橋本直 / 第51話

第46話 新さんを知る女

 入り口の引き戸の上にぶら下がる提灯はわずかに煤けているが、文字はくっきりとしていた。外からは焼き鳥を焼く香ばしい匂いと、何か懐かしい醤油の香りが流れてくる。誠の胃が鳴った。  その前に、箒を持ったかなめに似たおかっぱの紺色の制服姿の女子中学生が一人でかなめをにらみ付けていた。その視線は敵意に満ちていて、それを見つめ返すかなめもまるでその中学生と同レベルの闘志むき出しの色に染まった。  目と目がぶつかった瞬間、誠は、二人の間に不思議な因縁めいたものを感じた。街は小さな関係でできている。かなめの顔はむしろ楽しげに歪むが、そこにある緊張は消えない。  かなめは黒いタンクトップに剥き出しの銃を叩いて少女を威嚇するが、少女はまったく臆する様子もなく箒を手にしたままでかなめをにらみつけていた。 「おい、外道!この前ぶち壊したカウンターの勘定、いつ払う気だ!」  少女は強気の表情を崩さずにかなめを恐れずにそう言い切った。かなめは時折脇のホルスターの中の銃を叩いてその存在を示して威嚇するが、それでも少女は怯む様子を見せない。   「まったく、『暴力馬鹿につける薬はねえ』って偉大なる中佐殿が言ってたけど、本当にその通りだな!うちで特別な酒を頼む手間までかけさせやがって。外道は飲む酒まで本当に外道なんだな!アンタに自分で稼いだわけでもないのに入ってくるらしい金以外に自慢できるものは何かあるのか!言ってみろ!外道!」  銃でも怯まない少女に向けて歯ぎしりをしてにらみつけるだけのかなめの態度に気を良くして今度は優位に立ったかのように憎しみに満ちた笑みでかなめを見ながら少女は続ける。   「家柄と暴力以外に取り柄がないなら、せめて金払いくらい良くしろ!」  少女が『家柄』と言った時にかなめがいたいところを突かれたと言うように怯むのを誠は見逃さなかった。 「偉大なる中佐殿も言ってるぞ。『西園寺は家柄と暴力以外に取り柄ゼロの人格破綻者だ』ってな!」  さらに少女は少し押され気味のかなめの様子に満足したようにそう追い打ちをかける。かなめはただ何も言えずに肩を震わせて怒りの爆発をこらえていた。   「明日は『特殊な部隊』じゃなくて病院に行け、外道!」  少女からわざとらしく目をそらして空を見つめるかなめに向けて少女は怒鳴りつけるようにそう言い放った。夕方の赤い光が中学校の夏服の白いワイシャツ姿の少女を照らしている。  少女の言葉は軽いが芯は太い。店の常連たちと店の若い手伝いの間にある習慣のようなものだ。誠はその力関係を静かに見守る。  誠は少女と視線が合った。  少女はそれまでかなめに向けていた敵意で彩られた視線を切り替えて、歓迎モードで誠の顔を見つめる。かなめがこの店で重ねた狼藉は誠もかなめとの雑談の間にいくつか聞いていたが、この少女の反応も当然というものばかりだった。しかもかなめにはそのことに対する反省の色が全くない以上、このような態度を取られても文句は言えないと誠は思っていた。  そして事ここに至っても銃を手にして自分の優位を確保しようとするかなめを見ていてもうすでにそれは大人の取る立場ではないと思いつつ、それに怯まない少女の姿に称賛を送りたい気分になってきていた。  そしてにらみ合うかなめと少女の様子が膠着戦になったことを悟ると、誠はカウラに目をやり、さらに店内を見つめた。  誠の実家の下町ではよく見かける名の知れた老舗の雰囲気を思わせる店構えに誠は興味を引かれていた。  少女はこれ以上かなめと関わっても何の得にもならないと察したようで、それとは違って自分の店に興味を示している誠の姿を見てようやく納得がいったように箒を立てかけて誠に声をかけてきた。 「この人が『偉大なる中佐殿』が言っていた新しく入る隊員さんですか、アメリアの|姐《あね》さん?それならこの外道のことは忘れて感謝しないといけないですね。なんと言ってもあの『偉大なる中佐殿』がこの人と認めた御仁なんですから。