遥 / 第18話

18話 再びの田んぼ

 午後二時を少し過ぎた頃。  青空に白い雲が浮かぶ、心地よい午後の時間。  初夏の日差しを浴びながら、私たち四人は横一列に並んで歩いていた。  住宅街を抜けると、立ち並んでいた建物が少しずつ減っていく。  その先には、青々とした田んぼが一面に広がっていた。  少しずつ傾き始めた日差しを受けながら、私――咲は後ろから橙真先輩たち三人の背中を、どこか嬉しそうに見つめていた。  ついさっき明かされた、三年前の話。  怪物の恐怖に怯え、必死に逃げ出したこと。  ただただ怖くて、何もできなかったこと。  今の頼もしい先輩たちの姿からは、とても想像できない過去だったのだろう。  しばらく無言で歩いたあと、私は思い切って口を開いた。 「それから……どうしたんですか?」 「それからって?」 「次の日ですよ。その日が金曜日だったなら、次の日は土曜日ですよね?」  碧羽先輩が当時のことを思い出すように、空を見上げた。 「うーん……正直、全部、夢だったんじゃないかって思ってたかな」 「あ、俺もそれ、まったく同じことを思った!」  蒼太先輩が苦笑いを浮かべる。 「朝起きてから昨日のことを思い出して、一気に目が覚めたんだよなー」 「俺は自分の右手を見つめて、またあの炎が出ないか、何度も試したな」 「出たんですか……!?」  私は身を乗り出す。  橙真先輩は首を横に振った。 「いや。その時は、いくらやっても炎は出なかったな」 「俺だって同じだぞ。手のひらを見つめても、氷なんて全然出なかったからな!」 「うーん、私も風なんて一切起こらなかったかな」  私は、少しだけホッとしたように笑った。 「そのあと、みなさんで連絡を取り合ったりしたんですか?」 「いやー、その時は俺と橙真は仲が良かったけど、碧羽とは全然話したことがなかったからね」 「そうだね。その時は橙真くんとも蒼太くんとも、学校でほとんど話したことがなかったから」  蒼太がニヤニヤしながら言う。 「なんか、その呼び方すごく懐かしいな! 中学生ぶりじゃないか?」 「あれ、そうだっけ? ていうか、いつから橙真と蒼太のこと、呼び捨てで呼ぶようになったんだっけ?」 「いやー、すっかり忘れたな!」 「まあ、気づいたらそう呼ばれたよな」  三人の会話を聞きながら、私は先輩たちを見つめていた。  最初は、互いのことをほとんど知らない同士だったはずなのに。  それが、あの日をきっかけに関わるようになり、そこから三年間。  きっと、橙真先輩たちなりに、いろんなことを経験してきた。  楽しいことも。  苦しいことも。  そんな時間を、私は少しだけでも、分かったような気がした。  やがて、並木道が途切れた。 ***  道路の両側には、広々とした田んぼが広がっていた。  温かな風が稲の穂をサワサワと揺らしている。  蒼太が足を止め、周囲を見回した。 「この辺りは……あの頃とほとんど変わってねぇな」 「うん……懐かしいよね」  しばらく歩いたあと、俺――橙真も足を止めた。 「たしか……ここだったはずだよな」 「ここで……」 「ああ。初めて俺たち三人が揃った場所だ」 「正直、もうここに来ることはないと思ってたけどなー」 「私も、そう思ってた」 「ちなみに俺もそう思ってたぜ」  三年前――この場所で、俺たちはあの怪物に出会った。  そして、必死の思いで逃げ切った。  咲は静まり返った景色を、じっと見つめていた。  その目には、少しの緊張が浮かんでいる。  ――その瞬間だった。  突然、ふっと風が止んだ。 「……え?」  咲が異変に気づいて顔を上げる。  さっきまで響いていたカエルの鳴き声が、一瞬で消え去った。  稲の穂も、ピタリと動きを止める。  まるで、ここだけ時間が止まってしまったかのようだった。  蒼太の表情が一変する。 「……まさかこれって」 「うん……あの時と同じ」  俺は無言のまま、足元へ視線を向けた。  泥と水が溜まった場所が、不気味に揺れている。  ぽちゃん……。  小さな水音。  咲が目を見開いた。 「これって……もしかして!」 「ああ」  俺はゆっくりと、音のする方へ身体を向け直す。 「たぶん……あいつが来る」  ぼこり……ぼこりっ!  地面の下から、ドロドロとした泥が大きく盛り上がっていく。  土、水、そして、枯れ草。  それらがうごめきながら絡み合い、巨大な塊へと変わっていく。  蒼太が強く拳を握りしめた。 「やっぱりそうだよな!」  碧羽の髪が、かすかな風に揺れる。  ゆっくりと立ち上がったのは――泥の奥で赤黒く光る目を持つ、三年前とまったく同じ怪物だった。  あまりの不気味さに、咲は息を呑む。  俺が一歩、前へ出た。  蒼太が当たり前のように、その隣へ並ぶ。  碧羽も息を吸い込み、俺たちの隣へ並んだ。  そして咲も、怪物から目を離さないようにしながら、俺の後ろに立つ。  怪物が、俺たち四人を押しつぶすように見下ろしてくる。  三年前――俺たちは、ここでただ無力に逃げ惑うことしかできなかった。  怖くて。  何も分からなくて。  ただ、生き残るために逃げた。  だが――今は違う。  俺たち四人は、誰一人その場から動かなかった。  初夏の光が、俺たちの背中を静かに照らしている。  止んでいた風が、再び力強く吹き抜けた。  怪物が、地鳴りのような足音とともに一歩を踏み出す。  俺、蒼太、碧羽。  そして、咲。  四人は、迫りくる怪物を真っ直ぐに見据えた。  もう誰一人として、目の前の怪物から逃げ出そうとする者はいない。  三年前とは違う。  今の俺たちには――それぞれに思いがあり、守りたいものがあった。  そして、今度こそ――この怪物に、立ち向かう力を持っている。

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