ふみの世界樹 / 第71話

第五十九話 開幕

 幕が上がった。  最初に舞台へ並んだのは、まだ幼い|星級《ステラ・クラス》一年の生徒達だった。  全員が白い制服を着て、指揮を取る教師をまっすぐ見ていた。  講堂のざわめきが、ゆっくりと引いていく。  エドワード・クィルズは、皇帝陛下の左斜め後ろに控えたまま、視線だけを動かした。  皇帝陛下は、何も言わず、ただ舞台を見ていた。  教師の指揮棒が力強く振られた。幼い声が、講堂に響いた。 ────♪  |緋鋼《あけがね》の空に 朝みちて  |不死鳥《とり》の翼に 光さす  |御旗《みはた》は高く 風に鳴り  我らは誓ふ |皇國《みくに》の道  |剣《つるぎ》は|護《まも》り 火は|灯火《ともしび》  |民《たみ》の祈りを 胸に|抱《いだ》き  嗚呼 |緋鋼《あけがね》よ |永久《とこしへ》にあれ  我らが|祖国《おやくに》 いや栄え ────。 一曲目は、|緋鋼皇國国歌《あけがねこうこくこっか》。  高い声と低い声がまだうまく混ざりきらず、ところどころに舌足らずな幼さが残る。それでも、子供達は最後まで歌いきった。  皇國から帝國へ。国号の過渡期において、この国歌を聞き続けられるのは、何時までなのかは分からない。  客席から拍手が起きる。  舞台の上の子供達は、そろって頭を下げた。  その拍手が収まる前に、教師が小さく合図を出す。子供達は顔を上げ、姿勢を正した。  二曲目は、国歌の時より、ほんの少しだけ、彼らの顔から力が抜けた。 ────♪  七つの|湖《みなこ》 星は澄み  白き校舎に 灯はともる  七つの|聖《ひじり》は 月と歩み  小さき願いを 胸に抱く  七つの|冠《かむり》 陽の庭へ  誉れ抱きて 進みゆく  空は明けゆき 鐘が鳴る  七聖学院 我らが庭  新たな朝は ここに来る ────。  二曲目は七聖学院歌だった。歌い終えると、子供達はまた頭を下げた。拍手が起きる。  皇帝陛下を見ると、微笑を浮かべ、ゆっくりとした拍手を送っていた。  舞台袖へ下がる途中、ひとりの生徒が足をもつれさせ、転びそうになった。隣の子が慌てて手を伸ばし、その子を支える。客席のあちこちに、小さな笑みが浮かんだ。   エドワードは、配置についた隊員達から、|伝声術《シュティンメ》で報告を受け取る。舞台、講堂、学院周辺、どこにも異常はない。  少なくとも、今のところは。  続く演目は、|月級《モント・クラス》一年による宮廷舞踏だった。  舞台の上で、男女が組になって並ぶ。  学生達は星級一年よりも背丈があり、顔つきも、少しだけ大人びている。だが、まだ身体には幼さが残っていた。それでも、お辞儀の形はさまになっていた。  音楽が始まる。  男子と女子が互いに礼を交わし、手を取り、歩を進める。一歩。半回転。手を取る。もう半回転。手を離す。向かい合う。また礼をする。  華美な舞ではないし、観客を驚かせるような技もない。だが、立ち方、相手への合わせ方、気遣いの所作には、教え込まれたものがあった。  貴族としての基礎。  エドワードは、そう見た。剣を抜くことだけが教養ではない。魔法を使うことだけが学びではない。正しく立ち、歩くこと。相手との距離感。  彼らはまだ未熟だった。けれど、身に付けるべきものを、きちんと身に付け始めている。学院の基礎教育は、きちんと行われているようだ。  その舞踏が終わる。月級一年の生徒達が、そろって礼をした。拍手が起きる。  エドワード・クィルズは、視線だけを動かして、皇帝陛下の様子を確かめた。皇帝陛下は、何も言わず、先程と変わらない静かな拍手を送っている。  恐らく、この舞台に上がった子達は、末代まで皇帝陛下の前で、歌を、踊りを披露したと、自慢話にするのかも知れない。  その拍手の中で、舞台袖の動きが変わった。  エドワードは、目を細めた。  一度、幕が降ろされる。司会の生徒が、舞台脇へ進み出る。その声は、先ほどより少し硬く、緊張の度合いが大きかった。 「続きまして、|月級《モント・クラス》三年による演劇」  一拍置く。 「演目、『誓いの冠』を上演いたします」  開幕を告げる鐘の音と共に、幕が上がる。  そこは既に演劇の世界。背景幕が既に下ろされている。明るい祝祭の色が消え、古い王城の広間が現れる。