琥珀 / 第19話

19 わたしの代わり

鏡に映る自分に、わたしは何度も言い聞かせた。大丈夫、お前なら出来る。ちゃんと、伝えられると。 部屋の時計を見ると、さっき確認してから15分も経っていない。家を出るまではあと2時間。わたしはソファーから立ち上がり、洗面所へ向かった。 洗面所の鏡でも、自分に向かって唱える。 大丈夫、お前なら出来る。 そして、メイクポーチからマスカラを取り出しまつ毛に乗せる。これはあくまで気合を入れる為のもので、今日は4回ほど重ね塗りをしている。リビングと洗面所を往復するたびに塗っているから、いい加減ケバくなってきた気はするが、気にしない。眉毛も描き足すたびに太くなっているが、気にしない。これは、気合を入れるために必要な事だ。 普段は塗らないリップも、今日は良しとしよう。なぜなら、気合を入れるため。 前に春香から貰ったレッド系のリップを軽く唇に乗せる。 フェイスパウダーを叩きすぎたせいで顔面は白く、赤いリップによって舞妓さんに見えなくもないが気にしない。 今日はわたしの、一世一代の勝負の日。といっても過言ではない。 24年間生きてきて、こんなに緊張した事はない。そのせいで昨日はなかなか眠れず、朝も5時に目が覚めた。それから意味もなく部屋中を徘徊し、ひたすら時間が経つのを待つ。 早く時間が過ぎてほしい反面、このまま時が止まればいいのにと思う自分もいる。自分の中にある"恐怖心"をどうにか紛らわそうとするが、結局そんな術はないのだ。 ──そして、そんな重要な日であるにも関わらず、わたしはやらかしてしまった。 早朝起床のおかげで夕方になると強烈な睡魔に襲われ、気づいたらソファーで寝ていた。 目が覚めた時は、待ち合わせの時刻の5分前。 盛大に発狂した。幸い、場所はTATSUの近隣。何度も行っているところだから迷う事もない。目が覚めてから30秒で、わたしは家を飛び出した。 おそらく、学生の頃の最速タイムを上回っていたと思う。タイムさえ計っていなかったが、体感としては秒だった。秒で着いた。 しかし──「いないんかーい!」 席に案内され、叫ばずにはいられなかった。 「あの、お客様・・・大丈夫ですか?」 店員のお姉さんがわたしを不審者のような目で見るのは叫んだからだけではない、今は真夏かと勘違いするほどの滝汗が顔から流れ落ち、呼吸困難になっているからだ。 「すみません、ハアハア・・・大丈夫です。連れもまもなく来るんで。すみません」 「今、おしぼりとお水お持ちしますね」 たぶん彼女は、裏に行って仲間にわたしの事を"密告"しているはずだ。同じ立場として大いにわかる。 ありがたいことに、お姉さんはおしぼりを2つ持ってきてくれた。1つはお手拭き用、もう1つは顔用だ。気合を入れたメイクは、会う前に崩れ落ちた。 それから10分ほどして、彼女はやってきた。 遅刻を悪びれる様子もなく、席に着く前にわたしを凝視した。 「早坂さんに会ってたの?」 「・・・え?なんで?」 「いや、その顔。会うからメイクしたとかじゃなくて?」 「いや、違う。会ってないよ」 「よかった」 ──どういう意味だ? 「遅れてゴメン、来る途中におばあちゃんが足を挫いて倒れてて、手を差し伸べずにはいられなくて・・・」 「もういいわ。すみませーん!ビール2つくださーい!」 席に着いた春香はグイッと身を乗り出し、近くでまたわたしを凝視した。 「なんで、そんな事になってんの?」 「なにが?」 「いや、顔よ。鏡見てから出てきた?」 「30回は見た!これは気合いの表れ!」 「ふーん、そんなに気合いが必要なわけね」 ──痛みを感じるほど、心臓が跳ねた。 落ち着け。まだ始まってもいないのに、今から動揺するな、自分。 今日は月曜日。店の定休日だ。休みの日にこうやって春香と2人で会う事は滅多にない。何故なら、休日に会おうと思えないほど日々飲みに繰り出しているからだ。 それも、最近はめっきり少なくなった。早坂さん達と出会ってから。 今こうして会っているのは、わたしがお願いしたからだ。 