Tihoo / 第77話

第七十七話 「裏社会の酒場で情報収集。ヤカラの武器の『慣性モーメント』を弄って自滅させた」

超音速の馬車酔いで完全にグロッキー状態となったシャルロットとレオンハルト、そして捕虜のザイードの管理は、エリスに任せることにした。 王都の高級宿の一室を借り切り、俺の【物理結界(絶対防壁)】を何重にも張ってある。中からは出られないし、外からの干渉も一切受け付けない、安全な引きこもり空間だ。 「さて。王女殿下を置いてきたのは正解だったな」 俺たちは王都の華やかな大通りを外れ、陽の光が届かない地下水路跡――通称『廃棄区画(スラム)』へと足を踏み入れていた。 鼻を突く下水の臭いと、違法な魔法薬の甘ったるい煙。すれ違う人間は皆、外套を目深に被り、殺気を隠そうともしない。 「ええ、あのような温室育ちの姫君には、この空気は毒でしょう。……それにしても、師匠の隣を歩くのに、こんな薄汚れた場所は相応しくありませんね」 アリアが不快そうに氷の杖の石突きで地面を叩く。その度に、周囲の泥水がピキピキと凍りついていく。 「あら、私は嫌いじゃないわよ? 因果の糸がドロドロに絡み合ってて、とても人間らしいもの。……さあボウヤ、お目当ての場所はあそこよ」 クロエが細い指先で示したのは、傾いた看板に『泥酔する大烏亭』と書かれた、一際薄汚れた酒場だった。 俺はため息をつき、ミリムの手を引いて重たい木扉を蹴り開けた。 ギィィ……ッ。 扉が開いた瞬間、店内の喧騒がピタリと止んだ。 紫色の煙が立ち込める薄暗い店内。円卓を囲んでいるのは、傷だらけの傭兵、賞金稼ぎ、そして非合法の魔術師たちだ。 よそ者である俺たち――黒髪の優男、銀髪の絶世の美女二人、そして幼い少女――という異質な組み合わせに、店中の『捕食者』たちの視線が一斉に突き刺さる。 「……情報収集のセオリー通りなら、ここで気前よく金貨を弾んでマスターから話を聞き出すんだが」 俺がカウンターへ歩み寄ろうとした、その時だった。 「おいおい、見ねえ顔だな。迷子のお坊ちゃんが、こんな掃き溜めに何の用だ?」 背後から、ひときわ巨大な影が立ち上がった。 身長は2メートルを優に超え、全身が鋼のような筋肉で覆われた大男だ。その背中には、彼自身の背丈ほどもある巨大な鋼鉄の戦槌(ウォーハンマー)が背負われている。 「悪いが急いでる。道を空けてくれ」 俺は視線も合わせず、短く応じた。 「ヒャハハ! ツンケンしてんじゃねえよ! ……お前、いい女連れてるじゃねえか。その銀髪の姉ちゃん二人、俺の膝の上に座らせろ。そしたら地下の情報を――」 男が下劣な笑みを浮かべてアリアの肩に手を伸ばそうとした瞬間。 「気安く触れないでいただけますか。……腕を、根本から叩き折って細胞ごと凍らせますよ」 アリアの瞳の奥で、絶対零度の殺意が渦巻いた。店内の気温が一気に氷点下まで下がり、男の吐く息が白く染まる。 「おっと、怖いお姉さんだ。ボウヤ、躾がなってないんじゃないの?」 クロエもまた、妖艶に微笑みながら指先で『事象改変』の赤い魔力糸を弄び始めた。いつでも男の首の骨の因果を捻じ切る準備ができている。 「がおー! ししょー、こいつ殴っていい!?」 ミリムが拳を握りしめ、目をキラキラさせている。 「……待て、お前ら。ここで暴れたら店ごと吹き飛んで、情報源のマスターまで死ぬだろうが」 俺は三人を制止し、大男の前に歩み出た。 「地下の情報を知っているなら好都合だ。吐いてもらおうか」 「あぁん? もやしっ子が粋がってんじゃ――死ねぇぇっ!!」 