ジ・エモン / 第17話

17 ボトルネック(2)

 数日後。  夜道だった。  シャーデンは用向きを終えて、ちょうど夜の道を歩いていた。  女ひとりで歩くところではない。街灯もさみしく、人通りはない。片手にさげたフルートケースと、反対の肩にかかったハンドバッグ。いかにも、あやしげな人間が待ち伏せしていたらとびだしてきそうないでたちに、あと、シャーデンは、外貌が清廉だった。  悪く言うと地味であり、問題としてはそれを印象としてうけとると、おとなしくてすこし脅せばよけいな抵抗もしなさそうということだった。  彼女自身は、足を運んでいるのをためらわない。それは、人の少ない地方都市にすんでいる人間のものとして、やや不自然だった。  もっとも、いかにも海外の人間という容貌だ。だれも気にはしない。事実、夜道ですれちがってもこの日本という国の国民性としては、正直ぎょっとしかねないが、そうさせないていどにはシャーデンは温和にみえる。 「……」  その彼女が、わかりやすく沈黙を音にだした。どうも、うんざりしたというのにちかい。  視線を前にむけながら、その気配はどこかあらぬところを探っている。  街灯の下に、だれか立っている。  シャーデンは、歩んできて、正確に足を止めた。最初は人影を目にしただろうから、物騒なやからがいると思ったのかもしれない。  ついで可能性としては、相手が街灯の下に堂々と、姿をさらして立っているということだ。つまり、心か気を病んで、深夜に徘徊する人間の場合である。  しかし、シャーデンは相手の目を見て、その外見を見やった。  そこで、ようやく口をひらく。 「その見事な銀髪は……ああ、君か」  シャーデンは、朗読会にいたときとはまったくちがう人のような顔をした。事実、胡橋・シラトリと名乗り、物語の読み手として出没する彼女とシャーデンは、人間と、非人間としてと、明確にちがう。  脇にさげたフルートケースを、動かすこともなく、両手でささえる。女性らしい仕草だ。 「たまには名前をおぼえることはないだろうか?」 「わたしたちのような人でなしに、そういう対応を期待されてもこまる」  あまり愉快でなさそうな、雰囲気をシャーデンは出した。銀髪の男は、こたえる風もなく立っていると、指をさして、暗がりをしめした。 「お時間は?」 「ふー」  シャーデンは、わかりやすく息をもらした。返事もせずに、背中をむける。無視をするようでもあるが、向かっていた方向とは、逆であった。  応じるということらしい。銀髪の男が、あとへつづいた。 「君たちにかかわらないという条項をつきつけなかったのは、わたしの失態だったよ」 「おそれいります。これでも良心的な態度をこころがけているのですが」  移動した先は、人目をさけた場所ではない。明かりはなかったが、どちらも、どちらに対しても気にするそぶりはない。それに、シャーデンの目は、暗闇であるのにうっすらと光って見えている。  シャーデンは、その目をちらりと向こうの明かりにむけて、ふいに指をならした。 「……思い出した。君の名前、ウェルフだったね、たしか」  言う。ウェルフは、肯定した。 「名前にはいい思い出がない」  シャーデンは関係のないことを言った。 「わたしの名前は、便宜上君のところの職場の上司がつけて、わたしは自分でそれを使っている。名づけた相手に、その名前に対して敬意をはらうべきとわたしの頭に書きつけられているからだが、君たちがシャーデンなんて意地の悪いあだなをつけるから、わたしはそれほどのものじゃないと証明するのがいちいち大変なのさ。マリィ・ルレーンやヨハネは元気かな? ガーネット・ストロフの坊やは。それと、タエコ・イソーテ。……みないい友人、ではなかったが、得がたい知己だった。ひさしぶりに会いたいものだ」 「残念ながらそのぜんぶには会えないでしょう」  ま、そんなものか、とシャーデンはあっさりあきらめた。ゴトンゴトン、ガタン、ガタン、と、踏切を通過する電車の音が聞こえる。暗闇にありがちな、自転車のタイヤが遠くできしむ音。 「まさか、この街でなにが起こっているかなんてわたしに聞くんじゃないだろうね」  シャーデンはあざやかな茶色、または栗色の髪をわずかに梳いた。仕草だけ見れば美しい。 「まさか、お聞きしませんとも」 「それはそうだろう。君たちが難渋しているのはうっすら知っているが、だからなにかできるわけでもないし、君にわたしの同胞……ま、そんなものはじめいないんだが、それらについて解説を垂れるでもない。