琥珀 / 第12話

12 優秀な偵察者

"また来るわ。友達として" あの日、空舞さんは言った。 嬉しかった。これで、最後じゃないんだと。また、会えるんだって。 そう、嬉しかった──・・・「うう〜〜」 先程から、コツコツコツとリズミカルな音が、繰り返し聞こえている。 重い瞼に抗い携帯を見ると、5時58分。勘弁してくれ。 それでも鳴り止まない音。諦めてベッドから起き上がり、カーテンを開ける。そこでやっと、鳴り止んだ。目が開かない為、手探りで窓を開ける。中に入った気配を確認し、窓を閉めて、またベッドへ戻る。 「いつまで寝てるの?もう6時よ」 「・・・まだ、6時です」 「河原ではご老人が散歩をしているわよ」 「わたしは老人じゃない・・・」 「あなた、今日は走りに行くって言ってたじゃない」 「こんな早い時間からじゃないぃぃ・・・」 そう、嬉しかったんだが──また来るが、まさか、翌日だとは思っていなかった。そしてそれが、3日続くとも。ちなみに、昨日は朝の5時にやって来た。もう少し遅く来てくれと頼んだ結果が、今日だ。 「朝に身体を動かすと交感神経が活発になるのよ」 「・・・難しい事知ってますね」空舞さんは、そこらの人間より知能が高いと思う。少なくとも、わたしよりは。 「愚かな人間が多いだけよ」口は、悪いが。 「昨日は2時までドラマ見てたから寝不足なんです」 「昼に観ればいいじゃない」 「お酒を飲みながら観るのがいいんです」 「どうして人間はあんな身体に毒な物を飲むのかしら」 「・・・人間は身体に悪い物が好きなんです」 「愚かね」 会話をしているうちに、眠気が覚めてきた。起き上がり、ベッドにあぐらをかいて座る。 「そうだ空舞さん、わたしの知り合いが空舞さんに会いたいって言ってるんですけど」 空舞さんはテーブルの上のテレビのリモコンをクチバシで起用に動かし角度を変えると、電源ボタンを押した。テレビに朝のニュースが流れる。どうやら、わたしがテレビをつけるのを見て、覚えたらしい。 「あなたが最近知り合ったという人間ね」 「はい」 「わたしも会ってみたいわ」 「ちなみに、それって今日でもいいですか?」 「わたしは構わないわ」 「よかった。じゃあ連絡しよっと」 昨晩の早坂さんとの電話で、話はついている。今日もまた空舞さんが家に来て、承諾を得たら河原で落ち合おうと。来るとは思っていたが、正直、会う事に関しては渋ると思っていたから空舞さんも良い返事で良かった。 「その知り合いって、女性?」 「あ、男性です。男性2人」 「・・・そう」 明らかに下がる、声のトーン。「何か、問題ありますか・・・?」 「いえ。ただ、人間の男は野蛮なイメージが多いから。あなたの友達だから、そんな事はないでしょうけど」 憶測だが、空舞さんは言葉通り、人間が野蛮な行為をするところをたくさん見てきたのかも。男女に限らず、そんな人間は山ほどいる。 「大丈夫ですよ。あの2人は全然そんな、本当に良い人ですから。安心してください」 それから5時間後──。 「ハァ、ハァ、ハァ」 わたしは今、全力疾走で河原へと向かっている。 「あなた、足速いのね」 頭上を優雅に舞う空舞さんに返事をする余裕はない。 待ち合わせは11時。あれから空舞さんは一旦何処かへ行き、わたしは2度寝へと突入した。約束までは時間があるからとアラームをかけなかった結果が、これだ。家を出た時点で11時を5分過ぎていた。きっともう2人とも来ている。 「2度寝なんかするからこうなるのよ」 「だっ、だれのせいですかっ・・・」それには、反論せざるを得なかった。 「あら、わたしのせいだって言いたいの?」 「ハァ、ハァ、もう少しっ、遅く来てほしいって言いましたよねっ」 「だから昨日より遅く来たんじゃない」 「はっ、早すぎますそれでもっ・・・」 「わかったわ。明日はもう少し遅く行くわ」 来るのは確定なのか・・・さらに疲労が増した気がする。 遊歩道をランニングしている人を2人抜いた。すれ違う人は、みんなわたしを見る。そりゃあ、こんなバカみたいに全力疾走している女がいたら、わたしだって見る。 そして、わたしの特等席のベンチが見えてきた。2人の姿を確認した。2つのベンチに各々座っている。わたしは速度を落とさず、目標に向かった。   そして目標の目の前で、急ブレーキをかけた。つもりが、勢い余って前につんのめる。 「おわっ!」咄嗟に両手で受け身を取った。 「ちょっ・・・と、なになに!?」 「ハァ、ハァ、ハァ、遅くなってっ・・・スミマセンッ」 四つん這いのわたしは、顔を上げる余裕もない。後ろから両脇を掴まれ、立たせられた。 まず、瀬野さんと目が合う。怪訝な顔をしている。 「誰かから逃げてきたのか?酷いナリしてるぞ」 そして次に、早坂さんが自分の方を向かせた。「いったいどうしたのよ、そんなに急いで」 寝起きのまま家を出て走ったから、頭が凄い事になっているんだろう。早坂さんが、手で整えてくれた。 「いや、遅刻しちゃったんで・・・ハァ、ハァ・・・」 「いいのよ遅刻したって。走ってくる事ないのに、まったく」 わたしの汗だくの顔を早坂さんがシャツの裾で拭き、ギョッとして身を引いた。 「やっ、汚いから、大丈夫です」 「汚くないわよ。言う事聞かないと舐めるわよ」 本当にやりそうなので、しぶしぶ従う。 「ところで、例のカラスはどうした?」 「あれっ?さっきまで上飛んでたのに」辺りを見回すが、空舞さんは何処にもいない。「空舞さーん!?」 「ここよ」 「えっ」声のする方、つまり、ベンチの下を覗く。居た。「何やってるんですか?」 「様子を見てたの」 そう言い、空舞さんはわたしの肩に移動した。