橋本直 / 第26話

第21話 怒る順番が違う男

 気の弱い誠はここでようやく自分が怒りで顔を赤くしている事実を発見してさすがに新たな上官の前でそのような態度を取れば嵯峨と同レベルの人間失格の存在になると悟ってとりあえず嵯峨のペースには巻き込まれまいと姿勢を正し、ネクタイに軽く手をやる。  ランは横目で誠の表情を確かめると、面白げに肩をすくめた。  嵯峨はタブレットを机に置き、白目の下で笑ったように見える。  嵯峨はそこで、ふと目を細めた。  誠の怒りが、自分の人生を弄ばれたことに向いていない。  いや、向いてはいる。  だがその中心にあるのは、もっと別のものだった。  嵯峨は怒りに震えて周りを見回す誠の視線を追った。  そこにあるのは茶渋。  埃。  床の黒ずみ。  その誠の視線の先にあるものを見ると嵯峨は一瞬だけ黙り、それから心底楽しそうに笑った。  嵯峨はその瞬間、誠の怒りを恐れなかった。  むしろ、見つけた、という顔をした。 「ああ、その目……全責任が俺にあるような感じに見えるけど……そんなに俺だって暇なんじゃないんだ。今は暇だけど。お前さんを罠にかけたのはここの全員が分担してやったんだよね。お前の人生をぶち壊したのは、別に俺一人じゃないよ。俺はそうするように、より効果的にお前さんの進路をすべて潰してここに来るしかないように仕組んだだけ。まあ、そう考えれば責任は俺にあるというわけか……お前さんが怒るのも当然かもね……でも怒っても疲れるだけだよ。もっと前向きに、今自分が置かれた現状の中で自分に何ができるか考える。賢い人間なら そういう方法を考えるもんじゃないのかな?」  ……嵯峨の声は薄く、どこか満足げだった。その口調はまさに詐欺師がこれまで横領した金にさらに追加投資を求める時のそれにあまりに似ているように誠には聞こえた。  普通の人間なら、この場で怒鳴る。  人生を返せと言う。  謝罪を要求する。  だが誠は違った。  彼が最初にしたのは、誠は机の上の書類を一枚手に取ったことだった。  角が折れていた。  それを直した。  ランが何か言った。  嵯峨も何か言った。  だが誠には聞こえなかった。  今この部屋で最も優先されるべき任務は、謝罪の追及でも進路の確認でもない。  整理整頓だった。 「それとお前さんの視線が落ち着かないからそれを観察してたんだけど……なるほどねえ。お前さん、俺に騙されたことより、この部屋が汚いことの方が許せないんだ」  嵯峨は机の上の空き箱を指で少し押した。 「いいねえ。実にうちら向きだ。怒る順番がまともじゃない。普通そこじゃないでしょ?怒るところは。俺の部屋が汚かろうがきれいだろうがお前さんにちゃんとした仕事を与えられれば俺は上司として合格。それが出来なきゃ不合格。それが世の中。そんな事も分からないからお前さんはこんなお前さんにはどうしても受け入れられないほど汚い部屋に来なきゃならなくなったんだ。その点では自業自得だね。俺としても自分の罪悪感が軽くなっていい気分だよ」  皮肉にまみれた嵯峨の言葉を聞いて誠は全てを見抜かれていた事実に驚いて言葉を失った。  その狼狽えた誠の態度に満足したように嵯峨は言葉を続けた。 「まあ、ここまで来ちゃった自分の間抜けぶり。それを回想した事ってお前さんにはあるのかな?まずさあ、就職活動で受けたインターン五社。一社もメーカーが入ってないから、これは潰しとこうってことで、これを全部潰した。 理系に行ったってことは技術屋になりたかったんでしょ?技術屋が技術を捨ててどうするのよ。自分の長所を見つけて人生の選択肢を選ぶのは当たり前の話だよね?お前さんはそれが出来なかった。だから俺達がした悪事は一種のボランティアなんだ。お前さんの未来を明るいものにする為の慈善事業。怒るんじゃなくて感謝するのがあるべき姿なんじゃないのかな?」  まるで自分の功績を誇るかのような嵯峨の態度に誠は怒りを新たにした。しかし、そんな誠の表情をまるで無視して嵯峨は得意げに話を続ける。 「お前さんは東都理科大の理工を出てるんでしょ?