遥 / 第158話

112話 橙真VSカマエル

 カマエルの指が、俺――橙真の右耳へ伸びる。  イヤホンに触れた。 「――これが、力を抑えているんですよね」 「それがどうした」 「これを外すと、どうなるんですかね」  指先がイヤホンをつまむ。  そして――イヤホンが外された。  ――カチ。  俺はゆっくりと、自分の身体を見下ろした。  右耳から外れたイヤホンが、床へ落ちている。  その瞬間――周囲の音が、すべて消えた。  鳥山の声も。  シエリオの声も。  自分の呼吸さえも聞こえない。  まるで、世界から音だけが切り離されたようだった。  次の瞬間、俺の身体から凄まじい炎が噴き出した。  赤い炎が一気に広がり、床を覆う。  俺に巻かれていた鎖が炎に触れた。  ――一瞬だった。  鎖は炎に焼かれ、跡形もなく消滅した。  俺は何も言わず、ただ――目の前のカマエルへ向かって走り出した。  一瞬で距離を詰める。  拳を振り抜いた。  カマエルは咄嗟に短剣を構える。  拳と短剣が激突した。  ――カンッ!  凄まじい衝撃が走り、周囲の床が砕け散った。  カマエルの身体が後方へ吹き飛ぶ。  だが、空中で身体を捻り、壁へ着地した。  俺は止まらない。  再び地面を蹴った。  炎が、その後を追う。  拳。  蹴り。  炎。  それだけだった。  言葉はない。  考えることもない。  目の前にいる敵を倒す。  それだけが、俺の中に残っていた。  カマエルは短剣で攻撃を受け流しながら、何度も距離を取る。  それでも、俺の動きは止まらない。  炎が床を焼く。  壁が崩れる。  地下室全体が激しく揺れ始めた。  カマエルの姿が、一瞬だけ霞む。  次の瞬間――巫女装束が黒く染まった。  背中から、巨大な黒い翼が広がっていく。  頭上には黒い光が集まり、禍々しい輝きを放っている。  天使の面影を残しながらも、その姿は明らかに異質だった。  ――堕天使。  俺は、そんな姿を目にするのは初めてだったが、関係なく再び拳を握る。  カマエルは翼を広げ、身体を後方へ飛ばした。  短剣を振る。  黒い斬撃が飛んできた。  俺は避けなかった。  身体を炎で包み込み、そのまま突き進む。  斬撃が炎に触れた瞬間――消滅した。  そして、俺の拳がカマエルの腹部へ叩き込まれる。  ――轟音が響いた。  カマエルの身体が壁へ激突する。  壁に大きな亀裂が走った。  その亀裂は、一気に広がっていく。  地下室の壁が崩れる。  大量の瓦礫が落ちてくる。  俺は炎を纏ったまま、その瓦礫を突き抜けた。  そして――そのまま教会の外へ飛び出した。  夜の冷たい空気が身体を包む。  俺は振り返った。  崩れた教会の壁。  その向こうから、黒い翼が現れる。  カマエルが瓦礫を押し退け、外へ出てきた。  そして、俺を見つめる。  その視線が――俺の後ろへ移った。  そこに、一人の少女が立っていた。 *** 「……橙真先輩?」  私――咲は、目の前の光景を見て立ち尽くしていた。  橙真先輩の全身を、激しい炎が包んでいる。  私は恐る恐る、一歩近づいた。 「橙真先輩……大丈夫ですか?」  返事はない。  橙真先輩は、ただ炎の中に立っている。  その姿を見ていると、不安が込み上げてきた。  私は、橙真先輩の背後へ視線を向ける。  そこには――黒い翼を持った女が立っていた。  その女も、私を見ている。  その瞬間、女の表情が、ほんのわずかに変わった。 「……あなたは」  その声には、明らかな動揺が混じっていた。  けれど、女はそれ以上何も言わない。  ただ、私を見つめている。  しばらくして、女は再び橙真先輩へ視線を戻した。  そして、もう一度私を見る。 「……今は退きましょう」  黒い翼が大きく広がる。  次の瞬間――女の身体が宙へ浮かび上がった。  そのまま、闇の中へ飛び去っていく。  私は、呆然とその姿を見送った。  けれど――今は、それよりも目の前にいる橙真先輩のほうが気になった。 「橙真先輩……!」  私は橙真先輩へ駆け寄る。 「橙真先輩、そこにいた人は、もういなくなりましたよ!」  その瞬間――炎が、ゆっくりと揺らめいた。  やがて、まるで最初から存在していなかったかのように、炎が消えていく。  橙真先輩の身体が、大きく揺れた。 「……え?」  口元から、血が溢れる。  そして――その場に崩れ落ちる。 「橙真先輩!」  私は慌てて、その身体を支えた。  けれど、橙真先輩は目を開けない。  私は、その姿を見て息を呑んだ。  髪が――完全に白くなっていた。  そして、肌は、まるで灰を塗ったように完全な灰色へ変わっていた。 「……そんな」  私の手が震え始める。 「橙真先輩……?」  何度呼びかけても、答えは返ってこない。  私は震える手でスマホを取り出した。  連絡先を開く。  誰に連絡すればいいのか――一瞬、迷った。  ――蒼太先輩なら。  私は、その名前を押した。  呼び出し音が鳴る。  一回、二回、三回。 『咲?』  蒼太先輩の声が聞こえた。  その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが切れた。 「蒼太先輩……!!」  声が震える。 『どうした!?』 「橙真先輩が……橙真先輩が……」  私は倒れている橙真先輩を見る。  白い髪。  灰色の肌。  そして、まったく動かない身体。  声が震えて、言葉がうまく続かない。 「橙真先輩が……倒れました」

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