2人を交互に見る。 「初めまして。遊里と正輝ね。わたしは空舞よ」 「あら、紹介は済んでるようね。空舞ちゃんって呼んでいいかしら」 「好きに呼んで構わないわ」 「ありがとう。あなた、とても綺麗な声してるわね」 「あなたこそ。言葉だけじゃなく、女みたいな顔してるわね」 瀬野さんが、クッと笑った。「それは禁句なんだがな」 「昔の話でしょ。今はなんとも思わないわ」 「どーゆう意味ですか?」 「コイツ、昔はよく女に間違われてたからな。まあ、あの時はチビで身体の線も細かったからだが」 女に間違われるというのは、顔の造り的にわからなくもないが、「チビだったんだ・・・」 「ええ。中坊の頃は前から数えたほうが早かったわね。体重も40キロ台だったし」 「へえ・・・」今じゃこんなに重厚感ありありなのに。人間の成長って凄い。 「雪音、ちゃんと笑うじゃない」 「え?」 「あなた言ってたじゃない。2人の特徴を聞いた時、笑わないほうが正輝だって」 「わー!空舞さん!そーゆう事は・・・瀬野さんゴメンナサイ」 「あら、その通りじゃない。この人、年に3回しか笑わないわよ」 「ほっとけ」瀬野さんはやれやれといった感じだ。 「あなたも美男子なんだし、笑ったほうが好感持てるわよ」 空舞さんの言葉に瀬野さんは怪訝な顔をし、呆れ顔になった。「別に求めてない」 「そう。まあ、ヘラヘラと馬鹿みたいに愛想を振りまく人間よりいいけど」 ──今、思った。この2人、ちょっと似てる。 正直者なところもだし、余計な事を語らないのも。なるほど、空舞さんは、人間版瀬野さんなんだ。 「まあとりあえず、座りましょう」 早坂さんは、自分の隣にわたしを座らせた。空舞さんはわたしの膝に移動する。 「ところで空舞ちゃん、あなた、他に仲間はいないの?」 「仲間?いないわ。わたしはずっと1人よ」 「そう。どれくらいになるのかしら?」 「それは、生まれてからということ?」 「ええ」 「・・・正確な年数は、わからないわ。あなた達よりずっと年上なのは確かよ」 「俺達のような人間に会った事はあるか?」 「あ、瀬野さん・・・」 「遊里から話は聞いてる。それ以外でだ」 「言葉通りの意味であれば、あるわ。明らかにわたしが見えている人間は数人いたわね。まあ、向こうはただのカラスだと思ってるでしょうけど」 わたしも、最初に会った時は普通のカラスだと思っていた。普通にみんなが見ているカラス。 「その人以外に、話した事はないのか?」 「ないわよ。わたしから話しかける理由もないし。優子くらいよ・・・向こうから話しかけてきたのは。あ、あなたもね。やっほーって」 それだけ聞くと凄く馬鹿っぽいから言わないでほしかった。 「まあ、そうよね。空舞ちゃんは見た目、普通のカラスだもの。あたし達のように見える人間でもわからないわ」 「そうね。ありがたい事に、うまく溶け込んで生きてきたわ」 空舞さんの言い方には、皮肉が混じってるように聞こえた。 「まあ、これも何かの縁ね。空舞ちゃん、相談があるんだけど、聞いてくれるかしら?」 早坂さんはわたしの後ろの背もたれに手を回し、身を乗り出した。近い。 「相談?なに?」 「単刀直入に言うけど、あたし達はね、ある妖怪を捜しているの。といっても姿は人間よ。人間に化けてる。あなたは、それを見破れるわよね?」 「ええ。人間じゃないモノはすぐにわかるわ」 「とは言っても、何処にいるかもわからない。そいつは人間に紛れて生活してるの」 「何者なの?」 「本来の姿は、大蛇よ。人を喰らってその人間に化けるの」 「・・・そんな事が、あり得るの?」 「ええ、事実よ。あたしの知り合いがそいつの毒に侵されていてね。いずれ命を落とすわ。助けるには、そいつを始末するしかないの」 「お前は身軽だし、空を飛べて行動範囲も広い。同じ妖怪としてアイツの本性を見破れる。捜すにはうってつけなんだ」 「・・・例えばその大蛇を見つけたとして、どうやって殺すの?」 「それがあたし達の仕事よ」早坂さんは瀬野さんを見たが、わたしは見ない。 「そんなにうまく行くかしら」 「そうね、やってみない事にはわからないわ」 「死ぬかもしれないわよ」 「その時は・・・その時よ」 ──そんなの、絶対に嫌だ。手にぎゅっと力が入る。 早坂さんがわたしの頭にポンと触れた。 「ということなんだけど、協力してくれるかしら?」 「・・・これも何かの縁、ね」空舞さんは早坂さんの言葉を復唱した。「わかった。協力するわ」 早坂さんはニコッと笑った。「ありがとう。心強いわ」 「空舞さん、ありがとう」 「そいつ以外の妖怪を見た場合も報告してくれ」 空舞さんは瀬野さんを見て、首を傾げた。「どーゆう事?」 「ちょっと、順を追って話しなさいよ。ごめんなさいねえ、この人生まれつきコミュニケーション障害なの」 「順を追って話してるだろう。さっき話しはついたはずだ」 「こっちはお願いしてる身なんだから、言い方ってものがあるでしょう」 「だからお願いしただろ。してくれって」 「威圧的なのよ。声も顔も」 「声と顔は生まれつきだ。どうにもならん」 「あら、なるわよ。ほら、こうやってみて」 早坂さんは口角をクイッと上げて見せた。瀬野さんはうんざりしたようにそっぽを向く。 「こうよ、ほら、やってみなさいって」 「・・・クッ」 今のは、わたしではない。みんな、空舞さんに注目した。 「あなた達、面白いわね。仲が良いのか悪いのかわからないわ」 「凄く、良いと思います」羨ましいくらい。 「あら、あたしと雪音ちゃんには負けるわよ。ね?」 ね?と言われても。そして、近い。 「それで、それ以外というのは?」 「言葉通りだ。大蛇以外にも妖怪はいるだろ。