ふみの世界樹 / 第89話

第七十七話 越冬

「これを、ミコトに……」  おれは、黒い|星結函《ステラ・アルカ》を差し出した。金色の縁取りは、糸を縫い付けたものだ。ハリエットに道具を借りて、やり方を習った。ルナっぽい感じを出そうと思ったけれど、なんか違う風になってしまった。 「わたしに、ですか?」 「ああ。おれが作った」  ミコトは少し目を丸くして、それから両手で受け取った。大事そうに抱えて、目を閉じている。その姿は、見ているこっちも幸せになる。 「あけてもいい?」 「もちろん」 「ふふ、なんだろうね。ミコトちゃん」 「ヴァンからの贈り物だなんて、楽しみです」  ミコトは端から見ても、ウキウキした様子で箱を開けた。そんな箱、直ぐに破ってしまっても構わないのに、丁寧に紐を解く辺りがミコトらしくて、なんだかアレだ。  中には、黒っぽい焦げ茶色の革で作られた眼鏡ケースが入っている。いつも置場所に困っている気がして、それを作ることに決めた。  素材はイノシシの革だ。林間学校の時、四人で倒した獲物。下処理して、|鞣《なめ》して、寸法を測って、切って、縫い合わせて、裏鋲を打って、磨けば宝石のように光る木を、短い牙の形に削って、それから革紐で結んで留め具にした。  蓋の裏側には、『|美命《ミコト》』と焼き文字を入れてある。オーレリアから聞いておいた|冠字《かんじ》で書いたミコトの名前だ。 「わぁ、ありがとうございます!」  ミコトは嬉しそうに眼鏡ケースを抱きしめた。それから眼鏡を外して、ケースに納めてみたり、出してみたりしている。  夏頃、ローティは言っていた。ミコトは眼鏡を掛けない方が可愛いと。だが、おれはそう思わない。ミコトはアレだから、どっちも可愛い。   「若いって、いいわねぇ」  つばめ先生が湯呑みを片手に、おれを見てニヤニヤと笑っている。もしかして、アレに気付いているのか? 「つばめ先生、顔がうるさい」 「あら、ごめんあそばせ~? ふふふ……」  絶対、面白がられている。    *  聖夜祭が過ぎても、冬は続いた。  雪が降った。溶けた。また降った。|太陽神《ソリス》の加護に溢れた晴れの日。|月女神《ルナエ》の祝福に満ちた明るい夜。日々は続いた。  掃除。洗濯。料理。暖炉。買い出し。ルナの世話。勉強。読書。それだけの日が続いた。他にも、おれは薪を割った。灰を捨てた。水を汲んだ。ミコトは薪をくべた。灰を集めた。皿を洗った。おれ達は、同じ家で冬を過ごした。  アルフォンス先生の家は広く、一階と二階にそれぞれトイレがあった。男女で使う場所を分ければ、それで問題はなかった。  問題があるとすれば、風呂だった。  順番は決めていた。つばめ先生かミコト、おれは最後。だから間違えるはずは、決してなかった。入口には札も掛ける。だから決してなかったはずなのに、その日は「空き」の札が掛かっていた。  おれは脱衣所の戸を開けた。 「……え」  中に、ミコトがいた。髪をほどいて、脱いだ服を抱えて、肩越しに振り返っている。白い背中が見えた気がした。おれとミコトは、同時に固まった。 「す……、すいません!」  ミコトが一秒で謝った。多分、札を裏返し忘れていたからだと思うけれど。念のために声を掛けなかったおれの責任だ。 「……いや、おれが悪い」  おれも三秒で戸を閉めた。  廊下に立ったまま、しばらく動けなかった。  おれの顔と、耳が赤い。これはもう、アレだ。    *  皇國歴、改め帝國歴1003年、覇竜12年、1月1日、日曜日。  新しい年が来た。つばめ先生とミコトが、和之国の風習だからと、年越し料理とかいうものを作った。和之国の材料と同じものは、ほとんど手に入らない。だから、あるもので似た形にするらしい。  木箱に似た深い器の中に、色とりどりの料理が少しずつ詰められている。焼き色のついた山鳥。照りのある海老。黄金色に甘く煮た栗。黒く艶のある豆。丸めた冬菜。薄く切られた根菜。赤と白の魚肉を巻いたもの。魚の卵を漬けた、粒の細かい橙色の塊。細い黒麦麺。山鳥の出汁。よく分からない海産物。  どれも量は少ないのに、ひとつひとつが妙に丁寧で、ただ腹を満たすための料理ではないことは、おれにも分かった。 「ヴァン。これ、ちょっと味見してください」  おれは、何気なくミコトが差し出したスプーンで、味噌とやらで濁った汁を口にした。製法はよく分からないけれど、多分、豆と魚から作った何かだと思った。 