一流の理系の大学を出てその知識も才能もある。それだったら技術屋に専念してメーカーで技術を磨かなきゃ意味がないんじゃないのかなあって俺なりに気を使ってあげたの。確かに地球の戦争に介入して物資の調達なんかで巨額の富を稼いでいる商社なんて行っても技術が陳腐化したらすぐお払い箱だよ?」  嵯峨はまるで誠を子ども扱いするようにそう言って笑っていた。 「商社に行ったって、お前さんは営業に回される。営業ってのは、技術の良し悪しを語る仕事じゃない。人の顔色を読み、相手の都合を飲み込み、嘘にならない範囲で話を丸める仕事だ。無理だろ?この部屋の茶渋一つで目が吊り上がる奴に、そんな腹芸ができるわけない」  皮肉めいた笑みで嫌味を言い始めた嵯峨に誠は嵯峨が自分の心を読んでそれを面白がっているように見えた。 「でも、メーカー系の商社なら商品知識とか……」  なんとか反論を試みようとする誠に嵯峨は軽蔑したように一度下を向いて、ため息をついて顔を上げた。 「商品知識? そんなもんカタログとメーカーの技術担当に任せればいい。商社の仕事は、人と人の間に立って、誰も損した顔をしないように話を丸めることだ。お前さんにできる? 茶渋一つで目が吊り上がる奴に」  嵯峨はまるで自分のした行為が『善意の慈善行為』であるかのように得意げに語った。 「うちの隊でそんな俺から見たらどう考えても人生を捨てにかかってる馬鹿であるお前さんを救う希望者を募ったら地球人の血を引く女性の勇者たち……ああ、アメリア……コイツは次にお前さんが会う運航部の部長なんだけど……そいつの部下達が電話やらネットでお前さんのあることないこと書き込んで人事関係者に|曝《さら》したわけ。そんな事をしたら清廉潔白で性的倫理感の高い遼州人の国である東和共和国に本社を置く企業の人事担当者なら全員手を引くわな。情報戦は戦争の基本と言うのが俺の主義でね。それが見事にはまったわけだ。俺のこの隊の任期はあと3年半でね。その後はアメリアにこの『特殊な部隊』の隊長を譲ろうと思ってる。アイツはIQ250だから。それぐらいのことはできるんじゃないの?」  誠は思い出した。  大学三年から始まる企業のインターン。  担当者が連絡を取るたびに次第に態度が変わっていき、最終的には誠を汚物扱いするようになり、すべてが立ち消えになった。 「そんなことしても、お前さんを欲しいという酔狂な会社があるの。二社役員面接まで行ったとこ、あったよね?そこにトドメを刺したのが、隣の人格者の幼女。俺からしてもナイスキャスティングだったと思うよ」  そう言って嵯峨はランを指さす。誠は嵯峨の指の指すままに隣のちっちゃいランに目を向けた。 『この人……この嵯峨とか言う隊長を『脳ピンク』とか『駄目人間』とか言う割にしっかりその策略に加担していたのか?言ってることとやってることが矛盾してるぞ……さっきまでの人が良さそうに見えたのは嘘だったのか?』  ランは急に表情を消した顔で誠を見上げた。  誠は怒りに震えながら、かわいらしいランをにらみつける。 「確かにオメーの進路のトドメを刺したのはアタシだ。オメーが幼女にしか欲情しないド変態で、その|嗜好《しこう》を実行したことを演技と妄想でしゃべったら、落ちるわな、ふつー。あと、どちらも成果主義が売りの会社だから地球圏との商取引があるから当然、地球圏の超巨大企業のAIとのメールのやり取りとかもあるわけで英語できなきゃ管理職になれねーぞ?オメーの語学力じゃ絶対無理!定年までそんな花形の出世コースに乗った後輩たちの下働きとして係長か主任で終わるのは嫌だろ?だから潰した。思いやりが|溢《あふ》れてるだろ?アタシ。『魔法少女』としてはそう言う客層をキープしておく必要があるわけだ」  そう言ってしてやったりと言うように笑った。 『こいつ等全員悪党だ!そして!今更『魔法少女』ってなんだ!さっきあれだけ僕の魔法少女アニメ好きを否定してたよな!それがここに来て自分が『魔法少女』って言いやがった!コイツ本当に魔法が使えるんじゃないか!だから 永遠の幼女なのか?