ふみの世界樹 / 第65話

第五十三話 雑用係

「……は?」  ヴァンさんの声は、教室の真ん中に落ちた。  本人は、本当に分かっていない顔をしていた。窓の外を見ていたところを急に呼び戻されて、気がついたら教室中の視線を浴びている。そんな顔だった。 「いや、は? じゃないのよぅ」  オーレリアさんが手帳を持ち上げる。 「黒騎士役の話なのよぅ。ハリスさんが、ヴァンさんが適任だと言ったのよぅ」 「なんでだ」 「似合うからなのよぅ」 「理由になってない」 「理由になるのよぅ」  オーレリアさんは、かなり本気の顔で言った。けれど、そこで黙っていられなかった人がいる。 「待て待て待て!」  ローティさんだった。椅子から半分立ち上がったまま、机に両手をついている。 「黒騎士って、主役だろ? 剣で戦うんだろ? だったら俺だって、かなり向いてると思うんだけど!」 「その主張は、さっき聞いたのよぅ」 「聞いただけじゃん! 採用してないじゃん!」  ローティさんは、不満そうにヴァンさんを指さした。 「だいたい、ヴァンって台詞喋れるのかよ。舞台だぞ? みんなの前で喋るんだぞ? 演技とかできるのか?」  それを言われて、教室の何人かが少しだけ黙った。わたしも、少しだけ黙った。  たしかに。  ヴァンさんは黒騎士っぽい。とても似合う。似合いすぎるくらい似合う。けれど、舞台で大きな声を出して、決められた台詞を言って、演技をする姿が想像できるかと言われると、少しだけ難しかった。  ヴァンさんは、指さされてもあまり表情を変えなかった。息を吐いて言う。 「なら、ローティがやればいい」 「え?」 「俺はやりたいと言ってない」  教室が、また一拍止まった。ローティさんは、勝ったような、困ったような、不思議な顔をした。 「いや、まあ、そうだけど。そうなんだけど」 「何が不満なんだ」 「なんか、そう簡単に譲られると、逆に腹立つんだけど」 「面倒だな」 「お前が言うな!」  オーレリアさんが、手帳に筆記具を当てたまま、むむ、と唸った。 「たしかに、ローティさんの言うことにも一理あるのよぅ。見た目や雰囲気だけで決めるのは、公平ではないのよぅ」 「だろ!」  ローティさんが勢いよく頷く。 「でも、ヴァンさんが似合うという意見も多いのよぅ」 「そこなんだよなあ」  ウォールさんが、困ったように笑った。 「ローティも合いそうだけど、黒騎士って言われると、ヴァンの方がすごく合いそうなんだよ」 「ウォールまで!」 「ごめん。でも、正直に言うと、そうなんだ」 「では、黒騎士役は、ヴァンさんとローティさんの二人を候補として、いったん保留にするのよぅ」 「保留?」 「後で決めるのよぅ。今ここで揉めていても進まないのよぅ」  監督の声だった。  ローティさんはまだ言いたそうだったけれど、オーレリアさんの顔を見て、一応、椅子に座り直した。 「次なのよぅ」 「次?」 「姫役なのよぅ」  その一言で、教室の空気が変わった。黒騎士役とは違って、誰も迷っていないようだった。オーレリアさんが手帳から顔を上げるより先に、あちこちから声が上がる。 「イネヴェアさん」 「イネヴェアだな」 「イネヴェアさんでしょうね」 「ほかにいる?」 「いませんわね」  最後の声は、イネヴェアさん本人だった。わたしは思わずそちらを見た。  イネヴェアさんは、扇を半分だけ開いて、当然ですわ、という顔で座っていた。照れている様子はあまりない。むしろ、姫役に選ばれることを、当然の役目としてきちんと受け取っているように見えた。 「異論はあるのよぅ?」  オーレリアさんが確認する。誰も手を上げなかった。上げるはずもなかった。 「では、姫役はイネヴェアさんで決定なのよぅ」 「お受けいたしますわ」  イネヴェアさんは、背筋を伸ばして言った。 「舞台に立つ以上、半端な姫にはいたしません」  その声は少し誇らしげで、でも不思議と嫌味には聞こえなかった。イネヴェアさんは、きっと本当に、綺麗な舞台を作るつもりなのだと思う。 黒板に文字が浮かぶ。  白百合姫役、イネヴェア・リンドホルム。  黒騎士役は保留。姫役は決定。  それだけで、さっきまでただの題名だった『姫と黒騎士』が、少しずつ形を持ち始めた気がした。 