太い石柱。玉座と赤い絨毯。そして、舞台中央に置かれた冠。 「我は、この冠に誓う」  王役が声を張った。最初の場面は、戴冠式だった。戦乱を終わらせた若き王が、民の前で冠を戴く場面だった。  舞台上には民衆役の生徒達が並び、王を讃えていた。衣装は簡素だが、人数を使った配置は見応えがある。王役の生徒は背が高く、玉座の前に立つ姿にも見栄えがあった。 「この国を守る。民を守る。剣を取り、火を掲げ、恐れを退ける」  民衆役が歓呼する。その声に、舞台が明るく満ちた。だが、戴冠の祝福は長く続かなかった。  民衆の中から、ひとりの刺客が飛び出した。  短剣が閃く。  客席の前列で、誰かが息を呑んだ。  近衛役の生徒が、見事に刺客を取り押さえる。王は退かない。抜きかけた剣を途中で止め、刺客を見下ろした。  あの近衛役、スジがいい。将来はうちで働かないだろうか。エドワードは、そんな事を少し考えた。  刺客役の生徒が叫ぶ。 「お前の冠は、我らの血で赤い!」  近衛が刺客を引きずっていく。王はしばらく動かなかった。民衆の歓呼は、戻らない。  暗転。  次に明かりが戻った時、王は玉座に座っていた。  戦乱は終わった。  だが、反乱は止まない。飢えた民が訴える。貴族が離反を囁く。暗殺者が夜ごとに忍び寄る。 「反乱を鎮めよ」  王が命じる。  兵士役が動く。 「疑わしき者を捕らえよ」  民衆役の一部が連れて行かれる。 「城門を閉じよ」  舞台奥の扉が閉じられる。 「噂を根絶やしにしろ」  民衆役が口を閉ざす。  命令が増えるたび、舞台上の声が小さくなっていった。  最初は訴えだった。次は囁きになった。やがて、民衆役の生徒達は、誰も口を開けても声を出さなくなる。  王の足音だけが残った。  玉座の横に、黒冠の近衛が現れる。  黒い外套。  黒い仮面。  王の影のように、舞台上へ滑り込む。その姿、奇妙さは、どことなく皇帝陛下の側近、直衛の魔法使いに似ている気がした。 「陛下」  黒冠の近衛は、甘く低い声で言った。 「民の声など、すべて聞いていては国は治まりませぬ」  王は答えない。 「声を選びなされ。従う声だけを残しなされ。逆らう声は、国を乱す毒ですぞ」  黒冠の近衛は、王の耳元へ近づく。 「王に必要なのは、民の愛ではございませぬ。静寂です。疑わぬ臣です。逆らわぬ|民草《たみくさ》です」  舞台上の民衆役が、一斉に膝をついた。  声はない。  ただ、口だけが開いている。その沈黙の中へ、一人の男が現れた。  マギ殿下だった。  衣装は、王よりも簡素である。白と銀を基調とし、薄い青の飾り布が肩から垂れている。手には細身の剣。王族らしい雰囲気はあるが、武人の迫力はない。  だが、その見目麗しさに、小さな歓声が上がる。女生徒の何人かは、胸の前で手を合わせて見とれている。  エドワードは、皇帝陛下を見た。  皇帝陛下は、肘掛けで頬杖をつき、マギ殿下を凝視していた。 「兄上」  マギ殿下の声が、講堂に通った。  王役の生徒は、玉座から王弟役のマギ殿下を見た。奇しくも皇帝陛下と同じ姿勢。肘掛け椅子で頬杖をついて、興味と関心のない様子を演じていた。 「声なき国を、治まった国と呼ぶのですか」 「国を守るためだ。それに泣いている者がいるのか?」  マギ殿下の真摯な声に対して、気だるげな声が返る。 「それは、泣く者がいなくなったのではありません。泣くことを禁じられただけです」  王の顔が歪む。  黒冠の近衛が前へ出た。 「王弟殿下。そこをお退きくだされ。陛下の慈悲があるうちに」 「慈悲?」  王弟は民衆役の前に立った。 「声を奪い、膝を折らせ、泣くことすら禁じておいて、それを慈悲と呼ぶのですか」  黒冠の近衛が剣を抜く。 「殿下。これ以上は、不敬ですぞ」  王弟も剣を抜いた。マギ殿下の演技には、不退転の覚悟が見えた。 「不敬でも構いません」  皇帝陛下の後ろで、側近の魔法使いが、少し眉根を寄せた。エドワードは、それを見逃さなかった。  マギ殿下が、舞台から観客席の方に向き直り、大衆に向かって演説するかのように台詞を口にした。 「私は、王を討ちに来たのではありません。王が戴いた冠の意味を、思い出していただきに来ました」  それは皇帝陛下に向かって話し掛けているようにも見えた。台詞が終わると、マギ殿下は黒冠の近衛に向き直った。