「うまい。……と、思う」  馴染みのない味だったけれど、本当にそう思った。だがそれよりも、ミコトに食べさせて貰ったことの方が、なんだか気になった。 「これが、和之国自慢の年越し料理よ」  つばめ先生が少し誇らしそうに言った。ミコトも、胸を張っている。  次に味見したのは、黒い豆だった。見た目は地味だが、噛むとほろりと柔らかく、甘い。砂糖だけの甘さではなく、豆の奥にある土っぽい香りと、ほんの少しの塩気があって、後味がしつこくなかった。  それから、栗を甘くしたものを口に入れる。これは分かりやすい。ほくほくして、舌の上で崩れる。甘いのに重すぎず、冬の寒い朝に食べると、腹の奥からじんわり温まる感じがした。  山鳥は、皮に薄く焼き目がついていた。噛むと脂が滲み、甘辛いタレの味が肉に絡んでいる。普段食べる焼き鳥より上品で、けれど物足りないわけではない。噛むほどに肉の旨味が出て、汁物が欲しくなる。  こっちの汁物は澄んでいた。けれど味は薄くない。山鳥の出汁と根菜の甘みが、湯気と一緒に鼻へ抜ける。冬菜は少し苦く、その苦味がかえって汁の甘さを引き締めていた。そこへ黒麦麺を啜ると、柔らかいのに芯のある香りがして、不思議と落ち着く味だった。 「うまい」  今度は強い確信をもって、おれはそう言った。  ミコトはつばめ先生と一緒に、「よしっ」と両手でハイタッチしていた。  おれは、ミコトが作ってくれたから。とは言えなかった。    *  掃除の時、ミコトが革手帳を落とした。オーレリアから貰った二代目の日記帳らしい。床の上で、頁が開いた。おれは拾い上げて、ミコトに渡す。その時、少しだけ書かれていることが見えてしまった。  薪。おれの名前。  掃除。洗濯。おれの名前。  ルナ。おれの名前。  黒麦麺。おれの名前。  |皇國将棋《ピスコレ》。おれの名前。  つばめ先生のお茶。手袋。眼鏡ケース。おれの名前。  思った以上に、おれが頻繁に登場していた。ミコトの手帳の中に、おれがいる。しかも、たくさんいる。そう思った瞬間、胸の奥が熱くなった。嬉しいのとは少し違う。安心とも違う。ミコトも、もしかするとアレなのかもしれない。そう思うと、その日の夜、おれは少し眠れなかった。    *    |聖輪樹《セイント・リース》は、年が明けてから何日も、外さないで扉に掛けたままだった。帰ってくる者のための道として、爺ちゃんのやり方に従って、ちゃんと閉じずに少しだけ隙間を開けてある。 「ヴァルク先生と、エイデン神父さま、無事に戻って来るよね?」  不意に、ミコトがこぼした。つばめ先生は、直ぐに笑った。 「当たり前でしょ。あいつら、殺しても死なないのよ。試してみたから間違いない」 「えぇ!? 本当ですか?」  いや、たぶん今のは冗談だろう。そうやって、あっさり真に受けてしまう素直なところも、おれはアレだ。おれはもう、気付いている。このアレは、アレだ。 「ふふ、冗談に決まってるじゃない。可愛いんだから」  ミコトが、つばめ先生にむぎゅられている。なんだか、見ているのはいけないことのような気がして、おれは目線を逸らした。  窓の外、積雪の残る景色を見ながら、来年も、こうしていられたら。そう思った時、おれの中で、ミコトが特別になった。  いや。たぶん、前からそうだった。  おれが、冬を越した今になって、ようやく気づいただけだ。アレに。    *  1月9日、海竜曜日。  越冬の時は過ぎて、七聖学院に新学期がやって来た。  朝の|陽級《ソルネ・クラス》の教室はうるさかった。椅子を引く音。鞄を置く音。冬休みの話。寒いという声。笑い声。  ハリエットが駆け寄ってきた。 「ヴァン君、ミコトちゃん、おひさしぶり!」 「おはよう、ヴァン。ミコト。元気そうだな」  ハリスもいた。 「おはようございます、ハリエット、ハリスさん」  ミコトが丁寧に頭を下げる。ハリエットはほっとしたように笑った。 「みんな、冬休みの間に起きた事を教えて欲しいのよぅ」  早速、オーレリアは記録係の構えだ。でもそれより、机の上に置かれた|小型魔道人形《ミニ・ゴーレム》が、すごく気になった。 「おいおい、なんだこれ? オーレリアの?」  ローティは相変わらずだった。 「ロイ様に貰ったのよぅ。それを改造したのよぅ」 「触ってもいい?」 「ローティは、壊すからダメなのよぅ。壊したら、五倍の値段で弁償させるのよぅ」 「それは酷くない!?」  