それ相応のうちで出来る最高のおもてなしをしないと中佐にアタシの顔が立たないですよ」  少女は先ほどまでのかなめに対するのとは、うって変わった丁寧な調子でアメリアに話しかける。  店と部隊の関係は密接だ。若い女の子が敬礼めいた所作を見せるのは、地域の中での役割分担を自然に受け入れているからだ。誠はその様子にほのかな温かさを感じた。 「そうよ!彼が神前誠少尉候補生。小夏ちゃんも東和宇宙軍からうちに入るのが夢なんだったら後でいろいろと話を聞くといいんじゃない?小夏ちゃんは勉強ができるんだから……知ってるわよ、第一志望は千要東なんでしょ?あそこは国立難関大学の進学者が多い進学校だから東和国防大学校にも入れるものね。私が居た東和海軍も外部大学の幹部候補生と国防大学校出身者では出世のスピードが全然違ったもの。外部の幹部候補生はたとえ東和の最高学府の東都大学を出ててもいいとこ大佐どまり。それに対して国防大学校を出てればそのクラスの人間なら当然のように将官になれる。勉強頑張るのよ!」  アメリアはその長身ゆえに遼州人の中学生としては普通の身長の少女の頭を軽くなでながらそんな説明をした。小夏と呼ばれた少女は店の前にたどり着いた誠を憧れに満ちた瞳で眺めた後、小夏は敬礼をした。  眼差しの中の期待は純粋だ。誠はぎこちなく手を挙げて応え、内心で微かな責任を感じた。 「了解しました。神前少尉!あたしが家村小夏というけちな女でございやす。お見知りおきを!ささっ!どうぞ!」  掃除のことをすっかり忘れて、無駄にテンションを上げた小夏に引き連れられて、四人は月島屋の暖簾をくぐった。  暖簾の向こう側は別世界だ。木のカウンター、薄暗い電球、時折聞こえる炭のはぜる音……それらが誠を包み込む。  外のムッとする熱波に当てられていた誠には、店内のエアコンの冷気がたまらないご馳走に感じられた。その涼しさと鶏の焼ける香りとタレのしっかりとした香りが店内に漂う。  誠は三人がこんな東都でも稀にみるような店に誠を案内してくれることに少しうれしさと恥ずかしさを感じていた。  確かに、このような店は誠の生まれ育った東都の下町には珍しいものではない。ただ、そんな店は大体、『下町の名店』と呼ばれて行列が出来る店か、そもそも一見さんお断りの店でなじみの客の紹介が無ければ入れない店ばかりだった。  そんな店がこの東都のベッドタウンである郊外の豊川に存在している。誠にはそんな店に案内してくれた三人に感謝の言葉しかなかった。 「いらっしゃーい!あら、また新人さんの試験をしに来たの?」  入ってすぐわかる焼鳥屋のカウンターで和服姿の三十代半ばと言うどこか陰のある色気を感じる女性が誠達を笑顔で迎えた。  女将の所作には無駄がない。手の動き、箸の受け渡し、客の誘導……すべてが熟練のものだ。誠はそのたたずまいにただ圧倒されるばかりだった。 「女将さん、試験だなんて……」  かなめはそう言いながら女将さんに頭を掻いて苦笑いを浮かべた。 「試験みたいなもんじゃないの。結局、ここでの飲み会がきっかけであの新人の男の子たちはみんな辞めちゃったんでしょ?だったらそれは十分試験よ。それ以外の表現なんて私は知らないわよ」  その笑みの端に、一瞬だけ影が差したように誠には見えた。戦場の話をする隊員たちと似た影だった。  その視線の奥にある影のような過去を匂わせる表情に、アメリアは一瞬だけ眉を寄せた。かなめはそれを見逃さず、女将の指先がふと何かを探るように胸元へ触れる仕草を覚えた。細かな動作だったが、そこには長い過去が息づいているように思えた。 「まあ、遅かれ早かれあの五人はうちを出ていく運命だったでしょうからね……女将さん、私達は悪くないわよ」  そう答えるとアメリアは奥のカウンターに腰かけた。 「本当にそう?私が見てる感じじゃアメリアさんとかなめさんで新人君を虐め倒してるように見えたけど」  その誠の目を惹きつけるアメリアに向けた妖艶な笑みに誠はひきつけられている自分を感じていた。 「いやー何のことかしら?さ!誠ちゃんも遠慮せずに!」  明るい笑顔でアメリアを茶化す女将の瞳が誠に向いた。