Tihoo / 第1話

短編

異世界に転生して、早十数年。 俺はついに、愛する幼馴染と結婚した。 名前はフィリア。エルフの女の子だ。 透き通るような金糸の髪に、エメラルドのように輝く緑色の瞳。スレンダーだが、出るところはちゃんと出ている、控えめに言って最高の美少女である。 俺たちは物心ついた頃からの付き合いだ。一緒に泥んこになって遊び、森で魔物に追いかけられ、共に魔法の修行に励んだ。前世でろくな青春を送れなかった俺にとって、フィリアと過ごした日々は、まさに奇跡のような、キラキラと輝く宝物だった。 そんな彼女が、俺の妻になったのだ。 結婚式は村の教会でささやかに挙げた。村人たちに祝福され、照れくさそうに微笑むフィリアのウェディングドレス姿は、言葉を失うほど美しかった。前世の記憶を持ったままこの世界に生まれ落ちた俺だが、この瞬間ほど「生きていてよかった」と思ったことはない。 そして今、俺たちは新居の寝室にいる。 いわゆる、初夜というやつだ。 部屋の中には、蜜蝋のロウソクが一つだけ灯っている。オレンジ色の淡い光が、ベッドの上にちょこんと座るフィリアの姿を柔らかく照らし出していた。 彼女は薄いネグリジェのような寝間着を着ている。肩のラインや、布越しにわかる胸の膨らみに、俺の心臓はさっきから早鐘を打っていた。 「ルーカス……」 フィリアが上目遣いで俺を見る。その頬は、ロウソクの火のせいだけではなく、朱に染まっていた。 「あ、ああ。フィリア、その……綺麗だ」 「えへへ……ありがとう。ルーカスも、かっこいいよ」 初々しい会話である。俺の脳内には前世の記憶という名の三十年以上の人生経験があるはずなのだが、いざ大好きな女の子とこういう状況になると、中学生のようにタジタジになってしまう。 俺はゆっくりとベッドに近づき、彼女の隣に腰を下ろした。 甘い花の香りが鼻をくすぐる。フィリアの匂いだ。 そっと彼女の華奢な肩に手を回すと、フィリアはビクッと身をすくませた後、コテンと俺の胸に頭を預けてきた。 「ついに、だね」 「ああ。長かったような、あっという間だったような」 「私、ルーカスのお嫁さんになれて、本当に嬉しい」 「俺もだよ。絶対に幸せにするからな」 「うんっ……」 俺たちは見つめ合い、自然な流れで唇を重ねた。柔らかくて、温かい。これから彼女の全てが俺のものになり、俺の全てが彼女のものになる。そんな喜びに打ち震えながら、俺は彼女の寝間着の肩紐に指をかけた。 その時だった。 「あの、ね……ルーカス」 フィリアが、少しだけ体を離して、真剣な瞳で俺を見つめてきた。 「ん? どうした? ちょっとペースが早かったか?」 「ううん、そうじゃないの。その……えっとね」 フィリアはもじもじと身をよじり、恥ずかしそうに頬を染めながら、自らの両手で金色の髪をかきあげた。 すると、エルフ特有の、先が尖った長い耳が露わになる。 俺はその耳が好きだった。感情に合わせてピクピクと動くし、ちょっと息を吹きかけるだけで彼女は顔を真っ赤にして腰を砕かせる。俺にとっての最高の性感帯……いや、チャームポイントである。 フィリアは、そのピンと張った美しい耳を、俺の顔の前に突き出すようにして言った。 「私の耳、食べて……?」 「…………ん?」 俺の脳は、一瞬、彼女の言葉を処理できなかった。 「あ、ごめん。もう一回言ってくれる?」 「だからね、私の耳を、食べてほしいの」 フィリアは、さも当然のように、そしてどこか期待に満ちた表情で繰り返した。 食べる。 イート。 モグモグする、ということである。 俺は目の前にある彼女の耳を見た。 透き通るような白い肌、血の通った柔らかな肉、そして軟骨。 それを、食べる? 「いやいやいや」 俺は思わず引きつった笑いを浮かべた。 「食べるって、その、比喩的な表現だよな? 