最強バトルの人 / 第109話

第43話 まだ喋ろう

  ――シャオの部屋。   シャオ(眠れんアル)ギンギン おかしい。 さっき、下でハゲとまばたき我慢比べをしていた時は、眠くなったのに。 お湯に浸かって、歯磨きして、布団に入った途端に、眠気がどこかに行ってしまった。 シャオ(――いっぱい喋ったからアルかな) 頭の中に、たくさんの情報が流れ込んできて。 知らないこと、知りたかったことが溢れて。 今の私の頭の中は。 ウーミン。 爸爸《ぱーぱ》。 ばぁちゃん。 肉まん。 黒龍拳。 ハゲ。 ジョアンナ。 肉まん。 火鍋。 子パンダちゃん。 御皿《おさら》 |割太郎《わりたろう》。 肉まん。 肉まん。 ヨウエン。 肉まん。 “流れ”。 肉まん。 肉まん。 肉まん。 ――。   シャオ「――眠れんアル!」   ――こういう時は、夜食に限る。 たしか、厨房の冷蔵庫に焼豚が仕込んであった。 それをうすーく切って、白米といただくことにしよう。 紙のように薄く、だ。 この方法は、ばぁちゃんにもまだバレていない。私の編み出した奥義だ。 膳は急げ。 私はむくりと起き出し、泥棒のように階段を降りた。 トン。  トン。   トン。    トン。 気付かれないように、そーっと降りる。     ギシッ! ――! しまった! この段はいつも、軋むのだ。 もっと、ゆっくり――。 ――シャオの目が、虚ろになる。 “全部を見る”。 あるいは、“何も見ない”。 “覚醒”しつつある、何か大きなものの“流れ”を読む力が、シャオの身に宿った。      スッ――。       スッ――。        スッ――。 よし。これでいい。 厨房には――。 誰もいない。 しかし、油断は禁物だ。 私は、誰も起こさないよう、慎重に厨房に忍び込んだ。 あとは、冷蔵庫の扉を開けて――。 ――? 外の照明がついている。 誰だろう。 いつも組み手をしていた広場に、誰かがいる――。 * リー リー リー リー コロ コロ コロ コロ 秋の夜。 涼しい風が、近場の稲穂を揺らす。 月明かりは、少し欠けた満月。 ときおり雲が重なり、その顔を隠している。 店の裏手の広場で、月を見る人がひとり。 その横顔は――。 シャオ「――ばぁちゃんだったアルか」 ラオ。 老厨中華飯店の店主。その人だった。 声をかけてもラオは、月から目を離さない。 月光が横顔を照らし、年輪の入った皺《しわ》を浮かび上がらせる。 ラオは、優しく口を開いた。 ラオ「おや、シャオ。眠れないのかい?」 シャオ「――ちょっと、月を見にきたアル」 ラオは、目だけでシャオを見て、溢《こぼ》れるように「そうかい」と笑った。口元の皺が、くしゃっと遊ぶ。 シャオ「――ばぁちゃんは、何をしてるアル?」 ラオ「ん? なーに、この歳になると、長く眠れないってだけさ。かっかっか」 シャオは、ラオの目を見つめた。 よく働き、よく人を見てきた目。 その目を見ていると、シャオの中で、好奇心が発露《はつろ》した。 この人は、今。 何を考えているんだろう。 月を見て、何を感じているんだろう。 瞳の中には、丸い月が浮かんでいる。 その月の、さらに、さらに奥を眺めていると――。   ラオの心の中が。     シャオの心にも飛び込んできた。     シャオ「――ばぁちゃん。寂しいアルか?」         ラオが目を丸くする。 そして、またいつもの調子に戻る。 ラオ「――かっかっか! なーにが寂しいもんか。こっちは、毎日毎日お客の相手で、寂しがる暇もないよ」 ラオの態度は、どこか取り繕っているようで、気丈に振る舞っているようにも見えた。 シャオの好奇心は、止められない。 シャオ「私たちが出ていくのが……寂しいアル?」 ラオの調子は変わらない。 だけど、ラオは月を見ているようで、もう月だけを見ていないようだった。 ラオ「なーにを言ってんだい。店ってのは、移り変わり行くもんさ。そんなこと気にしてないで、あのバカを倒しに行くんだろ?」 シャオ(…………んー) ――なんか、怪しいアル。 ばぁちゃん、何か隠しているアル。 私は。 ラオの目を見る。 ばぁちゃんの目。 私よりも、たくさんのものを見てきた皺だらけの目。 その奥の、さらにさらに奥。 その、さらに奥を見てみると――。                               シャオ「ばぁちゃん」             ラオ「――なんだい?」                               