おやまみかげ(・8・) / 第1話

1句 彩られし再会

「今ならいけるかな……」  ガス灯が辺りを淡く照らす頃。  3階の窓から1人の少女が外を見ていた。  帝都でも一際目立つ|煉瓦《れんが》造りのお屋敷は、名門|相楽《さがら》家のものだ。 「よしっ、大丈夫! 誰もいない」  窓の外を見下ろしながら、少女はつぶやく。  まもなく夕食の時間だ。  この時間帯は使用人たちもわらわらと動いている。  抜け出すなら今しかないと計算してのことだった。 「よいしょっと……」    慣れた手つきで、壁づたいに下りていく。  もう何度、ここから脱走したかなんて覚えていない。  しかし、その度にすぐに見つかって連れ戻されていた。 「へぇ、こうやって見ると昼とは全然違う……」  夜の帝都は、昼とは違う顔を見せる。  見慣れない夜の景色に、少女は思わず息を呑んだ。 「すごい……、違う世界みたい……」  そうやって、意識が違うところに向いていたからだろう。  足を滑らせ、気づいた時には地面へと着いていた。 「いたた……」  腰をさすりながら立ち上がると、屋敷の中にいた使用人と目が合った。 「あ! 見つかっちゃった……!!」 「|憩《いこい》様!! お待ちくださいませ!!」 「待てと言われて待つわけがないでしょう?」  使用人の言葉に口を返すと、少女はそのまま門戸を潜り屋敷を抜け出した。  少女の名は相楽 憩。  侯爵令嬢でありながら、窓からの脱走を繰り返すおてんば娘。  屋敷の使用人たちも逃げ出さないよう目を光らせてはいるが、追いかけっこはもはや日常となっていた。 「許可を出してくださらないお祖父様が悪いのよ……」  今日は、桜の満開を祝う花火大会がある。  憩はどうしてもこの花火を間近で見たかった。  ——|朔夜《さくや》  かつて2年間だけ共に過ごした彼。  しかし屋敷から出られない憩にとって、朔夜との日々は何にも変え難いものだった。  この花火大会も、彼が4年前に連れていってくれた場所だ。  ……今年こそ、一緒に見られるかもしれない。  そんな期待を胸に夜道を駆け抜ける。  汚れてしまった着物なんて、少女にとっては瑣末なことだった。    ヒューー……ドン!!    花火の音が響き渡る。  まだ会場へはほど遠く、憩は河川敷で空を見上げた。    また、今年も朔夜はいない……。  思わずため息がこぼれる。  約束をしていたわけでも、会えるわけでもない。  そんなことはわかっていても、今年こそはと毎年期待をしてしまう。   「……帰ろう。あんまり遅いと、窓に|閂《かんぬき》を掛けられる」    重い足取りで屋敷への道を歩く。まだ花火は終わっていない。  仲睦まじく寄り添う男女の姿を見るたびに、憩は会えない彼を思い出していた。    屋敷までの道は、いつも人々で賑わっている。  しかし今日は花火大会だ。辺りに人影はなく、なんだか寂しく感じられた   「こんばんは。かわいいお嬢さん」  不意に声をかけられた。  花火大会に似つかわしくない、質の良さそうなスーツを着た男性だ。  ……お仕事帰りなのかな?  憩は足を止めると、男に微笑みかけた。   「こんばんは。夜空に綺麗な花が咲いていますね」 「そうですね。でも私の目は、あなたに奪われてしまったようだ」    男は|恭《うやうや》しい態度で距離を詰めると、屈んで少女に目線を合わせる。   「……ほぅ、これは珍しい。|金色《こんじき》の瞳とは」  何かを企んでいるような男の笑み。  薄気味悪く感じた憩は、すぐに距離をとった。   「あの、私、急いでおりますので失礼します」 「どうして逃げるの? 怖くなっちゃった?」  立ち去ろうと背を向けるが、がっしりと腕を掴まれる。  初めて感じるその力に、少女は思わず恐怖を覚えた。   「あの、離してください!!」 「嫌だ、って答えたらどうするの?」 「大声を出します!!」 「あはは、こんな人通りのないところで? 誰も助けになんて来ないよ」    気丈に振る舞おうとする憩に、男は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。 「いいからちょっと付き合ってよ。こんなところを1人で歩いてるなんて、キミも同じ理由なんだろ?」 「私は花火を見に行っていただけです!!」 「そういうのいいからさ、さっさと楽しもうよ」    男は少女の腕を引くと、さらに人気のない方へと足を進めた。   「離してください!!」    どれだけ抵抗しても、男は全く聞く耳を持たない。  それどころか反応を楽しんでいるような態度に、憩は思い切り腕を振り払った。   「やめてって言ってるでしょ!!」 「はぁ、面倒だな。痛い目に遭わせないとわからないのか」  それまで薄笑みを浮かべていた男の表情が凍る。  無表情のまま、握った拳を憩めがけて振り下ろした。     「……痛てぇな!! 何すんだよ!!」    顔を庇っていた両腕を下ろすと、目の前に黒地の隊服を着た青年が立っていた。    「暴力を振おうとしているのが目に入ってな」 「はぁ!? てめぇに関係ねぇだろ、失せろ!!」    男が再び殴りかかろうとしたとき、青年が掴んでいた男の腕を強く握りしめた。  彼のあまりの力に、男の顔が歪む。   「ぐうっ!! くそ!! 離せよ!!」 「こいつに同じことをしていたくせに、よく吠える奴だ」    青年は鼻で笑うと、男の腕を離し胸ぐらに掴みかかった。   「いいか。次、同じことしたら殺す。覚えとけ」 「くそぉぉぉぉ!!」    男は痛む腕を押さえながら、逃げるように走り去っていった。   「あの……、ありがとうございました」 「いえ、何事もなかったようで」  憩がお礼をすると、青年は言葉を返してくれた。  ぶっきらぼうだが、先ほどまでとは違うとても優しい声だ。  この声、もしかして――。  ……ううん、こんなところにいるはずがない。  問いたい名を隠し、少女は青年に1歩近づいた。   「あの、お名前をお伺いしても?」 「……名乗るような者ではありません」 「でも、助けていただいたお礼がしたいのです」 「いえ、結構です」  青年は少女を手で制すと、後ろへと下がる。  これ以上距離を詰めたくない、といった様子だ。 「そんな――」  このままじゃ、本当にお礼もできない……!!    憩がさらに歩み寄ろうとした瞬間、1番大きな花火が夜空を彩る。  辺りが美しく照らされ、青年の顔がはっきりと見えた。   「朔夜……?」  いるはずのない彼の名を呼ぶと、青年の肩がびくりと動く。  押し上げられた隊帽からは、懐かしい顔が現れた。  その瞬間、最後の花火が打ち上がる。  まるで2人の再会を祝福するかのようなタイミングだ。  この夜が、全ての始まりだと告げるかのように――。

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