ぽて / 第1話

第一話

 私には、魔法少女の友達が九人いる。  ひとりでも十分珍しいのに九人である。  こうして改めて数えてみると多い気もするけれど、私にとってはこれが普通なので、今さら驚くことでもない。  ただ、ひとつだけ問題がある。 「ことは、動かないで」 「うん」 「絶対に動かないでね」 「わかったよ」 「この前もそう言って動いたでしょう」 「今日は大丈夫!」 「その言葉、もう三回くらい聞いた」  私の前に立った澪ちゃんは、こちらを振り返ることなく小さくため息をついた。  濃紺の髪が風に揺れ、その手には青灰色の傘が握られている。ついさっきまで晴れていたし、天気予報でも降水確率は十パーセントだったから、雨が降る予定はない。  もちろん──雨傘ではない。  持ち手に埋め込まれたアクアマリンが淡く光ると、澪ちゃんは私を庇うように一歩前へ出た。 「ちゃんと後ろにいるから、安心して」 「……ほんとに?」 「ほんと」 「じゃあ、そこにいてね」  今度こそ信用してくれたらしく、澪ちゃんは正面へ向き直った。  その向こうには、黒い塊がいる。  犬くらいの大きさだが、犬ではない。猫にも見えなくはないけれど、猫にしては脚が六本あるので、たぶん猫でもない。  私にはあれが何なのか、よく分からない。  みんなは『澱み』と呼んでいる。  人の悲しみや苦しみが積もると、たまにああいうものになるらしい。  説明されたときは分かったつもりだったけれど、実物を見てもやっぱりよく分からなかった。  ただ、触ると危ない。  それだけ覚えていればいいと、澪ちゃんには言われている。  黒い塊が低く唸り、六本の脚が地面を蹴る。 「澪ちゃん!」 「大丈夫」  澪ちゃんが傘を開いた。  透明な雨粒が空中に生まれ、一斉に傘の周りを巡り始める。  晴れた空の下でそこだけ雨が降っているような、不思議な光景だった。 「――雨音のヴェール」  黒い塊が飛び込んでくる。  雨粒が大きく弾けた。  私は反射的に一歩前へ――。 「ことは」  出ようとして、やめた。 「……出てないよ」 「今、出ようとした」 「出てないもん」 「足が出てた」 「半歩だけ」 「半歩でも前は前」  戦っている最中なのに、よく見ている。  仕方なく引っ込めた足を揃えると、澪ちゃんは満足したらしい。今度こそ私から意識を外し、傘の先を黒い塊へ向けた。  青い光が走る。  それからしばらくして、黒い塊は雨に溶けるように消えていった。 「終わった?」 「うん」 「お疲れさま!」  駆け寄ると、澪ちゃんは傘を閉じた。  さっきまで周囲を漂っていた雨粒も、それと同時に消えていく。  何度見ても綺麗だと思う。 「今日の澪ちゃんも格好よかった」 「ありがとう」 「特に最後のところ」 「最後?」 「こう、傘を向けて、しゃきーんって」 「しゃきーん」 「そう」 「してないと思う」 「してたよ」 「そうかな」  澪ちゃんが自分の傘を見つめる。  少しだけ考えてから、もう一度私を見る。 「ことは、怪我してない?」 「してないよ」 「ほんと?」 「ほら」  両腕を広げ、その場で一回転してみせる。  どこも痛くない。  制服も無事だし、転んでもいない。 「ね?」 「うん。よかった」  澪ちゃんが笑った。  ほんの少しだけ口元が緩む、いつもの笑い方だった。  私はこの顔が好きだ。  澪ちゃんだけじゃない。  芙花《ふうか》さんが、怪我をした子の頭を撫でながら笑うところも好きだし、紅緒《べにお》ちゃんが文句を言いながら結局みんなを助けてしまうところも好き。  透華《とうか》さんは困ったときに相談すると、自分より先に私のことを信じてくれる。  星羅《せいら》ちゃんは嬉しいことがあると自分のことみたいに喜ぶし、奏《かなで》ちゃんがいるところはいつだって賑やかだ。  凪《なぎ》ちゃんは気づいたらどこかへ走っていく。紫苑《しおん》さんはそんな凪ちゃんを笑いながら見送っていて、千歳《ちとせ》さんは「予定が狂う!」と言いながら追いかけていく。  九人とも、全然違う。  使う魔法も、性格も、年齢も違う。  でも、みんな魔法少女だ。 「いいなあ」  気づけば、声に出ていた。 「何が?」 「魔法」  私は澪ちゃんの傘を覗き込む。  閉じた傘は普通のものより少し細く見えるけれど、持ち手のアクアマリンはまだ淡い光を残していた。 「私も使ってみたい」 「……魔法を?」 「うん」  空を飛びたいとか、すごい技を使いたいとか、そういうことじゃない。  もちろん飛べたら楽しそうだけど。 「いつも守ってもらってばっかりだから、私もみんなを守れたらいいのになって」  九人もいるのだから、一人くらい守られる側がいてもいいと、みんなは言う。  でも、私は知っている。  澪ちゃんたちは、いつも誰かを助けている。  泣いている人がいれば傍にいて、傷ついた人がいれば手を伸ばして、怖がっている人がいれば前に立つ。  そんなみんなを、誰が守るんだろう。 「だからね、もし私も魔法少女になれたら――」 「ことは」  澪ちゃんが私の名前を呼んだ。  いつもより少しだけ強い声だったので、私は続きを飲み込む。 「なに?」 「……ううん」  澪ちゃんは何か言おうとして、やめた。  そのまま傘を抱え直すと、いつもの静かな顔で私を見る。 「ことはは、そのままでいいよ」 「そのまま?」 「うん」 「魔法が使えなくても?」 「使えなくていい」  ずいぶんきっぱり言われてしまった。 「えー」 「だめ」 「まだ何も言ってないよ」 「魔法少女になりたいって言うと思った」 「言おうと思ってた」 「だめ」 「澪ちゃん、今日ちょっと厳しくない?」 「ことはが前に出ようとするから」 「半歩だけなのに」 「半歩でも」  澪ちゃんがこちらへ手を伸ばす。  何をするのかと思っていたら、額を指先で軽く押された。 「前は前」 「むう」  納得はいかない。  それでも澪ちゃんが笑っているから、今日は諦めることにした。  並んで帰り道を歩く。  少し進んだところで、私はもう一度だけ後ろを振り返った。  さっきまで黒い塊がいた場所には、何も残っていない。  ただ、乾いた地面にひとつだけ、小さな水溜まりができていた。  晴れているのに、不思議だ。 「ことは?」 「今行く!」  澪ちゃんに呼ばれて、私は走り出す。  魔法少女にはなれなくても、みんなの役に立つ方法くらい、きっと何かある。  そう思いながら澪ちゃんの隣へ追いつくと、彼女は少しだけ歩く速度を落としてくれた。  私には、魔法少女の友達が九人いる。  そして私はまだ知らない。  どうして九人もの魔法少女が、私のそばにいるのかを。

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