そいつらを見かけたら報告してほしい」 心なしか、瀬野さんの口調が少し穏やかになった気がする。 「それは、探せという意味かしら?」 「そうね、そうしてもらえると尚助かるわ」 「・・・わかったわ。力になれるかわからないけど」 「あたし達じゃ限度があるから。助かるわ」 「空舞さん、無茶はしないでくださいね」 「あら、あなたが言うの?」早坂さんがわたしの頬を小突いた。 「わたしも、ここに居る意味が出来たわ。優子が死んだら、何処か遠くへ行こうと思っていたから・・・ありがとう」 「・・・ありがとうは、こっちですよ。よかった、遠くに行かないでくれて」 「雪音、あなたももっと笑ったほうがいいわ。わたし、あなたの笑顔嫌いじゃないの」 そう言い残し、空舞さんは空へと羽ばたいて行った。 「・・・どこに行ったんだ?まさか、もう探しに行ったのか?」 「どうでしょう・・・うちに来ても、すぐ出て行くので。飛んでるほうが落ち着くみたいですね」 「いいわねー、あたしも空飛びたいわ」早坂さんが空舞さんの飛んで行った方角を眺めながら言った。 「わたしもです」 「高い高いしてあげようか?」 「結構です」 「つれないわぁ・・・次ね」 次ってなんだ次って。不意打ちを喰らわないように用心せねば。 翌日、空舞さんは家に来なかった。 3日続いた寝不足が解消されたのは良かったが、来なきゃ来ないで心配になるのも事実で。 ランニングがてら河原でお昼ご飯を食べながら、空ばかり見ていた。時々、周りに人がいないのを確認して空舞さーんと叫ぶ。でも、空舞さんは姿を現さなかった。 時間と共に、何かあったんじゃないかと不安が募る。人間なら携帯で安否が確認出来るのに。 「雪音さん、どうしたんすか?外ばっかり見てますけど」 「えっ、あー、うん。ちょっとね」 「待ち人でもいるんじゃない?早坂さんとか、早坂さんとか、早坂さんとか」 「・・・違う」 「え、今日も来るんすか?」 「だから、違うって」 「アンタ達、本当は付き合ってるんじゃないの?」 「付き合ってない」 「えっ、マジすか?」 「だから、ちがーう!」 「早坂さんだってアンタに気ィあるじゃない。なんで付き合わないわけ?」 「なんで?って・・・そんな事言われても・・・ていうか、なんでわたしに気があると思うわけ」 春香と一真くんは目を合わせた。 「どっからどう見ても、そうじゃない」 「俺もそう思います」 「だから、なんで?」 「独占欲丸出しじゃない。この前来た時も、かなり一真くんのこと警戒してたし」 「そうすね。雪音さんに近づくなって、目が言ってました」 「ええ・・・?そうかなあ・・・」 「俺と離そうとしてますよね。物理的に」 「ええ・・・?そう・・・?」 「気づいてないのアンタだけよ。まあ、天然記念物にはわからないでしょうけど」 「言われた事ないんすか?その、告白的な」 「・・・ないない」 「今、間があったわね」 確かに、最近意味深な事を言われたりもするが、基本軽いノリだから、わたしも真剣に受け止めてはいない。 「いや、ホントにないない。あの人は、ただ可愛がってくれてるだけ。・・・異常に」 「可愛いも好きの内じゃない」 「え?」 「好きだから可愛いと思うんでしょ」 何も、言えない。だってわたしは、天然記念物だから。 「実際、アンタは早坂さんの事どう思ってるのよ」 「待って春香さん、俺、それ聞く勇気ない・・・」 「何言ってるの、ガキの恋愛じゃないんだから、こーゆう事はハッキリさせないとダメなのよ」 黙っているわたしに、春香が目で訴えた。早く、答えろと。 「優しい・・・人」 「だー!」春香は勘弁してくれというように頭を垂れた。「そーゆう事を聞いてんじゃないのよ。異性として好きかどうかって事!ラブよ!」 2人が真剣な面持ちで(特に一真くん)わたしの返事を待っているから、逃げる事が出来ない。 額に汗が滲んできた。 「わたしは・・・」 その時、チリンと、客の来店を告げるドアベルが鳴った。 「いらっしゃいませー!」思わず、声が上擦る。 春香は小声で舌打ちをすると、瞬時に営業モードの顔に切り替わり、お客さんを出迎えに行った。 ──助かった。そう思ったのは、わたしだけではないようで、一真くんの顔を見てわかった。 お客さんが来なければ、わたしは何て答えていたんだろう。自分でもわからないが、すぐに否定出来なかったのも事実だ。 翌日が定休日の日は、飲みに行くという話になるのがお決まりのパターンだ。切り出すのは決まって店長か春香で、そのタイミングも決まって閉店後の掃除中。最初の頃は春香も遠慮して誘われるのを待っていたが、今となっては自ら奢られに行くんだから大したものだ。店長も決して嫌な顔をしないし、アル中同士、通ずるものがあるんだろう。 今日、切り出したのは一真くんだった。というのも、甥が世話になっているから、タダ酒を飲みに来いという凌さんの太っ腹な計らいによるものだ。春香の酒量を承知の上での申し出なので、尚更だ。 もしかしたらと期待を込めて店を出たが、やはり空舞さんはいない。 あの日、ここに居た空舞さんを思い出し、またどうしようもない不安に駆られる。 「わたしは、帰りますね」 「えっ、なんでよ!」 もしかしたら、家で待っているかもしれない。そう思うと、飲む気になんてなれなかった。 「ちょっと、用事があって」 「今から?早坂さん来てないじゃない」 「・・・早坂さんじゃない」 「なんでよ!せっかく奢りで飲めるのに」 「いつも奢りでしょ」ここで、店長がしみじみと頷く。「凌さんの奢りなら尚更、人数少ないほうがいいしね」 「えっ、雪音さん気にしてるんすか?だったら全然大丈夫すよ?」 