芦名 雅 / 第44話

第13話 プロポーズ前夜

 指輪を買おうと思った翌朝、拓海は何も決められていなかった。  結婚したい、というところまでは自分の中で落ちた。問題はその先だ。  何を買えばいいのか。  どこで渡せばいいのか。  何と言えばいいのか。  千年前の高校生だった頃、拓海にそんな知識があるはずもない。未来の学校へ通い始めてから知り合った友人たちも、結婚についてはほとんど同じだった。  朝食の席で、音姫はトーストを食べながら何度も拓海を見た。 「何」 「いえ」 「何だよ」 「昨夜から、考え事をしている顔なので」 「そう?」 「眉間を触る回数が普段の二・三倍です」 「数えるな」 「数えてはいません。見れば分かります」 「それも怖いんだよ」  音姫は笑った。  拓海の端末はテーブルの端に伏せてある。昨夜、未来の宝飾店を三十分ほど検索した履歴が残っている。少し前の音姫なら、拓海が風呂へ入った隙にでも答えへ辿り着けたかもしれない。  けれど音姫は端末へ手を伸ばさなかった。 「何を考えているか、聞いてもいいですか」 「まだ秘密」  一瞬だけ、音姫の指が止まった。 「……分かりました」 「聞かないの?」 「秘密にする自由もある、と決めましたから」 「そっか」 「ただし」 「ただし?」 「かなり気になります」 「正直だな」 「気になることと、調べていいことは別なので」  音姫はそう言って、残っていたコーヒーを飲んだ。  拓海はその横顔を見て、指輪を買う理由がまた一つ増えた気がした。  千年前なら、自分は音姫から隠し事をする時、いつ見つかるかと怯えていた。  今は違う。  喜ばせるために秘密を持てる。  そして音姫は、知りたい気持ちを抱えたまま待てる。  その変化を、拓海は誰かに返さなければならない借りだとは思わなかった。  ただ、一緒に生きていきたいと思った。  昼休み。  拓海は相沢を校舎の屋上へ呼び出した。未来の学校にも屋上はあったが、転落防止用の透明膜が張られ、空調まで効いている。千年前の「立入禁止の青春スポット」とはだいぶ違う。 「で、何。真顔で呼び出して」 「仮にだけど」 「その前置きで仮だったこと一回もないぞ」 「うるさい。指輪ってどうやって選ぶ?」  相沢が飲み物を噴いた。 「早っ!」 「声でかい!」 「だって付き合って、どれくらい?」 「一年ちょい」 「普通なら早いって言うところだけど、お前らの場合、基準が分からん」 「千年は付き合ってないからな」 「でも向こうは千年待ってたんだろ?」  拓海の手が止まった。  細かな事情までは話していない。それでも、音姫が長い時間を生き、拓海を待っていたことくらいは学校でも知られている。 「待ってくれたから結婚するの?」  相沢の声から茶化す調子が消えた。  拓海はしばらく考えた。 「それだけなら、たぶんしない」  自分で答えてから、その言葉が妙にしっくり来た。 「千年待ってくれたことは、でかいよ。俺には一生かかっても同じことできないと思う。でも、それを返すために結婚したら、あいつの千年を借金にするだろ」 「ふうん」 「人魚の肉を捨てたから褒美に結婚する、とかでもない。俺が逃げた償いでもない」 「じゃあ何」 「今のあいつと、来年も一緒にいたいんだよ」  相沢は何も言わない。 「来年だけじゃなくて、その次も。喧嘩しても、普通に飯食って、遅くなるなら連絡して、くだらないことで笑って。病気したら看病して、白髪見つけたら騒いで。そういうのを続けたい」 「じゃあ、それ本人に言えばいいじゃん」 「簡単に言うな」 「指輪より大事じゃない?」 「……正論やめろ」  相沢は笑った。 「サプライズにするの?」 「一応」 「秘密にするの、大変じゃない?」  拓海も少し笑う。 「あいつに隠し事するの、初めてかもな」 「千年前は?」 「逃げるために隠してた」 「今は?」 「喜ばせるため」 「じゃあ、だいぶ違うじゃん」 「……そうだな」  その日の放課後、相沢を連れて宝飾店の候補を見て回った。  一軒目は、高級すぎた。  入口で本人確認をした瞬間、拓海の前に個室が用意され、担当者が「水城グループ会長のご関係者でしたら」と頭を下げた。 「出るぞ」 「まだ何も見てないけど」 「ここで買ったら音姫の会社経由で一時間以内にバレる」 「サプライズ難易度高いな」  二軒目は未来技術が強すぎた。 「こちらは指輪同士で位置情報を常時共有できます」 「却下」 「即答だな」 「絶対ダメ」 「こちらは感情変化を記録し――」 「記録もいいです」 「では、装着者の睡眠・心拍・移動履歴を――」 「監視機器じゃねえか!」  相沢が腹を抱えて笑った。  三軒目でようやく、普通の指輪が並んでいた。  白い照明の下、細い輪が静かに光っている。未来の素材ではあるらしいが、見た目は拓海の知っている指輪と大きく変わらない。 「こういうのでいいんだよ」 「老人みたいなこと言うな」  店員に素材や耐久性を説明してもらう。 「サイズはお分かりですか」  店員に尋ねられ、拓海は一瞬だけ黙ったあと、頷いた。 「分かります」 「なんで?」  相沢が横から素で聞いてきた。  半年前、音姫と街を歩いていた時、アクセサリー店のショーウィンドウに指輪が並んでいた。足を止めた音姫は、何の前触れもなく左手を持ち上げ、「ちなみに、私の左手の薬指はこのサイズです」と告げたのだ。 