井氷鹿 / 第5話

なんじゃこりゃ

 営業の外回りで一仕事終え、帰社する途中だった。  社屋のある大通りへ出る前に、コンビニに寄ったんだ。  めっちゃ喉が渇いててさ。  ペットボトルのお茶を買って、外に出て一気に呷って。   涼しいオフィスに戻って、ゆっくり飲むつもりだったのに。  それから…… 「起きてくださいませ。……お坊ちゃま」  ----お坊ちゃま?  ああ、そうだった。良くわからんが目が覚めたら、俺はどこぞのお坊ちゃまになってたんだった。  はいはい、今起きますよと目を開けたら、ようやく見慣れた金髪美女がこっちを覗き込んでいた。  んと、名前何だっけ。 「起きられましたか。ささ、こちらに」  と体を支えられ、乗っていた乗物から降ろされる。 「へっ?」   目に飛び込んできた意味不明の風景に、固まってしまう。  今日から婚約者の元で暮らせと、家から出されたのは良いが何処だよ、ここ。  しかも何だ、この建物は。  どんなバカネ持ちの娘と婚約してんだよ、この坊ちゃまは。  FFとかゲーム内の国王や皇帝の居城とかに出てくる、アレだよ。大理石とかなんかそんなので出来てる建物。  やたら豪華な玄関と言うか入口と言うか。  それが目の前に聳え立ってる。  マジで、意味分かんねーって奴だ。  今朝出て来た俺の住んでた家も、まぁ屋敷と呼べるほどにはデカかったが。  これは、その比じゃないくらい立派な構えだ。  デカすぎて、建物の形が分からないってどういうことだ。  明晰夢にしては全くコントロールできないし。やっぱりこれ、現実なんだよな。    目が覚めてからしばらくは、ベッドで寝たり起きたりの生活だった。  動こうにも体が重く、自由にならなかったのだ。  目を覚ます度に、映画か何かで見た様な、|煌《きら》びやかな衣装を着た男女が心配げに俺の顔を覗き込んでいたっけ。  ようやく一人で起きられるようになったのが、数日前。  一旦起き上がって歩くと、驚くくらいの速度で体は回復し始めた。  しかし、だ。  見た事もないくらい立派な部屋で、大勢の召使の様な女に傅かれ、居心地の悪さったらなかった。    さて、問題は今日から暮らすことになった婚約者とやらのお屋敷だ。  見ればその玄関ホールへ続く階段の左右には、勇者みたいに剣を背に装備した見た目も逞しい男たちと、高級メイド喫茶も顔負けのハイクオリティなメイドがずらりとお出迎えだ。  昨日まで暮らしていた屋敷のメイドとは、また質が違なる。  ミドリ、オレンジとヘアカラーを施してロング丈のスカートを穿いた本格メイドたちが、首を垂れている。  まだ夢でも見てる気分だ。  メイド服の女子は嫌いじゃない、けどさすがにこれはなぁ。  その集団を凝視してたら、突然世界がぼやけて頭の奥の方から忘れていたらしい記憶が甦ってきた。  コンビニを出て、帰社しようとして。  そうだよ、その続きだよ。  俺は歩いていた歩道上空から落ちてきた何かにぶつかり、死んだ?  え、うそーーっ。  あの衝撃で、俺、死んだのか。  マジで?  そんな。人生まだ三十年も生きてねーぞ。  まともに恋人すら作ってないのに!  そりゃ適当にモテたから、不自由はしなかったけど、それはそれだ。  好みの野郎を口説いて、その場しのぎの恋をしてって……!  やばい。  遊び過ぎって事だ。真面目に相手を探さず、男漁りし過ぎて罰が当たったのか。  何でだよ。良いじゃん、漁ったって。  相手が見つからないんだから。  気になる相手は何時も、女が好きだったんだよ。  俺が惚れる相手は、俺の事を友人としか認めない奴ばかりだったんだ。  ちくしょうっ!  そんな中途半端で終わる人生だったなんて。  俺だってパートナー宣言とか、やりたいことはまだいっぱいあるんだ。  大好きな|相手《パートナー》と、いっちょ前にきゃっきゃうふふしたいんだよ。  クソが!  腹を立ててたら耳元でエラー音が鳴り出した。それも高音のビープ音。  思わず両手で耳を覆い、目をつぶる。  うるせぇっ。  今自分が死んだことを自覚したばっかりだっていうのに。   「ハーイ! 説明が遅くなってごめんね」  続けて、能天気な声が頭に響いてくる。  目を開けたら、背中に翼の生えた天使が立っていた。 「わたくし、|案内《チュートリアル》担当のカリエルと申します」   何だこの展開。ゲームかよ、おい。  まさか死後の世界とでも、言うつもりか?  だったら、死んだら何でもリセットされんじゃねーのか?  俺の嗜好は変化ねーぞ。 「リセット? 良くわかりませんが」  死後の世界じゃないのか。さっきから見栄えの良い男女ばかりが目につくが。  やっぱり、天国か? そういうところなのか。  何だか好みの天使も出てきたし、な。 「ちょっと違いますが、死後の世界とも言えなくもないですね」  と、いい感じで天使が笑う。誘惑してんのか、おいこら。  天使は中性的だと聞いてたが、こいつはなかなかの美形で、しかも俺好みだ。  そこは、流石天使殿と言うところだな。ドレープで分からんが、胸は……平だ、良しオスだ。  いっちょ口説いてみるかぁ。で、何とか生き返らせてもらってと…… 「あは。それは光栄ですが、わたくしお相手は出来かねますので。そこは、申し訳ありません。生き還らせることも出来かねます」   な~にぃ~っ、ちょっと待て。  考えるだけで会話ができるのか、もしかして。 「はい。可能です」  何て世界だーーっ。うかつに喋れねぇじゃん。ダメじゃん、これじゃ使えないわ。  なに? どうしたんだよ、急に慌てて天使の奴。 「ちょっと待って、待ってぇ、……用がある……名前を」  天使の声にノイズが混ざり始める。 「カリエルとよっ」   そこで声はブツンと途切れ、ブロックノイズと共に天使の姿も消えてしまった。  と同時に頭がスッキリする。  どうやら俺が勝手にチュートリアルをすっ飛ばしたらしい。  即座に世界が動き始め、音が戻って来た。 「ギュンター様、お待ちしておりました。殿下も待ち切れず」  と言う側から、俺の名前らしき物を叫びながら、階段中央に敷かれたレッドカーペットを駆け降りる姿が。  姿がって、はぁ?  殿下って、ガキじゃん。しかも男!  それもまだ十歳くらいの小学生じゃないかよ。 「ギュンター! よくぞ戻った」  王子様仕様の煌びやかな衣装を着た小学生が、偉そうにそう叫んで俺に飛びついてきた。  反射的に抱き止めるが。 [[illustration:https://api.kakippa.com/api/covers/illustrations/6c0b3b7a-326a-44e3-904c-ce857c53f199/1791645114555-d9e7cde0-7e89-4196-80b4-acca6555d62e.webp]]  うそだろ、おいっ。  抱きしめた俺の視線、このチビと変わんねぇーじゃん。  改めて見回したら、俺もちいせぇえっ。  さっき声を掛けてきた、長い丈の派手めな上着を着たおっさん。  こいつが隣に並べば、見上げないと顔が見えないって、どゆこと?  なんじゃこりゃ! 「さぁ、お二人様。久しぶりの再会です。お部屋でご自由にお過ごしくださいませ」  そいつが右腕を胸に当て、恭しくお辞儀をした。

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