白井黒也 / 第28話
第28話「会いたかったから」
莉夢がいなくなってから、さらに数日が過ぎた。
そんな学校生活にも、少しずつ慣れてきたように思う。
隣の空いた席を目にするたび、何も感じなくなったわけじゃない。
それでも授業を受けて、友達と話して、放課後になれば家へ帰る。
そんな毎日を繰り返していた。
その日も学校を終え、俺はいつもの帰り道を歩いていた。
夕方の駅前には多くの人が行き交い、学校帰りの学生や仕事を終えた会社員たちの声があちこちから聞こえてくる。
そんな人混みの中を歩いていると、ふと見覚えのある店が目に入った。
「……ここか」
あの日、突然声をかけてきた莉夢と一緒に入ったファミレスだ。
自分は小悪魔だとか、俺を堕落させて契約するとか、わけの分からないことを得意げに話していたっけ。
あの時は、まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。
あの出会いから、いろんなことがあった。
振り回されて、呆れて、時にはドキッとさせられて。
それでも気づけば、莉夢が隣にいることが当たり前になっていた。
「……本当に、何があるか分からないもんだな」
しばらく店を眺めていた俺は、やがて再び歩き出した。
いつまでもここにいたって仕方がない。
そう思い、人混みの中へ戻ろうとした――その時だった。
「――結飛!」
雑踏の向こうから聞こえた声に、思わず歩みが止まった。
今の声は、莉夢……?
そんなはずはない。あいつはもう魔界へ帰ったんだ。
さっきまで莉夢のことを思い出していたせいで、聞こえたような気がしただけだろう。
「……何考えてんだ、俺」
小さく息を吐き、その声を振り切るように歩き出す。
「結飛! 待ちなさいよ!」
再び聞こえてきた声に、今度こそ足が止まった。
聞き間違いなんかじゃない。
これまで何度も耳にしてきた、あの声だった。
それでも、すぐには振り返ることができない。
本当に莉夢なのかと期待して、もし違っていたらと思うと確かめるのが怖かった。
迷っている間にも、人混みを駆けてくる足音が近づいてくる。
「もうっ! 待ちなさいって言ってるでしょ!」
その直後、背後から腕を掴まれた。
息を呑んで振り返ると、そこには肩で息をしながら俺を見上げる莉夢がいた。
初めて出会ったあの日と同じ私服姿だった。
黒い角も翼も尻尾も、隠そうとはしていない。
「……莉夢?」
「そうよ! さっきから呼んでるのに、なんで無視するのよ!」
頬を膨らませながら文句を言う姿も、その声も、俺が知っている莉夢そのものだった。
道行く人たちが何事かとこちらへ視線を向けている。
いつもなら角や翼をしまえと言っていたところだが、今はそんなことを気にしている余裕なんてなかった。
「お前……本当に、莉夢なんだよな?」
「はぁ? 何言ってるのよ。どう見たって私でしょ?」
「…………」
莉夢は呆れたような顔をしているが、俺の頭はまだ状況に追いついていなかった。
こいつは魔界へ帰ったはずだ。それがどうして、何事もなかったように俺の前に立っている?
「……なんで、お前がここにいるんだ?」
「なんでって……戻ってきたからに決まってるじゃない」
「そういうことを聞いてるんじゃない。お前、試験に落ちたら魔界に帰らなきゃいけないって言ってただろ」
「それは本当よ。だから私も一度、ちゃんと魔界に帰ったわ」
「じゃあ、なんで……」
「私も知らなかったのよ」
莉夢は少し気まずそうに視線を逸らし、尻尾の先を揺らした。
「魔界に戻ってから聞いたんだけど……試験が終わったら一度帰らなきゃいけないだけで、もう人間界に来ちゃいけないわけじゃなかったみたい」
「……は?」
あまりにも予想外の話に、間の抜けた声が漏れた。
「じゃあお前……それを知らないまま、もう来れないと思ってたのか?」
「し、仕方ないでしょ! 私だってそういうものだと思ってたんだから!」
「いや、ちゃんと確認しとけよ……」
「うるさいわね! 私だって魔界に帰ってから初めて知ったのよ!」
胸を張って言うことではない気がする。
「……じゃあ、また試験を受けに来たのか?」
そう尋ねると、それまで騒がしかった莉夢が急に黙り込んだ。
「…………」
「莉夢?」
「違うわ。今回は、試験なんて関係ない。一人前の悪魔になれなくたっていい。小悪魔のままでもいいの」
少し頬を赤くしながらも、莉夢は俺から目を逸らさなかった。
「それでも私……結飛に会いたかったから、戻ってきたの」
何か答えなければと思うのに、すぐには言葉が出てこなかった。
「……な、何よ。黙ってないで何か言いなさいよ。私だって……結構勇気出して言ったんだから」
俺が答えないことに焦れたのか、莉夢は落ち着かなそうに尻尾を揺らしている。
「莉夢……俺、お前に言えなかったことがあるんだ」
「……何よ?」
「あの時、一緒にいたいって言っただろ。俺、やっと分かったんだ。どうしてそこまでお前にいてほしかったのか」
今度こそ、あの時伝えられなかった気持ちをそのまま口にする。
「好きだからだよ。お前にそばにいてほしい」
「……結飛」
莉夢の頬がみるみる赤くなっていく。
けれど、俺だってこれだけ言ったんだ。
このまま一方的に恥ずかしい思いをするつもりはない。
「莉夢は?」
「え?」
「俺は言ったぞ。お前はどうなんだよ」
今度は莉夢が黙り込む番だった。
さっきまで赤くなった顔を隠すように俯いていたが、やがて何かを思いついたのか、その口元に見覚えのある小悪魔じみた笑みが浮かぶ。
「ふふっ。知りたい?」
「……お前な」
「どうしようかしら。そんなに知りたいなら、私と契約してくれたら教えてあげてもいいわよ?」
「しない」
「即答しないでよ!」
思わず言い返した莉夢だったが、すぐに俺と目が合い、二人して笑ってしまう。
やがて落ち着くと、莉夢は少し照れくさそうに俺をまっすぐ見つめた。
「私も、結飛のこと好きよ」
「……そっか」
「ちょっと、何よその反応! 私がせっかく言ってあげたのに!」
「いや、恥ずかしいんだよ。察しろよ」
「先に言ったのは結飛でしょ!」
文句を言う莉夢を見ていると、なんだかおかしくなってくる。
「ほら、行くわよ!」
「おい、どこに行くんだよ」
「決まってるじゃない。前に行ったクレープ屋よ!」
「……今から?」
「いいじゃない。久しぶりに食べたくなったのよ」
そう言って、莉夢は俺の腕を掴むと人混みの中を歩き始める。
「あっ、もちろん結飛のおごりね♪」
「なんでそうなるんだよ」
「だって前も買ってくれたじゃない」
「あれはお前が無理やり買わせたんだろ」
「細かいことは気にしないの♪」
「……ったく」
きっとこれからも、こいつに振り回されるんだろう。
でも、それでいい。
契約なんてなくても、俺たちはこうして一緒にいられるのだから。