むかいぬこ(@mukainuko) / 第106話

第21話 ちょっと意地悪だと思う

店に入ると、四人掛けのテーブルへ案内された。 美鈴が奥へ座り、私はその隣に腰を下ろす。 ということは、必然的に早川君は美鈴の正面になった。 よし。 何が「よし」なのか自分でもよく分からないけれど、とりあえず位置関係としては悪くない。 「カノン、何にする?」 メニューを開いた美鈴が聞いてくる。 「ウーロン茶」 「即答だね」 「まだ飲めないから」 「早川君も?」 「僕もウーロン茶で」 「つまんないなあ。じゃあワタシだけビールね」 美鈴は四月生まれなので、もう二十歳になっている。 運ばれてきた生ビールを、美鈴は嬉しそうに持ち上げた。 「じゃあ、親睦会の成功を祈って」 「下見なのに?」 「細かいことはいいの。乾杯!」 三つのグラスがぶつかる。 私と早川君はウーロン茶。 美鈴だけビール。 同じようにグラスを合わせたのに、一人だけずいぶん大人に見えた。 「まず料理ね」 美鈴は幹事らしく、スマートフォンに何かを入力しながら料理を確認していく。 席の広さ。 料理の量。 飲み放題の種類。 店員さんの対応。 思っていたより真面目に下見をしている。 私はてっきり、タダで食べられることが最大の目的だと思っていた。 ごめん、美鈴。 私と一緒にしてはいけなかった。 「カノン、これどう?」 美鈴が唐揚げを指す。 「おいしい」 「感想が小学生」 「じゃあ、衣がサクサクしていて、中のお肉が柔らかく――」 「食レポはいらない」 難しい。 その向かいでは、早川君が黙々と料理を食べている。 「早川君は?」 「おいしいよ」 「二人とも役に立たないなあ」 美鈴が笑った。 こんな調子で一時間ほど過ぎた。 最初の一杯を飲み終えた美鈴は二杯目を頼み、二杯目がなくなると今度はサワーを注文した。 少しずつ声が大きくなっている。 笑う回数も増えた。 私はお酒を飲んだことがないので分からないけれど、酔うというのはこういうことなのだろう。 「そうだ」 三杯目のグラスを手にした美鈴が、急に言った。 「二人とも、竹下先輩の話、聞いた?」 「竹下先輩?」 聞き返したのは私だった。 名前は知っている。 文藝サークルの三年生。 というより、知らない人の方が少ないと思う。 文藝サークルには珍しいくらい華やかな人だ。 美人で、スタイルもよくて、服装もお洒落。 話し上手で、誰とでも自然に会話ができる。 私とは何もかも正反対だった。 実は、紗栄子の友人として書いている梨花にも、少しだけ竹下先輩のイメージを借りている。 自分にはないものをたくさん持っている人だから、人物像を作りやすかったのだ。 「三上先輩に告白されたんだって」 「へえ」 「それで、付き合うことにしたらしいよ」 「そうなんだ」 私は相槌を打ちながら、唐揚げに箸を伸ばした。 サークル内恋愛。 そういうこともあるんだな、と思うくらいだった。 ところが。 「早川君は知ってたんでしょ?」 箸が止まった。 早川君を見る。 「……うん」 知っていた? 「竹下先輩から聞いたから」 美鈴がニヤッとする。 「やっぱり」 「やっぱりって?」 私が聞くと、美鈴が早川君を指さした。 「この二人、同じ高校なんだよ」 「え?」 初耳だった。 早川君と竹下先輩。 頭の中で二人を並べてみる。 似合わない。 ……いや。 見た目だけなら、意外と似合う。 髪を整えれば早川君はかなり格好いい。 竹下先輩は文句なしの美人。 そう考えると――。 何を考えているんだ、私は。 「先輩っていっても、一学年上だっただけだよ」 早川君が言った。 「高校のころから知ってるの?」 「うん」 「大学も一緒って、すごい偶然だね」 「僕が受験するって話をしたら、竹下さんがこの大学のことをいろいろ教えてくれたんだ」 「へえ……」 また一つ、知らない早川君が出てきた。 高校時代の早川君。 私は当然知らない。 