遥 / 第62話

62話 届いてほしい思い

 俺――橙真は、耳に装着しているイヤホンに、そっと指先で触れた。 「俺が能力に覚醒したのも、小学五年生の頃です。あのときは……」 ***  2011年3月11日、昼過ぎ。  小学校の教室。 「はーい、みんな! ここまでの問題は理解できたかー?」 「はーい!」 「よし、それじゃあ次のページに進むぞー」  いつものように、授業が進んでいた。  そんな中、一人の生徒がふと声を上げる。 「先生! 橙真の様子がなんか変!」 「え……? おい日向、大丈夫か?」  先生が駆け寄ってきて、俺の額へそっと手を当てた。 「これは……少し熱があるようだな」 「……すみません、先生」 「謝るようなことじゃないよ。体調が悪いのなら、今日は無理せず早退しようか」  俺は頭の重さに耐えながら、ただ俯くことしかできなかった。  しばらくすると、連絡を受けた母さんが慌てて学校まで迎えに来てくれた。 「橙真、大丈夫? 気分悪くない?」 「うん……大丈夫」  母さんに優しく手を引かれ、俺は家へ帰った。  自宅へ戻ると、俺は家の奥にある静かな部屋で布団に入った。 「無理しないで、ゆっくり休みなさいね」  母さんが優しく布団を掛けてくれた。  俺はそのまま安心したように、いつの間にか深い眠りについていた。  その間に、仕事に出ていた父さんも心配して仕事を早退し、帰宅してくれていた。  父さんも俺の寝顔を見て、優しく微笑む。 「きっと夕方頃には元気になっているさ」 「きっと、そうですね」  俺は両親の温かい気配を感じながら、再び静かに目を閉じた。 ***  だが、そのときだった。  ――ゴゴゴゴゴゴ……!!  突如として家全体が、激しく揺れ始める。  父さんが急いで立ち上がった。 「地震だっ!!」  次の瞬間――。  ドォンッ!!  立っていることすらできないほどの凄まじい揺れが、家を直撃した。  大きな家具が次々と倒れ、食器棚からガラスが割れる甲高い音が響き渡る。  家全体が悲鳴を上げるように、大きく軋んだ。  不気味で長い揺れが延々と続いた後、ようやく揺れが一旦収まる。  父さんが必死の形相で俺の部屋へ駆け込んできた。 「橙真、大丈夫か!? すぐに外へ避難するぞっ!」  俺は深く頷き、父さんと母さんとともに玄関へ向かって走り出そうとした。  しかし、そのときだった。 『火事だ――っ!!』  どこからか叫び声が外に響き渡った。  窓の外を見ると、近所の家から真っ赤な炎が立ち上っている。  吹き荒れる強風に煽られ、炎は瞬く間に近くの家々へと燃え広がっていった。 「急ぐぞっ!!」  三人で玄関へ向かって走り出す。  しかし――。  ズドーンッ!!  凄まじい爆音とともに、頭上の梁が崩れ落ちてきた。  通路が完全に塞がれ、その衝撃で俺は家の奥へと弾き飛ばされた。 「橙真っ!!」  父さんと母さんは迷うことなく、俺のもとへ必死に駆け寄ろうとする。 「大丈夫か!? 今助けるからなっ!」 「待っててね、橙真っ!」  二人は必死の思いで、重い瓦礫を取り除き始めた。  俺も向こう側から必死に瓦礫を押す。 「父さん! 母さんっ!!」  しかし、勢いを増した炎は容赦なく迫ってくる。  熱気で肌が焼け焦げそうだった。  黒煙で前がまったく見えない。  あまりの熱さに、意識が朦朧としていく。  容赦のない炎が、俺と両親の間を残酷に隔てていく。 「父さんっ!! 母さんっ!! 助けてっ……!!」  そして追い打ちをかけるように、激しい余震が襲いかかってきた。  凄まじい揺れの中、俺は必死に両親へ手を伸ばす。 「父さん! 母さん!」  そして、揺れが止まった後も、何度叫び続けても――。  二人からの返事が返ってくることは、二度となかった。 ***  ただ、真っ赤な炎だけが、すべてを焼き尽くすように燃え広がっていく。  助けたいのに、助けられない。  激しい悔恨。  圧倒的な喪失感。  そして、すべてが無に帰していくような虚無感。  それらの感情が、俺の心を完全に飲み込んだ。  次の瞬間、俺の身体からまばゆい光が解き放たれた。  ――ドォォォッ!!  俺の身体から、暴走した炎が一気に吹き荒れた。  炎は壁を焼き払い、柱を焦がし、天井までもを一瞬で焼き尽くしていく。  猛火は家の外へも、留まることなく広がっていった。  俺は何も言えなかった。  ただ灼熱の炎の中心にぽつんと立ち尽くし、感情を失った瞳で、燃え続ける世界をぼんやりと見つめていた。  炎は、さらに激しさを増していく。  そのときだった。  燃え盛る炎の向こうから、一人の巫女がゆっくりと歩いてきた。  荒々しい炎の中を歩いているにもかかわらず、その佇まいは少しも揺らがない。  巫女は呆然と立つ俺の前で立ち止まった。  何も言わず、手にしていた一組のイヤホンをそっと差し出してくる。  震える手でそのイヤホンを受け取り、静かに自分の耳へ装着する。  ――スッ……。  その瞬間、あれほど暴走していた巨大な炎が、まるで嘘のように一瞬で鎮まっていった。  周囲が完全な静寂に包まれた瞬間、巫女は静かな声で口を開く。 「そのイヤホンは、時が来るまでは、決して外してはなりませんよ」  俺は驚いて顔を上げた。  しかし、そこにはもう巫女の姿はどこにもなかった。  何が起きているのか理解できない幼い俺は、そのまま強い疲労感とともに、その場に倒れ込んだのだった――。 ***  現代の会議室。  俺は耳のイヤホンへそっと触れながら、静かに語り終えた。 「……っていうのが、俺が覚醒した理由です。巫女にイヤホンをつけられた後、道路に倒れてからのことは……よく覚えていないです」  会議室には、重苦しい静寂が広がっていた。  碧羽は両手をぎゅっと強く握り締めた。 「そんなことがあったなんて……」 「橙真も……ずっと辛かったんだな」  花江さんは静かに目をつむる。 (私たちは大切な人を失った。その深い悲しみは、それぞれの形は違っても、みんな同じだったんだ……) 「橙真くんも……辛い過去を、ずっと一人で抱え込んでいたんだね」  俺は黙って頷いた。  そのとき。  咲の瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。  咲はゆっくりと立ち上がり、俺の前まで歩み寄ってくる。 「咲……どうした?」  咲は何も言わず、俺の身体にそっと抱きついてきた。  そして俺の胸に顔を埋め、震える声で優しく呟く。 「……もう大丈夫ですよ、橙真先輩」  俺は驚いて、少しだけ目を見開いた。  それから、咲の頭へそっと手を置く。  ぽん、ぽん、ぽん、と優しく撫でてやった。 「……ありがとうな、咲」  碧羽はその光景を見て、涙を浮かべながら小さく微笑んだ。  蒼太も静かに口元を和らめる。  花江さんは優しく微笑みながら、二人を見つめていた。  風宮さんは、静かに場にいる全員を見渡す。 「日向、辛い過去を話してくれてありがとう……。これで全員の話を聞き終えたが、いくつか気になる点があった」  風宮さんの一言で、会議室の空気が再び張り詰めた――。

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