甘噛みしてほしいとか、そういう……」 「違うよ? ちゃんと、根元から噛みちぎって、食べて、ってこと」 ……マジか。 俺は全身からスッと血のの気が引くのを感じた。 噛みちぎる? この、愛らしくて敏感な、フィリアの体の一部を? 前世の倫理観が、俺の脳内で警鐘を鳴らし始めた。 それはカニバリズムというやつではないのか。いや、エルフだから厳密には違うのかもしれないが、そういう問題ではない。愛する妻の体を傷つけ、あまつさえ咀嚼して胃袋に収めるなど、猟奇殺人鬼の所業である。 「ほら、早く。私、準備できてるから……っ」 フィリアは目をギュッとつむり、さらに顔を近づけてきた。耳が俺の唇に触れそうな距離だ。彼女は少し震えている。そりゃそうだろう、これから肉を噛みちぎられるのだから。痛いに決まっている。 それでも彼女は、さあ早くして、と言わんばかりに俺を急かしている。 思考がフル回転する。 なぜ、こんなことを要求するのだ? エルフ特有のプレイなのか? だとしたらハードコアすぎる。俺の性癖のキャパシティをはるかに超えている。 俺は必死に記憶をまさぐった。エルフに関する知識。この世界で学んだこと。 その時、ふと、ある記憶がフラッシュバックした。 ――そういえば。 俺が以前、フィリアに連れられてエルフの隠れ里を訪れた時のことだ。 エルフといえば、長い耳が特徴の長命な種族である。当然、里には何百年も生きている長老たちや、年長者のエルフがたくさんいた。 その時、俺は少し不思議に思ったのだ。 長老たちや、結婚して子供がいる年長者たちの耳が、皆一様に『短かった』のだ。 人間の耳と変わらない、丸みを帯びた普通の耳。中には、耳の半分くらいが欠損しているような形の人もいた。 当時の俺は、「へえ、エルフって歳をとると耳が縮むのかな」とか、「長生きしすぎると魔力が抜けて人間の耳みたいになるのかな」と勝手に納得していた。ファンタジー世界あるあるの、老化現象の一種だろうと。 ……違う。 あれは、老化で縮んだんじゃない。 『食べられた』のだ。 伴侶に。 初夜に。 だから、年長者――つまり結婚を経験したエルフたちは、皆耳が短かったのだ!! 謎はすべて解けた。 解けたが、納得できるかと言われれば話は別である。 文化の壁、というやつだ。地球でも、国が違えば信じられないような風習がある。虫を食べる文化もあれば、首を長くする文化もある。 この世界のエルフにとっては、「初夜に互いの(あるいは妻の)耳を食べる」という行為が、結婚の儀式として当たり前のように存在しているということなのだろう。 だが。 「……無理だ」 俺の口から、ポツリとそんな言葉がこぼれた。 フィリアがハッとして目を開けた。 「え……?」 「いや、ごめん。いくらなんでも、耳を食べるなんて……できない」 俺は首を横に振った。 前世の価値観に縛られていると言われればそれまでだ。だが、俺はフィリアを愛している。愛しているからこそ、彼女の体を傷つけて血を流させるなんて、俺には到底できない。痛がる彼女を見たくない。それに、あの美しい長い耳がなくなってしまうのも、正直に言えば寂しい。 「冗談だろ? そんなことしなくても、俺たちは夫婦になれる。痛い思いなんてしなくていいんだ」 俺は優しく諭すように言った。彼女を安心させたかったのだ。こんな野蛮な儀式をしなくても、俺の愛は揺るがないと。 しかし。 俺の予想に反して、フィリアの表情は見る見るうちに凍りついていった。 パリン、と。彼女の中で何かが砕け散る音が聞こえた気がした。 「……無理、なの?」 「ああ。俺はフィリアの体を傷つけたくない。そのままのフィリアが一番好きなんだ」 俺としては、最高にイケメンなセリフを言ったつもりだった。 しかし、フィリアの瞳から、スッと光が失われた。 