でも竹下先輩は知っている。 大学へ入る前の早川君を知っていて、進学の相談までしていた。 「今でも仲いいんだよね?」 美鈴が聞く。 「まあ……たまに話すくらい」 「二人でご飯にも行くじゃん」 「たまにだよ」 私は早川君を見る。 二人で。 ご飯。 その言葉だけが妙に耳に残った。 別におかしくはない。 高校の先輩と後輩なのだから、食事くらいするだろう。 私だって早川君と二人で食事をしている。 ……私も? そこで自分に置き換えてしまって、余計によく分からなくなった。 「カノン、どうしたの?」 「え?」 「箸、止まってる」 「あ、ううん」 慌てて唐揚げを口へ入れる。 少し冷めていた。 「でも意外だなあ」 美鈴は楽しそうだ。 「竹下先輩って、そういう昔からの知り合いがいるように見えなかった」 「どういう意味?」 「なんか、大学では大学、高校では高校って、全部きっちり分けてそうじゃない?」 分からなくもない。 竹下先輩は誰とでも話すけれど、自分のことを何でも話すタイプには見えない。 「それで早川君」 美鈴が身を乗り出した。 「竹下先輩とは、本当に何もないの?」 「何もないよ」 早川君が苦笑する。 「即答」 「本当に何もないから」 「でも二人でご飯行くんでしょ?」 「高校のころからの先輩だから」 「ふうん」 美鈴がグラスに口をつける。 私はそのやり取りを聞きながら、妙な気分になっていた。 美鈴のことを好きだと思っていた。 たぶん今も、そう思っている。 でも早川君には、竹下先輩という女性もいる。 美鈴とは違う。 もっと前から早川君を知っている人。 それだけのことなのに、頭の中に小さな引っかかりができた。 「そういえば」 美鈴が今度は私を見る。 嫌な予感がした。 酔っている美鈴が話題を変えるときは、大抵ろくなことにならない。 「カノンと早川君も、最近よく一緒にいるよね」 やっぱり。 「そう?」 「図書館で何回か見た」 「小説の話してるだけだよ」 「二人とも文藝サークルだもんね」 「そう。そういうの」 なぜか必死に肯定してしまった。 美鈴に変な誤解をされたら困る。 もし本当に早川君が美鈴を好きなら、なおさらだ。 「カノンってさ」 美鈴が私の顔をじっと見る。 「最近ちょっと変わったよね」 「どこが?」 「服とか」 またそこか。 「前より女の子っぽくなった」 「前から女の子です」 「そうじゃなくて」 美鈴が笑う。 「なんか、楽しそう」 「そう?」 「うん」 言われてみると、最近は楽しい。 小説を書くことも。 早川君に読んでもらうことも。 一緒に話すことも。 土曜日が来るのを待つことも――。 そこまで考えて、私はウーロン茶を飲んだ。 「小説が進んでるからじゃない?」 「ふうん」 美鈴は納得したような、していないような顔をしている。 「じゃあさ」 今度は早川君を見る。 「早川君は、好きな人とかいないの?」 「えっ」 声を出したのは、なぜか私だった。 二人がこちらを見る。 「な、なに?」 「いや、カノンが一番驚いてるから」 「急にそんな話するから」 危ない。 私は知っている。 早川君には好きな人がいる。 でも、それを美鈴の前で私が知っていると分かるのは、たぶんよくない。 黙っていよう。 絶対に余計なことは言わない。 「いるの?」 美鈴が早川君に聞く。 「まあ……」 早川君が困ったように笑う。 「えっ、いるんだ!」 美鈴の目が輝いた。 まずい。 「誰? サークルの人?」 「それはちょっと」 「何年生?」 「言わないよ」 「竹下先輩じゃないの?」 「違う」 「じゃあ誰?」 美鈴は完全に楽しんでいる。 早川君は困っている。 そして私は、なぜか落ち着かない。 答えなら知っている。 ――美鈴。 そう思っている。 目の前にいるのに。 本人だけが知らない。 早川君がここで言ってしまえば、全部解決するんじゃないだろうか。 そうしたら私は――。 「ミリン」 気づけば声をかけていた。 