ふみの世界樹 / 第129話

第九十七話 突入時刻

【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月9日 海竜曜日 22:25 七聖学院 星見の塔 】  おれは屋根に座って、西側の空を見上げていた。  |魔導探照灯《サーチライト》が夜空の一部に光の円を形作る。  点って。消えて。長く点って。消えて。点く。  信号の長短で、文字を作る緋鋼式ルナエ符号。 『黒い月の足、ハンナでも待つ』  これは暗号だ。黒い月はルナで、足は四つだ。  突入時刻は4時。  ルナの伝言、ちゃんと届いてた。  でも、『ハンナでも待つ』の意味が分からない。  ハンナと言えば、あの|死者の日記《デッドマンズ・バイブル》は、ハンナの書いたものだ。  この星見の塔?  おれは足元を見た。  退避ルートの事だと思うけれど、ここ?  おれは上を見上げた。  |飛空艇《エア・クラフト》が来るのか?  よく分からないけれど、ハリスなら分かるだろう。とりあえず返事をしておこう。  おれは膝の上で、|永遠の灯《ネウガシーム》の蓋を開いた。あちらで観測されると信じて。  長く開けて閉じる。長い。短い。休む。長い。長い。休む。  --・  --  ・・-  ・-・・  ・-    ルナエ符号で、『り、ょ、う、か、い』と伝えた。  その時、おれは突然の睡魔に襲われた。  意志が挫かれる。眠い。  これは、きっと魔法だ。  く、そ……。 【 同日 23:17 七聖学院 講堂 】  誰だ? 「ヴァン」  おれの名を呼ぶのは、誰だ? 「ヴァンっ!」  ミコトの声が聞こえる。おれは目を開けた。  ここは、講堂か?  みんなが、おれを見上げてる。壇上にいるのか。  うごけない。手足が、縛られている?  |磔《はりつけ》。  おれは縛られていた。長椅子で作られた即席の十字架だ。  手のひらに杭を打ち込まれていないだけマシだが、ちょっときつく縛り過ぎだ。 「お目覚めかね。ヴァン・ラドーレ君」  そこに立っていたのは、赤黒い魔道衣に身を包んだ男だった。  男は、妙に丁寧な仕草で頭を下げる。  おれは、こいつが誰だか分かった。  マディアラス・ヴネオン。  襲撃犯のボスだ。  焦げ茶色の髪は、左側だけが極端に長く、反対側は刈り上げられている。そのせいで、右耳に付けられたピアスがよく見えた。  銀色で丸い飾りのピアス。その中央には、脳に穿たれた金色の楔の意匠。  おれは、その印の意味が何か分かった。  |禁断の知識神《マドネ》。 「みんなを解放しろ。学院から出ていけ」 「なんと威勢の良い。開口一番、そんな大口を叩けるとは」  ヴネオンは、おれの|短剣《ダガー》を持っていた。鞘から抜いて、その刃でおれの頬をペチペチと叩いている。 「遊びで抜くな」 「何だって?」 「遊びで抜くなと言った。小さくても、それは剣だ」  おれは、ヴネオンを睨んだ。 「ふん、子供ながらに騎士の矜持とでも言うやつか? 流石は英雄ヴァルクの弟だ」 「兄貴は関係ない」  ヴネオンは、|短剣《ダガー》を床に捨てた。|空間収納袋《ラウム・バッグ》を手に持ち、|嗤《わら》った。   「そうですか。……だが、これは無関係とは言わせない」  次々と取り出される|道具《アイテム》の数々。  学院内のあちこちで集めた物と、元から入っていた品々だった。  鉤縄。小型の金槌。釘。やすり。有刺鉄線。  壇上の床に、次々と無造作に落とされていく。 「子供のくせに、持ち物は実に危険だ」  油瓶。火口箱。 「火遊びもよくないぞ」  おれは黙ってヴネオンを睨み続ける。 「貴様は一人で、この我々に戦いを挑む気だったのか?」  ハリスの計画を知らせてはいけない。  それに、おれ一人になっても戦うつもりだ。それは間違いない。 「そうだ」  他の生徒達は、黙って見守っている。  悔しさを隠しきれない表情の子。半泣きの子。目を閉じている子。 「ふむ……、何日も潜伏できるだけの用意だな。本気なのか」  消毒液。水筒。乾パン袋。干し肉。干し果実。小麦粉の袋。  順に中身を取り出して、足下に捨てられる。  小麦粉の袋は、倒れて少し中身が零れた。 「なんだこのガラクタは?」  オーレリアの|小型魔法人形《ミニ・ゴーレム》。部品を抜き取った残りだ。  無造作に床に捨てられ、音が響いた。 