「次は台本なのよぅ」  オーレリアさんが言った。そこで、教室の勢いが少しだけ弱くなった。役なら、やりたい人がいる。衣装なら、楽しそうだと言う人がいる。でも、台本を書くとなると、急に皆の目が泳いだ。物語を舞台用に直して、台詞を考えて、場面を作って、人数に合わせる。考えただけで大変そうだった。 「台本は、とても大事なのよぅ。元の物語があるとはいえ、そのまま学芸会で演じられるわけではないのよぅ。誰か、書けそうな人はいるのよぅ?」  オーレリアさんが教室を見回す。誰もすぐには手を上げなかった。その時、アディさんが、控えめに手を上げた。 「クリスさんなら、書けると思います」 「私ですか?」  クリスさんが、驚いたように顔を上げる。アディさんは、少し緊張した顔のまま頷いた。 「はい。クリスさんの文章は、綺麗です。前に読んだ文章も、場面が目に浮かぶようでした。物語を書くのに、向いていると思います」 「でも、私が書くのは小説で、台本なんて書いたことは……」 「最初から一人で全てを書かなくてもいいのよぅ」  オーレリアさんがすぐに言った。 「元の物語はアルフォンス先生にも聞けるのよぅ。構成は私も手伝うのよぅ。役の人数や場面転換も、後で相談するのよぅ」  クリスさんは、少し困ったように視線を下げた。けれど、嫌そうではなかった。 「……それなら、やってみます」 「助かるのよぅ」  オーレリアさんは、すぐに黒板へ文字を加えた。  台本、クリスティーネ・リーゼンフェルト。  アディさんは、ほっとしたように息をついた。クリスさんはまだ不安そうだったけれど、その横顔は、少しだけ真剣になっていた。わたしは、思った。  役に立つ場所は、人によって違うのだ。  舞台の上に立つ人がいて、台本を書く人がいて、記録する人がいて、衣装を作る人がいる。わたしが何をするのかは、まだ全然分からない。けれど、少しずつ、皆の場所が決まっていく感じがした。  そこで、オーレリアさんが次の項目に移った。 「では、継母妃《けいぼひ》役なのよぅ」  その瞬間、教室の空気が少しだけ止まった。 「けいぼひ?」  ローティさんが首を傾げる。 「姫を陥れる継母《ままはは》の役なのよぅ。黒騎士に命じて、姫を排除しようとする人なのよぅ」 「悪役ですわね」  イネヴェアさんが、少しだけ眉を寄せた。 「悪役だけど、重要な役なのよぅ。おそらく台詞も多いのよぅ」  オーレリアさんは手帳を見ながら言った。 「姫に対して身分も高く、黒騎士に命令もできる立場なのよぅ。舞台での印象も強い役になるのよぅ」 「でも、妃だろ?」  ローティさんが腕を組んだ。 「だったら、女子がやるのか?」 「その可能性が高いのよぅ」  オーレリアさんがそう言うと、女子たちの何人かが、そっと目を逸らした。  姫役は華やかだ。  でも、継母妃役は違う。  綺麗で、怖くて、偉そうで、嫌われる役だ。しかも、ただ悪いだけでは舞台で浮いてしまう。たぶん、品があって、迫力があって、台詞もきちんと言えなければいけない。正直に言って、かなり難しい役どころだ。  誰も、すぐには手を上げなかった。上げられるわけがなかった。  その時、ローティさんが言った。 「むしろ、イネヴェアって、こっちじゃね?」  教室が止まった。  わたしも止まった。  たぶん、今、何か大きなものを踏んだ。  イネヴェアさんの扇が、ぱちん、と閉じる。 「ローティさん」  声が、いつもより少しだけ低かった。 「今の発言の意味を、もう一度、最初から最後まで、丁寧に説明してくださる?」 「え? いや、だってさ。イネヴェアって、迫力あるし。扇とか似合うし。悪い女王っぽいっていうか」 「悪い、女王」 「いや、褒めてる! 褒めてるから!」 「どのあたりがですの?」 「だから、強そうで、偉そうで、怖そうで――」 「ローティ」  ハリスさんが静かに言った。 「もう黙れ」 「なんで⁉」 「今すぐ黙った方がいい」 「だからなんで!?」  ローティさんは、本当に分かっていない顔をしていた。悪気はなかったのだと思う。けれど、悪気がないから許されるかというと、たぶん違う。  イネヴェアさんは、扇を閉じたまま微笑んでいた。  怖い。  すごく、怖い。  その時、ウォールさんが、少し考えるように首を傾げた。 