ふみの世界樹 / 第38話

閑話二 第一話 反省

 共同便所は古く、分かりやすい罰だった。石床は黒ずみ、壁の目地には汚れが残っている。窓は小さく、空気もこもっていた。渡された道具は、水桶と雑巾と刷毛、効きの悪い磨き粉だけ。  ヴァンは雑巾を絞った。水が桶に落ちる。隣では、ハリスが便器の縁を刷毛でこすっていた。便所掃除をしていても、ハリスは要領が良い。どこを先に濡らし、どこで磨き粉を使い、どこを最後に乾拭きするか、段取りが効率的だった。 「ハリスまで来なくてよかった」 「計画の立案者って話だろ」 「そうか」 「そうだ」  それで一度、話は終わった。  鍵を取ったのはヴァンだった。塔に入ると決めたのも、ヴァンだった。けれど、鍵の場所を絞り、先生達の動きを読んで、作戦を考えたのはハリスだった。 「ミコト達も来ると思うか」 「来ようとするだろうね」  ハリスはすぐ答えた。 「ミコトさんは、自分がきっかけだと言う。姉さんは、同行した以上は同じだと言う。オーレリアは、教員を足止めした件を持ち出す。ロイも、現場にいた以上は受けるべきだと言うだろう」 「来なくていい」 「同意見だ」  ヴァンは少し笑った。  この便所に全員で入ったところで、掃除より混雑の方が面倒だ。 「罰を受ける人数が増えても、特に何も変わらない」  ハリスが言った。 「学院としては、旧塔への無断侵入と鍵束の持ち出しを見逃さなかった、という建て前を残す必要がある。ほかの生徒への示しだ。学院側の体面もある」 「体面か、どうでもいい」 「そうでもない。体面も制度の一部さ」 「そうか。でも、そういう話なら、二人で十分だな」 「その通り。それ以上は無駄だ」  ハリスはそう言って、汚れの残った場所を指で示した。 「そこは先に水を含ませた方がいい。乾いたままこすると広がる」 「分かった」  ヴァンは水を撒いた。  古い汚れはしつこい。こすっても、すぐには落ちない。手がだるくなる。けれど、旧塔で息が詰まった時よりはずっとましだった。 「効率が悪いな」  ハリスが言った。 「それが罰ってことだろ」 「罰であっても、非効率である必要はない」 「そうなのか」 「少なくとも、汚れを落とすという目的だけで見ればね」  ハリスは壁の隅を見た。 「この便所には、清浄術式の実装がない。だから汚れる」 「清浄術式?」 「身滓清掃《ライプケーア》という新しい術式があるらしい。その考え方を設備側に応用すれば、利用者の出した排泄物や軽微な穢れをその場で祓う機構を作れる。そういう装置の組み込まれた便所なら、そもそもここまで汚れない」 「でも、ここにはない」 「ない。術式陣もない。維持用の魔力線もない」 「だから、手で磨く」 「そういうことだ」  ヴァンは、床の黒い筋をこすった。 「その術式は設置できないのか」 「まだ無理だ。その身滓清掃《ライプケーア》は、皇國歴1001年、つまり去年にデルトラバス・モーゼ・フォルテッシモ教授が編み出した近代術式で、古来から神官達が禊《みそぎ》に使う浄身祓《ライプリーニグング》を原型の一つにしているらしいが、市場に出回るのはまだ先だ」 「詳しいな」 「新しい術式だから話題になっている」 「話題はどうでもいい。今すぐ使えないんだろ?」 「駄目だね。使えない」 「だよな」  ヴァンは雑巾を絞り直した。しばらく、二人とも黙って掃除した。水の音。刷毛が石に当たる音。雑巾を絞る音。遠くの廊下から聞こえる生徒の声。 「……やっぱり、お前まで来なくてよかった」  ヴァンが、ぽつりと呟いた。 「まだ言うのか」 「言う」  ハリスはそこで、ようやく手を止めた。 「君がそうやって一人で背負うなら、次から僕は計画に加わらない」 「なんでだ」 「責任を共有できない相手とは、計画を立てられないからだ」  ヴァンは、少し黙った。 「……分かった」 「何が?」 「次から、お前も入れる」 「何を今更。最初から入っている」  ハリスは笑った。ヴァンは下唇を突き出し、息を吐いた。 「次はもっと上手く、バレずにやる」 「反省している人間の台詞ではないね」 「反省はしてる」 「バレずになんて話は、反省の方向が違う」 「分かってる」 「本当に?」 「たぶん」 「君は反省文をもう一枚書いた方がいい」  ヴァンは言い返さず、床をこすった。ハリスもまた手を動かした。二人分の罰としては、たぶん、これでいい。  後日。  便所掃除の罰は、予定通り終わった。ハリスの反省文は、共同便所の改善提案書として校長室へ回された。題名は『校舎内共同便所における衛生管理上の問題点と、清浄術式導入に向けた段階的改善案』であった。ジークハルト先生は、題名を読んだ時点で眉間を押さえたらしい。  結果、この問題については、学院側で検討されることになった。ただし、ハリスは反省文を再提出する事になった。理由は、あれが反省文ではなかったから。  ヴァンは、苦笑いしながら言った。 「もう一枚書く羽目になったな」 「ああ、なんて効率の悪さだ」

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