聞いてほしい事がある。出来れば休みの日にゆっくり。そう伝えた時、春香は深く溜め息を吐いた。それは嫌悪ではない、やっとかという様に。 「その、この世の終わりみたいな顔やめてくれる?別に何聞いたって驚きゃしないわよ」 「・・・ホント?」 「たぶん」 「たぶんかい!」 「断言は出来ないわよ。ヤク中ってのは想定内だったけど、そーゆう話でもないんでしょ」 「・・・なぜ想定内だったのか知りたい」 「まあ、今までの事考えてもね。ありえない話でもないでしょ」 「今までの何を考えてそう思ったのか知りたい」 「何って、行動言動とか?言い出したらキリがないわよ」 キリがないくらい、わたしの行動と言動はヤク中感漂っていたのか? 「心外だっ!」 と、そこでビールが運ばれてきた。 「とにかく乾杯しましょ。待ってわ麦男くぅ〜ん」 氷の張ったジョッキをカキンと鳴らし、キンキンに冷えた麦男くんをゴクゴクと喉に流し込む。当たり前だが、わたしのほうが早くジョッキを置く。喉が渇いていたせいか、最初の一口で半分ほど減った。 続いて春香がジョッキを置くと、ほぼ泡だけになっている。まあ、驚く事ではない。2杯目を頼む前にフードメニューを開く。 「あ、あたしフライドポテト食べたかったのよね。頼んでいい?」 「いいね」 「普通のとトリュフ塩あるけど、どっちがいい?」 「んー、わたしは普通のでいいかな」 「じゃあトリュフ塩にしましょ。すみませーん!」 「じゃあの使い方間違ってない?まあいいけど」 「だって同じ料金よ。得してる感あるじゃない」 「わたしは普通のシンプルのが好きだけどね」 「アンタって、そーゆうとこオジサンくさいわよね。冒険しないっていうか、ザ・王道を行くというか」 「手間をかけないで美味しい物が本当に美味しい物だから。おばあちゃんの受け売りだけど」 「ふぅーん。アンタの大好きなおばあちゃんね」 「・・・えっ」そんな事、言ったっけ。 「違うの?だってアンタ、おばあちゃん以外の家族の話しないじゃない」 「・・・あー、そうだったかな。うん、大好きだった」 おばあちゃんの部屋に行くと、眼鏡を下げて上目遣いでわたしを見るあの顔が懐かしい。おばあちゃんの事を思い出すと、今でも会いたくてたまらなくなる。 「ま、わかるけどね。あたしもおばあちゃん子だったし」 「そーなの?」 「うん、親に内緒でよく小遣い貰ってたわ」 「あは、わたしもだ。何処もそうなんだね、じいちゃんばあちゃんは」 「それで、アンタの話はいつ始まるの?もう少し飲んでからのほうがいい?」 「うん」即答した。 2杯目のビールが届き、それに手をつける前に春香がおかわりを注文した。ウイスキーロックを2つ。 「一応聞くけど、ロック2つってわたしの?」 「は?なんで?あたしのよ」 「珍しいね。普段あんまり飲まないじゃん」飲みたいけど、早く酔いすぎて損してるという理由で。 「あたしもシラフよりはいいでしょ」 ──今、わかった。態度や口調はいつも通りだけど、春香も少なからず緊張しているんだ。 「さっき、何聞いても驚かないって言ったけど・・・どっちかと言うと、信じない。のほうかも」 「アンタが言うことを、あたしが信じないってこと?」 「うん」 「ちなみに、その話って今まで誰かにしたことある?」 「え?」 「これから言おうとしてる事、今まで何人に話した?」 そんな質問が来るとは思わず、わたしはその言葉をストレートに受け取った。 「小さい時に、母さんに・・・かな」 「小さい時?」 「うん」 「母親にだけ?」 「うん、まあ・・・」早坂さん達には自分から申告したわけではないし、数には入らないよね。 「どんな反応だった?」 ──これは、どういう事だ?春香は何を思って聞いてくるんだろう。何か探りを入れてるんだろうか。 「信じて、くれなかった」 「・・・なるほど」 「えっ、何がなるほど?」 春香は答える代わりにビールを口に運んだ。今度は"控えめ"に半分まで。わたしも負けじと後を追いかける。 