いまさらやるこっちゃない」  シャーデンは、眉間にしわが寄っているのを隠さない。ウェルフは、慣れた様子でそのさまに言葉を投げた。 「ですが、オート・モーフィスが日本支部を壊滅させた件について、あなたの所見を聞きたい」  聞くと、シャーデンは、よく光る目を宝石じみたまたたきをした。 「知りゃあしないよ。だがたしかに理屈が通ることでもないように思う」 「まるで見せしめのようではある」  シャーデンは、あまり気乗りしない顔をした。 「……偉大なる意思グラニは言った。この世にわたしたちが触れられてはならないものがある」 「遠大な言い回しですね」 「茶化されても困る。オート・モーフィスは……ここでは評価をひかえる。無駄と思うこともするやつだろうということだ。そして、わたしの言うことなど聞く耳も持たないだろう」 「心得ていますよ」 「わたしたちにとって、心を動かしうる唯一のものは音楽だけだ。腹立たしいやつの言葉だが、事実でね」 「いまだに吹けもしないフルートケースを持ち歩いているのに?」 「練習中だって、以前に会ったときも言ったよね」  シャーデンはため息をつくような顔で、弁解した。 「わたしからは以上だよ。まあ、もうイギリスに帰るし。下の弟が会いたがっていてさ」  後ろ頭をなでるようにかく。ウェルフはふっと息をぬいた。 「現実に人間としての体と身分をもち、社会的な身内ももつ。あなたは上位の存在としてもだいぶ異質ですな」 「こうなったのは成り行きだ。そもそも人間は当然馬鹿にしたものではない。わたしが人間でないとなんとなく気づいてはいる。ちかくにいる人間ほど」 「この街へはなにしに?」  そうだな、と、半眼になってシャーデンは言った。一見やましいことがありそうでも、まったくそうでないようにもみえる。  顔をそらして言う。 「見きわめだ」 「そう言うと?」 「たしかに道楽でいたわけではない。そも、わたしをふくめ集まりすぎている同胞、オート・モーフィス、ハーフエルフ、グ・レェンディル、悪魔ロウロク……あいつはちがうか。皇帝ウェンフルス。アンチ・ノミー……。彼らが求めているのは、一冊の本だ。その本は装丁に銅と亜鉛の合金のうち、亜鉛が二割以上である金属が細工されて、あしらわれている。未知の異本。破壊すると増える不死の本」  歌うようにつむいでから、シャーデンはやや調子にのりすぎたのを恥じる顔をした。つづける。 「アズーの本」 「それはどのようなものですか?」 「ただの本ではないが、結論から言えば価値はない。わたしたちのだれも興味を持ちこそすれ、どのようなものであるか知ると遠ざかった」  シャーデンは鼻の頭をかくようにふれた。 「それは恐れたのではなく興味をうしなったという理由でだ。来歴は一九四〇年代、政情不安のさなかに民族収容所に入れられたカバラの魔術師の手によって著されたものだ。よくある偽書というもののひとつだ。それが中欧から日本国に持ちこまれた経緯はおぼろげにしか判明していないが、この偽書がどこかでマジックアイテムともよべる影響力を得たのはたしかだ。その力はわたしたちの興味をひきよびよせるというくらいのもの。わたしもよびよせられたひとりではあった。だが、そこまででこの本にたいした力がないと知ると、興味はきえうせる」 「その所在は判明しているのですか」 「いや。アズーの本には、記憶ごと人の認知から消えさりかくれる性質がある。約五十年前にその行方が不明瞭になって以降みつからず、探されていた。所在を知る者は文字通りいないのだ」 「その本がこの街の事態にかかわっていることは?」  ウェルフが聞くと、シャーデンは、首を横にふった。だが、どこかうたがわしげには言う。 「ない。そんな力はないのだ。力としては死者の声を聞くことができる、死者の世界での法を死者に与える、くらいの微々たるもの。なので君たちやグラニが何を考えているのかがわからない」 「それはどういうことですか?」 「君は知らないのか判然としないが、グリニザやわたしたちの何人かがアズーの本を所有したり、とりよせたりしようとしている。どうもそれがグラニの意識がさせているというふれこみだった」  ウェルフはふむ、とちいさくうなった。あごにかるくふれてから、ふとたずねるふうで言う。 「懐疑的なのですが、つまり本はこの街にあるということですか」 「ああ、間違いないだろう」 「それはだれがどこで突き止めたのですか?」 「実のところそれはわからない。わたしたちはだいたいがこの街にあると伝聞で伝え聞いた。あの本のわたしたちの興味をひく力は、話を聞いた瞬間から効果を発揮しはじめる。