義井映日 / 第1話

第1話 王座の主

第1話 王座の主    鷹眼宮《ようがんきゅう》、謁見の間へ続く回廊を歩いた。  すれ違う侍従たちが、皆一様に深く頭を垂れる。  黒く磨かれた床に、銀の髪が一筋、長く尾を引いて映っている。  右目の奥が疼《うず》いた。代々の王家に受け継がれてきた鷹の文様だ。  六つ。  誓いの数は、七つであるはずだった。  大戦は終わった。父上は戻らなかった。それから、まだそう長くは経っていない。  カツン、カツン。大理石を鳴らす靴音だけが響いている。  壁沿いの篝火《かがりび》が、青白く揺れる。風の音はしない。高窓の外、空はまだ暗い。遠く、四方の丘にも、篝火が点々と灯っている。慶事の合図だ。  高い天井、居並ぶ柱の影。灯りの届かない奥まで、闇が沈んでいる。  赤い絨毯《じゅうたん》の先に、玉座が待っている。  腰を下ろす。  衣擦れ《きぬずれ》の音が止み、一切の物音が消えた。  白髪の宰相が、一歩進み出る。 「先代陛下より賜りしこの冠、幾多の代を経てなお、その輝きを損なうことなし」  隅々まで、届いた。遮るものが、何一つなかった。  どこからともなく、低い旋律が響き始めた。楽器も、歌い手の姿も見えない。謁見の間そのものが唸《うな》っているような音だった。  震える手で、古い王冠が捧げられる。  旋律が高まるのに合わせて、冠が頭に触れる。冷たい。腰まで流れる銀の髪が、揺れた。  喉の奥が鳴った。  六騎士と、副魔王。七つの炎が、代々の王を照らしてきた。  合図はない。それでも、声が一つ、また一つと持ち上がっていく。 「紫炎は」  最初の炎が、掌《てのひら》に灯る。 「御身のためにのみ」  二つ目、三つ目と、火が連なっていく。 「燃える」  最後の声が重なった時には、六つの炎が、闇を淡く染めていた。誓いの証だ。  空いた七つ目の場所に、煙のにおいだけが、残っていた。  口元に、笑みを作る。  肘掛けを、握った。  六つ。それが、私の持つ全てだった。  端から辿る。一名、二名――  目は、止まらなかった。  七つ目の場所で、動きが止まる。  クロエ。  その一角が、空いていた。  いつもなら、篝火の明かりに、あの青い文様が浮かんでいるはずだった。  騎士が一名、そちらへ目をやる。隣の騎士も、つられて同じ場所を見た。  最年少の騎士――ゼンが、耐えかねたように顔を上げた。誓いの場で発言など、本来許されることではない。 「陛下」  ゼンが、空いた席をもう一度見た。それから、口を開きかけた。  次の一言で、クロエの名が出る。  冠の重みが、増した気がした。  尋ねたいのは、私も同じだった。だが、王が問えば、答えを求められる。その答えを、私は持っていない。  息を、ひとつ。 「……いや。続けろ」  ゼンは唇を噛み、頭を垂れた。  私も、そこから目を逸らす。  生き延びる資格は、力にしかない。それが、この魔界の掟だ。  ――たった一人を除いて。  伸ばした手が、いつも空を掴む。  高窓の縁が、うっすらと白み始めている。  宰相も、口を開かない。長すぎる間が落ちた。  扉が、鳴った。  廊下の奥から、乱れた足音が近づいてくる。謁見の間が、一瞬でざわめいた。  伝令の悪魔が、小さな箱を捧げ持って進み出た。指先が、震えている。 「クロエ様より、これを」  箱の中に、副魔王の証である指輪が一つ。  細い銀の台座に、紫の石が一粒。焔《ほむら》を象《かたど》るように、爪が石を抱いていた。  それを、そっと摘み上げる。  ただの金属のはずなのに、まだ誰かの体温が残っている気がした。  宰相が、深く一礼する。 「これにて、即位の儀、滞りなく相整いましてございます」  滞りなく。その言葉が、掌の指輪と共に、重く沈んでいく。 「大儀であった。下がってよい」  跪《ひざまず》いていた影が、一つ、また一つと立ち上がり、扉の外へ消えていく。  衣擦れの音が絶え、誰もいなくなった謁見の間に、私と指輪だけが残された。  高窓から、金色の光が満ちていく。  しばらく、指輪から目を離せなかった。  指にはめようとして、途中で止まる。クロエの指に通っていたそれは、私の指には小さすぎた。  扉の外の気配を、振り返る。 「ゼン。供を連れて、クロエの屋敷へ。何も聞かず、無事だけを確かめてこい」 「畏まりました」  足音が、慌ただしく遠ざかっていく。  扉の向こうで、何かにぶつかったような小さな物音がした。ゼンの、慌てた舌打ちが漏れ聞こえる。  その呑気《のんき》な音に、詰めていた息が緩んだ。  玉座を降り、壁際に飾られた先代の肖像に目をやった。  父上も、こうして独りでこの部屋に立ったのだろうか。その顔を見上げた。  もう一度、指輪を握り直す。  朝の光に満ちていく謁見の間で、その指輪だけが、いつまでも冷たいままだった。

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