これまで見たことが無いような世の中の裏も表も知り尽くしたような大人の女性の好意のある視線に見つめられて誠は照れながら頭を下げた。 「よろしくお願いします」  素直に頭を下げる誠に向けて影のある女将はどこか含みのあるような笑みを浮かべてかえした。 「新人さん……お名前は?」  カウンターに座る誠達の正面に箸と突き出しを並べながら女将は誠に尋ねた。 「|神前《しんぜん》……誠です」  誠は少し女将の色気に当てられながら控えめにそう言った。 「『シンゼン』……ああ、『特殊な部隊』の人気者ナースのひよこちゃんと同じ苗字なのね。私は|家村春子《いえむらはるこ》。そして西園寺さんと喧嘩をしてたのは私の娘の小夏。そしてここは私のお店。いつも実働部隊の方々にはお世話になってるわ。新さん……ああ、おたくの駄目隊長ね、あの人には昔お世話になったのよ」  こんな行きつけの店でも『駄目』で通るのは隊長である嵯峨が見た通りの『駄目人間』であることを理解すると同時に、このような美女に関心を持たせる嵯峨が何者なのか誠は気になって春子の言葉にさらに耳を傾けた。 「まあ、以前、新さんとは深い縁があってね……あの人はどこか放っておけない人だから。二年前、この豊川に『特殊な部隊』が設立された時、お店もこちらに移ったの」  誠は店を移してまであの『駄目人間』を追いかけてきた春子と嵯峨にどんな因縁があったのかは気になったが『詮索屋は嫌われる』と言うランの言葉を思い出して口を閉ざしていた。 「新さんはね、昔からああなのよ。駄目で、だらしなくて、でも……本当に困った時だけは、絶対に間に合う人だった。だから、私は一度だけ、あの人を信じたの……もうだいぶ前の話……そんなところかしら……」    春子はそこで言葉を切った。    かなめもアメリアも、なぜか茶化さなかった。 「なに?新人さんも私と新さんの関係を知りたいの?新さんならそんな人の過去にこだわる顔はしないわよ……こんなことが言える関係……そこまで言って分からないなら誠君には永遠に分からないかもね……」  そう言って春子は、笑うだけで相手との距離を一歩詰めたように見せる女だった。    声を張っているわけではない。肌を見せているわけでもない。  それなのに、箸を置く指先、客の目を見る間、軽く首を傾ける角度だけで、場の主導権を握ってしまう。 「じゃあ、誠君にはヒントになるかもしれないけど……この店はそれまでは|吉原《きちはら》の風俗街のそっち系の女の子相手のお店だったんだけど……今は客層も変わってほぼ百パーセント『特殊な部隊』の人達のおかげで店は成り立ってるのよね。その点では新さんには感謝しなきゃね……まあ、前の店の女の子の間でも新さんは有名みたいだったけど……何で有名だったかは新人さんには刺激が強すぎるかもしれないわね」  妖艶な笑顔を浮かべる春子に目が行く誠をアメリアとかなめが両脇からどついた。誠は吉原近くの朝草の生まれだったので、春子の言葉にどこか身構えながら、あの見るからに『駄目人間』な嵯峨ならそんなところに年中通っていても不思議はないとなぜか納得していた。  誠は、春子と店の奥で洗い物をしている小夏を交互に見た。    この店は、ただ隊員が酒を飲む場所ではない。    騒がしくて、危なっかしくて、どこか壊れている『特殊な部隊』を、外側から受け止めている場所なのだ。    そう思うと、月島屋の灯が少しだけ違って見えた。    かなめは微かに目を細めた。  春子の肩や手の筋、客との距離の取り方に、過去の仕事の名残を見たのだろう。  言葉にしないが、察している。  その空気が二人の間に流れた。  そして二人の間に流れる不穏な雰囲気に嫉妬したかなめの一撃が誠のみぞおちを直撃した。 「ゲフ」  誠のうめき声を全く聞いていないカウラは店の奥に書かれたメニューを眺めている。  そのどこまでも自然体でいられる雰囲気に誠はいつの間にか馴染んでいる自分を感じていた。

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