わたしもそのためにたいした理屈もなくこの街までくるはめになった」 「強制的に誘引する、と」 「興味をひくということは、次に本の所在を調べはじめるということだ。前述したように、だれひとり文字どおり知る者はいないが、さまざな状況証拠と周囲を把握することでどうにか現在はこの街に持ち込まれたらしいことを確定することができる」 「あなたもほかの同様の者らも、それでようやく来歴を知ったということですか」 「そういうことだ。知るよう求めたのは私だが、実は知りたいことであったわけではない」  気まずそうにシャーデンは息をぬいた。 「はた迷惑な本だ」 「意思ある暗闇の効果による怪物の頻発は、原因となるものが見つからず、ただ鎮静を待つのがおおかたです」  ウェルフは考えたようすで言った。救急車のサイレンが、遠くから漏れひびいている。 「だから原因になるものは、かならずしも見つかる必要はない」 「意思ある暗闇もわたしたちであることは変わりない。もし視界がここへ向いているのなら、そうなることはあるかもしれない。だが、興味が失せれば視界も去るはずだろう」 「いまは激化していっていても、それはじきに治まるようなものである」 「……だがきっとそれだけではないと君は考えているのか」 「ええ。まあ」  ウェルフはうなずいた。 「二十年前、小規模な怪物の出現が確認されてから、この街に監視はあれど現象はなかった。今になってまた起こった。特定の人物のもとに現れたりするという、稀な事例をともなって」  言うのに、シャーデンは興味なさげにした。 「今日も出現は起こっているようだが、いつまでもいていいのか?」 「苦労してぬけだしてきました。四苦八苦するのは現場に立っている人間ですが」 「そうか。有益な情報をあたえられなくて、もうしわけない」 「いいえ。情報の価値は変動するものですから。それよりもあなたが事実をままで話してくれたのがありがたいことです」 「最初に言ったとおり、そうしないと君たちはわたしに接触したり身内にかかわったりするかもしれない。人はそういううさんくさいことには目をむけるべきではない」  シャーデンは彼女特有の、しゃべりすぎる性質をおさえるように言った。 「本当に得体のしれない怪物や、理解不能な現象にたちあったとき、人は恐怖をおぼえる。または狂気におかされる。などとはいうが、実際は意外となにもせず静かに隣に留め置くという反応におちつくものだ。それが受け入れる度量なのか怠惰な行いなのかは知らないが」 「または静かにはなれる」 「ま、害ある対象は怖いものだ」 「害しかねないおそろしい力のあるものを前に、あきらめるだけかもしれない」 「複合だよ。わかるだろ」  シャーデンは、なにか思いついた顔をした。ああ、と前おいて言う。 「もし万が一アズーの本を手にしても中身は読まないことだ。まちがいなく狂気におかされる」 「気にはなっていましたが、調べただけで本の効果や力までも?」 「すべて状況からの理詰めによるものだ。わたしたちにはだいたい時間だけはあるものだから」 「具体的な事例を見つけたのですね」 「この体になってからというもの、周囲は知らないものとおそろしいもので満ちた。見えるもの、聞こえるものは萎え力は縮小した」  シャーデンは関係のないことをつぶやいた。まなざしだけは、なにごともなかったように中空に投げている。 「あなたがたが外宇宙から来たという妄想の話ですか?」 「具体的な事例はいくつかあった。狂気におかされた人間は、まっとうな意味で狂気におちいるというものではなく、もっと変わったものになっている。あるいは同胞の意識を受信する端末となっているだろう」 「わたしたち、というのはあなたがたが連携して調べものをおこなっていたと?」 「人型になった今、精神を侵すような力はそれだけねぶかくわたしたちを動かした。それも終わったことだがね」  言うのに、ウェルフはうなずいた。 「情報を活かせるよう、努力をします」 「では、達者で。もう会わないことだけを神やなんかに祈っている」 「私もそう祈りますが、約束はできかねると思いますよ」  言いながら握手をかわす。 「わたしに文章をつむぐ才能が、かけらでもあったのなら、人間でもっとも夢想であろう人は、善良であることだと歴史書に書くだろうね。わたしに音楽をふくめた芸術的才能がないことを、感謝してくれ」 「では、よいご旅行を」 「飛行機が落ちたりしないといい」  握手の手をはなす。

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