彼女はガクガクと震え出し、両手で自らの短いネグリジェの裾を強く握りしめた。 そして、大粒の涙が、ポロポロと彼女の緑色の瞳から溢れ出したのだ。 「えっ……ちょ、フィリア!?」 「ひぐっ……ううっ……」 「どうした!? なんで泣いてるんだよ!」 俺は慌てて彼女の肩を抱こうとしたが、フィリアはバシッと俺の手を払いのけた。 「触らないで……っ!」 「なっ……」 「ルーカスは……私のこと、嫌いになったの……?」 「は!? 違う、違うぞ! 俺はフィリアを愛してる!」 「嘘っ!!」 フィリアは絶叫した。その顔は、絶望と悲しみに染まっていた。 「愛してるなら、どうして食べてくれないの!? 私の耳が、まずそうだから!? 私が、エルフだから……っ!?」 「違うってば! 痛い思いをさせたくないって言ってるだろ!」 「エルフにとって……耳を捧げるってことは、自分の魂の半分を、相手にあげるってことなんだよ……っ!」 フィリアは泣き叫びながら、俺に文化の真髄を叩きつけてきた。 「耳を食べて、血を混ぜ合わせて、それで初めて私たちは一つの魂になれるの! 永遠の愛の誓いなの! それを断るってことは……私と、本当の夫婦になりたくないってことでしょ……っ!?」 「いや、それは……」 「初夜に耳を食べてもらえなかったエルフはね……一族の恥なの。伴侶に拒絶された、欠陥品なんだよ……っ!」 フィリアは両手で顔を覆い、ベッドに突っ伏して号泣し始めた。 「うわぁぁぁん! ひどい、ひどいよルーカス! 私、こんなに好きなのに……私の魂は、いらないって言うんだ……っ!」 俺は、雷に打たれたように呆然と立ち尽くした。 ――やっちまった。 俺は、完全に間違えていた。 俺の『前世の常識』なんて、この世界で生きる彼女にとっては、何の慰めにもならないどころか、最大の侮辱であり、拒絶だったのだ。 彼女は、俺に魂を捧げようとしていた。自分の体の一部を失う痛みよりも、俺と永遠に結ばれることの喜びを選んで、震えながら耳を差し出してくれたのだ。 それを俺は、「痛いから」「傷つけたくないから」という、一見優しそうでいて、実は自分の倫理観を守りたかっただけの薄っぺらい理由で拒絶した。 何が「そのままのフィリアが好きだ」だ。 彼女は、俺のために『変わる』覚悟を決めていたというのに。 俺はベッドで泣き崩れる彼女の小さな背中を見た。 痛感する。俺は異世界に転生して、魔法を覚え、魔物を倒し、この世界に順応したつもりでいた。しかし、一番肝心なところ――愛する人の根底にある魂の在り方を、受け入れていなかったのだ。 郷に入っては郷に従え。 そんなチャチなことわざで片付けられる問題ではない。 これは、俺の覚悟の問題だ。 前世の倫理観? 知るかそんなもの。ここは地球じゃない。俺はルーカスだ。この世界で生まれ、この世界でフィリアと生きていくと誓った男だ。 愛する女の魂を、その身ごと喰らう覚悟がなくて、何が夫だ。 「フィリア」 俺は、静かに、だが力強く彼女の名を呼んだ。 フィリアはビクッと体を震わせたが、顔は上げない。 俺はベッドに膝をつき、彼女の体を抱き起こした。 「嫌っ、離して……どうせ私なんて……」 「ごめん。俺が間違ってた」 俺は彼女の涙に濡れた頬を両手で包み込み、その緑色の瞳を真っ直ぐに見つめた。 「俺は、お前の全てが欲しい。魂の底まで、お前と一つになりたい」 フィリアの瞳が、少しだけ見開かれる。 「ホント……に?」 「ああ。俺の知識不足だった。お前を拒絶したんじゃない。ただ、お前が傷つくのが怖かったんだ。でも、それがお前にとっての『愛』なら、俺は喜んで受け取る」 俺はフィリアの髪を優しく撫で、例の長い耳を指先でなぞった。 「食べて、いいんだな?」 フィリアの目から、再び涙がポロリとこぼれた。