井氷鹿 / 第26話

10.落花情あれども流水意なし1 The love to no avail.

 今日の講義を終え一旦寮に戻り、荷物を纏めてバス停へ向かう。  司法修習生の研修二ヶ月目。  だいたい顔と名前が一致した頃ということで、週末の今夜はクラスで飲み会だそうだ。  やれやれだ。  親交を深めるのに異存はない。同期が仲良くすることはむしろ喜ばしい。   だが、顔も名前も知らん女が、親し気に声をかけてくるのはいかがなものかと思うぞ。  「|笠神《かさがみ》さん、呑み会、私も参加するんですよ」 「あー、そうなんですか」   かさか・み・だ。濁らすな。  お前誰だよ、そもそも。同じクラス|で《・》|す《・》|ら《・》ないよな。  笑顔もひきつるってもんだ。   幹事のヤツ、他のクラスにも声かけやがって。  返答するオレの身にもなってみろ。  オレは知らないやつに名前呼ばれるのが、大嫌いなんだよ。  昔っからだが、自分が知っているから当然相手も知ってるというスタンスで名前呼ぶやつ。  アレはどういう立ち位置から、ものを言ってるんだ?  そりゃ生徒会だの、ウンチャラ委員会だのの代表とかやらされてましたよ。  だからって生徒や学生の名前全部覚えるのとは話が違うぞ。  まず自分の名前名乗りやがれだ。  礼儀知らずどもが。  だいたいだ、週末のオレ様の楽しみを奪おうってのが間違っている。  毎週末休めるわけじゃなし。  こちとら、大切な約束があるんだっつーのに。  貴重な週末を名乗らない同期ごときで埋められてたまるか、だ。  当然今回は乾杯で退場してやる。  ふん。    顔だけ出して、適当に相手したら抜け出そうと決め、駅に荷物を預け集合場所の店に行くことにした。  空いたロッカーを探すのに手間取り、少し時間に遅れてしまったぞ。 「いらっしゃいませー」   スタッフの声に迎えられ、店内を見渡すとパーテーションで仕切られたその奥から見慣れた顔が声をかけてきた。 「おー、きた来た。笠神、こっち」 「遅くなって、すまん」  詫びを入れ、部屋に入る。外見より広い部屋と集まった人数に目を見張る。  七~八人座れそうなテーブルが……六つぅ? 司法修習生の集まりだけに、揃いも揃って全員スーツだ。  それも合わせたかのように、リクルートカラーで、どこぞの会社説明会かよ。  って言うオレもだが、いつかはテーラー仕立てのスーツを着てみたいってね。  さて、何処に座るか……   うわぁ、しまった。  もっと早く来ればよかったか。  奥の席しか空いてないぞ、こりゃ抜けるのが大変そうだな。 「じゃぁ、みんなグラス持って」  幹事役の男、誰だっけ。同じゼミだった奴。  するっといつの間にか他人の懐に入り込む、コミュニケーション能力に長けたヤツ。  ああ、田中だ。  そうか、それでこんなに集まったのか。  田中は学生時代から、オレと違い友人の多い奴だった。  飄々としていて、特に世話焼きでもないが何時も人に囲まれてるイメージが有る。  乾杯の挨拶をして、幹事を皮切りに時計回りに自己紹介が始まる。  出身大学と名前をそれぞれ告げていく。  何人居るんだ? よく集まったなこんなに。  特に気になる相手も居ない。名前を覚えても店を出たら即忘れてしまいそうだ。  料理が運ばれてきたぞ。  定番の唐揚げ、串揚げとかもあるんだ。  おっ、トマト煮にハチノスが入ってら。  洋風居酒屋ってイタリア料理がメインなのか、いやこれは多国籍料理ってやつだな。  取り皿に適当に取り分け、適当に会話に参加し、帰るタイミングを伺う。  流石にまだ誰もトイレに立たないな。  誰か行けよ、オレも付いて行って帰るからさ。  久々に会う約束してんだよ、一分一秒がオレには貴重なんだ。  なのに、右隣の女がしきりにオレのプライベートを聞いてくる。  オレの趣味が、お前に何の関係があんだよ。  どうして女って趣味とか何が好きとか聞きたがるんだ?  知ったら何かが変わるとでも思ってんだろうか。  