交渉決裂。 大男は唐突に背中の巨大なウォーハンマーを引き抜き、俺の頭蓋骨を粉砕すべく、凄まじい膂力でそれを横凪ぎにフルスイングしてきた。 空気を裂く豪音。並の魔術師なら防壁ごとミンチにされる一撃だ。 「力任せに振り回せばいいってもんじゃない。お前は『慣性モーメント』を全く理解していない」 俺は一歩も動かず、杖の先で大男のウォーハンマーの柄を軽く小突いた。 ――【物理干渉:質量分布偏在(シフト・オブ・マス)】 回転運動をする物体の回しにくさ、止まりにくさを表す『慣性モーメント()』は、質量()と、回転軸からの距離()の2乗に比例する。 文系のお前らにも分かりやすく言えば、「重い部分が手元から離れれば離れるほど、武器はクソ重く感じて振り回せなくなる」という単純な法則だ。 俺の魔法は、ウォーハンマーの質量を瞬時に『ハンマーの先端(打撃部)』へと極端に集中させた。 総重量は変わっていない。だが、重心が回転軸(男の握る手)から極限まで遠ざかったことで、慣性モーメント()が爆発的に増大したのだ。 「なっ……!? ぐおぉぉぉぉっ!?」 大男の顔が驚愕に歪む。 今まで自分の腕力でコントロールできていたはずのハンマーが、突如として『巨大な鉄の塊の遠心力』に変わり、男の腕を強引に引っ張り始めたのだ。 「と、止まらねぇぇぇ!!」 武器を振り抜く力を制御(ブレーキ)できなくなった男は、己の振ったウォーハンマーの強烈な遠心力に引っ張られる形で、まるで独楽のようにクルクルと回転し始めた。 「どけ! どけぇぇぇ!!」 そのまま自ら竜巻となって店内のテーブルや椅子を次々と粉砕し、最後はレンガ造りの壁にハンマーごと激突して、派手な音と共に気絶した。 ――ズドォォォォンッ!! 「……自滅ですわね。頭の悪いヤカラを見るのは、本当に不愉快です」 アリアが冷ややかな目で、瓦礫の山となった男を見下ろす。 「ふふっ、ボウヤの魔法は本当に人を食ってるわね。因果律よりタチが悪いかもしれないわ」 クロエがクスクスと笑いながら、周囲のヤカラたちを見渡した。 「ヒィィッ……!」 「バケモノだ、逃げろ!!」 ボスのあっけない(そして意味不明な)自滅と、美しき化け物たちのプレッシャーに耐えきれず、店内の荒くれ者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。 「さて……」 静かになった店内で、俺はカウンターの奥でガタガタと震えている隻眼のマスターに近づき、銀貨の詰まった袋をドンと置いた。 「店を荒らして悪かったな。修理代と、情報料だ。……『ラプラスの悪魔』が潜む地下の大魔力晶窟。一番手っ取り早くて、安全なルートを教えろ」 マスターは銀貨の袋を震える手で掴むと、カウンターの下から古びた羊皮紙の地図を引っ張り出した。 「お、王城の地下水路の第4区画だ……。そこに、奴らが物資を運び込むための隠しリフトがある……。だ、だが気をつけろ。あそこはもう、俺たちの知る地下じゃねえ。機械仕掛けのバケモノがウロウロしてる……!」 「第4区画だな。恩に着る」 地図を懐にしまい、俺たちは酒場を後にした。 敵の総本山へ続く最短ルートは確保した。あとはこのまま一気に王城の地下へと潜り込み、エントロピーを無視して暴走しようとしている『巨大演算機関』を、物理法則の名の下にシャットダウン(物理破壊)するだけだ。
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