だが、今度は絶望の涙ではなかった。彼女は顔を真っ赤にして、コクンと力強く頷いた。 「うんっ……。全部、食べて……私を、ルーカスのものにして……」 覚悟は決まった。 もう迷いはない。俺は彼女の耳に口を近づけた。 ふわりと、エルフ特有の森のような、甘い香りがする。 俺は口を大きく開け、彼女の右耳の根元を、しっかりと咥え込んだ。 「んっ……!」 フィリアの喉から、甘いような、苦しげな声が漏れる。 俺は目を閉じ、顎に力を込めた。 ――ガツッ。 「ああっ……!」 鋭い痛みが走ったのだろう。フィリアの細い指が、俺の背中を強く掻きむしった。 俺は躊躇しそうになる自分を叱咤し、さらに強く噛み締める。 血の味が口の中に広がった。鉄の匂い。生々しい命の味だ。 軟骨を噛み砕く、ゴリッ、という音が頭蓋骨に響く。 ごめん、フィリア。痛いよな。でも、これで俺たちは一つになるんだ。 俺は噛みちぎったものを口の中に含んだまま、彼女の耳の根元から滴る血を舐め取った。そして、ゆっくりと咀嚼を始める。 ……うん。 なんだろう、これ。 不謹慎かもしれないが、意外と美味い。 豚の耳(ミミガー)をもう少し柔らかくして、上品な甘みを足したような感じだ。コリコリとした食感と、エルフの魔力を含んだ肉の旨味が、噛むほどに口の中に広がっていく。 いや、食レポをしている場合ではない。 俺はしっかりと咀嚼し、それをゴクリと飲み込んだ。 胃袋の奥に、ポッと温かい火が灯ったような感覚がした。 それがフィリアの魔力なのか、彼女の「魂」の半分なのかはわからない。だが、確かに俺の中で、彼女の一部が脈打っているのを感じた。 「ふう……」 俺が口を離すと、フィリアは荒い息を吐きながら、涙目で俺を見上げてきた。 彼女の右耳は、根元からすっぱりとなくなり、人間のそれよりも短く、丸い形になっていた。血は、不思議なことにすぐに止まりかけていた。エルフの治癒能力なのか、あるいは儀式的な魔力の作用なのか。 「痛かったか?」 俺がそっとその短い耳を撫でると、フィリアは嬉しそうに目を細めて、俺の胸にすり寄ってきた。 「ううん……すっごく、嬉しい……っ。胸の奥が、熱いの……ルーカスが、私の中に入ってきたみたい……」 彼女は恍惚とした表情で、俺の唇についた血を自らの指で拭い、それを舐め取った。 「これで、私……ルーカスの、本当のお嫁さんだね……」 「ああ。誰がどう見ても、お前は俺の妻だ」 片耳が短くなったフィリア。 それは、彼女が俺の妻であるという、何よりの証明。 前世の価値観からすれば猟奇的かもしれないが、今の俺には、その短い耳が世界で一番愛おしく、美しいものに見えた。 「じゃあ……残りの半分も、食べてくれる?」 フィリアが、今度は左の耳を差し出してきた。 「えっ、両方いくの?」 「当然でしょ? 片方だけじゃ、魂が半分しか混ざらないじゃない」 「そ、そういうもんか……」 俺は苦笑しながら、再び彼女の耳に噛み付いた。 今度はもう、ためらいはない。 コリコリとした食感を楽しみながら、俺は愛する妻を文字通り「味わい尽くす」のだった。 そして、耳の儀式が終わった後―― 俺たちは、本当の意味での初夜を迎えることとなる。 耳を失い、感度が別の場所に移動したのか、あるいは魂が繋がったことによる相乗効果なのか。 その夜のフィリアの乱れっぷりたるや、俺の前世の語彙力を総動員しても表現できないほど凄まじいものだった、とだけ記しておこう。 異世界転生、控えめに言って、最高である。 俺は、この世界で、この少し耳の短いエルフの妻と、一生を添い遂げるのだ。
ミミガーというのは、沖縄の郷土料理です。 サラダとかと一緒に食うと、なまら美味いのですよ。

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