やっぱりこの人が目の前の嵯峨なんていう小悪党を超えた一番の『人外魔法少女』なんじゃないか?』  誠の心の中はそんな思いで満たされた。  しかし、十年前の内戦から姿が変わっていないということはランが『魔法少女』なのかもしれないという気分になっていた。 「クバルカ中佐は『魔法少女』というのは比喩ですか?噓ですよね?そんなの実在しませんからね?さっき『魔法少女』や『アメコミヒーロー』の出来ることは変身以外は全部できるって言ってましたけど……そんなのあり得ませんよね?お願いですからできないって言ってくださいよ……」  誠はとりあえずこの場で疑問をぶつけて見せたくてそう言った。 「さっき言ってたアタシが出来る事か?ここだけの話だが、アレは全部事実だ。そんな事がすべてできるアタシは地球人から見たら立派な『魔法少女』なのかもしれねーな……でもそんなことはオメエの配属とは関係ねーや。それはアタシの軍人としての戦闘能力の問題。今の話題はオメーの馬鹿な進路を選んだという話だろ?話を逸らすんじゃねーよ」  ランは自分が『魔法少女』であることをあっさりと認めながら次の話題へと誠を導いた。  その告白が誠の怒りの炎に油を注ぐ。怒りは理性を溶かすほどの勢いで周囲を赤く染めるが、誠は自分を抑えようともがいた。冷静であろうとする彼の内部で、短い決意が芽生える。汚れた現実に対してただ叫ぶだけでなく、手を動かして変化を起こすこと。誠の性分はそれを許さなかった。 『おい、嵯峨。言葉だけでなく、行動で示せ。ここを片付ける。それで多少はお前等の言葉の軽さを和らげることができるかもしれない。少なくとも、ここを掃除する間はお前の言葉は空虚に響かないだろう……この部屋に漂う埃が貴様の本性を現している』  誠は小さな、だが堅い決意を胸に抱いた。机の上の一枚を手に取り、折れ曲がった角を整える。コーヒーの茶渋が染みついた紙をそっと脇に寄せ、埃を払う。ランが何か口をはさんだが、誠は聞き流して作業を続けた。行為は静かだが確かな抵抗だ。乱雑な部屋に秩序を呼び戻す最初の動き。誠はそれが自分に課された小さな『儀式』だと理解していた。 『もしここに残るなら、まずは片付ける。埃を払い、紙を整える。空気を入れ替え、匂いを消す。そうすれば、この場所がただの怠慢の温床でなくなる。人が変わるかどうかは、後のことだ』  その決意は静かなものだったが堅かった。誠は自然と指先に力を入れる。ランが何か言いかけたが、誠の耳には届かない。視界の片隅で嵯峨が煙草の灰を落とす。灰は小さな黒点となって机の表面に落ち、散り、消えることなく横たわる。誠は手を伸ばして、その灰を自分のナプキンでそっと払いたくなる衝動を抑えた。 『まずはここを掃除する。きれいにすることから始める。それが僕のやり方だ』  誠の中の整理欲が、無秩序に立ち向かう小さな盾となった。目の前の嵯峨という人物は消えやしない。だが、空間を変えれば、人の見え方も変わる。誠はそう信じていた。そして、軽蔑は純粋な感情であり、行動へと変わるべき怒りでもあるのだ……それを証明するために、彼は胸の内に小さな火を灯した。 「神前よ、この部屋を片付けてくれるのはうれしいんだけど、初日からそんなことは頼んでないよ。それになんでそんな怖い顔で俺を見るの?ここには酸素もある。そして望めば水も飲めるしカップ麺を作るためのお湯まである。地球みたいな放射能汚染とも無縁なんだ。それをなんでそんなに怒るの?放射能は寿命を縮めるけど埃はアレルギーで医者に通わなきゃいけないだけで死なないよ。そこんところはお互い穏便に行った方が生産的なような気が俺はするんだけどね」  嵯峨はまるで反省をする様子もなくそう言い切った。 「それにまあ、過ぎちゃったことはどうしようもないよね。お前さんも今ある現実を受け止めなよ。それにお前さんはうちにとってそんな非道なことまでしてほしい人材だったんだよ?そこのところは胸を張ってもいいんじゃないかな?待ってたんだ、誠。お前の『才能』をここで使わせてもらう。お前がどんなに頼りなくても、使い道はある……って言って欲しいでしょ?じゃあ、言ってあげる。