遥 / 第164話

118話 明日の約束

 翌朝。  俺――橙真が目を覚ますと、昨日とは違う感覚があった。  身体が、少し軽い。  まだ全身に疲労は残っている。  けれど、昨日のような重さはなかった。 「……朝、か」  ベッドから身体を起こす。  窓から差し込む光が、部屋の中を明るく照らしていた。  右耳に手をやる。  やっぱり、そこには何もない。  イヤホンを外してから、もう二日近く経つ。  それなのに、妙に静かだった。  以前なら、何かしら耳に音を入れていた。  けれど今は――。 「……まだ、慣れないな」  小さく呟いた。  そのとき。  コン、コン、コン。  扉が三度、叩かれた。 「どうぞ」  扉が開く。 「おはようございます、橙真先輩」 「……咲?」  昨日と同じように、咲が入ってきた。  その手には、小さな袋がある。 「おはようございます」 「朝からどうしたんだ?」 「差し入れ、持ってきました」  咲が袋を差し出す。 「飲み物です。昨日、あまり食べられなかったって聞いたので」 「わざわざ?」 「はい」  受け取ると、中にはスポーツドリンクとゼリー飲料が入っていた。 「ありがとう」 「いえ、これくらいしかできないので」  咲が笑う。 「今日は昨日より、顔色がいいですね」 「そうかな?」 「はい」  少し安心したような顔だった。 「身体のほうは?」 「少しだるいけど、大丈夫」 「本当ですか?」 「本当だよ」  咲は少しだけ疑うような目を向けてくる。  けれど、それ以上は何も言わなかった。  その代わり、窓の外へ視線を向ける。 「今日は天気、いいですね」 「ああ、そうだなー」  青い空が広がっていた。  一昨日まで、あれだけ戦っていたのが嘘みたいだった。  怪物も、炎もない。  誰かが傷つくこともない。  静かな朝だった。  しばらくすると、再び扉が開いた。 「起きてる?」  蒼太だった。 「おはよう、橙真」  その後ろには碧羽もいる。 「おはよう」 「二人も朝から来たのか?」 「心配だったからな!」 「蒼太は昨日からずっと心配してたから」 「おい、余計なこと言うなよ」  思わず笑ってしまった。 「……何だよ」 「いや」  俺は笑いながら答えた。 「なんか、久しぶりな感じがして」 「たった一日だろ?」 「そうなんだけど」  そのとき、最後に風宮さんが入ってきた。 「橙真、調子はどうだ?」 「昨日よりはいいです」 「そうか」  風宮さんは俺の顔を確認すると、少し考えるように腕を組んだ。 「なら、今日は聞き取りはしない」 「え?」 「昨日の話で十分だ。今は身体を休めるほうが先だ」 「でも……」 「でも、じゃない」  風宮さんはきっぱりと言った。 「お前はついこの前まで死にかけていたんだ。少しくらい休め」 「……はい」  素直に俺は頷くことしかできなかった。  すると、風宮さんが咲を見る。 「白石」 「はい?」 「明日は予定あるか?」 「え?」  突然聞かれ、咲が目を瞬かせた。 「特に……ありませんけど」 「そうか」  風宮さんは今度は俺を見る。 「日向。明日は動けそうか?」 「はい。今の調子なら動けると思います 「なら……」  一瞬、間を置いて。 「二人でどこか行ってこい」 「……え?」  俺と咲の声が重なった。 「ちょっと待ってください」  思わず聞き返す。 「どこへって……」 「どこでもいい」 「いや、そういうことじゃなくて……」  俺が困っていると、蒼太が吹き出した。 「いいんじゃないか」 「蒼太……」 「最近ずっと戦ってばっかだっただろ?」 「それはそうだけど」 「たまには普通の高校生らしいことしろよ」  碧羽も穏やかに頷く。 「私も、それがいいと思う」 「碧羽まで……」  俺は咲を見る。  すると、咲は顔を赤くして俯いていた。 「……私、行きたいです」 「咲?」 「その……」  咲が顔を上げる。 「橙真先輩が嫌じゃなければ……」  その言葉に、少しだけ戸惑った。  ここ最近、戦いが続いていた。  俺たちの周りには、いつも怪物や災害があった。  普通に遊びに行くなんて、考えたこともなかった。 「……俺は」  窓の外を見る。  青空が広がっている。  こんなふうに何も起こらない朝を、俺はいつ以来見ただろう。 「行こうぜ」  そう答えると、咲の表情が明るくなった。 「本当ですか?」 「ああ」 「じゃあ、行きましょう!」 「急だな……」  咲が嬉しそうに笑う。  それを見ていると、こっちまで少し楽しくなってきた。 「どこに行く?」 「えっと……」  咲は少し考える。 「私、行きたいところがあります」 「どこ?」 「それは……明日まで秘密です」 「秘密?」 「はい」  咲がいたずらっぽく笑った。  蒼太が横から口を挟む。 「お前ら、楽しそうだな」 「蒼太は来ないのか?」 「俺?」  蒼太は少し考えてから、首を横に振った。 「今回は二人で行ってこいよ」 「……そうか?」 「そうそう」  碧羽も笑う。 「私たちは邪魔しないほうがいいと思う」 「いや、別に邪魔とか……」  言いかけて、やめた。  これ以上言うと、余計にからかわれそうだった。 「じゃあ、決まりだな」  風宮さんが言った。 「明日は二人とも外出してこい」 「はい!」  咲が元気よく返事をする。  俺も頷いた。 「分かりました」  風宮さんたちは部屋を出ていく。  最後に蒼太が振り返った。 「橙真!」 「ん?」 「ちゃんと楽しんでこいよ!」 「分かったって」  扉が閉まる。  部屋に静けさが戻った。  俺はベッドの横に置かれたスポーツドリンクを見る。  それから、咲を見る。 「……なんか、久々だな」 「何がですか?」 「出かける約束をするなんて」 「私もです」  咲は笑った。 「でも……楽しみです」 「そうだな」  俺も笑う。  明日、何をするのかは、まだ分からない。  ただ――久しぶりに、何も考えずに過ごせる一日になる気がした。

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