面倒くさ過ぎて趣味は「読書と料理」、理想のタイプは「ミポリン」がデフォになっちまったよ。  出身大学は伝えたぞ。何処に住んでるかは、具体的に言う必要は無いよな。  しばらく寮生活だし、お互い住所同じだろ。    すっかり飽き散らかしたら、内ポケットに入れていた|PHS《ピッチ》に着信が入った。  バイブレーションが呼び出し音のリズムで振動している。  やったね、これで、ここから抜け出せる理由ができたぞ。 「ちょっと失礼」  |PHS《ピッチ》を取り出し、受信のボタンを押す。 「もしもし、……」 『あ! 崇ちゃん』  まー爺だ。  オレは内心小躍りしながら徒手空拳で拳を握り、壁と人の間を抜けパーティションの外に出た。    予想外のまー爺からの電話。  大喜びで出たが、電波の調子が悪いなぁここ。  まぁ、PHSだからしょうがないっちゃしょうがないか。  それにしても騒がしすぎる。 「ゴメンまー爺、外に出るからちょっと待って」  話しながら店の外に出た。 「まー爺?」 『崇ちゃん食事中だった? ゴメンよ。今夜こっちに帰ってくるんだよね』 「うん。ここが終わったら帰るよ」 『良かった。今大丈夫かい?』  「研修仲間と呑んでるだけだから、全然大丈夫。何?」  急用かな。急用じゃなくても急用にするから、何でも言ってくれ。  玄関の電気でも切れたか? 卵買って帰ろうか?   『それがさぁ』  どんなくだらない話でもいいぞまー爺、さあこい。 『亘くんが|うちの店《シンデレラ》に来てね』  亘が店に?  何で、まさか紅緒に会いにか。  いやいやいや、それは考えられん。  亘が、何かやらかしたのか。 『それで紅緒ちゃんが喜んじゃって、亘くんに飛びついたらそのままひっくり返って寝ちゃったんだよ。全く起きなくて』  まー爺それ、間違いなく亘のやつ酒で潰れてる。  紅緒に会って、酒も入って頭がショートしたんだ。  あー、オレが出るまでもなく自滅しやがったか。  約束忘れて、早速バチが当たったんだな。  ははっ、ざまーみろだ。 「アイツ酒で寝たらまず起きないから、今から行くよ。そうだな、一時間もかからないと思う」 『崇ちゃん、助かるぅ。樹じゃあのでかいのは運べんからなぁ』  こっちこそ、まー爺サンキュウ。地獄に仏、まー爺様様だ。  これで抜け出せる♫~  思わず鼻歌がでちゃうね。  酒なんか飲まなくたって、あそこに何ヶ月も缶詰されてりゃいやでも仲良くなるだろうに。  グループ研究だって、何日も膝突き合わせてんだってんだ。すっかり気心は知れてると思うんだが。  あれじゃ足りないのか。ただ騒ぎたいのか。  まぁ、オレは免罪符もらったからね。  スキップしたい気分を抑えて、残念そうな顔を作り会場へ戻った。  幹事の田中に適当にでまかせを言い、途中抜けに成功だ。 「申し訳ない。急用で都内まで行かなきゃいけない」  隣の子にそう言うと、腕を掴まれた。今、急用だって言ったよね。  日本語、通じてますか? 「えーっ、笠神くん帰っちゃうの」 「うそっ。笠神くんが来るって言うから……」  左隣からも、腕を掴まれる。  いつの間に入れ替わった? 貴方誰ですか。  「実家に帰るんですかぁ。私も今日は家に帰るんですよ。途中までご一緒……」  絶対に嫌です。知らない人について行きませんって。 「帰っちゃうの? せっかく……」 「失礼、急ぐので」  気安く触んな。勝手に腕組むな。   ひきつった笑顔で、やんわり腕を解く。  何と陰口叩かれようが君たちとつるむ気は全く無いんだ、いい加減気づけ。  会費を田中に渡し、残りの時間を楽しんでくれと取りあえずの頭を下げ、笑顔と愛想を振りまいて外に出た。    はーーーっ。  いやー、店の外の空気がこんなに美味いとは。  オレは群れるのが、やっぱり苦手だなぁ。  そんじゃ、気ぃ入れ替えて亘を救いにでも行きますか。

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