「大切なものだ。大事にしろ」  解体した爆弾の部品は、念の為に廃棄しておいて正解だった。  しかし、これはロイが贈ったものだ。捨てられなかった。   「こんな玩具に執着するとは、やはり子供だな」  おれは言い返さない。 「だが子供でも、やっていい事と、いけない事の区別ぐらいできるだろう?」  おまえこそ、人としてその区別ができているのか。おれは、そう問い詰めたかった。  でも、おれは言い返さない。 「外部と連絡していたな?」  答えない。 「何か光で合図を送っていたな?」  答えない。 「しらばっくれるな。屋根の上で光を使っていれば、見つけてくれと言っているようなものだ」  答えないぞ。 「言え!」  言わない。 「この野郎。ボスの質問に答えねぇか!」  体格の大きな男が割り込んで来た。おれの腹を殴る。  重い。痛い。吐きそうになる。  姿勢が悪すぎる。受け身が取れない。腹筋を締める以外に、防ぐ手段がない。 「ヴァンっ‼」 「ちょっと、子供に乱暴しないで!」  ミコトと姉御の声が聞こえた。 「うるせぇ!」  大男が怒鳴る。ヴネオンがそれを制した。 「騒がないで欲しい。お忘れか? おまえ達への罰を免除してやる代わりに、このガキには倍の罰を与えると言ったはずだ」  おれは笑った。ミコトの代わりなら、良かった。 「好都合だ」 「なんだと?」  ハリス、届いてくれ。 「やれよ。おれは「黒い月の足、ハンナでも待つ」それだけだ」 「ボス、こいつ何を言ってんだ? おい、分かるように話せ」 「これは古い|諺《ことわざ》だ。授業で習う」  ハリスと目が合った。よし、伝わった。 「このガキ、こっちは学校なんて通ってねえんだよ。なんてクソ生意気なんだ。殺してやろうか」  大男の手が、おれの喉を掴んだ。ものすごい力だ。  呼吸できない。 「やめろ」 「けほ……っ」  何とか息が戻った。 「こいつは、少し痛めつけたぐらいでは、おそらく口を割らない」 「じゃあ、どうすんだよ」 「明日、残りの身代金を用意できていなければ、見せしめとして最初にこいつを処刑する」  おれは目を閉じる。大丈夫、その前に突入作戦が始まるはずだ。 【 3月10日 孔雀曜日 0:01 七聖学院北側 地下通路入口 】  漆黒に染め抜かれた厚手の上下衣。胸と肩、脛と前腕に薄い装甲板。衣服の留め金も走った時に鳴らない構造。全ての金属部品には艶消し処理が施されている。  エリーは|緋鋼皇國海兵隊《ブラック・ファング》の黒い戦闘用装束で、懐中時計を確かめる。 「うん。日付が変わったよ」  アルフォンスが、青布で装飾された|巻物《スクロール》を差し出した。 「では、ここから先は、|静寂術《シュティレ》で隠密行動に移って貰います。これに、私の|呪文《スペル》を書き込んでおきました」  エリーが受け取って、珍しそうに眺める。 「へえ、この神聖魔法の|巻物《スクロール》、ちょっと変わってるね。ちゃんと使えるかな?」 「あなたなら大丈夫ですよ。発動後は、会話での意思疎通は不可能となりますので、|手信号《ハンド・シグナル》を忘れずに」 「呪文の対象は、これでいい?」  エリーが、小さなクマのぬいぐるみを取り出した。 「はい、それで構いません。|静寂術《シュティレ》は、それなりに効果範囲が広がっていますので、もし術士達を見掛けたら、その中心部に向かって投げ入れて下さい。詠唱を無効化できます」 「そっか、相手には|呪文使い《スペルキャスター》が何人もいるんだよね? ちょっと怖いな……」 「初出撃は、誰でも緊張するもんじゃき」 「ヴァルク様、やさしい!」 「これを誰に所持させるかは、隊長が決めてください。その人が中心になります」 「隊長は誰じゃったかの?」 「別動隊の部隊長は、立場上、|緋鋼皇國海兵隊《ブラック・ファング》のエリーさんという事になっていますが」 「はいはーい。それじゃ隊長権限で、現場指揮はヴァルク様に一任しま~す」  クマのぬいぐるみを渡され、困り顔のヴァルク。 「こんな勝手なこと、エドワードが怒らんか?」 「実戦経験が豊富で、内部情報にも詳しくて、人質の生徒達にも顔を知られていて信頼されている。これ以上の適任者はいないでしょ? 少佐なら大丈夫。これも現場判断ってことで」 「それならエイデンの方でも良かろうに」 「我は謹んで辞退する。