ひよりの / 第13話

ミナギ

[[illustration:https://api.kakippa.com/api/covers/illustrations/c72d30c8-feaf-4374-8190-e5d129541aa4/1791201336509-3c0cb54c-318e-4d59-a840-8f2874388496.webp]]  ミナギが村《むら》に来《き》て、三月《みつき》が過《す》ぎた。  最初《さいしょ》は、よそ者《もの》として少《すこ》し距離《きょり》を置《お》かれていた彼《かれ》も、今《いま》ではすっかり村《むら》に馴染《なじ》んでいた。  村人《むらびと》たちにとってのミナギは、行商人《ぎょうしょうにん》であり、呪《まじな》い師《し》であり、少《すこ》し変《か》わった男《おとこ》というくらいだった。  けれど、アサにとっては違《ちが》った。  兄《あに》のようで。  友達《ともだち》のようで。  そして――師《し》のような人《ひと》だった。  ミナギは、何気《なにげ》ない毎日《まいにち》の中《なか》で、外《そと》の世界《せかい》の話《はなし》をしてくれた。    ――遠《とお》い海《うみ》の話《はなし》。  水平線《すいへいせん》の向《む》こうで太陽《たいよう》が沈《しず》む時《とき》、海《うみ》は燃《も》えるような赤《あか》に染《そ》まるのだという。  その光《ひかり》を、船乗《ふなの》りたちは「神《かみ》の道《みち》」と呼《よ》ぶらしい。  アサは目《め》を丸《まる》くした。  まだ見《み》たこともない景色《けしき》が、頭《あたま》の中《なか》に広《ひろ》がっていく。  胸《むね》の奥《おく》が、少《すこ》しだけ落《お》ち着《つ》かなくなった。    ――行《い》き交《か》う舟《ふね》の話《はなし》。  木《き》でできた舟《ふね》が、風《かぜ》を受《う》けながら波《なみ》の上《うえ》を進《すす》んでいく。  舟《ふね》の先《さき》に立《た》つ者《もの》は、海風《うみかぜ》を読《よ》み、波《なみ》の動《うご》きを手《て》で感《かん》じるのだと、ミナギは言《い》った。  アサは思《おも》わず手《て》を握《にぎ》る。  まるで自分《じぶん》も、その舟《ふね》の上《うえ》に立《た》っているような気《き》がした。  胸《むね》が、少《すこ》し高鳴《たかな》る。    ――見《み》たこともない食《た》べ物《もの》の話《はなし》。  虹色《にじいろ》に光《ひか》る魚《さかな》。  甘《あま》い香《かお》りのする果物《くだもの》。  口《くち》に入《い》れると、泡《あわ》みたいに消《き》えてしまう不思議《ふしぎ》な団子《だんご》。  ミナギは、匂《にお》いや味《あじ》まで見《み》えてくるように話《はな》してくれる。  アサは思《おも》わず唾《つば》を飲《の》み込《こ》んだ。  いつか食《た》べてみたい。  そんな小《ちい》さな願《ねが》いが、胸《むね》に生《う》まれていた。    ――人《ひと》や暮《く》らしの話《はなし》。  火《ひ》を囲《かこ》み、歌《うた》って踊《おど》る人《ひと》たち。  言葉《ことば》が分《わ》からなくても、笑《わら》ったり泣《な》いたりする気持《きも》ちは伝《つた》わるのだと、ミナギは話《はな》した。    アサは想像《そうぞう》する。  知《し》らない土地《とち》に立《た》ち、見知《みし》らぬ人《ひと》たちの輪《わ》に、自分《じぶん》が混《ま》ざっている姿《すがた》を。  話《はなし》を聞《き》くたびに、アサの心《こころ》は少《すこ》しずつ外《そと》へ広《ひろ》がっていった。   世界《せかい》は広《ひろ》い。  自分《じぶん》が見《み》ているものは、そのほんの一部《いちぶ》なのだ。  それを知《し》るたび、胸《むね》の奥《おく》に小《ちい》さな火《ひ》が灯《とも》る。   知《し》りたい。  見《み》てみたい。  そんな静《しず》かな熱《ねつ》だった。 [[illustration:https://api.kakippa.com/api/covers/illustrations/c72d30c8-feaf-4374-8190-e5d129541aa4/1791201392919-04968c82-b503-41b3-98b9-c8d89bc81066.webp]]  時《とき》には、ふたりで勝負《しょうぶ》をすることもあった。  ただ石《いし》を投《な》げるだけではない。  ミナギが考《かんが》えた、小《ちい》さな決《き》まりがある。  森《もり》の地面《じめん》に、枝《えだ》で十字《じゅうじ》の印《しるし》を描《えが》く。  順番《じゅんばん》に石《いし》を転《ころ》がし、できるだけ真《ま》ん中《なか》へ近《ちか》づける。  それだけの遊《あそ》びだった。  けれど、アサは真剣《しんけん》だった。   石《いし》を握《にぎ》り、力《ちから》の入《い》れ方《かた》や向《む》きを何度《なんど》も考《かんが》える。  眉《まゆ》を寄《よ》せながら投《な》げては、石《いし》が跳《は》ねて土《つち》へ落《お》ちる音《おと》に耳《みみ》を澄《す》ませた。  石《いし》の重《おも》さ。  投《な》げる向《む》き。  地面《じめん》のわずかな傾《かたむ》き。  ひとつひとつ確《たし》かめるたび、気《き》づかないうちにアサの感覚《かんかく》は鋭《するど》くなっていった。  二人《ふたり》の石《いし》が交互《こうご》に並《なら》ぶたび、森《もり》には小《ちい》さな緊張《きんちょう》が流《なが》れる。  葉《は》の揺《ゆ》れる音《おと》。  土《つち》に触《ふ》れる石《いし》の音《おと》。  風《かぜ》の匂《にお》い。  その全部《ぜんぶ》が、遊《あそ》びの中《なか》に溶《と》け込《こ》んでいた。  最後《さいご》に、いちばん真《ま》ん中《なか》に近《ちか》い石《いし》を置《お》いた方《ほう》が、小《ちい》さく笑《わら》う。  二人《ふたり》は顔《かお》を見合《みあ》わせ、同時《どうじ》に笑《わら》い声《ごえ》をあげた。  その声《こえ》は葉《は》の間《あいだ》を抜《ぬ》け、風《かぜ》に溶《と》けていく。  その時《とき》だけの、小《ちい》な世界《せかい》がそこにあった。    夜《よる》になると、火《ひ》の前《まえ》に座《すわ》り、石《いし》や骨《ほね》を並《なら》べる練習《れんしゅう》をした。  ミナギは手《て》を貸《か》さない。  ただ、静《しず》かに見守《みまも》っているだけだった。  けれど、その目《め》の奥《おく》には確《たし》かな期待《きたい》があった。  信《しん》じている光《ひかり》があった。  アサはそれを感じるたび、胸《むね》の奥《おく》が小《ちい》さく熱《あつ》くなるのを知《し》った。

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