「なに?」 「飲みすぎじゃない?」 「平気、平気」 平気な人は、たぶんそんなに頬が赤くならない。 美鈴はまたグラスを持つ。 「それより早川君。好きな人には告白しないの?」 「今は……まだいいかな」 「なんで?」 「いろいろあるから」 いろいろ。 何だろう。 私には分からない事情があるのかもしれない。 もしかすると、竹下先輩はそれを知っているのだろうか。 高校時代から早川君を知っている人。 今でも二人で食事をする人。 さっきまで気にしていなかったはずなのに、竹下先輩の存在が妙に頭から離れなくなった。 「もったいないなあ」 美鈴がテーブルへ頬杖をつく。 「好きなら言えばいいのに」 あなたに。 喉まで出かかった言葉を飲み込む。 それは私が言うことではない。 早川君自身が言わなければ意味がない。 「ねえ、カノン」 「なに?」 「カノンは?」 「私?」 「好きな人」 心臓が跳ねた。 「い、いないよ」 早かった。 返事が早すぎた。 「怪しい」 「怪しくない」 「じゃあ気になる人」 「いない」 今度はもっと早かった。 美鈴が笑う。 向かいを見る勇気がなくて、私は唐揚げの残っていた皿を見た。 「まあいいや」 美鈴はあっさり興味を失った。 助かった。 「すみませーん。これ、もう一杯」 「まだ飲むの?」 「これで最後」 その「最後」が二回くらい続いた。 * 店を出るころには、美鈴はすっかり出来上がっていた。 「だからぁ、ワタシは全然酔ってないって」 「酔ってる人はみんなそう言うんじゃない?」 「カノンは飲んだことないから分からないの」 「でも真っ直ぐ歩けてないよ」 「歩けてる」 言いながら、美鈴が私の肩へ寄りかかってくる。 重い。 身長差もあるので、かなり重い。 「蜂矢さん、大丈夫?」 早川君が反対側から覗き込む。 「だいじょーぶ」 大丈夫には見えない。 「ミリン、家どっち?」 「んー?」 「電車。どこまで?」 「帰れるよぉ」 これは駄目だ。 駅までは三人で歩ける。 でも、そこから私は使う路線が違う。 美鈴と早川君はJRだ。途中まで同じ方向だったはずだ。 私は二人を見る。 早川君。 美鈴。 月曜日に見たときと同じように、やっぱり並ぶとお似合いだった。 それに。 これは、ちょうどいいのかもしれない。 二人きりになれば、早川君だって少しは話しやすくなる。 美鈴は酔っているけれど。 ……いや、酔っているから告白するのは駄目か。 でも家まで送れば、少なくとも一緒にいる時間は増える。 私は何を考えているんだろう。 千佳ならきっと「そこよ、軍曹!」とか言いそうだ。 「早川君」 「うん?」 私は少しだけ迷ってから言った。 「ミリン、送ってあげてくれる?」 美鈴が私の肩に乗せていた頭を上げる。 「えー、平気だって」 「平気じゃないよ」 「でもカノンは?」 「私は一人で帰れるから」 早川君が美鈴を見て、それから私を見た。 「分かった。蜂矢さんは送っていくよ」 「お願い」 言えた。 これでいい。 私は早川君の恋を応援すると決めた。 ずっと手伝ってもらっているのだから、今度は私が手伝う。 その最初の一歩だ。 なのに。 「じゃあ、また明日」 早川君が言った。 「うん。また明日」 明日は土曜日。 また早川君の部屋へ行く。 そう思ったら、少しだけ安心した。 そのことに安心した自分が、なんだかずるい気がした。 「じゃあね、カノンー」 美鈴が手を振る。 「ちゃんと送ってもらってね」 「はーい」 早川君の隣に美鈴が並ぶ。 私は二人を見送った。 これでいい。 そう思う。 二人がお似合いだと思ったのも、本当。 早川君を応援しようと思っているのも、本当。 それなのに、二人の背中が人混みへ紛れて見えなくなるまで、私はその場から動けなかった。 神様。 これは、ちょっと意地悪じゃないですか。

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