「ううん、用があるのも本当だから。ごめんね」嘘はついていない。空舞さんを確認するという大事な用だ。 「ショック〜、また振られた・・・」 「って、この前2人で飲みに行ったでしょ」 「そうですけど・・・」 「まあまあ、無理強いしないで、今日は俺達で行こう」 「そうですね、ノリ悪いのはほっといて行きましょ。待っててね〜、麦男く〜ん」 「春香、凌さんの奢りだからってアホみたいに飲んじゃダメだよ」 「わかってるわよ。ったく、人をアル中みたいに」 自他共に認めていると思ったが、どうやら他だけのようだ。他の人間2人が何を思っているかは、顔でわかる。 「雪音さん、俺送っていきますよ?」 「あ、大丈夫。今日は地下鉄で帰るから。ありがとう」 一真くんはあからさまに残念そうな顔をした。「わかりました。気をつけて帰ってください」 「ありがとう」 地下鉄まで足早で行き、降りてからも足早で家へと向かう。階段を1段飛ばしで上り、馬鹿みたいに焦って鍵を開けた。電気をつけるのも忘れて、カーテンを開ける。 思わず、溜め息が漏れた。いると思ったんだけどな。 空舞さんはいったい、何処に行ったんだろう。 諦めモードでカーテンを閉め、部屋の電気をつけた。 「ギャ───!!!」 「・・・ビックリした。突然大きな声を出さないでちょうだい」 「・・・空舞さん?えっ・・・なんで?」 そこに、空舞さんがいた。ソファーにお腹をつけて座っている。 「鍵、空いてたわよ。不用心ね」 「えっ!うそ!」そういえば、今日は何回もベランダに出ていたから、閉め忘れたのかも。「にしたって、どうやって入ったんですか!?」 「開ける事くらい造作ないわ」 「えええ・・・?」クチバシを使って開けたんだろうか。なんて、器用なんだ。 「でも、よかった・・・」安心して、ベッドに座り込んだ。 「よかった?」 「心配してたんですよ。朝も来ないから、何かあったんじゃないかと思って」 「心配って、昨日会ってるじゃない」 「や、そうですけど、毎日朝早く来てたから・・・突然姿が見えなくなると心配になります」 空舞さんは起き上がり、テーブルへ移動した。「大袈裟ね。あなた、朝早く来るの嫌がってたじゃない」 「・・・そうなんですけど。心配は心配なんです。今まで何してたんですか?」 「何してたって、あなた達に言われた事をしていたのよ。妖怪を探せと言ったでしょ」 「そうじゃないかなとも思ってました・・・それで、どうだったんですか?」 「遊里が言っていた大蛇はさすがに見つけられなかったけど、他にはいたわ」 「・・・えっ!いったい、それは・・・」 「蛾よ」 「・・・蛾?蛾って、アレですよね・・・飛ぶ、虫の、蛾」 「それ以外何があるの?」 「・・・蛾の妖怪?ってことですか」 「ええ、そこまで大きくはなかったわ。全長で2メートル程かしら」 想像しただけで全身に鳥肌が立った。「空舞さん、それ、バカデカいんですけど・・・」 「何言ってるの、人間より小さいわよ」 「当たり前です!蛾は、こんなもんです!普通は!」親指と人差し指を使って訴える。「まあ、稀にモ◯ラ並のもいるけど・・・」 「あなた、虫嫌いなの?」 「ダメです。無理。とくに蛾は・・・それが2メートルもあるなんて・・・気絶しそう」 「2メートルと言っても、羽を広げればよ。胴体はそうでもないわ」 ──ダメだ。話が通じない。 「ところで、それは何処で見たんですか?」 空舞さんは窓の方を見た。「ここから5キロ程離れた所にある、中学校よ」 「・・・中学校?」 「ええ、夜に体を発光させながら校庭の上空を飛んでいるのを見たわ」 「発光・・・?」ダメだ。想像したら眩暈がしてきた。「とりあえず、早坂さん達に連絡しますね」 夜も遅いので、とりあえずメールを送る事にする。予想通り、1分も経たないうちに着信があった。 「もしもし」 「もしもし雪音ちゃん?お仕事お疲れ様」 「お疲れ様です。・・・あれ?今外ですか?」若干、騒音がする。 「車よ。ちょっと瀬野、うるさいからラジオ消して」 「瀬野さんも一緒ですか?」 「ええ、財前さんの所に行った帰りなの。どうしたの?何かあった?」 財前さんの所に、行ってたんだ。ちょっと羨ましい。 「あの、空舞さんが妖怪を見つけたみたいで」 「あらまあ、さっそく?優秀ねえ。雪音ちゃん、スピーカーにするわね」 「あ、わたしもしますね。空舞さんと一緒にいるんで」 ソファーに移動し、テーブルの上に携帯を置いてスピーカーにする。 「それで、何の妖怪を見たのかしら?」 「蛾よ」 すぐに反応はなかった。2人が顔を合わせているのが想像できる。 「蛾って、飛ぶあの蛾?」 「雪音と同じ事を言うのね。そうよ、2メートル程ある蛾よ」 「遊里、もう少し音量上げろ。何処で見たんだ?」 「また説明するのね。中学校の校庭よ。夜に体を発光させながら飛んでいるのを見たわ」 「・・・中学校?名前はわかるか?」 「たしか、北山中学校だったわ」 電話の向こうで2人が何か話しているのがわかったが、雑音で聞き取れない。 「凄いタイミングね。実は、今ちょうどその話をしてきたところなのよ」 わたしと空舞さんは顔を合わせた。「どーゆう事ですか?」 「ここ数日、その中学校の生徒が相次いで原因不明の病気にかかっていると財前さんが報告を受けたみたいでね。あたし達も今しがた聞いてきたところなのよ。空舞ちゃんの話を聞いて確信したわ」 「・・・財前さん?」 「ええ。昨日言った、あたし達が助けたい人よ。今度空舞ちゃんも紹介するわね」 「俺達も見に行くところだったし、ちょうどいいな。中条、今から行けるか?」 「え?あ、はい」1つ、疑問が浮かんだ。「あの、2人で行くつもりだったんですか?」 