らぱすてー / 第78話

もんもんぐんぐん

 転生したらもんもんぐんぐんだった。  何を言っているのか分からないと思うが、俺も理解できていない。ただ自分が、もんもんぐんぐんだという確信だけがある。  気がついたときには、俺はもんもんぐんぐんで、もんもんぐんぐんは俺だった。それ以外のことは、何もわからなかった。  前の記憶というものが、あるような、ないような。うっすらと、別の何かだったような気がしないでもない。  でも、それが何だったかを思い出そうとするりと逃げていく。つかもうとした瞬間に、水が指のあいだからこぼれるみたいに。  まあいい、今の俺はもんもんぐんぐん。それだけで、十分だ。  もんもんぐんぐんには、出番というものがあるようだ。これだけは、なぜかはっきりとわかった。  もんもんぐんぐんとして生まれた以上、もんもんぐんぐんらしい出番がある。そして俺は、その出番を待たなければならない。  だから待つことにした。  ——  待つ、といっても、どこかに留まってはいない。俺には形もない。重さもない。においもない。強いて言えば、ある種の「気配」として、どこかにあった。  時間は流れていく。長かったか短かったかも、よくわからない。百年かもしれないし、ひと晩かもしれない。もんもんぐんぐんにとって、時間というのはそういうものだった。  待ちながら、俺はいろいろなことを感じていた。  どこかで笑い声がした。  どこかで新しい命が産声を上げた。  どこかで星が瞬き、消えていった。  世界は、ずっとそういうことを繰り返していた。そして俺は、ずっとそれを感じながら、待っていた。  退屈とは程遠い体験だった。待つというのともんもんぐんぐんは相性が良いらしい。  そして、ついにその時は来た。  ——  ダイスン王国は、滅びの時が目前まで迫ってきていた。  それは東の山脈を越えて、黒い鷲の旗を掲げたヴィスカール帝国の大軍という形でやってきました。  国境の砦は四日で落ち、破竹の勢いで駒を進めるヴィスカール軍に成すすべがありませんでした。  首都のほどちかく、ダイスン川を挟んで両軍は睨み合いました。ですが、兵力差は明らかでした。  ダイスン王国は、トルバ公国へ援軍を求める早馬を出したものの、返事はまだありません。  首都ダイスカール近郊は、逃げ出してきた人々で溢れました。人だけでなく、馬や荷車が横倒しになり、子どもの泣き声が野原に広がっていきました。  帝国軍がダイスン川のほとりに宿営を張ったのは、六月に入ってすぐのことでした。この川さえ渡ってしまえば、王都まで一日とかかりません。  帝国の将軍グランツは川岸に立ち、対岸を眺めました。五十年近く戦い続けてきた名将で、負けたことがありませんでした。 「明朝、渡る」  グランツはそれだけ言って、天幕へ戻っていきました。  俺はちょうどダイスン川の上にたどり着き、もんもんぐんぐんと脈動しました。  誰に呼ばれたわけでもなく、命令されたわけでもありません。ただ、「今だ」という感じがしたので来ました。何十年ぶりか、何百年ぶりかもわからない、久しぶりの出番です。  俺が川岸に現れたとき、夜番の兵士たちはしばらく動けませんでした。  一番手前にいた若い兵士は、たいまつを持ったまま、ぽかんと口をあけています。その炎も、ゆれることを忘れていました。  となりの古参兵は、剣の柄に手をかけたまま、そのあとどうすればいいのかわからないようでした。斥候の馬が一頭、小さくいなないて、それきり辺りは静寂につつまれました。  さて、一世一代の見せ場です。  まず、ぐるぐるとめぐる渦になりました。  川岸を覆って、平野を覆って、夜空にまで届くような大きな渦です。兵士たちのたいまつが次々と消えていきました。風が生まれ、砂が舞い、天幕の布がばたばたとはためきました。  もんもんと、雲が集まってきました。  東から来て、西から来て、南から来て、北から来て、夜空を覆っていきました。星が消えました。月が消えました。あたりは真っ暗になりました。  グランツ将軍が天幕から飛び出してきて空を見上げたとき、五十年の勘が告げました。これは尋常の出来事ではない。人知の及ばない何かがいる。  最初の雨粒が落ちてきました。  ぽつり。  ぽつり。  それから、一息おいて。  ごう、と来ました。  天が割れたみたいに、雨が落ちていきます。  兵士たちは天幕へ逃げ込みましたが、天幕もすぐにびしょ濡れになりました。馬が怯えて跳ね回り、荷車が泥に埋まっていきました。  ダイスン川が、唸り始めました。  低いうなり声が、だんだん大きくなって、やがて地面まで震えていきます。  夜が明ける前には、川の様子はまるで違ったものになっていました。  昨日まで膝丈だった水が、胸まで浸かるところまで来ていました。水は茶色く濁り、恐ろしい速さで流れていきます。水しぶきが上がり、対岸は霞んで見えなくなりました。  それでもなお、ぐんぐんと雨は降り続けます。  一日経っても、二日経ってもやみません。川はさらに膨らんで、岸を越えて野原へ広がっていきました。宿営の端が水浸しになり、兵士たちは荷物を持って高いところへ逃げました。  グランツ将軍は川を見ながら、腕を組みました。    ---  トルバ公国の援軍がダイスン王国に着いたのは、雨が振り始めてから二日目のことでした。五千の騎馬と一万の歩兵。そして大量の物資。旗には、銀の鷹のしるしがありました。  王さまは城門の前まで雨の中に出て、頭を下げました。 「よくぞ来てくださった」  声がふるえていました。  援軍は二日のあいだに各所に配置されました。橋には柵が築かれ、陣地には整然と兵士が並びました。王国はゆっくりと、息を吹き返していきました。  老将軍は城壁の上から雨を眺めながら、ぽつりと言いました。 「天の助けというやつか」  空に向かって、静かに頭を下げました。  ---  四日目の朝、雨がやみました。  雲が切れて、久しぶりの陽の光が地面に差し込みました。ダイスン川はまだ濁っていましたが、水位はまだ下がりません。  グランツ将軍は川岸に立ち、対岸を見ました。銀の鷹の旗が、朝風にはためいていました。その後ろに、兵士たちの列が続いていました。    将軍は長いあいだ、その旗を見ていました。  この水位では、渡ればまず半数を流される。渡りきったところで、増えた敵とまともにぶつかることになる。五十年、負けなしで来られたのは、勝てない戦をしなかったからだ。  それから静かに言いました。   「退け」  ヴィスカール帝国の大軍は、来たときと同じように、東の山へ帰っていきました。黒い鷲の旗が遠ざかり、小さくなり、山の向こうに消えました。  ダイスン王国は、救われたのでした。  ---  人々は天に向かって、深く頭を垂れました。ですが、俺はそのころ、もうどこかへ行っていました。出番は終わっていたからです。  大きな仕事だったか、というと、よくわからない。俺にとっては、ただ来て、雨を降らせて、去っただけです。でも、それで王国がひとつ続いていくなら、まあいいんじゃないかと思っています。  次の出番がいつ来るかは、わかりません。十年後かもしれないし、三百年後かもしれない。惣菜売り場かもしれないし、戦場かもしれない。それはそのときになってみないと、俺にもわからない。  でも、出番が来たときにはちゃんとやります。  それがもんもんぐんぐんというものだから。  今は、また待ちます。形もなく、場所もなく、時間もないどこかの縁で。  世界のどこかで麦が実って、どこかで子どもが生まれて、どこかで川が穏やかに流れている。そういうことを感じながら。  それが、もんもんぐんぐんの、日常というやつです。

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