅させられると公言しているランの姐御と同じようにな。そんな言葉をいつもの猥談に混ぜて叔父貴が言ってたんだよ。詳しい理屈は知らねえ。けど、オメエはただの候補生じゃねえってな」  かなめはそれだけ言うとグラスに残っていたわずかなラム酒を飲み干した。  『法術師』という単語が出た瞬間、近くで騒いでいた隊員の声が少しだけ落ちた。    誰も聞いていないふりをした。    だが、聞こえていない者はいなかった。  『法術師』とは、アニメでいうところの『超能力者』みたいなものか、と誠は雑に理解したが、ただ、そこに『人外』のランを含めていいのかだけは、どうしても気になった。 「『法術師』……それって何です?クバルカ中佐みたいになる……8歳児になるってことですか?あと、あの『駄目人間』みたいになるのは御免です」  『法術師』の言葉の意味は知りたいが、その言葉を口にした時のかなめの緊張した面持ちを見てそれを今受け止めることは誠には出来ずについ、笑いに逃げてしまっていた。 「茶化すな。『法術師』については私は隊長から、必要最低限しか聞いていない。だから、今ここで貴様に説明できることは少ない。ただ、クバルカ中佐の言葉や行動から見ると貴様の知っている貴様の言う『魔法少女』という比喩に、形式上は近いらしい。ただ、貴様は私には少女には見えないからそれ以外の意味があるんだろうな」  カウラの声は低かった。    その一言が、カウンターの空気をさらに冷やした。    誠はそこで初めて、自分が冗談を言うべき場面ではなかったのだと気づいた。  理系の誠には、三人の言葉をどう理解すればいいのか分からなかった。    ただ一つ分かったのは、『法術師』という言葉が、この店の喧騒すら一瞬黙らせるほど重いものだということだった。

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