2杯目を半分程飲んだところで、ほろっと酔いが回ってきた。今日は緊張のせいで何も喉を通らず、それが酔いを加速させたんだろう。今日に限っては助かる。 「あたしさ、ある仮説を立ててるんだけど」春香がおもむろに言い出した。 「仮説?ん?わたしの事でってこと?」 「うん」 「・・・なに?」 「馬鹿馬鹿しいと自分でも思うのよ。でもアンタ、信じるかの問題って言ったじゃない?それを踏まえて、今までのアンタを見てきた上での仮説、よ」 「ずいぶんな前置きだな。それで、なに?」 一体、春香の口から何が飛び出すんだろう。想像もつかない。 春香は鋭い目でわたしを見つめた。まるで、わかっているぞとでも言うように。 緊張しているのか、手のひらに汗が滲む。 「まっ、とりあえず、ウイスキー飲んでからにしましょ」 わたしはガクッと頭を垂れた。まあそれについては、わたしも賛成だが。もう少し、お酒の力を借りたいところだ。 頼んでいたポテトが到着すると、春香は一口食べるなり眉間にシワを寄せた。 「イマイチね」 「うん、まあ・・・納得」 「ポテトは普通に美味いけど、残念だわ」 「まあしょうがないよ、ここリーズナブルな居酒屋だし、ウチのとこみたいに良いトリュフ塩使ってないだろうから」 「普通のポテトにすればよかった」 「わたしは言ったけどね、一応」 「もっと押しなさいよ」 「押しても結果は見えてる」 春香はテーブルに肘をつき、頬に手を当てた。「押してみなさいよ。どうなるかわかんないじゃない」 「・・・さっきわたしが押してたら普通のポテトにしてた?」 「いや?」 「ほらなっ!」 「なんで従うのよ」 「・・・はぃ?」 「譲らなきゃいいじゃない」 「いや、別にポテトごときで・・・」 「そーゆうとこよ」 春香は持っていたポテトでわたしを指した。目の前にやってきたポテトに、わたしは反射的に喰いつく。春香は自分の手まで食べられる寸前でパッと手を離した。 「こわっ・・・犬かっ!」 「ごめん、目の前に来たから」 「・・・野生動物」 「よく言われる」 春香はふうと息を吐き、ポテトを口に咥えた。「ポテトだろうが飴だろうが自分の意思を示せって言ってんのよ」 「・・・飴?」 「ここに2つの飴があるとするわよ」 「・・・はい」 「イチゴ味とマンゴー味。好きなほう取ってって言ったら、アンタどーする?」 ──これは、何かの心理テストか? 「マンゴー」 「その前に、好きなほう取ってって言うでしょ」 「・・・ん?まあ」 「でも、自分が今食べたい味があるじゃない」 「いや、とくには・・・」 「好きなほうを選んでって"言ってくれてる"のよ、なんで選ばないのよ」 「いやだから、飴ごときで・・・」 「じゃあこれが、超高級ステーキと激安スーパーのステーキだったら?」 「極端だな・・・」 「それでもアンタは、最初に選ばせるでしょ」 ──何故、こんな話になっているんだっけ。 「まあ、そうかもしれないけど、それが?」 「高級ステーキと激安ステーキよ!?誰だって高級なほう食べたいじゃない!」 「待って、話がわかんなくなってきた・・・」 「まあ、そーゆうことよ」 「いや待て!全然わかんないしまとまってない!」 「アンタは、人の意見を優先することに慣れすぎてんのよ。逆に言えば、自分の感情を殺してる」 ──今まで、自分の事をそんなふうに思った事はない。だから、反論出来るはずなのに、まっすぐ見てくる春香の目を直視することが出来ない。 「目泳いでるわよ」 「ノー!」 「・・・アンタ日本人じゃなかったっけ」 これまでは脳内独り言で済んでいたのに、実際に口に出るようになったか。──早坂さんめ。 「てゆーか、ポテトの話から脱線しすぎでは?」 「そーね、なんでこんな話になったんだっけ?」 「飴とステーキの話からだ!」 「あー、そうね」 春香の目がトロンとしている。意外と酔いが回っているみたいだ。次の日覚えていないパターンだけは避けねば。 「それで、その仮説って?」 「あー、うん」そしてウイスキーを口に運ぶ。その一口は、ロックではなく水割りの飲み方だ。 