一瞬、間が空いた。「言っておくが、俺はお前にも声をかけなくていいのかと聞いたからな」 「いや、違うのよ。ほら、聞いたばかりの話だし、ついでに行くってなっただけで、あなたを無視したわけじゃないわよ?」 ──もの凄く、言い訳に聞こえるのは気のせいだろうか。 「何がいるかわからないから今回は2人でいいって言ってただろ」 「お黙りっ!雪音ちゃん、ホントに悪気はないのよ!」 自然と溜め息が、出た。 「今溜め息ついた?もしかして怒ってる?」 「・・・別に怒ってません」 「そお?声が怒ってるように聞こえるんだけど」 「瀬野さん、あとどれくらいで着きそうですか?」 「やっぱり怒ってるじゃない!」 「ここからだと、あと15分くらいか?」 「わかりました。では、待ってますね」 「おーい、雪音ちゃん」 こちらから通話を終了した。また、溜め息が出る。 「どうして怒ってるの?」 「いや、怒ってませんよ。ちょっと、悲しいだけです」 早坂さんの考えてる事はわかる。あの人は、わたしを出来るだけ危険から遠ざけようとしているだけ。わかってるけど、蚊帳の外に置かれたみたいで悲しいんだ。 「なぜ悲しいの?」 「なぜって、わたし抜きで行こうとしてたから・・・」 「でもあなた、蛾は嫌いなんでしょ?行かずに済むなら喜ぶべきじゃない」 「・・・そうなんですけど、仲間外れにされるのは嫌なんです」 自分で言って子供っぽいなと思ったが、事実だ。 「人間は不思議ね」 瀬野さんの言う通り、それから約15分後、早坂さんの車がわたしの前に停車した。 助手席に瀬野さんが座っていたので、後ろのドアを開ける。 「こんばんは」 「あなた、外で待ってちゃ危ないでしょ!」 「いや、家の前なんで大丈夫です」 「ダメよ!夜も遅いんだから」 こう言う時は、スルーに限る。「空舞さん、どうしますか?このまま一緒に行きます?」 わたしの肩にいる空舞さんは、車の中を観察している。「いえ、狭いのは嫌いなの。悠里、場所はわかってるのよね?」 「ええ、何度も通ってる道だからわかるわ」 「じゃあわたしは先に行って待ってるわ」そう言い、空舞さんは夜空に羽ばたいて行った。 わたしが乗るのを確認し、早坂さんも車を走らせる。 いつも前に乗るせいか、後ろの席は凄く新鮮だった。シートも広く、座り心地も良い。ここで1泊しろと言われても難なく過ごせそうだ。 「ふふ、どうしたの?キョロキョロして、何か気になる?」 ルームミラー越しに早坂さんと目が合った。 「何気に初めて乗るなって、後ろに」 「ああ・・・来る前にこの大男、後ろに行かせればよかったわ。雪音ちゃんはあたしの隣って決まってるのに」 「大男はお前もだがな」 決まってるんだ。「後ろも広いですね。わたしのベッドより広いな」 「アハ、シート倒せばそれなりに広いわよ」 後方を覗いて、気づいた。「あれ、後ろって座席なんですか?」 「ええそうよ、シート倒して物置きにしてるだけで、本来は7人乗りよ」 「ほえー」えらい広いトランクだと思っていた。確かに、収納ケースやら道具箱やら、いろんなものが置いてある。バカデカいキャリーケースが何のためにあるのか、よくわからないが。──ああ、前に車に着替えを一式積んでいると言っていたから、これに入れているのかな。 「よかったわ」 「え?」 「てっきり、怒ってるものと思ってたから」 「・・・怒ってませんよ」 「俺は怒られたぞ、お前が電話切ったあとに。余計な事喋るな降ろすぞって」 「それが余計な事なのよ!ホントに降ろすわよ!」 「・・・今度から、瀬野さんに連絡します」 「ええ!?なんでよ!」 「瀬野さんはわたしを無視しないでくれるから」 「無視したわけじゃないのよぉ・・・わかってちょうだい」 「わかってるから、瀬野さんに連絡します」 「俺は構わないぞ」 「お黙りっ!わかったわ、今度からちゃんとあなたにも連絡するから。ね?」 「・・・信用出来ないな」鏡越しの視線を避けて、窓に呟いた。 「ガーン・・・」 「口では何とでも言えるしな」 「アンタ、ホントに窓から放り出すわよ。雪音ちゃん、約束するわ。信じてちょうだい」 チラっとルームミラーを見ると、綺麗な目がこちらに訴えている。これ以上は運転にも支障をきたしそうだ。 「約束。ですよ」 「ええ、約束するわ」 ──・・・なんだかなあ。約束したところで、この人はわたしの身の安全を最優先に考えているから、いざという時は、わたし抜きで動くと思う。自惚れかもしれないが、わたしはそれが1番こわい。 深夜ということで道も空いており、例の中学校へは、すぐに着いた。 大通りから小道を入った所に正門があり、そこに車を停める。わたし達が車から降りると同時に、空舞さんは門の上に降り立った。 「あれ?空舞さん、今着いたんですか?」 「あんまり遅いから、先に中を確認しに行ってたのよ」 これでもだいぶ早いほうだと思うが、空を一直線に来れる空舞さんには敵わない。 「それで、いたか?」 「いえ、今のところ姿は確認出来てないわ」 「とりあえず、中に入りましょうか」 当たり前だが、門はしっかりと閉まっている。「・・・あの、これって普通に不法侵入になりますよね」 「そうね。まあ、こればっかりは仕方がないわ」 急にドキドキしてきた。誰にも見つかりませんように。 最初に、瀬野さんが門を越える。 「雪音ちゃん、いける?」 「わざと聞いてます?」自分より背の低い門に足を掛け、ヒョイと飛び越える。次に空舞さんがわたしの肩に移動した。 「ま、一応ね」早坂さんは足も掛けず、片手で飛び越えた。負けた。 門を過ぎて右手に校舎、左手にグラウンドがある。