少しの間。  黒冠の近衛と王弟。互いに踏み込んだ。  立ち回りが始まる。  マギ殿下の剣は、強くはない。少なくとも、熟練した剣士の技ではない。  受ける。逸らす。下がる。圧される。  それでも、民衆役の前からは退かない。不退転の覚悟を、演技で見せつけている。剣術の基礎が、思っていた以上に手堅い。  エドワードは、似たような剣を扱う者を知っている。生涯、まだ一度も勝てていない相手。学生時代からの|好敵手《ライバル》にして、最大の|強敵《とも》。  ヴァルク・ラドーレ。  そうか、あいつに習ったのか。いや、その弟か? いずれにせよ折れない剣だ。ラドーレ家の騎士剣術が、こんな形でまた見れるとは。エドワードは自分でも知らぬ内に、微笑を浮かべていた。  黒冠の近衛が、王弟の横を抜けようとする。  王弟が身体を入れる。遅い。  刃が届く。  その瞬間、マギ殿下が、詠唱を省く高度な手法を用いて|魔化武器《マギー・ヴァッフェ》の術式魔法を発動した。  刃と刃が触れ合う。  白い魔力が弾けた。強化された演劇用の小道具、ただの飾りに過ぎない剣が、実際の殺傷力を持つ。  破裂音。  黒冠の近衛が持つ剣が、砕けた。  見事な演出だ。観客席から歓声が上がる。  エドワードも、思わず声が出た。これは何て事のない自然な流れで見せているが、剣戟の最中に呪文を挟み込むタイミングと正確性は、大人も顔負けだ。現役の海兵隊員でも、これを再現しろと言われても、難しいだろう。  これは、分かる者にしか分からない。本職すら唸らせる、通好みの実力の見せ方だ。エドワードは感心の頷きを見せた。  武器を失った黒冠の近衛が両手を振り上げ、詠唱をする。だが、魔力は練られていない。しかし、呪文は起こり始めた。  マナ殿下だ。  舞台袖。照明の当たらない暗がりの中で、監督であるはずの彼女が、身振りと手振りを行っている。この娘も無詠唱を行うのか。エドワードが驚愕したのも束の間。  |火炎光線《フラムシュトラール》。  術者の手元から高熱の火炎光線を撃ち出し、対象を焼き貫く火の術式魔法。そんな呪文を、まだ年端もいかない少女が放つ。それだけでも驚愕に値するのに、無詠唱だ。しかも、三本の光線を一つに束ねている。  それだけではない。  本来なら術者の指先から発射される火炎光線が、舞台上の役者が放っているように見せている。  その束の間で、エドワードは訓練で叩き込まれた思考が、意識より先に走った。  一瞬の判断ミスで人が死ぬ。ならば、その一瞬の間で行える思考を、可能な限り加速させるべきだ。あらゆる思考を巡らせて、そこから解決の糸口を探せ。さもなくば。  死ぬ。  ただの演出にしては、あれは火力が高過ぎる。  だが呪文は、マギ殿下の方に向かって放たれている。  黒冠の近衛役が、驚いている。恐らく、演出ではない。打ち合わせになかった呪文なのだろう。本番、この場で突然その呪文に差し替えられたのだ。  このままではマギ殿下が焼け死ぬ。  しかし、視界に入ったのは、既に術式魔法の発動を終えたマギ殿下の姿だった。銀鏡のような歪み、薄い光輪、反転する術式紋が、マギ殿下の前に、頑として浮かび上がっている。  エドワードは、この呪文を知っていた。前に一度だけ、戦場で見たことがある。  |術式反射《マギーシュピーゲル》。  確か第七位列の呪文だ。軍属の魔術士でも繰り出す事は、ほぼ不可能だ。  違う。  今、驚愕すべきは、そこではない。あの光線を反射すれば、あの黒冠の近衛役が焼け死ぬ。そんなことをする意味がない。  角度。  反射面が不自然に傾けられている。偏向。その先には、皇帝陛下がいる。  まさか。  エドワードは、警護として絶対に使ってはいけない言葉を、心の中で使ってしまった。まさか、子供達が、あんな少年と少女が、本気で皇帝陛下の暗殺を企むなんて。  マナが放ち。  マギが防ぐ。  三本の灼熱が、一つに束ねられた必殺の魔法となって放たれ、逸らされた。そして今、皇帝陛下のいる来賓席の中央へと、轟音を引き連れて向かっている。  あまりにも一瞬。束の間すぎた。  間に合わない。  エドワードは、それでも手を伸ばした。

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