「待って。……でも、ハリスならできそうじゃない?」  今度は、別の意味で教室が止まった。  ハリスさんが、ゆっくりとウォールさんを見た。 「ウォール」 「いや、真面目に。台詞を覚えられるし、噛まないし、怖い役もできそうだし」 「妃役だぞ」 「うん」 「分かって言っているのか」 「分かってる。だから、すごく大事な役だと思う」  ウォールさんは、そこで少しだけ困ったように笑った。 「それに、ハリスなら、綺麗にやりそうだし」  ハリスさんの眉が、わずかに動いた。 「それは見てみたいかも」  ハリエットさんが微笑んでいる。 「姉さんまで」  その時、窓際から声がした。 「合理的に考えると、ハリスだな」  ヴァンさんだった。  さっきまで自分の配役から逃げようとしていた人が、急に冷静な判定役みたいな声を出した。  ハリスさんが、ゆっくりとヴァンさんを見る。 「待て。お前は黙っていろ」 「なぜだ」 「今、それを言う資格はないだろ」 「合理的なのは確かだ」 「お前の黒騎士も合理的だ」  教室の何人かが、小さく笑った。  でも、笑いながらも、皆が少しずつ納得していくのが分かった。 台詞を覚えられる。場を締められる。冷たい声も出せる。品もある。怖い役もできそう。問題は、妃役だということだけだったが、ハリスさんは、たしかに適任かもしれない。悔しいけれど、似合う気がする。へたすると、その辺の女子よりも綺麗だったりする。正直、わたしも見てみたい。 「分かった」  ハリスさんが、低い声で言った。教室がまた静かになる。 「俺が継母妃役をやるなら、ヴァン。お前も黒騎士をやれ」  今度は、ヴァンさんが少しだけ眉を動かした。 「なぜそうなる」 「俺だけ巻き込まれるのは不公平だからだ」 「それはそれ。じゃないのか?」 「いいや、これも合理的な判断だ。お前が黒騎士をやるなら、俺が継母妃をやる意味も出る」 「意味?」 「重要な役同士で釣り合いが取れる」 「そうなのか?」 「待て待て待て!」  ローティさんが、また立ち上がった。 「なんで今ので、ヴァンに決まりかけてんだよ! 俺は!? 俺も候補だろ!?」 「そうだったのよぅ」  オーレリアさんが、手帳を強く閉じた。  音が教室に響く。 「では、黒騎士役は演技を見て決めるのよぅ」 「演技?」  ローティさんが聞き返す。 「そうなのよぅ。ローティさんは、ヴァンさんが演技できるのか疑問だと言ったのよぅ。それなら、実際に見ればいいのよぅ」  それは、とても公平な決め方に聞こえた。  聞こえたけれど、急に教室の中で演技をすることになる二人は、あまりそう思っていないようだった。 「今やるのか?」  ヴァンさんが顔をしかめる。かなり嫌そうだ。 「今やるのよぅ」  オーレリアさんは即答した。 「先生、何か適当な場面と台詞はありますか?」  アルフォンス先生は、少し考えるように顎に手を当てた。 「そうですね。黒騎士役を試すなら、騎士としての名乗り口上がよいでしょう」 「口上?」 「ええ。黒騎士が、姫を追う騎士たちの前に立ち、道を塞ぐ場面です。まだクリスさんの台本ではありませんが、試演には向いています」  アルフォンス先生が指を動かすと、黒板に白い文字が浮かび上がった。 『この先へは行かせない。  我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた。  だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない。  退け。  退かぬなら、黒騎士アルブレヒトの名において、断つ』  教室が、静かになった。さっきまで笑っていた空気が、黒板の文字に引っ張られて、一気に重くなる。この台詞は、笑顔で言えるものじゃない。真剣だ。 「騎士としての口上です」  アルフォンス先生が言った。 「声の大きさだけではなく、覚悟が必要ですね」 「よし」  ローティさんが立ち上がった。 「俺からやる」  ローティさんは教室の前に出ると、少しだけ肩を回した。ハリスさんが授業で使う木剣を投げ渡した。それを受け取って、くるりと回して腰の鞘に納めるように構えた。  その動きは、思っていたよりずっと様になっていた。  