シャオ「ウーミンのこと、好きアルか?」               静寂――。   ラオは、月を眺めたまま。 その表情は、伺えない。   一秒。 二秒。 三秒。       世界に二人だけが残されたような、長い長い静寂の後。                 【【ラオ「――かーーーっかっかっかーーー!!!」】】 堰を切ったように、笑い出した。     ラオ「なに、バカなこと言ってるんだい! あたしが、あのバカのことを!? かーっかっかっかー!」     違う。 心の声と、出る言葉が、合っていない。     私の好奇心は、もう追いかけても手が届かないほど、遠くまで走りきっていた。         シャオ「――私が、私たちが、ウーミンに会ったら、どっちかが」   口が、勝手に動く。 シャオ「どっちかが、死――」 ――ラオの顔が。目が。 私に向いた。 その顔は、もう笑ってはいなかった。       ラオ「それ以上言うんじゃないよ」 空気が凍えたように、張り付いた。 辺り一帯の虫たちも、鳥たちも。 息をするのを耐えているようだ。 ラオ「あんたの爸爸《ぱーぱ》を殺した仇なんだろ。余計なこと考えるんじゃないよ」   空が。雲が。地面も。 全部の時が、止まったようだった。     シャオ「……」 ――怒らせちゃった、アル? でも、やっぱり好奇心が抑えられない。 この人のことをもっと知りたいという気持ちが、止まらない。 私が、それでもばぁちゃんの目を見続けていると、ばぁちゃんから目を逸らした。     ラオ「――ふう……」 ――ラオは、吐息を闇に溶かした。 そして、吸い込むように、また月を見上げた。 もう、怒ってはいないようだった。     ラオ「――昔の話さ」 風が吹く。 秋の夜風が、稲穂を揺らす音がする。     一秒。 二秒。 三秒。 今度の静寂は、穏やかだった。 風が体を撫でながら通り過ぎる。   やがて、ラオは、楽しいことを思いついたように提案した。     ラオ「――それより!」   ラオの顔が、色めきだっている。 新しいおもちゃを見つけたような、綺麗な指飾りを眺めているような、少女の顔だった。 ラオ「おいで」 ちょいちょいちょい。 ラオは、シャオに向かって、手招きをする。 なんだなんだと近づいたシャオは、ラオに促されるまま、ふたり揃って体育座りで月を見上げる格好となった。 ラオ「あんた、ついに心の“流れ”が読めるようになったのかい?」 私は「んーん」と、首をぶんぶん振った。 シャオ「まだ、読めないアル。でも、今のばぁちゃんなら、読めるような気がしたアル」 ラオ「そうかい。似たもの同士なんだろうね。あたしとシャオは」 シャオ「私とばぁちゃんが? そうアルか?」 ラオ「似たもの同士は、心の中がわかっちまう。きっと、そういうもんなんだよ。参ったね」 ラオは「えいっ」と言いながら、シャオの背中を、平手でばしーんっと叩いた。 シャオ「アイヤっ!?」 ラオ「はやくドウの心も読んであげな。面白いものが見れるよ」 シャオ「……? なんでハゲアル? あいつは、全然読めないアル」 ラオ「かーっかっかっか! そうかい。なら、邪魔したね」 よいしょっ、と声を上げ、ラオが立ち上がる。 そして、服の裾についた土を払いながら「明日は出発だろ? 早く寝ておしまい」と促した。 シャオ「んー。そうアルね。早く寝ないとアル。よいしょアル」 ラオは、立ち上がったシャオに、ウインクをした。 ラオ「焼豚、もっと厚く切ったっていいんだよ。腹いっぱい食べな」 シャオ「――! ばぁちゃん! 私の心も読んでたアル!?」 ラオ「かっかっか! あたしにはなんでもお見通しなんだよ!」カッカッカッ シャオ「むー。悔しいアル!」ムキー ラオ「――明日!」 ばぁちゃんが片方の拳を差し出す。 ラオ「頑張るんだよ。ロンパオの仇を、討ってきな!」 それならと、私も拳を合わせた。 シャオ「もちろんアル! ばぁちゃんも、店で待ってろアル!」 すると。鼻の奥がむずむずして。 ――ふわあ。 眠くなってきた。 きっと、安心したのかも知れない。 でも、お腹は空いている。 このまま、焼豚を厚ーく、厚く切って。 山盛りの白米といただこう。 この拳のように、厚く。 私は、そう誓った。

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