井氷鹿 / 第58話

28.逢いたいが情、見たいが病1 Love longs , and longing aches.

「うわ~、綺麗」  紅緒が悲鳴にも似た歓声を上げる。  だよな、この色はずるいよなぁ。  コバルトヤドクガエルは、本当に綺麗な青い色をしてるんだ。  大きさなんて僕の指先程度なのに、その毒たるや象さえ即死させるのだからゾクッとするよね。  キューブ型の水槽内ジャングルに、隠れるように佇んでいる青いカエル。  濃い緑の中、しっとりと霧が降る下生えにちょこんと佇んでる。そこから見える世界って一体どんなんだろう。  覗いてるボクらも、カエルから見たら景色の一部何だろうか。  何匹か入ってるらしいが、手前の一匹しか見つけられないぞ。  紅緒と一緒に探していたら、崇直がやってきた。 「いたいた」 「やっと来た。ほら、コバルトヤドクガエル」  紅緒の隣を譲ってやる。  おお、と崇直もこの小さなクリーチャーに目が釘付けだ。 「田中が爬虫類系ダメなんだって」  と、崇直はヤドクガエルを目を丸くして見てる。 「え、ナオト先輩そうだったの」  そういう紅緒も視線はヤドクガエルから離さない。 「足は多くても無くても無理らしい」 「虫もダメなんだ。ざんねーん」  などと言いながら、紅緒は特に気にするでもなくヤドクガエルに夢中だ。  君はそうでなくっちゃね。  僕はそんな紅緒を対面からガラス越しに眺めていた。  紅緒の顎のあたりに、コバルトブルーの小さなカエル。  誰もヤドクガエルから目が離せないよな。  色も造形も、特別だもんな。 「なので、屋上のアシカショーで落ち合おうぜ。後一時間はあるから好きに見て回ってくれ」  じゃ、と崇直が水槽から離れるのがガラス越しに分かった。 「オーケー。バイバーイ」  僕らはカエルから目を離さないまま、崇直に手を振り再びコバルト色の生きた宝石に集中した。   「何匹居るんだろうね」  そう紅緒に問いかけたら、右奥から勢いよく別の一匹が紅緒の顔に向かって飛び出してきた。  紅緒の小さな悲鳴があがる。  その姿があまりにあどけなくて、僕は吹き出してしまった。  紅緒は恥ずかしかったのか、少しムッとした顔で僕を上目使いで睨んできた。  それで我慢できなくなった僕は、声に出して笑ってしまった。 「わーちゃんのいぢわる」  はいはい。何とでも言ってください。  やっぱり僕は、君が大好きだよ。  コバルトヤドクカエル。アイゾメヤドクガエル。  モウドクフキヤガエル。キオビヤドクガエル。  イチゴヤドクガエル。  青、黃、赤の猛毒ガエル。  どれも初めて見るように、紅緒は瞳をキラキラさせて覗き込むように見つめてた。  小さなカエルの、小さな動きに心躍らせ、話しかけ、僕にもお余りの笑顔をくれて。 「今の見た? 頭に雫が落ちてきてペロって舐めたの」 「うん」 「頭なでてる。カワイイぃ〜」  その、カエルに向ける笑顔、こっちにもくれないかな。 「ね、わーちゃん」  お、お余りいただき。 「こんなに可愛いのに、飼えないんだよね」  うん、そのイチゴヤドクガエル一匹でバッファロー1匹即死だから。家じゃ無理だね。  アマガエルとはぜんぜん違うんだよ。 「また春になったらカエルの卵探しに行くか?」 「あー、カエルの卵。いいね、来年神社の泉に探しに行こう、ね」  嬉しそうにそう言うと紅緒は僕の腕を掴んできた。 「絶対だよ、わーちゃん。約束ね」  そう言って、右手の小指を絡めてきた。 「はい、指切りげんまん嘘ついたら針千本のーまーす」 「指切った!」  よし、じゃつぎはどっちにするとそのまま腕を組んでくる。 「今日は共犯だからね、毒毒展じゃ一蓮托生だかんね」  「どんと来いだ。とことん付き合ってやるよ!」  心臓が、痛いよ。  そんな無邪気な顔で、僕の手を握ったらそのままどこかへ連れて行ってしまいたくなるじゃないか。  ただ手を繋いで、館内を見て回るだけ。  それだけ。  なのに、胸が心臓が痛いよ。 「ふう。わーちゃん、あと十分でアシカのトレーニング始まっちゃうけど、新設のコーラルリーフ水槽見ていくでしょ」 「サンゴ水槽?」 「わーちゃん好きだったじゃない。それが大きくなってリニューアルだってよ」  それを聞いて僕は紅緒の手を握り直し、引き寄せた。 「行こう」  うんと頷き、紅緒が僕に笑顔を返してくれた。  僕はきっとこの日を忘れないだろう。 「きれーだね。わーちゃん、昔っからサンゴ好きだったもんね」 「ああ。大好きだよ」  ずーっと昔っから、大好きだったよ。  今はもっと好きだよ。  見上げるほど大きなコーラルリーフ水槽。  強力なメタルハライドランプに照らされた、鮮やかなミドリイシに負けない艶やかな色の熱帯魚の群れ。  君と一緒に見た、この景色。  僕がサンゴ水槽が好きだったことを覚えていてくれた、君のことを。 「時間だな」  紅緒が僕の顔を見上げ、頷いた。  屋上に上がると、ちょうど崇直たちが奥の展示場から出てくるところだった。 「そっち何かあるの」  紅緒が握った手に力を込めた。 「あ」   もう一度握り直すように僕の手を掴み、引っ張るように崇直の方へ連れて行く。  場合によったらその先の展示場へ行く気だな。 「マンボウだよ。珍しいだろう、俺ら席取っとくから行ってくれば」  と田中が展示場を指しながら応えた。  崇直が半笑いで僕を見る。 「あれま、手なんか握ちゃって。行ってくれば? 先行っとくから」 「あ、うん」 「行くよ、わーちゃん」  うわっ、紅緒引っ張りすぎ。  それじゃ嫌がる子供を連れて歩くお母さんだって。  後ろで崇直がゲラゲラ笑っているのが聞こえた。  うーーーっ。  崇直のやろう、昔のことまだ覚えてやがったか。  ちくしょうめ。     屋上のすみに設けられた特別展示水槽。  そのスペースは薄暗く、通路に沿って巨大な水槽があった。  薄い膜が何枚もカーテンのように水槽の中に垂れている。  水流のせいか、ゆらゆらと揺れて今にも何かが出てきそうだ。  何だこれ。 「見て、わーちゃん。マンボウだ」  その垂れた膜を縫うように巨大なマンボウが現れた。  薄暗い中、銀色の巨体が浮き上がる。 「マンボウって、明るいのダメなんだって。水槽にぶつかって怪我するから膜で保護してるって書いてある」  そう言って僕を見上げる。  やばいっ。  そのまま抱きしめてキスしそうになった。  いや、すればよかったのか。  今なら、誰もいないよ、な。 「わーちゃん、どうかした?」  紅緒、ごめん。嫌だったら突き飛ばしていいから。 「直ちゃんの五年祭の時、迎えに来ていた女の人」  え。  伸ばしかけた手が止まる。 「きれいな人、上の駐車場に来てたでしょう」  誰だっけ? 去年の直木の五年祭の時神社に来てた……  あの後箱根に、誰と行ったんだっけ?
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