「あんま酔わないでよ・・・」 「わーかってるわよ。これくらいじゃ記憶無くしません」 「じゃあ、続きをお願いします」 「・・・うん。あたしが思うにね、アンタは・・・」そこからが、長かった。よほど言いづらい事なのか、春香はまたウイスキーを口に入れる。「アンタはねぇ・・・・・・霊が見える!」 ──その時の、自分の感情はなんと言っていいかわからない。驚き──いや、それもそうだが、それより"嬉しさ"のほうが勝(まさ)っていた。 「今、なんて?」 「霊よ、幽霊!お化け!見えるんでしょ!」 春香の指がビシッとわたしに向かう。 どこまで、本気で言っているのか──表情を探るが、わからない。 「なんで?」 「前々から変だとは思ってたけど、子供の頃に母親に話して信じてくれなかったって聞いて確信したわ。当たりでしょ?」 春香に冗談を言っている様子は感じられないが、わからない。 「それ、どこまで本気で言ってる?」 「んー・・・半分」 「・・・半分か」 「それで、どーなのよ」 「・・・ちなみにさ、前々から変だと思ってたって、どゆこと?」 春香はそれを思い浮かべるように天井を見上げた。 「店終わりに飲みに行く時、アンタ歩いてて突然ピタって止まる事あるじゃない。何も無い所見てると思ったら、いきなり早足で歩き出すし。普通に歩いてて突然別の道行こうって言い出す事もあったし。この前も店出た時、アレ見える?って地面指さして言ってたじゃない」 ──ああ、空舞さんのことか。 「ヤクのせいで幻覚でも見えてんのかなって本気で思ったこともあるけど、店長はありえないって言うし」 2人でそんな話をしてたのか。まあ、そんな話題になるほど、わたしの行動は怪しかったということか。 気づかれていることに、気づかなかった。 「そうだって言ったら、信じる?」 「なにが?」 「・・・わたしが、その、見えるって言ったら」 春香は、表情を変えない。 「あたしの仮説は当たってたってこと?で、いいの?」 「・・・・・・うん」 自分でもやっと聞き取れる、小さな声だった。 反応が怖くて、顔を伏せた。やっぱりヤク中だと言われるだろうか。それとも、笑うだろうか。 「あたし、天才?」 「・・・・・・えっ」 「当たってるんでしょ?正直、半分以上冗談だったけど。やっぱりあたしの見る目に間違いはないってことね。男以外」 春香はいつもと同じテンションだ。驚いているのは、わたしのほうだった。 「信じてくれるの?」 「うん」春香は平然と言った。 「・・・ホントに?信じてる?」 「はあ?嘘なわけ?」 「いやっ、違う、ホントだけど・・・」 「なんでアンタが不満そうなのよ」 「いや・・・すんなり信じてくれるとは思わなかったから」 春香はポテトを2本掴み、わたしの口に入れた。自分も食べると、それをウイスキーで流し込む。 「・・・酔ってるからとかじゃないよね?」 春香に睨まれ、口を噤んだ。 「言っとくけど、あたし霊類のモノは昔から信じてないから。周りに見えるって人もいたけど、正直信じてなかったし」 「えっ、じゃあ・・・」 「アンタが言うなら、本当なんでしょ」 「・・・なんで?」 「100パーセント言い切れるから」 「・・・ん?なにを?」 「アンタは嘘は言わない。ってこと。まあ、当てたのはあたしだけど」 ──・・・不覚にも、泣きそうだった。いや、そう思った次の瞬間には、涙が溢れていた。 「ちょっ、泣いてんの?やめてよこんな所で、あたしが泣かせたみたいじゃない」 込み上げてくる涙を抑えることが出来ない。 なんでこの女は、いとも簡単にわたしの言う事を信じるんだろう。いや、本当は理解に苦しんでいるのかもしれない。それで当然だ。 でも、わたしが言ったという理由だけで、それだけで、こんなにもすんなりと受け入れてくれるんだ。 「ヒック・・・ヒッ・・・」 「その酔っ払ってんのか泣いてんのかわかんないのやめてくれる」 「・・・泣いてる」 「じゃあ一刻も早くやめてくれる。