道路沿いの街頭、周りには家やマンションが建っている為、ライトが必要な暗さではない。逆に言えば、誰かに見つかる可能性も高いということだ。 グランウドまで移動したが、空舞さんの言う通り、上空にそれらしきモノはいない。 「懐かしいわ〜、学校のグラウンドなんて何年振りかしら」 「そりゃあそうだろう。卒業したら来る事なんてないしな」 「アンタ、体育の時、端っこのほうでよく寝てたわよね」 「・・・お前にだけは言われたくないがな」 「あら、あたしは真面目に受けてたわよ」 「体育だけだろ。他の授業はほぼ寝てただろうが」 「そうだっけ?」 「・・・中学の時の話ですか?」 早坂さんはポケットに手を入れたまま上を見て、考え込んだ。「高校も大して変わんないわね。寝てた記憶しかないわ」 授業中、机に突っ伏して寝ている早坂さんを想像すると、おかしくなった。「勉強、嫌いでした?」 「そうねえ、カンニング出来る妖怪がいないか本気で探そうと思った事があるわ」 「あはは、確かに、そんな妖怪がいたら出会いたかったかも」 「いや、お前本気で探してただろ。徹夜で探して、次の日机で爆睡してそのまま机ごと倒れただろうが」 「えっ、マジですか?」 早坂さんはしれっと、とぼけた顔をしている。 「ブチ切れた教師に廊下に立たされたあげく、最終的に廊下で寝てたぞ」 我慢出来ず、豪快に噴き出してしまった。「立ったまま寝るって、器用過ぎるんですけど」 「んなわけあるかアホ、廊下に寝そべってたんだ」 「アハハハハッ」もう、腹を抱えて笑うしかなかった。早坂さんは、爆笑するわたしを見て面白そうだ。 「あの時はグーで頭殴られたわ。今思うと、体罰よねぇ」 「俺が教師でも殴ってるけどな」 「あー、おかし。わたしでもキレますね」 その時、空舞さんがわたしの肩から飛び立った。そして、グラウンド上空を旋回し始めた。 「空舞さん?何してるんだろ」 「さあ・・・何かしら」 時間にして1分程だろうか。空舞さんは旋回した後、グラウンドを囲むフェンスの上に止まった。わたし達もグラウンドの真ん中へ移動する。すると、空舞さんはフェンスからこちらへ向かって飛んで来た。と思ったら、わたし達の前を通り過ぎ、加速して上昇する。凄い速さだ。そしてそのまま、校舎の屋上へ飛んで行った。 「えっ?なに?」 さすがに暗闇の中、上までは見えない。わたし達はしばらく空舞さんが飛んで行った方向を見上げていた。 そして──「あれ・・・なんですか?」 上にポワッと光る物が見えた。それは、ゆっくりこちらへ向かってくる。 「お出ましね」 そうだ、蛾は体を発光させて飛んでると空舞さんが言っていた。という事は、あれがそうか。 それは徐々に高度を下げて、近づいてくる。そしてグランウド上空まで来ると、その姿がハッキリと見えた。 ゾワゾワゾワッと全身に鳥肌が立ち、身震いした。見た目は、蛾その物。普通じゃないのは、その胴体と羽の大きさ。そして、体から放たれる青白い光。 「そこまでデカくないな」 「えええ!?どこが!?」 「思ったよりはね」 この2人の基準はどうなってるんだ。 そりゃあ、あの大ムカデに比べれば可愛いもんかもしれないが、個人的に気持ち悪さはこちらのほうが上だ。唯一救いなのは、羽に模様がない事。あの繊細な模様が不気味さを倍増させる。 「あなた達」 「ギャ──!!」 「・・・近距離でそれはやめてちょうだい」 いつの間にか、空舞さんがわたしの肩にいた。「どこに行ってたんですか?」 「あいつをおびき寄せたのよ。根城は屋上みたいね。大きな繭があったわ。あなた達、あれに触れたら駄目よ」 「あれ?」 「あいつの羽から出る鱗粉よ。あれは人間には毒だわ」 確かに、飛んでいる蛾の羽から光る粉のような物が落ちている。それだけ見ると、とても幻想的だ。 「子供達の病気はアレが原因ってわけね。雪音ちゃん、あいつの下に行っちゃダメよ」 「は、はいっ」 「しかしどうする。動きは鈍いが、降りてこない事にはどうも出来んぞ。その前に、俺らが見えてるのか?」 蛾は、大きな羽をゆっくりと上下に動かしながら空中でホバリングしている。 「近くで見た時、左目に傷があったわ。おそらく見えていないわね」確かに、わたし達は今、蛾の左側にいる。「あの触覚で匂いと音を感知してるのよ」 また鳥肌が立った。細い歯が並んだ櫛のような触覚もバカみたいに大きい。やはりあの繊細さが、わたしは苦手だ。 「見えていないのは、ラッキーね」 「だとしても、あいつに届かない事には意味がないぞ」 「あなた達、あれをどうやって殺すの?」 早坂さんが背中からナイフを取り出し、空舞さんに見せた。「これでブサっとよ」 「・・・投げたら、どうですかね?」 「うーん、おそらく弱点は頭だから、狙うのは難しいわね。別の所を攻撃して怯ませる事は出来るかも」 「羽を狙えば、怯んで降りてくるんじゃないか」 「やってみる価値はありそうね。どっちが投げる?」 「ダーツはお前のほうが上手いだろ。お前がやれ」 「そこ関係あるかしら。まあ、わかったわ。雪音ちゃん、あなたはここにいなさいね」 「・・・わかりました」 早坂さんと瀬野さんが、ゆっくりと近づいていく。厄介なのは、あの鱗粉だ。触れないギリギリの所まで進むと、早坂さんはナイフを投げるように持ち直した。 そして、さあいくぞとナイフを振りかぶったところで、蛾の触覚がピクリと動く。 「離れなさい!」 空舞さんが叫んだ次の瞬間、正面から凄まじい風に襲われた。 「うわっ!」咄嗟に身を低くしたが、危うく後ろに倒れそうになった。 風は一瞬だったが、土埃が舞い、視界を遮る。前が見えない。 「早坂さん!瀬野さん!」 「ここよ」 ぎょっとした。