教室に日常が戻ってくる。  そう思った時、知らない男子がミコトに声をかけた。|陽級《ソルネ・クラス》三年の先輩だ。 「ミコトさん、ミコト・サトーさんですよね?」 「はい?」  そいつは、手に持った花束を差し出しながら言った。   「あの、学芸会の舞台、すごく良かったです。白百合姫、すごく似合ってました」  ミコトは困ったように頭を下げた。 「あ、ありがとうございます」  胸の奥がざらついた。 「白百合姫効果なのよぅ」  オーレリアが記録帳に何やら書き込む。 「つきましては、結婚を前提にお付き合いをしませんか?」  そいつが、なにかほざいた。 「え、ええ……?」  ミコトは本気で困っている。白百合姫。白い衣装。照明。黒騎士に守られる姫。おれの方へ伸ばされた手。ミコトが褒められるのは悪いことではない。頑張ったのだから、褒められていい。誰かに好かれるのも仕方ない。あの時も、ミコトは綺麗だった。だから、貴族の子供達が、結婚相手に選ぶのも仕方ない。  分かっている。ここは、そういう事も普通に起こる場所だ。学院の学びで得られる教養だけではなく、人脈を築くことも視野に入れている。そういう教育方針。  それは分かっている。分かっているのに、気に入らない。  また別の男子が来た。今度は後輩だ。 「あの、ミコト先輩ですよね? これ、冬休みに街で買った焼き菓子なんですけど」  ミコトはさらに困った顔をした。 「あ、ありがとうございます。でも、わたし一人では……」 「皆で食べればいいじゃん」  ローティが言った。おれはそちらを見る。 「何だよ」 「何でもない」  おれはローティよりも、その先輩と後輩を見る。というよりは睨む。 「なんか怒ってね?」 「怒ってない」  ハリスがため息をついた。 「ローティ、ちょっと黙れ」 「だから何で俺だけ」 「お前が一番うるさいからだ」  ミコトは花束と焼き菓子の包みを受け取って、何度も頭を下げていた。  この生徒達は、悪い奴ではない。それが余計に面倒だった。相手が悪い奴なら分かりやすい。追い払えばいい。敵なら倒せばいい。止めればいい。おれが、ミコトの前に立てばいい。あるいは立って、庇って、盾になればいい。  でも、そいつらはただミコトを見て、褒めて、贈り物を渡しているだけだ。おれが何かする権利はない。ミコトが選ぶことだから、黙って見守る。 「ごめんなさい。そういうのは、遠慮しています」  ミコトが、ぺこぺこ頭を下げて、そいつらにお帰りを願っている。気が変わったらどうとか、また来るとか何とか言って、そいつらは教室から出て行ったけれど、正直そいつらが何を言ったかは、どうでも良かった。 「すみません。何だか、いただいてしまいました」 「いいんじゃないか。皆で食べれば」  ハリスが言うと、ミコトはほっとしたように笑った。その顔を見て、胸のざらつきと、おそらく不安? 敵意? よく分からないが黒いモノが少し消える。でも、全部は消えていないような気もする。 「ミコト、人気だな」  ローティが言った。 「人気、ですか?」 「白百合姫だったしな。そりゃ目立つだろ」 「でも、あれは劇で……」 「劇でも、綺麗だったのは本当なのよぅ」  オーレリアが言った。ミコトは耳まで赤くなる。 「そ、そういうことを言われると困ります」 「困るミコトも記録対象なのよぅ」 「だだだだ、だめ! 記録しちゃダメ!」  教室に笑いが起きた。いつもの空気に戻ったように見えた。でも、おれだけは戻れなかった。ミコトが誰かに褒められる。誰かに見られる。誰かに話しかけられる。  それは悪いことではない。分かっている。ミコトは頑張った。綺麗だった。褒められていい。分かっている。分かっているのに、気に入らない。  分かっている。これは間違っている。おれは勝手に、ミコトを自分のものみたいに思っている。でも、ミコトはおれのものじゃない。ミコトはミコトのもので、誰のものでもない。そのことが、ひどく落ち着かなかった。  その時、教室の扉が開いて、アルフォンス先生が入ってきた。 「ミコトさん」 「はい?」  アルフォンス先生は、いつもの穏やかな顔で言った。 「あなたに呼び出しです」  教室に少し緊張が走った。 「わたし、ですか?」 「はい。校長先生がお呼びです」

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