お前さんはうちには必要な人材なの。だから無茶しても欲しかったの。こう言えば満足できるでしょ?違う?」  嵯峨の口ぶりは軽薄だ。だが誠は、言葉の端にある一種の誠実さの兆しを見逃さなかった。人を手元に置く者は、時に目的を持っている。だがその目的が善か悪かは、彼のこれからの行動で決まる。  誠は深く息を吸った。選択の重みが、胸の奥でじわりと広がる。嵯峨は冷たく――だがどこかで慈しむように、誠を見つめる。ここにいる人間たちは手段を選ばぬこともあるが、同時に仲間を守る気概を持っていると示す。 「でも、俺は人を策に嵌めるのは好きでもその人間には選択肢ぐらい与えるぐらいの善意は持ち合わせているの。決めるのはお前だ。悩めばいい。期限なんて野暮なもんはつけないよ。だが、うちの一員としてこの隊に所属する連中から試されることは確かだ……これにはお前さんの意思以外にこの『特殊な部隊』の隊員のすべての意思が関わってくる。どこの会社でもそうだけど、後輩は先輩の機嫌を取らなきゃならない。それは別に会社に限らないし地球人や遼州人でも共通の社会性を持つ生き物としての当然の在り方なんだ。俺も隊長としてそれを尊重したい。でも、こんな目に遭わせてまでお前さんをここに引き込んだお前さんの意思もそれはそれで大事にしたいんだ……で……どうなの?」  嵯峨の口調は柔らかくなった。タバコに火をつけ、ゆっくりと煙を吐く。窓の外、差し込む光が室内の埃を浮かび上がらせる。誠はその微かな時間の流れの中で、自分が何を選ぶべきか、静かに問いかける。  急に嵯峨の表情が引き締まって誠を真正面から見つめた。嵯峨にとって、人を罠にかけるのは仕事であり遊びであり、同時に『選ばせる』ことでもある。誠からも嵯峨のその信念が見て取ることができた。 「まあいいや、とりあえずそのお前さんを受け入れるにあたり協力した人間達にあいさつするのが最初にお前さんのするべきことなんだろうね。その連中を見て、そしてそいつ等に気に入られてそれでも嫌だというのなら出ていけばいい。それじゃあそのお前さんを引き込むにあたって全力を尽くしてくれた『特殊な部隊』の面々に挨拶をしないとね」  嵯峨は十分誠を弄り倒して楽しみ尽くしたと言う顔でそう言って笑っていた。 「それじゃ、次は運航部だ。ここの部屋の真下に『運航部』っていう『変な髪の色』をしたねーちゃん達がいるから。そこに顔を出して一言挨拶してきてちょうだいよ」  嵯峨は煙を吐きながら、まるで舞台袖から次の出し物を紹介する司会者のように笑った。 「アメリアが待ってる。あいつ、お前さんのことをたいそう気に入ってるよ。たぶん、今ごろネタを三つくらい仕込んでると思うけどそれを切り抜ければお前さんも勇者になれる!」  ふざけた口調で嵯峨がそう言うのを誠は半分呆れた調子で聞いていた。  黙り込む誠と饒舌な嵯峨を見比べてランが舌打ちした。 「三つで済むと思うか?あの究極の馬鹿のネタは洒落にならねーかんな」  ランは全てを悟ったようにそう言うのを見て誠は諦めたように口を開いた。 「別に僕はロールプレイングゲームの勇者の役として生を受けた訳じゃないんですけど……」  今、誠に言えるそれが最大限の皮肉だった。 「いいじゃん、勇者だよ。モテモテだ。『モテない宇宙人』である遼州人のお前さんには理想の職業だよ?しかも運航部は全員美人の女子!最高じゃないの!と言うわけで、ランよ、神前の案内済まないね」  嵯峨は嬉しそうに即答した。  嵯峨はそう言うと、手を振って誠を促した。誠は隊長室を後にする足に力を込める。  誠の足音が廊下に遠ざかったあと、嵯峨がぽつりと言った。 「……当たりだよ、アイツは。実にうち向きだ。怒るところが完全にずれてる」  ランは顔をしかめた。 「嬉しそうに言うな。気持ち悪い」  それから、埃まみれの机をちらりと見た。 「それと、この部屋が汚えのは事実だ。少しは反省しろ」  苦笑いを浮かべながらちっちゃなランは一言毒を吐いた。

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