「聞いてない」 「将来、必要になるかもしれませんので」  その時は何の圧だと思って笑い飛ばした。けれど、数字だけは妙に耳に残っていた。 「本人が勝手に教えてきた」 「千年待つ人、準備がいいな」 「そこは否定できない」  拓海は一つ手に取っては戻し、別のものを見て、また最初へ戻った。 「二時間経ったぞ」 「分かってる」 「全部同じに見えてきた」 「俺もだよ」 「じゃあもう一番最初のでよくない?」 「それで一生言われたらどうするんだよ」 「一生言われる前提なんだ」 「うるさい」  巨大な宝石はいらなかった。音姫なら欲しければ鉱山ごと買える。  高価さで千年に釣り合おうとすること自体、どこか間違っている。  記録機能もいらない。  音姫はもう、全部を残さなくても失ったことにはならないと覚え始めている。  欲しかったのは、二人だけが見れば意味の分かるものだった。  店員が、内側へ小さな刻印を入れられると言った。 「文字でも図柄でも。古い意匠の復刻もできます」 「四つ葉って、できます?」  画面に小さなクローバーの見本が表示された。  見た瞬間、拓海の中でようやく決まった。  千年以上前、幼い自分が音姫へ渡した四つ葉。  自分は忘れ、音姫だけが覚えていた思い出。  人間に戻ったあとの初デートで、古い標本帳の中にまだ残っているのを見せてもらった。 「これにします」 「内側に言葉も添えられます。『永遠に』や『ずっと一緒に』は人気がありますよ」  拓海は少しだけ考えた。  永遠。  二人は、その言葉をもう十分すぎるほど知っている。 「言葉はいらないです。四つ葉だけで」 「よろしいんですか?」 「約束は、本人に言います」  言ってから、自分で恥ずかしくなった。  横で相沢が無言のまま口元を押さえている。 「笑うなら外出ろ」 「いや、成長したなと思って」 「何目線だよ!」  会計の直前、拓海はカードを二枚取り出した。  一枚は共同家計用。  もう一枚は、自分で学校の仕事を始めてから作った個人口座のもの。 「そっち間違えるなよ」 「分かってる」 「前日に『秘密にする自由』まで確認して、共同口座で指輪買ったら伝説になるぞ」 「そこまで馬鹿じゃない」  拓海は個人用を使った。  決済完了。  通知も自分の端末だけ。 「よし」 「何がよしなんだ」 「バレてない」 「普通はそこがスタート地点なんだよ」  店を出た。  紙袋は小さい。  なのに手に持つと妙に重い。 「で、どこで渡すの?」  相沢が聞く。 「それがまだ」 「海は?」 「逃げた場所すぎる」 「竜宮城」 「縁起悪い」 「夜景」 「音姫が会社ごと持ってそう」 「面倒なカップルだな」 「俺もそう思う」  その夜。  拓海は自室でプロポーズの言葉を考えた。  端末に文章を打つ。 『千年待たせてごめん。これからは――』  消す。  謝罪から始めると、どうしても償いに聞こえる。 『ずっと一緒に――』  消す。 「ずっと」が永遠みたいで嫌だった。 『俺と結婚してください』 「固いな……」  声に出した瞬間、恥ずかしくなって消した。  鏡の前へ立つ。 「音姫」  自分で言って、自分で顔をしかめる。 「何やってるんですか?」 「うわっ!」  扉の隙間から音姫が覗いていた。 「ノックしろよ!」 「しました。三回。返事がなかったので」 「どこから見てた?」 「『音姫』のところから」 「最初じゃねえか!」  音姫の視線が、机の上へ向く。  指輪の箱は慌てて引き出しへ入れてある。  端末も裏返した。  また一瞬だけ、昔の音姫ならここから全部調べただろう、という考えが浮かぶ。  音姫は何も聞かなかった。 「夕食、できました」 「……それだけ?」 「それだけです」 「本当に?」 「はい」  扉を閉める前、音姫が少し笑った。 「秘密、頑張ってください」  拓海はしばらく閉じた扉を見ていた。 「絶対気づいてるだろ……」  でも、気づいていても暴かない。  それならサプライズとして成立しているのかは怪しいが、少なくとも二人の関係は昔とは違っていた。  翌日。  拓海は一人で候補の場所を見て回った。  海辺の遊歩道。  空中庭園。  歴史区画の古い学校。  どこも、思い出はある。  けれど「ここだ」と決めるたび、音姫がそこに意味を詰め込みすぎる姿が想像できた。  海なら「千年前に逃げた場所」。  学校なら「二人が出会った時間」。  歴史区画なら「失ったもの」。  もっと普通でいいのかもしれない。  けれど、普通の場所を狙って選ぶのも、何か違う。  拓海は結局、何も決められないまま街を歩いた。  端末が鳴った。  音姫からだ。 『今日、夕食は家で食べますか?』  ただそれだけの連絡だった。 『食べる。七時には帰る』  すぐに返信が来る。 『分かりました。待っています』  千年ではなく、数時間。  待つという言葉が、今では普通の約束として届く。  拓海はポケットの中の指輪へ触れた。  場所は決まっていない。  完璧な言葉もない。  でも、伝えたいことだけは決まっていた。  明日かもしれない。  数日後かもしれない。  少なくとも、「いつか」にはしない。  そのつもりだった。

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