ローティさんは、騒がしい人だと思う。けれど、体の使い方はとても上手い。立ち方にも勢いがあって、見ている人を引きつける力があった。  ローティさんは、一度だけ息を吸った。 「この先へは行かせない!」  声が通った。教室の一番後ろまで届く元気な声だった。 「我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた! だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない!」  強い。  とても強い。  黒騎士というより、正面から敵を倒す若い騎士みたいだった。けれど、それはそれで舞台映えした。剣を構える動きも大きくて、見ていて分かりやすい。 「退け!」  ローティさんが、一歩踏み出す。剣先を向けて吠える。 「退かぬなら、黒騎士アルベレヒトの名において、俺が相手をする!」  最後だけ、私、ではなく俺になっていた。名前も微妙に間違っている。  でも、誰もすぐには笑わなかった。  それくらい、ちゃんと格好よかった。 「おお」  誰かが声を漏らした。 「いいじゃん」 「ローティ、上手い。名前、間違えたけど」 「動きが分かりやすいのよぅ。名前、間違えたけど」  オーレリアさんも、手帳に何かを書き込んでいる。ローティさんは得意そうに胸を張った。 「ほらな! ちょっと名前は間違えたけど、ほらな!」  正直、わたしも少し驚いていた。ローティさんが黒騎士でも、成立するかもしれない。そう思えるくらいには、ちゃんと舞台の上の人に見えた。 「次はヴァンさんなのよぅ」  オーレリアさんが言った。ヴァンさんは、ものすごく嫌そうな顔をした。 「やっぱり、やらないと駄目か」 「駄目なのよぅ」 「ローティでいいだろ」 「まだ決まっていないのよぅ」  ヴァンさんは小さく息を吐いた。それから、ゆっくりと立ち上がる。  別の木剣を投げ渡しながら、ハリスさんが言った。 「手を抜くなよ。本気でやれよ」 「わかった」  教室の前へ歩いていく姿は、ローティさんとは全然違っていた。ローティさんは、舞台へ飛び出すみたいに前へ出た。でも、ヴァンさんは違う。仕方なく歩いているだけに見えるのに、なぜか空気が少しずつ変わっていく。  ヴァンさんは、黒板の文字を見た。  一度、目を閉じる。  それから、開いた。  その瞬間、わたしは少しだけ息を止めた。それだけで覚えたの? 「この先へは、行かせない」  声は、大きくなかった。けれど、聞こえた。  教室の隅まで、まっすぐ届いた。間の取り方に、凄味があった。 「我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた」  ローティさんの時は、言葉が前へ飛んできた。でも、ヴァンさんの言葉は、違った。落ちていくみたいだった。お腹に響いて来るみたいで、重くて、静かで、逃げられない。つい聞き入ってしまった。 「だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない」  そこに、派手な動きはなかった。剣を振る真似もしない。ただ、少しだけ足を開いて、そこに立っているだけだった。なのに、本当にその先へは行けない気がした。  たぶん、動きがない分、その台詞だけに集中させられた。  黒い鎧も、舞台の背景も、姫も、追っ手の騎士も、何もない。ただ教室の前にヴァンさんが立っているだけなのに、その向こうへ進んではいけないように見えた。 「退け」  短い声だった。強く声を張り上げるでもない。でも、その一言で、教室がさらに静かになる。言葉の後ろに、ものすごく強い意志が感じられる。 「退かぬなら、黒騎士アルブレヒトの名において──」  ここで剣の柄に手を置いた。 「──断つ」  最後の言葉が終わった後、誰もすぐには喋らなかった。  手を置くだけで、剣は抜かない。それが逆に、本気の警告だと伝わってくる。  ローティさんの時とは違う沈黙だった。  拍手を忘れた、というより、少しだけ現実に戻るのが遅れたみたいだった。本当に斬られるかもと、ちょっと怖くもなった。すごい迫力だった。  最初に息を吐いたのは、たぶんオーレリアさんだった。 「……決まりなのよぅ」 「いや、早い!」  