さっきまで前にいた2人が、わたしの両隣に仰向けに倒れていた。 「ちょっ、大丈夫ですか!?」2人を交互に見る。2人とも大の字になり動かないが、見たところ怪我はなさそうだ。 「見事に飛んだわね。空舞ちゃんの気持ちがわかった気がするわ」 瀬野さんがむくりと上半身を起こす。「んな事言ってる場合か。なんつー風圧だ、ありゃあむやみに近づけんぞ」 「厄介な羽ね。しかも、見た感じかなり硬いわ。ナイフが刺さるとは思えないわね」 早坂さんは仰向けになったまま、起き上がらない。「早坂さん、どこか怪我したんですか?立てますか?」 「立てないわ。雪音ちゃん起こして」 「えっ!」 慌てて早坂さんの腕を掴み起こそうとすると、早坂さんは脚の力だけでスッと立ち上がった。 全然大丈夫じゃねーか。 早坂さんが頭を振って髪についた土を落とす。「さて、どうしたものかし・・・ゴホッ」 「早坂さん?」 「オエッ・・・ゴホゴホ」今度は瀬野さんだ。 「あの粉を吸ったのね」空舞さんが冷静に言った。 「咄嗟に顔は覆ったんだがな。さすがに防ぎきれん」 「あ"ー、気持ちわる。まあ、これくらいは大丈夫よ。雪音ちゃんは何ともない?」 「わたしは大丈夫ですけど・・・」 「それ以上吸ったら、どうなるかわからないわよ。あなた達は近づかないほうがいいわ」 「でも、じゃあどうやって・・・」 「わたしがやるわ」 「・・・えっ!」 「そのナイフを頭に刺せばいいんでしょ?わたしが1番適任じゃない」 「・・・確かに、そうね。じゃあ、空舞ちゃんに任せるわ」 「任せるって、そんな簡単に・・・」 「平気よ。ナイフを貸してちょうだい」 「中条、お前のをやれ。俺たちのはデカいから扱いづらいだろう」 「あ、はい・・・」ボディバッグから取り出し、ナイフを開く。柄のほうを空舞さんに向けて差し出した。 「空舞ちゃん、絶対に刃に触れちゃダメよ。あなたの体に少しでも刺さったら、一瞬で消滅してしまうわ」 その言葉を聞いて、ナイフを引っ込めたくなった。 「大丈夫よ。そんなヘマしないわ」そう言い、空舞さんはナイフの柄を咥えた。「それより逃げたほうがいいわよ」 「えっ?」気づけば、蛾がゆっくりとこちらに向かってきているではないか。「ひぃぃぃぃぃ!」 「大丈夫だ、やつの動きは遅い。俺達の脚なら逃げれる」 「で、ですよね!」 「行くわ」ナイフを咥えた空舞さんが、わたしの肩から飛び立った。 「気をつけて空舞さん!」 空舞さんは先程同様、蛾の上空を旋回し始めた。それに気づいた蛾が、上を向く。 大丈夫だ、蛾の動きは鈍い。何かしようとしても、素早い空舞さんなら逃げれる。 空舞さんは旋回しながら上昇していった。そしてある程度の高さまで行くと、その流れに乗って一直線に下降した。咥えたナイフで蛾の頭を狙う。 イケる──そう思った瞬間、蛾の口から何かが吐き出された。それは空舞さんを目掛けて飛んでいく。空舞さんはギリギリの所で避けると、そのまま地面へと着地した。 「何あれ・・・糸?」 蛾はすぐさま向きを変え、空舞さん目掛けてもう1発。空舞さんは地面から飛び立ち、回避した。空舞さんが居た所には、白い糸のような物がへばりついている。 「蚕が吐く糸のような物かしら。触れたらぐるぐる巻きにされちゃうのかしらね」 「そんな悠長な事を言ってる場合ですか!」 空舞さんは、また上昇を始めた。もう1度試すつもりだ。蛾もさっきと同じように上を向く。 どうしよう。どうにか気を逸らせられれば──・・・考えるより先に、足が動いていた。 「雪音ちゃん!」 鱗粉に触れない所まで近づき、左足の靴を脱いだ。そしてそれを蛾のお腹目掛けて思いきり投げた。威力には欠けたが、見事命中した。 驚いたのは、それからの速さだった。靴が当たった瞬間、蛾はわたしを目掛けて先程と同じ物を口から噴射した。反射的に避けたが、片足に当たり地面に手をついてしまった。 ──ヤバイ。また来る。 その時、わたしの目に、2つの事が見えた。 わたしを抱き上げた早坂さんが、ギリギリのところで糸を避ける。 瀬野さんが、蛾に向かってナイフを投げる。 初めて聞く"音"だった。ナイフがお腹に命中した蛾の悲鳴だ。声というより、地鳴りのような轟音。羽の動きが止まり、蛾は地面に脚をついた。 そして、また2つの事が同時に視界に入ってきた。 空から向かってくる空舞さん。地上から向かう瀬野さん。2人はほぼ同時に、ターゲットの頭にナイフを突き刺した。 蛾はピクリとも動かない。そして頭から徐々に白くなり、塵と化していく。 見るのはこれで3度目だが、神秘とも言えるこの光景に思わず見入ってしまう。そのうち慣れる日が来るんだろうか。 早坂さんが、わたしを降ろした。足についた糸をナイフで切ると、蛾同様、塵となって消えた。 「ありがとうございます」 スッと立ち上がった早坂さんは、無言でわたしを見下ろした。──あ、まずい。 「また、やってくれたわね」 「いや、それが、また勝手に足が・・・あっ、そうだ、靴」逃げるように靴を取りに行く。 「ほれ、まさか靴を投げるとは思わなかったが。よくやった」瀬野さんが拾って、渡してくれた。 「瀬野さんも、ナイスです。空舞さんも」 空舞さんはナイフを咥えたまま瀬野さんの肩に乗っている。 「空舞さん、危ないから返してください」 「まだ残ってるわ」 「え?」 それだけ言うと、空舞さんは校舎の方へ飛んでいった。 「ん?屋上?」 「そういえば、繭があるって言ってたよな」 「・・・あっ」 空舞さんは、すぐに戻ってきた。わたしの肩に降り立つ。 「返すわ」 「あ、はい」慎重に、空舞さんの口から受け取る。 「あそこにあった繭も始末してきたわ。これでもう問題ないわよね?」 