遥 / 第4話

04話 迫る異変

 橙真先輩と別れたあと、私――咲とその友達は近くの公園のベンチに座っていた。  午後四時二十分を過ぎた公園には明るい青空が広がり、穏やかな時間が流れている。 「橙真先輩、優しそうだったね」  そう言うと、隣の友達は呆れたように小さく息を吐いた。 「それは咲が急に話しかけたからだって。普通、初対面で連絡先まで交換しないからね?」 「え、そうなの?」 「そうだよ。咲は昔から勢いで動きすぎ!」 「そうかなー」 「そうだよ!」  私が小さく笑った、その時だった。  一陣の冷たい風が吹き抜けた。  どこか奇妙で、肌にまとわりつくような湿った風だ。  思わず顔を上げる。 「……?」  公園の脇にある用水路からあふれ出した大量の水が、あり得ないことに――天へ向かって巻き上がっていた。 「なに、あれ……?」  まるで空へ逆流する滝のように、巨大な水柱が上空で禍々しく渦を巻いていた。  だが、次の瞬間――私は、その渦巻く水柱の中に恐ろしいものを目撃した。  大量の水を纏い、不気味なオーラを放つ、巨大な蛇のような怪物。  渦巻く水の中で、太い体がくねり、うごめいている。  その凶悪な姿を見た瞬間、背筋が冷たく凍りついた。 「っ……!」  恐怖のあまり、思わず一歩後ずさる。 「咲、どうしたの?」 「あの渦の中にいる蛇が見えないの!?」 「え、あの中に蛇がいるの?」  私が指差す方を友達は見つめたが、不思議そうに首を傾げるだけだった。  私に見えているものが、隣の友達には見えていない。  その事実が、恐怖をさらに増幅させた。 「とりあえず防災対策課に連絡しないと! 咲も誰か呼べるなら呼んで!」  ハッと我に返った。  誰か――そう思った瞬間、脳裏に浮かんだのは、ほんの少し前に出会ったばかりの橙真先輩だった。  理由は分からない。  けれど、今は橙真先輩に連絡しなければならない。  そんな予感がした。  私は震える手でスマホを操作し、怪物が写った上空の写真をメッセージと一緒に送信する。  通報を終えた友達が、私の腕を強く引っ張った。 「咲、早く逃げよう! ここにいたら危ないよ!」 「私、ここに残りたい」 「はぁ!? 何言ってんの、冗談でしょ!?」 「本気だよ。だから、先に行って!」  押し問答の末、友達は「絶対、無茶しないでよ!」と言い残し、先に逃げて行った。  私だけが公園に取り残される。  そびえ立つ異形を見上げ、心細さに震えながら呟いた。 「橙真先輩、来てくれるかな……」 ***  その頃、俺――橙真は西日の差し込む帰り道を歩いていた。  ポケットの中でスマホがしつこく振動している。  画面に目を落とすと、『白石咲』の文字があった。 「はや、もう連絡してきたのか」  だが、メッセージを開いた瞬間、俺の表情から笑みが消えた。  送られてきた写真に写っていたのは、空へ向かって巻き上がる水の渦と、その奥に潜む禍々しい影。  異形――そして咲は、まだあの公園にいる。  俺はすぐに蒼太と碧羽のグループチャットを開き、メッセージを打ち込んだ。 『公園に怪物が出た。できるだけ早く来てくれ』  送信するが、画面には既読がつかない。 「この時間じゃ、部活の最中か……」  スマホをポケットへ押し込むと、俺は左耳に付け直したイヤホンを引き抜いた。  そのまま力強く地面を蹴って走り出す。  向かう理由なんて、咲が公園にいる――それだけだ。 ***  息を切らせて公園へ到着すると、状況は予想以上に最悪だった。  用水路から天へ、巨木のようにそびえる水柱。  その中心で、巨大な怪物がうごめいている。 「橙真先輩!」  俺の姿を捉えた咲が、安堵と恐怖が入り混じった顔で駆け寄ってくる。 「本当に来てくれるなんて……!」 「大丈夫か! 友達は!?」 「先に逃げました! なんだか私、橙真先輩に会わなきゃいけない気がして……!」 「何言ってんだ! そのときは、一緒に逃げろ!」  直後、上空の怪物が大きく体をのけぞらせた。  巨大な水塊が、雨のように地上へ降り注いでくる。 「伏せろ!」  俺は咲の頭を抱え込んで芝生へ倒れ込む。  すぐ脇のベンチが、爆音とともに粉々に吹き飛んでいく。 「大丈夫か! 逃げるぞ!」  咲の手を強く掴んで引き上げ、全力で駆け出した。  だが怪物は、水柱そのものを押し倒すようにして、周囲すべてを押し流す巨大な濁流を叩きつけてきた。 「なんなんですか、あれ! 巨大なヘビが迫ってきてますよ!?」 「あれは怪物だ! 説明は……あとでする。今は、とにかく前だけ見て走るんだ!」  少し走ると、背後から押し寄せる濁流に足を取られ、咲が派手に地面へ倒れ込んだ。  掴んでいた手が解ける。 「……咲!」 「あ、足首が……痛くて動けないです……」  足首を捻ったのか、咲が涙目で顔を歪める。  振り返ると、目と鼻の先まで巨大な波が迫っていた。  彼女を背負って走ったところで、もう間に合わない。  覚悟を決めるしかない。  俺は右耳に残したイヤホンへ指先で触れる。  ――左耳は開放したまま、世界の狂気を聞き取る。  だが、この右耳のイヤホンだけは絶対に外さない。  俺の力を抑え込む「器」。  これを外してしまえば、力を制御できなくなるからだ。  右手を、迫り来る濁流へ向けて強く突き出す。  抑え込んでいた力を、右耳の制約越しに一気に解き放った。  その瞬間、手のひらが恐ろしいほどの熱を帯びた。 「っ、先輩! 危ないです!!」  咲の悲鳴が耳に届いた直後――眼前に巨大な火柱が噴き上がった。  手のひらから解き放たれた灼熱の炎は、巨大な炎の壁となり、押し寄せる濁流と正面から激突する。  激しい水蒸気爆発が起き、周囲が一瞬で純白の蒸気に覆い尽くされた。  視界のすべてが白い蒸気に染まった。  だが、深い霧を引き裂くように、巨大な怪物が鋭い牙を剥き出しにする。  そして――まっすぐ突進してきた。  ――怪物の狂暴な視線は、俺を捉えていた。

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