ジ・エモン / 第29話
29 電気羊の夢(2)
日本に来たばかりのころだ。
もろなお町というところは、なにもないところだった。
退屈には慣れていたのである。
しかし、年頃という呪縛はしらずゲンコをむしばんでいたらしく、娯楽というものは新鮮にうつった。
うつりはしても、強力な力でおさえこんではいた。おさえこんだのは、ゲンコ本人の意図したものではない。確保されたよけいな寿命と、彼女をとりまく環境へのスタンスが、そうさせていた。
ゲームセンター、とその店は言った。
日本ではなかなかの注目をあつめる施設であるらしい。当時、猫も杓子も、社会ではゲームというほど、奇妙な情熱がこの国に蔓延していた。ただ、社会的にはとくに多大な時間を溶かすように使うとして、未成年には遠ざけられがちな文化であったようだ。
ゲンコがみたことがあるゲームというと、ダーツとかビリヤード、カード、景品や現金をかけたやくざなものという、そんな印象があり、ゲームといわれる高度なコンピュータゲームの数々は、頭にもなかった。
それでも興味がいったのは、もともとなんらかの適性がゲンコの脳にあったのだろう。
まず彼女が手を出したのは、いわゆるクレーンゲームであった。
変装して街を走査していた日、たまたま待ち合わせがからぶって、同僚にほったらかされた時分、腹いせにひまつぶしをたくらんだものだった。
残念ながらゲンコに特別な才能はなかった。攻略法も技術もない。
クレーンゲームは、見事に彼女から大量の小銭をせしめた。景品はいっこもない。
「……」
ゲンコは腹をたてたが、相手がゲーム機械では怒るわけにもいかない。
そうして、雪辱をちかいながら、興味といきおいのまま、ゲーム台のひとつに手を出した。向かい合った人物を示す絵像が、たがいに野蛮に殴り合うタイプの、目がちかちかするもの。年頃であるゲンコの頭脳は、まだ柔軟なので、その見慣れないもの、対戦型格闘ゲームをけっこうすんなり受け入れた。
といって、最初からできる人ばかりではない。
むしろそうでない人間が圧倒的に多いものだ。ゲンコも、例にもれずそんないきなりはできないし、順応もしないタイプであった。操作はわかる。だが、コツがどうしてもわからない。
遊びとはコツである。遊びもそうである、といったほうがいいが、ともかく、遊びに対する姿勢は人それぞれだ。多いタイプでは、遊びはストレス解消であり、コミュニケーションの一環であり、無心に体と頭を動かす遊具ととくに変わりはない。
そうでないひとを、あるいは不器用で頑固であるとよぶ。本人たちにしたら、文句しかない話だ。ゲンコは、その頑固でかつ器用ではないくらいの不器用だった。なんでもできてしまう人間はいるが、ゲンコがそうでなかったというだけだ。
五戦ほど戦って全敗であった。
「ぐっ」
ゲンコは、くやしげにうめいた。舌打ちしそうに顔をつきだすと、コインを投入する。
ガチャガチャと必死でレバーをあやつっていると、うっかり積んだコインをこぼしてしまった。ゲンコは赤面した。
コインが乱雑な音をたてて床に広がっている。無言でひろっていると、画面から、当然自分のキャラクターが倒れる音がひびいた。
ゲンコは、半眼になって、ひろったコインを数えた。ひとつふたつ、たりない。
そこいらへんに転がったのだろうか。ひどく損した気分になっていると、「ねえ」と、平坦な声が聞こえた。
「これ、おとしたわよ」
ゲンコは、相手がため口なのを、まず気にした。
顔をみやると、知らない顔である。といって、知っている顔もまだここにいないが、そういえばイギリスでも病院でも、他人に注意をはらって顔を見たということはない。
ゲンコ・オブライアンは、その点、被害者よりの人生ではあったが、たしかに薄情で冷たかった。母親以外に情が沸くのを感じたことがない。
それが許されないことであることは、知らなかった。