「ああ、よくやった」 空舞さんの体に触れた。「ナイスです空舞さん」 「あなた達もね」 ──あとは・・・後ろの人だけだ。さっきから何も喋らないのが、怖い。振り返る勇気もない。 「財前さんへの報告は帰ってから俺がしておく。さて、ずらかるか」 「ほい」恐る恐る後ろを振り返る。「早坂さん、帰りま・・・」驚いた。早坂さんの身体が、目と鼻の先にあった。 そして、「ギャッ!」早坂さんは、わたしを抱き上げた。子供を抱っこするように。「ちょっ、何ですか!」 「お仕置きよ」 「お仕置きって・・・降ろしてくださいっ」 「嫌よ、このまま車まで行くわ」 瀬野さんと目が合い、呆れたようにこちらを見ている。死ぬほど恥ずかしいですけど。 「ふぬぬぬぬ」もがいて降りようとするが、ビクともしない。 「抵抗しても無駄よ。諦めなさい」 悪者のセリフだ。「謝るから・・・降ろしてください」 早坂さんはわたしを見上げた。距離が近すぎて、目を見れない。 「まったく、毎回毎回突っ走るんだから。でも、謝らなくていいわ」 「えっ?」 「あなたを心配するのは、あたしの勝手だから。あなたが自分の判断で行動した事を咎める権利はないわ。実際、咎めるどころか褒められる事しかしてないしね」 「・・・どうしたんですか、急に」今まで、散々と言われてきたのだが。 「あなたの能力は認めてるのよ。あたしがいる事でそれを制御させているなら、それは本意じゃない」早坂さんの顔は、真剣だ。「まあ、あたしがいようがいまいが、あなたは暴走するけどね」 「・・・それは、わたしを対等に見てくれてるって事ですか」 早坂さんは怪訝な顔でわたしを見た。「対等って、何を基準に?あなたは最初から誰より優秀じゃない」 ──不覚にも、泣きそうになった。 早坂さんから認められた事が、こんなにも嬉しい。可愛いとか綺麗とか、そんな言葉より何百倍も嬉しいんだ。 「雪音ちゃん?大丈夫?どこか痛む?」 「・・・いえ・・・あの、じゃあ、降ろしてもらっていいですか」 「なんで?」 「なんでって、認めてくれたなら、お仕置きは必要ないんじゃ」 早坂さんは、まるで天使のように微笑んだ。 「それはそれよ。この先も、あなたが暴走したらお仕置きし続けるわ」 天使の皮を被った悪魔だった。「言ってること支離滅裂ですけど!認めてるならお仕置きする必要ないじゃないですか!」 「だから、それとこれとは別よ。あたしの楽しみは奪わせないわ」 いや、ホントに楽しんでる、この人。「そもそも、何なんですかこのお仕置きは!」 「あなた嫌がるから、お仕置きでしょ」 「・・・空舞さん!助けて!・・・あれ?」気づけば、肩にいたはずの空舞さんが瀬野さんの肩へ移動していた。 2人はこちらの事など気にも止めず、車へ向かっている。 「空舞さーん!?」 早坂さんは子供を抱き直すように一瞬わたしを宙に浮かせ、また腕に乗せた。 「暴れると落ちるわよ」 いや、それが望みなんだが。 「お姫様抱っこに切り替えてもいいのよ?」 悪魔の笑みだ。それだけは勘弁だったので、抵抗するのをやめる。 「・・・早坂さん」 「ん?」 「いつも、助けてくれてありがとうございます」 早坂さんはキョトンとした。「何が?」 「いろんな、意味で・・・です」 「あたしは何もしてないわよ」 いや、助けられてばかりだ。早坂さんがいてくれて良かった。心からそう思う。 「・・・この距離で見つめられたら、何するかわからないわよ」 早坂さんの顔がマジになり、動揺して目を逸らした。何するかって、何をするつもりなんだ。 車まで到着すると、早坂さんはわたしを降ろす前にぎゅうっと抱きしめた。抱きしめられるのは初めてじゃないが、いつもと違ったのは、首筋に早坂さんの唇が押し付けられたこと。 反応はしなかったが、心臓が爆音を上げ、身体が燃え上がりそうだった。 早坂さんは解放したわたしの頭に、ポンと手を乗せた。 「さ、帰りましょうか」 「・・・あい」 ──いやいやいや、今のは何だったんだ。 首筋にキス、したよね。あれは絶対唇だった。 触れられた所が熱を持っている。 「雪音」 「ギャッ!!」 気づいたら、空舞さんが肩にいた。 「あなた大丈夫?変な顔してるわよ」 変な顔って。「大丈夫です。ちょっと、疲れました」いや、本当、いろんな意味で。 「あなた、顧みずなところがあるわね。でも、ありがとう。わたしの為に動いてくれたのはわかってるわ」 空舞さんも、なかなかツンデレだよな。まあ、それが空舞さんらしくて可愛いんだけど。 「こちらこそ、ありがとうです。空舞さんがいなかったらどうなってたか」 「そんなことないわ。あなた達、良いチームワークね。じゃあ、また」 「えっ」空舞さんが、わたしの肩から飛び立った。いつも行動が早いな。「空舞さん!またっ!」 空舞さんは応えるように1度旋回し、闇夜に消えていった。 「よし、俺らも行くぞ」 「はい」 「・・・ちょっと、何してるのよ?」 後部席のドアに手をかけて、止まる。「えっ」 「何度も言ってるでしょう、あなたは前よ」 「・・・いや、来る時も後ろだったし」 「なんでもいい。中条、前乗れ」 瀬野さんが呆れながら後ろに乗った。 なんというか、今、隣に座るのは気まずいんだが・・・。 「雪音ちゃん?どうしたの?」 でも、意識しているのはわたしだけのようで、早坂さんはいつもと変わらない。それが若干、腹立たしくもある。 自然と溜め息が出た。 この人はいったい、何を考えているんだろう。それを知るには、本人に聞くしかないわけで──・・・諦めて、助手席のドアを開けた。

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