イロイロ聞きたい事あんだけど」 わたしはテーブルに設置された紙ナプキンを3枚取り、涙を拭い、盛大に鼻をかんだ。 不思議だった、泣いた後に気持ちいいと感じる事が。 「なに?」 「アンタさ・・・なんぼほどマスカラ塗ったわけ?」 「えっ」 春香がバッグからコンパクトミラーを取り出し、わたしを映した。 「ギャッ!・・・パンダだ」 「そんな可愛いもんじゃないわ、ピエロよ」 再び紙ナプキンで悲惨な目の周りを拭く。 「せっかく気合い入れたのに・・・」 「なんで気合いの表れがそのメイクになるのか理解出来ないわ。ファンデも色が合ってるのか知らないけど塗り過ぎだし、眉毛も描き過ぎだし、なんかパッと見・・・」 「舞妓さんね!わかってる!」 「・・・なんか、ここに来るまでのアンタが手に取るようにわかるわ。落ち着きなく動いてたんでしょ、どうせ」 「うっ・・・」 なぜわかる。わたしの周りはエスパーだらけか? 「アンタほどわかりやすい人間って、この世に存在するのかしら」 「ウォッホンッ・・・それで、聞きたい事ってなに?」 「ああ、うん。アンタが霊が見えること・・・」 わたしは手のひらを春香に向け、続きを遮断した。 「ゴメン・・・その前に一個。わたしが見えるのは、その、霊ではないんだよね」 今日初めて、春香が怪訝な顔をした。 「霊じゃない?じゃあ何よ」 ──どう、伝えるべきか。前に早坂さん達と待ち合わせをしたカフェでの事を思い返した。あの時、わたしが聞いた事に対して早坂さんが言ったこと。 「妖怪?」 春香は怪訝な表情のまま、残り少ないウイスキーを飲み干した。 「すみませーん!ウイスキーロック2つ!」 わたしも、いい感じに氷で薄まったウイスキーをグイッと煽った。 「もう1回言ってみて」 「妖怪」 「もっかい」 「妖怪」 「もう1回」 「妖怪」 「・・・あたし、酔っ払ってんのかしら。全然入ってこないんだけど。どんな漢字だっけ?」 わたしはテーブルに置いたスマホからメモを起動して、"妖怪"という文字を春香に見せた。 「あー・・・妖怪、ね。なにそれ?」 「わかんない」 「・・・アンタがわかんないと、あたしはもっとわかんないんだけど」 「それがさ、ホントにわかんないんだ。説明出来ない。霊・・・ではないんだよね。わたしも早坂さんからそう言われたから、そう言ってるだけで」 春香が小さく頷いたのがわかった。 「やっぱそーなのね」 「え?」 「早坂さんと瀬野さんもアンタと"同じ"なんでしょ?」 またしても、予想だにしていなかった言葉が返ってきた。 「するど・・・」無意識に口から出ていた。 「いや、わかるわよ、流れ的に。アンタ、早坂さんと出逢ってからコソコソするようになったし。付き合ってもいないのに頻繁に会って、それをはぐらかすってことはそーゆう事なんでしょ」 「・・・うん」 「まあ、それはわかるとして、何してるわけ?会って何してるの?」 何してるかと言われると、──「妖怪を、始末してる?」 春香は呆然とわたしを見つめると、目を閉じ、ふうーっと深呼吸した。 良いタイミングで運ばれてきたウイスキーに、春香はすかさず手をつけた。 「さっき春香が言ってた、店出た時に地面指してアレ見える?って言ったことあるでしょ」 「うん」 「あれね、あの時、カラスがいたの」 春香はまた自分を納得させるように目を閉じ、うんうんと頷いた。 「それが、妖怪、ってことね」 「うん・・・信じてる?」 「殴るわよ」 「ゴメン」 「・・・カラスって、あのカラス?そこらにいる」 「うん。喋るけど」 何を聞いても平静を保つ春香の表情が可笑しいと思えるほど、自分に"余裕が"出てきた。 「何を喋るの?」 「日本語だよ。わたしたちと同じ」 「・・・姿が見えないんだから、あたしには聞こえないわけよね」 「うん」 「そーいえばアンタ、最初に早坂さんのこと聞いた時、いろいろあって出逢ったって言ってたわよね」 「うん」 「いろいろって、"そーゆうこと"?何があったの?」 「あー・・・聞く気ある?怖いって思うかも」 「むしろ聞く気しかない。