そもそも指揮者には向かん」 「それじゃヴァルク様に決まりってことで、そろそろ補助魔法の付与をお願いしても?」  アルフォンスは|運命の女神《アルモニア・ミラ》の|象徴《シンボル》、|尾が縦横に交わる流星《スター・クロスシュート》の|聖印《シジル》を手にした。 「はい、重ね掛けしますので、みんな集まって下さい。この後、私は本部に戻りますから、手早く済ませますよ」 「エドワードのやつも人使いが荒いのう」 「少佐は真面目ちゃんだから」 【 同日 3:25 七聖学院 講堂 】  講堂は、夜明け前の暗さに沈み、生徒達も見張り達も浅い眠気の底で息を潜めていた。  壇上の十字架に縛られたヴァンは、殴られた腹と縛られた手足の痛みに耐えながら、うつむいたまま動かない。 「ボス、大変だ!」  壇上の椅子に座っていた術士幹部が、脚を組み直す。 「騒々しいぞ。ヴネオン様は、既に御休みになられた」  仮面の男が、下着姿の男を連れている。 「それがこいつ、地下室で箱の中で縛られていて……」 「なんだと? おい、何があった?」 「へい、ガキと用務員とやらにやられて、装備と仮面を奪われました。そいつ、オレに変装してやがる」 「なに⁉」  術士幹部が、|磔《はりつけ》にしたヴァンを一瞥する。  ヴァンは「おれがやった」と言わんばかりに笑った。  術士幹部が何か言おうとした時。 「ボス、報告です!」  別の男が現れた。学生達の何人かが目を覚ます。 「まだあるのか、なんだ?」 「厨房で二人、気絶した仲間が縛られてました」  人質にされた学生達の輪の中で、キャサリンが顔を伏せた。  壁際や二階席、周囲を固める監視役達。その内の一人が、そっと講堂の扉から抜け出ようとした。 「おい! おまえ、どこへ行く気だ?」  戦士の幹部が、その前に立ちはだかっていた。 【 同日 3:43 七聖学院南側 |水晶湖《クリスタル・レイク》 】  湖上に浮かぶ三隻の舟。  先発した|緋鋼皇國海兵隊《ブラック・ファング》の|占術観測班《スクライ・レコン》。エリーを除く残り六名が、|其々《それぞれ》ペアを組んで分乗していた。  一隻目。観測部隊の隊長、壮年の男が、隣で狙いを定める若い狙撃手に尋ねた。 「いけるか?」 「そうっスね……」  その尖った髪型の狙撃手は、|重弩《ヘヴィ・クロスボウ》の|照準器《スコープ》を覗き見る。暗くてよく見えなかったが、|熱探視《ヴェルメブリック》モードを起動すると、この距離でも人影が白く映る。 「あっちに二人、こっちに二人……、情報通りなら、尾根の向こう側にも四人」  学院の屋根に配置された何人もの犯人達、さらには星見の塔にも新たに配置された犯人達が見える。 「情報と違うのは、塔の上にも新たに配置されたって事ぐらいッスかね」  二隻目。赤髪の女性狙撃手と、望遠鏡で観測する眼鏡の隊員。|伝声術《シュティンメ》で言葉が交わされる。 「ねえ、これ時間が来たら、本当に射殺していいんだよね?」 「そう聞いています。ですよね、副官?」  三隻目。チョビ髭の観測員と、大男の狙撃手。 「後で始末書とか困りますよ?」 「……それは嫌だ」  副官が、大型の軍事用|魔導念話機《マギフォン》の受話器を手に取る。 「少佐、最終確認です。作戦時間に変更はありますか?」  他の隊員達が、息を呑む。 「──了解。作戦、続行します」  隊員達の顔付きが変わった。 「各狙撃手、|遠射術《ラングショット》を詠唱開始。観測手は|風道《ヴィンドトンネル》で弾道確保。初撃で必ず仕留めろ」 「「了解」」 「射撃後は、反撃が予想される。連中の得物では、射程で勝負にならんが、射手ではなく術士の場合は話が別だ。まずいと思ったら舟を放棄して水中へ脱出せよ」 「「了解」」 【 同日 3:55 七聖学院 講堂 】  畜生め。今度こそマズった。  ゴーンズ・ウィリス、四十二歳。ここで死ぬのか。 「師匠……」  ヴァン、そんな目で見るな。悲しくなっちまうじゃねえか……。  俺は壇上の晒し物だ。くそ、後ろ手に縛られちゃ、降参のポーズも取れねえ。 「ふがふが……」  |猿轡《さるぐつわ》なんかしやがって、減らず口も叩けやしねえ。 「ボス、こちらです」  この痩せっぽち野郎。 「へっへ、処刑の時間だァ」  この脳みそ筋肉野郎。 「おまえか、こそこそガキと結託して、無駄な抵抗をしてたのは」  マなんとか、ヴネオン。