ローティさんが叫ぶ。けれど、その声には、さっきまでの本気の抗議とは少し違う響きがあった。たぶん、ローティさんも認めざるを得ないんだと思う。 「やはり、やればできるじゃないか」  ハリスさんの声に、ヴァンさんは溜め息を吐きながら言った。 「騎士って言ったから、癪だけど兄貴っぽくやってみた」 「兄貴仕込みはずりぃよ。そんなの、騎士っぽくなるに決まってるじゃん」  ローティさんが、悔しそうに口を尖らせていたけれど、もう本気で怒ってはいなかった。悔しい。けれど、認めている。そんな顔だった。  アルフォンス先生が、穏やかに口を開く。 「ローティさんの演技も、とても良かったですよ」 「本当?」 「ええ。声が通りますし、動きも舞台向きです。この物語には、黒騎士以外にも他の騎士が登場します。そちらを任せるのも、よいと思います」 「騎士?」  ローティさんが顔を上げた。 「姫を追う騎士、黒騎士と剣を交える騎士。台本次第ですが、見せ場を作ることはできるでしょう」 「剣、使う?」 「使います。派手な大立ち回りもあります」 「なら、まあ……」  ローティさんは、まだ少し不満そうだった。でも、完全に納得していない顔ではなかった。オーレリアさんは、それを見届けてから、黒板に文字を加えた。  黒騎士役、ヴァン・ラドーレ。  継母妃役、ハリス・ヤクトブレオ。  別の騎士役、ローティ・ネモニクト。  ハリスさんが、黒板の文字を見て、深く眉間に皺を寄せる。 「本当に書いたな」 「決まったことは書くのよぅ」 「まだ了承していない」 「ヴァンさんが黒騎士をやるならやる、と言ったのよぅ」 「言質を取るのが早すぎる」 「監督なので」  オーレリアさんは、少しだけ得意そうだった。わたしは黒板を見た。みんなの名前が並んでいくたびに、さっきまでただの学芸会だったものが、少しずつ大きくなっていく気がした。 「では、今日の決定はここまでなのよぅ」  オーレリアさんが手帳を閉じた。 「え、もう終わり?」  ローティさんが聞く。 「台本ができないと、他の役は決まらないのよぅ。それに、全員が役者になるわけではないのよぅ。衣装、大道具、小道具、照明、音楽そちらにも人員が必要なのよぅ」 「衣装は時間が掛かりますわね」  イネヴェアさんが頷いた。 「黒騎士と姫と継母妃だけでも、かなり見栄えを考えなければなりませんわ」 「継母妃の衣装は簡素でいい」  ハリスさんが言った。 「駄目なのよぅ」  オーレリアさんが即答する。 「重要人物なので、ちゃんと作るのよぅ」 「余計なことを」 「ハリスさん、きっと似合いますわ」  イネヴェアさんが微笑んだ。  ハリスさんは、何も言わなかった。 「まずは、クリスさんに台本を書いてもらうのよぅ。それを見てから、残りの役と裏方を決めるのよぅ」 「はい」  クリスさんが、小さく頷いた。アディさんが隣で、励ますように微笑む。  こうして、|陽級《ソルネ・クラス》一年生の演劇は、少しずつ形を持ち始めた。  姫と黒騎士。  白百合姫と、黒騎士アルブレヒト。  まだ台本もないのに、もうその名前だけが、教室の中に残っている気がした。 「皆さん」  そこで、アルフォンス先生が静かに口を開いた。 「学芸会は、ただ舞台に立つだけの行事ではありません。台本を書く人、衣装を作る人、道具を運ぶ人、場面を支える人。誰か一人が目立てばよい、というものではないのです」  教室が、少しずつ静かになっていく。 「皆で一つのものを作る。そこに意味があります。陽級《ソルネ・クラス》らしい舞台になることを、期待しています」  その言葉に、何人かが頷いた。これから忙しくなる。きっと、そういう青春の一頁になるような。そんな、ありふれた話なのだと思った。  けれど、アルフォンス先生は、そこで終わらなかった。 「それから、もう一つ。大事な連絡があります」  いつもと変わらない穏やかな声。 「今年の学芸会には、特別な御客様がいらっしゃいます」 「御客様?」  誰かが、思わず聞き返した。 「どなたですの?」  アルフォンス先生は、そこで一拍置いた。 「皇帝陛下です」

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