どーせあたしには見えないし。アンタが生まれてから今に至るまで起こった事、全部言ってみて。出来れば10分以内にまとめて」 「無理だ!聞く気ないし!」 それから、春香の言う通りわたしはこれまで自分に起こった全ての事を話した。 最初に見た小さな猫耳の妖怪、それを母さんに伝えた時のこと。 それを機に、見て見ぬフリをして生きてきたこと。 早坂さん達と出逢った経緯。その後、わたしの身に起こった全ての事を。 春香は興味津々に聞いていた。まるで、おとぎ話を聞いている子供のように。 改めて、只者ではないと思った。なんの確証もない話を、わたしが言ったからという理由だけで受け入れ、すでに順応しているんだから。 わたしが春香だったら、同じように出来ただろうか。春香の言う事を信じ切れただろうか。 拒絶される事を恐れてばかりいる自分は、何て小さいんだろうと思った。 あっという間に、時間が過ぎた。かれこれ4時間は話し続けていた。ラストオーダーを聞かれたタイミングでお開きとなった。 話に夢中になっていたせいか酒もそこまで進まず、店を出た時は2人ともほろ酔い程度だった。 店側としたら、迷惑な客でしかない。同じ飲食店に勤める者としてタブーを犯してしまったが、今日だけは大目に見てくれ、と心の中で謝罪をした。 酒で火照った身体に、冷たい空気が心地良い。わたしと春香は夜風に当たりながらコンビニへと向かった。 「あー、風が気持ちぃ〜」 「今は酔ってるからね。そろそろコート無しじゃ歩けなくなるよ」 「いーじゃん、あたし寒いのは嫌いじゃないわ」 「えー、そお?わたしは嫌だな。寒いより暑いほうがいい」 「寒けりゃ着込めばいいだけじゃない。夏はエアコン効いた所以外、死ぬ」 そういえば、瀬野さんも同じような事を言っていたな。現実主義なところも似ているし、この2人、案外気が合いそうだ。 「今度、ゆっくり2人に会わせるね」 「2人?早坂さんと瀬野さん?」 「うん」 「別にいーわよ」 「えっ」 「どんな関係か知らなかったからイロイロ心配してたけど。アンタ天然記念物だし。もう状況もわかったから。あの2人、信用出来るんでしょ?」 「うん。そこは断言する」 「だったらいいわ。そこさえわかれば」 「・・・今日は聞いてくれてありがとう」 春香の少し後ろを歩き、その華奢な背中に言った。 「なにあらたまってんの」春香が前を向いたまま言った。 「信じてくれるとは思ったけど、正直こわかったから」 「・・・礼を言うのはあたしのほうよ」 「え?」 「子供の頃に母親に言って以来、誰にも言わなかったんでしょ。それだけ、その事がトラウマになってるってことじゃない。誰だって怖いわよ。死ぬほど勇気が要ったと思う」 「・・・なんか、優しい?」 「あたしはいつも優しいのよ」 「あそ」 「さっき店で、話が脱線してるって言ったけど・・・結局つながってるのね」 「なにが?」 「アンタの自己評価の低さよ。そーゆう生い立ちが、そうさせてるのよね」 「んん・・・わかんない」 「まあ、人間の性格は簡単に変わらないからね」春香がしみじみと言った。「アンタの代わりに言ってやるわよ」 「・・・え?」 「この先、アンタが自分の言いたい事を言えない時はアタシが代わりに言ってやるわよ。腹が立ったら怒るし、悲しいなら代わりに泣いてやるわ。だから、アタシにだけは本音を言いなさいよ」 ──・・・ああ、ダメだ。 涙を堪えようと思う前に、目から溢れ返っている。なんでこの女は、こんなにもわたしを喜ばすことが上手いんだ。人生で嬉し泣きをしたのは、今日が初めてかもしれない。それも2回も。 春香は歩きながら半分振り返り、呆れた顔をした。 「また泣いてんの?泣き虫女」 「・・・代わりに泣いてくれ」 「アホみたいに泣いてるから必要ない」 「・・・抱きついていい?」 言った途端、春香は走り出した。わたしもすぐ後を追う。 「来るなっ!」 「残念だが足はわたしのほうが速い」 その後、コンビニを出た春香は袋から取り出した物をわたしに見せた。 「どっちがいい?