……クソったれ共の親玉。 「ふがふが、ふが……」 「おい、外してやれ」  外れた。 「おい、てめぇ!!」 「立つな。コラ!」  痛え。そんなに人を|跪《ひざまず》かせてえか。   「血気盛んだな。……だが、その威勢もこれまでだ。おまえは今ここで殺す」 「やめろ! ゴーンズさんに手を出すな!!」  ヴァン、暴れるなって。 「黙れ。ガキ!」 「うっ」  ほら、殴られてるじゃねえか……。  ミコトが泣いてるぜ。ガキのくせに、もっと自分を大切にしやがれ。  ハリエット、オーレリア、あの子達も、泣きそうな目でこっちを見ている。 「やめろ。子供に手を出すな。ヴァンは、おれが指示を与えて動いていた。それだけだ。全部、話す。だから、少し待て」 「……ほう?」  何もねえよ。話すことなんか、何もねえ。  だがハリスが、こっちを見ている。あいつの目は、死んでない。何か狙ってる。 「やはり何か計画していたな? 外部と結託して、何を企んでいた?」  外部と結託? そんなもの知らねえよ。 「俺が全てを話したら、解放してくれるのか?」 「そうだな、約束通り子供だけは解放してやろう。おまえは殺すがな」  どっちにしろ俺は殺すのかよ。……けっ、なら言う事は一つしかねえ。 「なら、耳をかっぽじってよく聞け」  この局面。時間を稼ぐ以外に、方法はないんだろ?  分かってるぜ。ヴァン、ハリス、おまえ達が何を計画したか、その全容までは分からないが、何かを計画したって事だけは知っている。そして、それが成功するって、信じてるんだろ? 「おい、ヴネオンさんよ。俺は、子供達に、|皇國将棋《ピスコレ》を教えて来た。……あんた、|皇國将棋《ピスコレ》は、知ってるかい?」 「知っている。|知的遊戯《ゲーム》の一つだ。しかし、所詮は子供の遊び。大人が真剣になってやる程のものではない。下らぬ」  俺は笑ってしまった。 「あんた、人生に余裕がねえんだな。だから、俺達の作戦にも気付かねえ」  お、顔色が変わったぜ。相当にイラついてやがるな? 「御託はもう結構だ。さっさと中身を話せ」  大男が|大戦斧《グレートアクス》を取り出した。  そろそろ引き延ばしも限界か……。 「ああ、一度しか言わねえぞ」  俺はキャサリンを見る。最期に見るなら、あんたしかいねえ。 「俺は……」  いや、待てよ。死ぬ間際に告白って、どうなんだこれ? その後、ずっと引き摺らせる事になるんじゃ? だったら、あっさり死んでおく方が、彼女の人生に影を落とさないんじゃ?  でもそれって、俺が既に好かれてるかもっていう前提の上での話であって。いやいや……、土壇場でビビったのか、俺は? 「どうした? 先を言え」  その時だった。  講堂の時計は、四時を示していた。 「今だ‼」  ハリスが立ち上がった。それだけじゃない。生徒も全員だ。  ヴネオンも含めて、襲撃犯の誰もが人質達に気を取られた。  突然の爆音。中庭の方だ。  同時に白煙。講堂の視界が全て、真っ白に染まった。 「ゴーンズさん、こっち」  ヴァンの声。こいつ、実は縄抜けしてたのか? 「な、なんだ⁉」 「ひええーーッ⁉」  仮面の男達が、次々に悲鳴を上げるのが聞こえた。 「くそ、このタイミングで突入だと?」 「畜生、一杯食わされた!」 「ボス、|緋鋼皇國海兵隊《ブラック・ファング》です。中庭でも交戦中」 「みんな、避難誘導に従って!」 「|結界杭《バリア・ステイク》を使うのよぅ!」 「ミシェル様!」 「私は後でいい。|月組《モント・クラス》の子を先に!」 「僕はブラスシルド家だぞ。僕も最後でいい」  こりゃ、ひでえ混乱だな。だけど迷ってねえ。計画的に動けている。この人数、分かれて避難しねえと入口で詰まる。 「犯人共に告ぐ! 全員、大人しくしろ!」  次々と隊員達が入ってくるのが見えた。上からも来ている。どうやって? 「ボス。守りの術士達が全滅しています。|広域次元封鎖《ディメンジョンシュロス・フェルダー》が解除されました。屋上も反応がありません」 「ならば、こちらも転移と|召喚術《サモン》が使えるということだ。やれ」 「了解。第九位列術式魔法、|怪物招来《モンスター・ルーフ》を使います」  今、何か嫌な台詞が聞こえた気がするんだが?

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