好きなほう取っていいわよ」 両手に持っているのはアイスだ。 「あ、ありがと。わたしはどっちでも・・・」言いかけて、"間違い"に気づいた。「いや、こっちで」 春香の右手にある、チョコレート味のカップアイスを選んだ。 春香はフッと笑った。そして、そのアイスを──自分の袋にしまった。 「ぅおいッ!なんで!?」 「あたしこっちがいいわ」 「今の流れ的にそーなる!?自分の意見を言えってアナタが言ったんだけど!?」 「言ったけど、それが通るとは限らないじゃない?ほら、これも美味しいわよ」 そして、もう1つの棒アイスを手に持たされた。 ──こーゆう奴だよ、この女は。 その日、帰宅したわたしは早坂さんにメールを送った。 【起きてますか?】の一行。10秒後、電話が鳴った。やっぱりこの人、ずっと携帯に張り付いてるとしか思えない。 「もしもし?」 早坂さんの声を聞いて、全身の力が抜けた。 「もしもし、ごめんなさい遅くに。起きてました?」 「ええ、ちょうど寝酒に入ったところよ。どうしたの?何かあった?」 気持ち、シュンとする。 「何かなきゃ、電話しちゃダメですか・・・」 前に早坂さんに言われた事を、今度は自分が言っている。早坂さんからすぐ応答はなかった。 「あんまり可愛いこと言わないでちょうだい。近くにいなくてよかったわ。そしてダメなわけないでしょ」 「・・・よかった」 「あなた、ちょっと酔ってる?」 「えっ!わかりますか?」 「うん。でも、ほんのちょっとみたいね」 帰宅するまで冷たい風で酔いを覚まし、頭はスッキリしている。なんなら酔っているという自覚は全くないのだが。 「凄い、よくわかりますね」 「何言ってるの、あたしだからわかるのよ?凄いでしょ」 「あ、はい。今、春香と飲んできたんです」 「ああ、そうなのね。もちろんタクシーで帰ってきたんでしょ?」 「・・・それで、話してきました」 「あなた、歩いて帰ったのね!そーでしょ!?」 「わたしの話を聞いてください」 「・・・お仕置きは次ね。うん、それで、伝えたの?」 「はい」 「どうだった?」 「・・・信じてくれました」 「そう」口調で早坂さんが微笑んでいるのがわかり、また泣きそうになった。「よかったわね」 早坂さんはその一言だけだったけど、他に言葉は要らなかった。その言葉以外、要らなかった。 「早坂さん」 「ん?」 「いつも、聞いてくれて・・・わたしのこと考えてくれて、ありがとうございます」 「・・・どうしたの?あらたまって」早坂さんは笑っている。 「早坂さんにはホントに、支えられてるなって」 「・・・そんなことないわよ。むしろ支えられてるのはあたしのほう」 「え?」 「あたしはだいぶ、あなたという存在に救われてるわ」 「・・・ちょっと、かなり、わかんないんですけど」 早坂さんはハハッと笑った。 「わからなくていいわ」 わたしはよくないんだけど──早坂さんの声を聞いて安心したら、鬼のような睡魔が襲ってきた。 「聞いてくれてありがとうございます。安心したので・・・寝ますね」 「ふふ。こちらこそ言ってくれてありがとう。今日は気疲れしたでしょ、何も考えずにゆっくり休みなさい」 「・・・あい。おやすみなさい」 「おやすみ」 電話を終えた後、自分の意思とは関係なく涙が溢れてきた。 悲しい涙ではない。自分の中のありとあらゆる感情が涙となって溢れ出る。 春香と別れてから、母さんの顔がずっと頭にあった。 ──生きていてほしかった。 大人になった、今のわたしの言う事を聞いてほしかったよ。そしたらたぶんさ、母さんは信じてくれたよね。それで、わたしを抱きしめてくれたと思う。 でもさ、安心して母さん。 わたしには、わたし以上に、わたしの事を大事にしてくれる人達がいるよ。 だからわたしも、その人達のために一生懸命生きようと思うんだ。 だから、天(そら)の上からおばあちゃんと一緒に、笑いながら見ていてね。

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